第四百四十七話 たまものがたり
神聖歴1206年の九月。
再び、西の離れでの日々である。
変わったことと云えば、部屋に置かれた七つの卵くらい。
毎日粘水を取り替えて、温度と湿度を保ち、風の魔術で空気を送る。
俺がやるのはそれくらいだが、まわりの人たちは、そうでもなかった。
一番最初に動いてくれたのは、ガドだった。
「成程なァ……。でかい風呂場でオオウミガラスを飼うってのか」
こちらの話を聞くと、ムキムキのサンタクロースは、よっこいしょと立ち上がる。
「ガド、どこか行くの?」
「どこも何も、その大きさなら、卵が孵るまでもう何日もねぇだろう? 俺の知り合いに、建築専門のドワーフ共がいる。ちょっくらそいつらと、公衆浴場のほうを見てきてやらぁ。水を張り、魔石をセットし、寝床も整えなけりゃならんのだろう? 水漏れもなく、温度の維持も考え、しかも丈夫に造らなけりゃならねぇ。となると、短期間で早く確実な仕事が出来るのは、俺らドワーフしかいねぇだろうが」
「良いの?」
「仕方ねぇだろう。じゃなきゃ、フィーのヤツが泣くだろうが」
そのまま背を向け、のっしのっしと歩いて行った。
聞くところによると、その後、複数のドワーフたちが三交代制で二十四時間、突貫で工事を始めたそうだ。
当初の改修作業を請け負っていた人間族の業者を片手で追い出して、現場を占拠してしまったのだと。
文句を云おうとした元請けの業者は抗議しようとしたようだが、ドワーフたちがおっかないこと。
仕事のスピードが自分たちよりも圧倒的に速く、かつ正確無比であること。
そして商会が途中交代を認め、その上で完成を想定した分の賃金を支払ったことで、引っ込んだという話。
「もの凄く複雑そうな顔をしていましたよ。いえ、工賃の話ではなく、ドワーフたちの技量にショックを受けたみたいでした」
とは、毎日我が家にやってくる、フェネルさんの言。
一方的に現場を占拠したにもかかわらず、ドワーフたちは商会からのお金を受け取ることがなかったとも。
「俺らは好きでやってンだ。お前ェらエルフから金を受け取る筋合いはねェ!」
「しかし、ここは、商会の持ち物です!」
「知るかってンだ! 仕事の邪魔だ! エルフ共は出てけ、出てけ!」
と、云うこともあったそうな。
……俺の思いつきのせいで、色々な所に迷惑を掛けてしまったんだなァ……。
それらを教えてくれたフェネルさんは、卵の様子を見に、こうして足を運んでくれている。
「私の子たちを、だっこしに来てるだけじゃないの……!?」
と、プンプン怒っている母さん。
何度もわが子との抱擁を横取りされて、お冠のようだ。
まあ確かに、この子ども好きエルフ様が我が家にやって来て、俺やフィーやマリモちゃんを抱えない日はないのだが。
しかし、卵の安全と孵化後の世話を考えると、どうしても本職の従魔士の力は必要だ。
「卵のコンディションは、本当に良いですね。この『水の孵卵器』のおかげでしょう。普通、卵の孵化は確率であって、全てが孵る訳ではないのですが、この状況なら、或いは七つ全てがヒナになれるかもしれませんね」
そう云いながらも、細かいケアをしてくれるフェネルさんなのだった。
オオウミガラスのヒナたちの未来は、この人なくては成り立たないのだろう。
「すみません、フェネルさん。仕事で忙しいでしょうに」
「いいえ、構いませんよ。私はもともと、動物が大好きですし。――それに」
「わわっ!?」
問答無用で、抱え上げられてしまう。
「セロの分の『だっこスペシャル』を、『ハイパーだっこスペシャル』に格上げさせて貰うつもりですから。――アルト様、覚悟して下さいね?」
何それ、俺どうなるの!?
しかし、従魔士の存在は確かに心強い。
テイマーはその性質上、生き物や、生き物たちが生きて行く環境にも詳しい。
更に普通のトレーナーさんよりも、動物との意思の疎通が上手く、軽度の暗示なんかも使えたりする。
フェネルさんは暗示は極力使わない方針のようだが、普通は不可能ないし困難と云われる鳥類へのトイレの躾けなんかが出来るだけでも、衛生環境を含めて色々変わってくるのだと説明してくれた。
「ふふふ。ヒナたちが、私に懐いてくれると良いんですけどね」
趣味と実益を兼ねた任務のようである。
――そして、その日がやってくる。
※※※
九月も間もなく終わろうかと云う頃。
俺は自室で、本を読んでいた。
女性陣は、恒例のお昼寝タイムだ。
無理に受験勉強をしなくてよくなったので、最近は趣味の読書も出来るようになった。
前世の俺は歴史が好きだったので、こちらの歴史を学ぶのも面白い。
地球時代の歴史はどこまで行っても推測と推論だけだったが、こちらには長命なエルフ様たちがいる。
本を読んだ後で彼女たちから話を聞くと、また違った姿が顔を出すのが面白い。
「あーぶ!」
「うん?」
てしてしとした感触が、俺の太ももに届いた。
見ると我が家の末妹様の姿が。
この娘はフォームチェンジして飛んで来られるので、簡単に布団からも抜け出してきてしまう。
「どうした、ノワール? お腹が空いたのか?」
「きゃっきゅっ!」
よじよじと膝の上に登ってきて。
「えへ~……っ!」
満面の笑顔。
どうやら、俺に構って貰いたいらしい。
本を閉じて、マリモちゃんを両手持ちする。
そしてそのまま、仰向けに倒れ込み、高い高い。
「きゃっきゃあ~!」
うん。
嬉しそうだ。
「あにゃにゃ、にゃっ!」
しかし途中で、降ろしてのサイン。
マイボディの上に着陸させると、ぺたっと俺の胸板の上に寝転んで密着し、
「きゅふ~~っ」
と、笑った。
変則的だっこがご所望だったようだ。
(そういえば、もうひとりの赤ん坊。ヒツジちゃんは元気かな……?)
あの娘も、甘えん坊な子だったが。
「アっルトきゅ~ん! アルトきゅぅぅぅん! いますかねー? いますよねー?」
邪神が入って来た。
「ああっ!? ノワールちゃんと、楽しそうにたわむれていますねー。羨ましいですねー。ミアお姉ちゃんも、混ぜて欲しいですねー」
お前は仕事しろ。
「えぇい、密着するなァっ! 触るなァっ!」
「くふふっ! この肌触り、この香り! やっぱり美幼年は、たまりませんねー!」
「にゃにゃっ!」
せっかくの時間を邪魔されたからか、マリモちゃんが怒ってしまった。
「むむむ……。怒らせるつもりはないんですねー。許して欲しいですねー」
流石に赤ん坊がいるときに俺に襲いかかるのは自重したらしい。
と云うか、自重できたのか。
ミアは胸元から手紙を出してくる。
「はい。アルトきゅんに、お手紙ですねー」
二通か……。
一体、誰だろう……?
(む? こっちは、フレイからか)
セロに住む子役スター様からの手紙である。
今度こそ、王都公演の招待状かなと思ったら、貴族らしい晦渋な文章で、
「何だ、この写真という素晴らしいものは!? 何故、私に教えてくれなかった!? 写真を広める為のモデル役を、是非やらせてくれ!」
と、書いてある。
まあ、軍服ちゃんの性格なら、絶対に食いつくとは思ったけどさ。
(もう一通は――)
なんとタイムリー。
たった今、思い浮かべていた、ヒツジちゃんのママンからのものだった。
こちらも要約すると、
「また娘に会いに来て下さい。とても寂しがっています」
と、調査の名目で糊塗された文章の下に、そう書かれている。
紙はもう一枚入っており、そちらには下手だが元気いっぱいに、『アル』と書いてあった。
ヒツジちゃんが覚えた、精一杯の文字であるらしい。
追伸には、『最近、娘が少しずつですが、喋るようになりました』、とも記されている。
あの娘に初めて会ったのは、一年二ヶ月前のことだから、そりゃ喋るようにもなるか。
「あきゅ?」
一方、俺の視線を受けて不思議そうに首を傾げるマリモちゃん。
この娘が解放されてから、約十一ヶ月。
こちらは未だに喋る気配が無い。
これは精霊は人間のそれとは成長形態が違うからなのだろうな。
「――!」
俺と見つめ合っていたマリモちゃんは、何かに気付いたように黒い瞳を輝かせた。
視線を追うと――。
(あっ! 卵が……!)
一番大きい、純白の卵が揺れ始めた。
中から今まさに、新たな生命が誕生しようとしているのだ。
「ミ、ミア……っ! フィーたちを呼んで来てくれ!」
「――かしこまりました。ご主人様」
何で突然、『パーフェクトメイドさんモード』で!?
あと、俺はお前のご主人様じゃねぇ!
「にーた!?」
フィーは、すぐにやって来た。母さんも一緒だ。
「フィー、ボミオスの子が孵るぞ!?」
「う、うん……っ! ボミオスー!」
妹様は、期待におめめを光らせている。
その顔は――笑顔だ。
俺には卵が無事に孵ってくれることよりも、この娘が笑顔になってくれることのほうが、より嬉しかったのだ。




