第四十四話 七級試験前夜
別に無理して満点を狙うつもりもないが――。
たま~に、試験中「どうしよう」と思う時はある。
いや、わざと間違えようとか、そういうのではない。
ただ、エイベルから教わった知識と、本で読んで得た知識に差異がある場合もあるのだ。
殊にそれが多いのが、歴史だ。
長い時間の中で、取り違えられたり、歪められたり、色々なことがあるらしい。
市販の歴史書なんかを見ていると時々、
「……名前、間違ってる」
と、うちの先生がぽつりと呟くことがある。
それが昔の知り合いの事だったりすると、なんとも微妙に悲しそうと云うか、不満ありげな気配が出ているお師匠様なのである。……表面上は無表情のままだけれども。
それは、『神聖歴』と云う現在の人間社会の暦にも関係があるものだ。
何で『神聖』なのか?
それは、三度目の『大崩壊』の後、人々を救い導いたのが、教会だからだと云われている。
神のお導きによって、人は破滅より救済されたのだと。
だから教会の力は大きい。ひとつこの国のみならず、大陸全土に影響を与えている。信徒の数も膨大なものだ。
それがエイベルは――いや、エルフたちは気に入らない。
大戦役の後、復興に従事したのは、当時を生きる全ての人々であって、教会のお導きなどではないからだと云うのが、その理由。
教会は歴史のあらゆる場面で人間を救ってきているが、そこにも裏表があったりする。
たとえば、スクボ村と云う辺境の集落があるが、ここを四百年程前に、強力な魔獣が襲った。
それを退治したのは、教会所属の聖騎士・トーマスだと云うことになっている。
「教会が倒したなどと、とんでもない。あれはロプと云う名の獣人族の少年が命を掛けて撃退したものです。ロプはスクボ村の出身でした。彼は獣人だと云うことで差別され村を追い出されたのですが、幼い頃の自分によくしてくれた幾人かのために、命を掛けて魔獣と戦ったのです。ロプは村を守れて良かったと、笑顔で死んで行きました。聖騎士トーマスと云うのは、教会が村長に貸し付けた金を取りに来た、ならず者に過ぎませんよ。その途中で、虫の息だった魔獣にとどめを刺しただけなのです」
過日、ヤンティーネは憤慨しながら、俺にそう云い聞かせた。
村人も村人で、自分たちが差別して追放した獣人に村を救って貰ったと云い出しにくかったらしい。そして、村長は教会に借りがある。
こうして、英雄的聖騎士・トーマス様が誕生したとのこと。
この件に限らず、教会が流布した『救済活動』と、エルフたちが見聞きしてきた『実生活』にはいくつもの違いがある。
だから、教会とエルフ族の仲は悪い。
過去を『語る』教会と、過去を『知る』エルフは、決して相容れない。
で、たとえば今の話が筆記試験に出た場合。
スクボ村を救った英雄の名は、トーマスと書くべきか、ロプと書くべきか。
もちろん、これは無意味な仮定だ。
だって筆記試験は歴史のテストではないからな。こういう問いが出ることはない。
ただ、もしも似たような問題があった時は、満点である必要はないかな、とも考えなくもなかったが。
「無理に事実を語る必要はありませんよ。それは実際にその時代を生きてきた、我々エルフの責務です」
ティーネはそうも云ってくれる。
これは半分本気の発言ではあるのだろうが、本心は俺に気を遣ってくれているのだと思う。
俺が変に意固地になって教会に目を付けられないようにと。
俺は歴史家ではないし、真実の徒でもない。だから、「家族を守ることを優先して下さい」と云われてしまえば、我を通すことも出来ない。
アルト・クレーンプットとは、その程度の人間なのである。
いずれにせよ、俺は、ある意味で気楽と云うべきだろう。
100点だろうが90点だろうが、合格出来ればそれで良いのだ。
エイベル大先生も、絶対に満点を取れとは云わないし、考えてもいないだろう。
だが、そうでない人もいる。
たとえば、この国の第四王女様。
彼女は初段位取得まで、全て最年少での満点合格が期待されている。
誰が云うわけでもなく、巷のうわさ話として、それが可能なのだと広まっているようだ。
迷惑なプレッシャーだよなと、少し同情するが、あの幼女様ならば、本当に出来そうな気もしてしまう。つまりは俺も、無責任な傍観者の側というべきなのだろう。
何にせよ、七級を合格出来れば、俺も晴れて魔術師だ。
明日のための勉強は済ませた。明日のための準備もやった。
試験後に商会に売り込む新商品も用意している。
と云うか、寧ろ試験後がメインになるかもしれない。
今回はお金があるので、母さんとフィーに何か購入してあげるのだ。
特に母さんは、親父から渡されるはずだった本が『何故か』貰えなかったので、代わりに俺が小説を買ってあげる予定なのである。
もちろん、それは恋愛小説なわけだが。
前世も今世も俺は結構歴史が好きなので、歴史書なんかも母君様に勧めてみたが、
「ん~ん。お母さん興味ないわ」
の、一言で終わってしまった。
何かこう、自分の好きなジャンルが一言で切り捨てられると、無性に寂しくなるよね……。
マイエンジェルはどうしようかな?
また画用紙と筆記用具を買ってあげるのは確定として、何が喜んで貰えるだろうか。
俺は膝の上に目を落とす。
そこには天使が一人。
俺の太ももに顎を乗っけたまま、すやすやと眠りに付いている。
「今日は勉強をするから、フィーは母さんと先に寝てな」
そう云った俺に対して、
「ふぃー、にーたすき! にーたおうえんする! にーたてつだう!」
そう返してベッドに入ることを拒否したのだが、結果はごらんの通り。
ただ、母さんが布団まで連れて行こうとすると、不思議に目をさます。
「めー! ふぃー、にーたといっしょにいる! にーたおべんきょう! ふぃーそれみてる! にーたすき! だいすきッ!」
意志は硬いが、まだ眠気に勝てる力はない妹様なのである。
力尽きて俺の膝ですぴすぴと眠る姿はとても愛らしいので、やる気が湧いてくる。
フィーの考えていた形とは違うだろうけれども、充分以上に元気を貰っていると云えるだろう。
「ちゃんと寝るのも試験対策のうち~……」
マイシスターを抱えて、ベッドに入る。
眠っているはずなのに、しっかりと俺に抱きついてくるのは流石と云えよう。
(試験より何より、一番大事なのは、こんな日々だね)
俺は自分の身を守ることと、大切な家族を守る為に勉強しているのであって、真実を詳らかにする為に生きているのではない。
卑怯で小市民的な考えかもしれないが、それは心に刻んでおくべきものだろう。
好奇心は猫を殺す。雉も鳴かずばうたれまい。君子危うきに近寄らず。長いものには巻かれろ。寄らば大樹の陰……。
そんな俺も、いつか誰かのために身体を張るようなことも、あるのだろうか?
いいや、無くていいな、そんな未来。
俺はフィーと母さんとエイベルがいる生活が続いてくれれば、他に高望みなんてしない。
歴史の渦に翻弄されるとか、復讐のために生きるとか、そんな人生は真ッ平ごめんだ。
可愛い妹様を愛でて、母さんと笑って、あとはエイベルの耳を触ることが出来れば、云うことないんだが。
それでいい。それだけでいい。
「おやすみ、フィー」
七級試験前日の夜は、そうして更けていった……。
 




