第四百四十五話 フィー、命を学ぶ(その五)
「ボミオスーーーーーーーーっ!」
フィーは、叫びながら駆けていた。
新しく出来たばかりの、友だちの名前を。
名を呼ぶと云うことは、あの白変種の魂は、まだ失われていないということなのだろうか?
それとも、いっぱいいっぱいで気が回っていないだけなのか。
問題の場所へは、すぐに到着した。
――そこは、既に楽園ではなかった。
無数のオオウミガラスたちの死骸と、それをついばむ大きな鳥の群れがいる。
リュティエルはこれを『自然の営み』と云ったし、事実そうであろうとは思うけれども、フィーには、地獄に近い光景に見えたことだろう。
愕然とするフィーを他所に、猛禽たちの瞳が細まった。
どうやら俺たちを縄張りへの侵入者、或いは新たな獲物だと認識したらしい。
兇猛な叫び声を上げ、空に舞った。
襲ってくるつもりらしい。
(鷹がエサを食うのは当然のことだが――)
こちらが素直に食われてやる義理はない。
こいつらがこちらへ向かってこないなら、俺は排除を躊躇したかもしれない。
けれども、このままでは妹様が大怪我をしてしまう。
一角鷹の性格は、極めて執念深いとされている。
ちょっと追っ払っても、執拗に反撃してくるのだとも。
となると、選択肢はひとつだけ。
「ごめんな」
俺は呟いて、空を舞う鷹たちに、粘水弾を浴びせた。
スライム状のそれは羽の動きを押さえ込み、口元を完全に塞ぎ、そして水そのものの重力を加えて、海面に落下させる。
首が折れるか、或いは溺死するか、いずれにせよ、彼らの生は終わった。
残ったのは、食い散らかされているオオウミガラスたちの死骸ばかり。
犠牲者の数は、数十匹と云った所か。
この地には数百匹はいたと思うから、残りのオオウミガラスたちは海中にでも逃れたのだろうか?
「ボミオス、ボミオスーーーーーーーーっ!」
フィーは、倒れ伏した『友だち』を見つけたようだ。
意外なことに、白変種の身体は海側ではなく、陸側にあった。
慌てていて、海へ向かえなかったのだろうか?
(いや、違う……)
ボミオスは、うつぶせに倒れていた。
背中には痛々しい刺し傷と、無数のついばみの痕がある。
しかし白変種の身体は、何かを抱え込むかのような体勢を取っていたのだ。
「……卵か」
そこには、奇妙に白い卵がひとつ。
先程見た他の卵は、模様入りの薄い灰色だったが、この卵は真っ白だった。
アオオオウミガラスは、他の個体の卵には近づかないとエニは云った。
また、地球世界のオオウミガラスの場合は、つがいが交替で卵の世話をするのだという話も思い出した。
それなら、この卵は……。
「自分の子どもを、命をかけて守ったのか」
近くには、割れた卵がいくつも見える。
一方で、ボミオスのように卵を抱え込んで死んでいる個体も、極少数ながら目に入った。
「ひぐ……っ! ボミオス、ボミオス~~……」
フィーは泣いていた。
それは自分のことではなく、他者を思って流される涙なのだった。
「フィー。ボミオスを褒めてあげよう。よく頑張ったねって。自分の子どもを、守ったんだねって」
「にぃたぁぁ……っ! にいいたあああああああああああ!」
フィーは俺に抱きついて、大声を上げて泣き始めた。
そして、皆が追いついてくる。
エニは無言で、オオウミガラスたちの遺体をまとめ始めた。
どうやら、弔ってくれるつもりのようだ。
母さんは、そっと俺たちを抱きしめた。
「アルちゃんとフィーちゃんが、無事で良かった……」
ああ――そうか。
この人も、『親』だもんな。
俺たちがオオウミガラスたちに気を取られているときも、我が子の心配をしてくれていたのか。
「にーた……。ボミオスの魂、もう、ない……」
「うん。ボミオスは、精一杯生きたんだ」
「にーたにも、治せない……?」
「……ああ。ボミオスは、死んでしまったからね」
「死んだ……? ボミオス、もう動かない……? 一緒に、遊べない……?」
今までフィーの中で漠然としていた『死』と云うものが、きっと実感として理解出来たのだろう。
大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「…………」
俺はフィーを。
そして母さんは俺とフィーを。
より強く抱きしめた。
この娘にはこの出来事を、ただの悲劇だとは思って欲しくない。
死があるからこそ、生きることが大切なのだと、生命には価値があるのだと、それを知って貰いたいと思った。
そして俺も、自覚をしておかねばならない。
この世界は、日本などと比べて余程に『死』が身近にあるのだと。
自分自身や大切な家族が、いつ死ぬか分からない世界なのだと云うことを。
「――ああ、一角鷹を、鏖殺したのですね」
淡々とした声で、リュティエルはそう呟いた。
どうやら歩いてこちらへ来たらしい。
尤も、元から彼女には、走る理由は無かったのだろうが。
「どの様な理由で、貴方は、かの猛禽を排除したのですか?」
「……自衛の為ですよ」
「そうですか。怒りに我を忘れて、ではなくて良かったです」
「…………」
今はそんな言葉に対応する気にもならない。
フィーは、もう動かなくなったボミオスを撫でていた。
短い出会いではあっても、うちの子に多くのものをもたらしてくれたのだろう。
「生きている者は、皆、必ず死ぬ。だから今を一生懸命に生きて、大事にするんだよ」
月並みな言葉であっても、それはきっと大事なことで。
俺の言葉を聞いたフィーは、予想以上の反応を見せた。
愕然とした顔は青白く、震える手で俺に触った。
「皆……? 皆、死んじゃう……?」
「うん。遅かれ早かれね」
「じゃ、じゃあ……! に、にーたも……?」
その声は、明らかに否定を望んでいたのだろう。
でも、こういうことで嘘をついちゃいけないんだろうな。
だから、俺は頷いた。
尤も、俺とこの娘の歳の差は、たったの二歳だ。
あまり考えたくないことだけれども、こちらが『見送る』側になる可能性だってあるわけで。
「…………ゃ」
「……ん?」
「やぁっ! にーた、いなくなる! それ、ふぃー、イヤッ!」
フィーは、再び泣き出してしまった。
まだ四歳のこの娘には、早すぎた現実かもしれない。
けれども、いつか必ず『別れ』は来るのだと知ることも、また大事ではあるのだろう。
しかし、今は慰めの言葉を掛けてやることは出来ない。
それは、少しでもこの娘が落ち着いたときでないと意味がない。
だからそっと、抱きしめるだけ。
「…………」
恩師は、そんな俺たちの傍にしゃがみ込んで、ボミオスが『守った』卵に、そっと触れた。
「……この子は、生きている」
そうか。
形だけでなく、本当に守りきったんだな。
しかしリュティエルは、それを淡々と否定した。
「卵が無事なのは、今だけの話でしょう。アオオオウミガラスは、他の個体の生んだそれには、決して近づきません。つまり、この卵を暖める者も守る者も、既に存在しないのです。孵ることは決してありません。時間の問題ということですね」
それは冷たい現実で。
群れの中にありながら、白い卵は『ひとりぼっち』になったのだった。
「……あと、六つ」
エイベルは、周囲を見ながら、ちいさく呟いた。
それはたぶん、この卵と同じく、『親を亡くした』生き残りにして、後を追うことになってしまう、ちいさな命だ。
母さんが、泣きそうな顔をした。
「せっかく生んだ我が子が助からないなんて、そんなの酷すぎるわ……」
俺も、そう思う。
いや、そう思いたい。
それが自然のルールだとしても、これらはフィーの『友だち』の残したものなのだから。
だから、『これ』を守ってやるくらいは、してやるべきだろうと、俺は思った。




