第四百四十一話 フィー、命を学ぶ(その一)
「お、おぉぉぉぉぉぉ~~~~っ! エニネーヴェっ! 私のエニネーヴェの姿が……!」
一葉の写真を見て、氷精の爺さんが泣き崩れている。
そこには紛れもなく、彼の孫娘の姿があった。
そのお孫さんの方も、園のメンバーとの集合写真を見て感慨深げに黙り込んでいる。
「これは凄いものですね……っ!」
レァーダ園長がそう云うと、
「いや。この場合は、『良きもの』と云っておくべきであろうな。家族の姿を残せるというものは、そう表現すべきでありましょう。――まあ、やり方次第で悪用も出来そうな点は、この際指摘はしますまい」
雪だるまがダンディな声で応じた。
すぐ傍では使用人の氷精の少女が、
「旦那様と奥方様の姿も残せていれば……」
と呟いている。
(旦那様と奥方様と云うのは、雪ん子ちゃんのご両親だろうな……)
流石に過去は写せない。
だから、『この今』と『これから』を残していって貰うしかない。
幸い、写真の劣化を防ぐ為に薬液の改良は既にされているし、今後も強化していくと、うちの先生も意気込んでいる。
加えて、写真そのものを保護する為のフィルム状カバーを作ると云っていたので、俺はそれをコーデックスにしたらどうかと提案した。
つまりは、アルバムである。
彼女はその意見を採用し、商会と共同でアルバムを作るようだ。
そしてあちらでは、その先生様が『サンプル用』の写真をあらたに撮ると決めている。
どうやら、我が家の姿をサンプルに用いる気がなくなったみたいだ。
「……写真がひしゃげたり、傷んだら困る……」
無表情なのに憮然とした感じで、そんなことを云っている。
一応この園には、奇岩のような変わった氷塊なんかもあるみたいだから、あとでそれをバックに、何種類か集合写真を撮ろうと云う話にはなったが、当然それはサンプルには用いないのだろうな。
「にーた、にぃたぁ……。この後、どこ行く? ふぃー、そろそろにーたに遊んで欲しい!」
「うん。この後はね。珍しい動物さんを見に行くんだよ?」
「動物さん!? ほんとー!? ふぃー、動物さん好きっ! にーたが好きっ!」
ぴょんぴょこと飛び跳ねて、俺に抱きついてくるフィー。
『大自然』と云うものをこの娘に見せてあげられるのは、きっと大きな意味があるはずだ。
マイエンジェルが見る風景は、いつも離れの庭だけだから、色々なものを見て、そして感じて貰いたい。
正気を取り戻した総族長のスェフが、こちらに頭を下げた。
「時間を取らせてしまいまして申し訳ありません。海洋動物の多くいる場所、でしたな。それならば、ここよりも遙か西側、氷ではなく、岩礁帯になっている場所まで移動せねばなりません。ここらは他の生き物が住むには、寒すぎるようですからな」
それは仕方がないことだろう。
ここは本当に雪と氷の世界なのだから、生物が住むには適していない。
一面が白と青で彩られた場所なので、一目で幻想的に感じる素晴らしいところではあるのだが……。
「……エアバイクで移動するから、距離に問題はない」
「むう……。それでは、我らが尊き御方を護衛すること叶いませぬ……」
筆頭騎士が悔しそうに呟いた。
この雪だるまはステレオタイプな騎士の魂を持っているから、エイベルの恩義に報いたいと思っているのだろうが。
「あ、あの……っ! でしたら、わたしが皆様に同行し、案内役を務めます……!」
雪ん子ちゃんが勇ましく手を挙げた。
ぴょこんぴょこんと可愛らしく飛び跳ねているのが、年相応で微笑ましい。
「貴方が……ですか。まあ、案内はいたほうが良いとは私も思いますが」
リュティエルは少し考え、
「そうですね、貴方ならば、バイクにもギリギリ乗せられますか。……それで、向かう先の気温は大丈夫なのですか?」
「は、はい……! あの辺りなら、全く問題はありません! それに、緊急冷却用の氷の魔石は、お爺様から頂いております! いざとなったら、おやつにも出来るんですよ?」
出来るんですよ、とかドヤ顔で云われても。
「エニネーヴェ……」
スェフ族長が不安そうな顔をしているが、これは単純に彼女の身を案じているだけだろうな。
他に懸念材料があるのならば、レァーダやシェレグ、それにエイベルが止めているはずだろうから。
「お爺様、どうかわたしに、エイベル様たちのお供をさせて下さい。わたしもアルト様に命を助けられた恩を返したいのです」
「むむむ……。しかし……。いや、分かった、行ってきなさい。くれぐれも、皆様に迷惑を掛けてはいけないよ? ――それから尊き御方よ。我が孫娘を頼みます」
「……ん。善処する」
こうして俺たちは、新たな場所へと出発する
※※※
風景が変わる程の距離を爆走し、ひたすら西へ。
クレバスもなく魔物も少ないからか、両高祖の駆るエアバイクのスピードは、山を進んだときよりも数段速い。
と云うか、ぶっちゃけ、怖い。
「ふへへへへ……! びゅーびゅー進むの、ふぃー、楽しい!」
相も変わらぬ妹様の怖いもの知らずよ。
視力強化で併走するバイクの様子を見ると、エニネーヴェは顔をこわばらせているのに、マイマザーはウキウキとしている。流石は似たもの母娘よな。
凄まじい距離を凄まじいスピードで疾駆し、流氷の浮かぶ海岸線へと到達した。
「ふぉおぉぉぉ~~~~っ! にーた! 海おっきい! ふぃー、おっきいの好き! にーたが好き!」
「フィーは、雄大なの大好きなもんな」
「ふぃー、おっきいの好き! でも、にーたのほうがもっと好き! だっこ!」
「だっこか……。いや、せっかくだから、肩車にしよう! 遠くまで、よく見えるぞ?」
「みゅみゅっ! 肩車! ふぃー、にーたに肩車して貰う!」
フィーをよいしょと持ち上げる。
妹様は、雄大な北の海に釘付けになっている。
「にーた! 海に氷がいっぱい浮かんでる! ふぃー、アイスも好きだけど、氷をそのまま食べるのも好き!」
「ええ、氷はとても美味しいです……。わたしもそう思います」
雪ん子ちゃん、そこに食いついてくるのね。
でも、彼女には、聞きたいことがある。
「エニ。ここってダイカイギュウがいるんでしょう?」
「はい。おりますよ? 大きくて、丸くって、とっても可愛いんです!」
元いた世界にはいない、沼ドジョウというウナギの近縁種がいたように、この海には地球には居なかった、ダイカイギュウの一種がいる。
たとえば既に絶滅したステラーダイカイギュウは寒さに強くても、流氷がある時期はジッとしていたりしたそうだが、こちらにいるオランニェダイカイギュウは、より耐寒性に特化した存在なのだと云う。
体長、八メートル。体重は十五トンにも及ぶ橙色のダイカイギュウは、北の海で脂肪を蓄える都合上、他のダイカイギュウ種よりも丸々プクプクと太っているという。
リュティエルは俺の傍に来て云う。
「フェフィアット山以北に住む動物は、警戒心の薄い個体が多いですね。この海に住むオランニェダイカイギュウも、そのひとつです。一方、フェフィアット山以南に住む種は、大変に臆病になりました。――何故だか分かりますか?」
「……人間がいるからでしょう」
俺は答えた。
ステラーダイカイギュウは、それで滅んだ。
食肉、ランプ油、そして革製品の材料として乱獲され、地球世界のそれは、殺し尽くされたのである。
「その通り。人間は愚かです。山でも森でも、そして海でも。手当たり次第に動物を殺します。他種の繁栄や自然との調和などは考えず、欲望の赴くままに狩り尽くします。――最近では『タイヤ』なる発明品が現れたことで、一部の生物の乱獲が起きているとか」
「…………」
「技術の進歩というものは、歪であってはダメなのです。生き物全体を俯瞰できない発展など、断崖へ向けて突っ走ることと変わりはありません。魔導歴には魔力を蓄え爆発させる魔導兵器が考案されていましたが、その研究者と彼の居た街は、実験の失敗で住民もろとも吹き飛びました」
どこの世界でも変わらないか。そういう部分は。
「私は最早、人間という『種』そのものには信用を抱いておりません。何度滅んでも、その愚かしさは改善されなかったのですから。――ですが、『個体』であるならば、ごく僅かに手を握ることが出来る者もいる、とは思っております。貴方がこれからも『発明』を続けるのであれば、広い視点を持つ、と云うことだけは、忘れないで欲しいんですよ」
俺には難しい話は分からない。
けれども、心懸けておくべきことがあるというのは、分かるつもりだ。
「――エイベルを悲しませるようなことはしないって、そう考えてます」
「……アル」
俺の言葉を聞いて、『天秤』の高祖はようやく笑った。
「――ああ、成程。好ましい答えです。私も、何万回も繰り返されたような古くさい説教などせずに、ただ一言、そう云えば良かったのですね。『エイベルを失望させないで下さいね』と」
「大丈夫よぅ!」
「ぎゃあっ! 出ましたね、リュシカ・クレーンプット!」
背後から唐突に、マイマザーがリュティエルに抱きついた。
「私のアルちゃんは、私のアルちゃんだもの! きっと、これからも皆を幸せにする発明をしてくれるはずよ!」
「は、離れなさいッ! は、離し……ど、どこを触っているんですか……ッ!」
ごめん母さん。
俺、あまり深く考えないで作ってた。
「にーた! ここで一体、どんな動物さん見られる!? ふぃー、ブタさんが見たい!」
海に住むブタは居ないんじゃないのかなー……?
いや、でも異世界だし、或いは……?
ぎゃあぎゃあと騒ぐ俺たちを他所に、雪ん子ちゃんは海を指さす。
「見えました。あれが、オランニェダイカイギュウです!」
海面が、ゆっくりと浮かび上がった。




