第四百三十八話 二度目の大氷原へ
白銀の野を駆ける。
クレバスありモンスターありの、相も変わらず危険な道中だが、我が家の母と娘はジェットコースターではしゃぐかのように、大喜びしている。逞しい限りで、羨ましいぞ。
そして危険地帯を抜け、園まであと僅かという地点では、ある一団が待っていた。
「あれは……」
俺が集団に気付いたときにはもう、ふたりの高祖はエアバイクを減速させ、停車モードに入っている。
視界に入る前からたぶん、魔力か魂を感知していたのだろうな。
待っていたのは、可愛らしい雪ん子ちゃん。
そして彼女を守るように立つ、園の騎士たち。
それから――。
「ミー!」
「ミミー!」
「ミー、ミー!」
大量の雪精の群れ。
雪色のピンポン球たちは、バイクを降りた俺に向かって、一目散に集まってきた。
うん。
普通に死ぬ程冷たいぞ。
「めーっ! にーたにくっつく、めーなのーっ!」
妹様、大激怒。
しかし俺に向けて駆け出した瞬間、その動きは止まってしまった。
「にゅあああ~~~~っ! つ、つめたいのーっ!」
どこから出て来たのか、大量の氷精の幼体がマイエンジェルにまとわりついた。
前回もそうだったが、どうもこの娘は氷精たちに、良質のエサだと思われているフシがある。
そして、俺にちいさな身体を懸命にすりつけてくる雪精の幼体たちに激怒する者が、もうひとり……。
「……っ! ……!」
真っ黒な球体が、俺の肩の上でぽんぽんと飛び跳ねて自己主張している。
しかし、雪精たちはこちらに甘えてくることに夢中で、マリモちゃんの抗議が目に入っていないようだ。
「二年近く前なのに、俺の事を覚えているんだな……」
前回、この地を訪れたのが神聖歴1204年の十月。
現在は1206年の九月。
ほぼ二年ぶりだ。
「この子たちは、『あの子』の思いを受け継いでいますからね。忘れるはずはありませんよ。――そしてそれは、わたしもです」
総族長の孫娘。
折り目正しい雪精の少女、エニネーヴェはそう云って微笑んだ。
「久しぶりだね、エニ」
「はい、アルト様も、お元気そうでなによりです」
「いや。今まさに妹共々、凍え死にしそうなんで、助けてくれると嬉しいかな?」
「くす……っ。はい。お助け致します」
赤ん坊を動かすかのような丁寧さで幼体たちを取り除き、俺たちクレーンプット兄妹を助けてくれるエニネーヴェ。
フィーはすぐに、泣きながら俺に駆け寄って来た。
「ふえぇぇぇん! にーたぁぁああぁぁぁ!」
「おお、よしよし。怖かったな?」
泣きじゃくるマイシスターを宥めている間、エニはすぐにエイベルの許へ行き、ぺこりんと頭を下げた。
「エイベル様、ご無沙汰しております。よくぞおいで下さいました。それから――そちらの方は?」
と、リュティエルを見る。
「私はただの日雇い労働者ですから、気にしなくて良いですよ」
「……む。ズルい」
マイティーチャーが、かすかに唇を尖らせる。
どうやら『天秤』の高祖様も、あまり自分の身分を明かしたいとは思っていないようだ。
「……エニネーヴェ。この娘は私の――」
「エイベル……様の知人で、ノーリュートと申します。どうぞ、よろしくお願いしますね?」
先手を打って、『ただのエルフ』で通すつもりのようだ。
しがらみが嫌いなところは、姉と一緒みたいだ。
「はい。ノーリュート様ですね。わたしは園の総族長・スェフの孫娘で、エニネーヴェと申します」
深々と偽名のエルフに頭を下げた後、マイマザーを見る。
「ふふふ~。可愛い子ねー?」
「きゃっ!?」
名を問おうとした矢先に、うちの母さんに抱き上げられてしまう。
高祖姉妹は『標的』が自分たち以外に移ってくれたことで、露骨にホッとしている。助けるつもりはないらしい。
「あ、あの……?」
「ふふふー。私はリュシカ。エイベルの友だちで、アルちゃんたちのお母さんをしています。貴方がエニネーヴェちゃんね? お話は聞いています。とっても可愛くて美人さんなのね? 気に入ったわ~」
哀れエニネーヴェは、マイマザーに囚われてしまった! 最早、逃れる術はない。
母さんは笑顔でエニネーヴェに云う。
「アルちゃんとフィーちゃんは知っているのよね? あともうひとり、私には娘がいるの!」
と、俺の肩にエニの視線を向ける。
そこには真っ黒なボール状の存在が、ぴったりとくっついていた。
「あれは……闇の精霊、ですか……? いえ、あの気配は、それ以上の――?」
「ノワールちゃんって云うの! とっても可愛いでしょう? 仲良くしてあげてね?」
自分の名前を呼ばれたからか、マリモちゃんは母さんの方を振り向いた。
「――!」
そして、見知らぬ幼女を『母親』がだっこしていることにショックを受けている。
ふよふよと俺の肩から飛び立ち、母さんの腕の中へ。
「あぶ……っ!」
そして、人型へ姿を変える。
フィーほど極端じゃないけど、マリモちゃんも結構な甘えん坊で、やきもち焼きなんだよねぇ。
そしてエニネーヴェは、母さんとノワールを見比べている。
「あのぅ……。つまりこの娘は、人と精霊のハーフ、ということでしょうか……?」
成程。そう考えたのか。
まあ、無理もないけれども。
「…………」
エニネーヴェは、次いで俺を見る。
「人と精霊との間に、子どもを……?」
うん。
だから、その視線は何さ?
「……エニネーヴェ。貴方たちは、ここで何を?」
「あっ、そうでした。わたしは、皆様を出迎えに参ったのです! ……あ、あの、アルト様のお母様、わたしを降ろして頂けますか……?」
「んふふふ~。だーめ!」
エニとマリモちゃんを同時抱えしているマイマザーはご満悦だ。
そして、エニネーヴェという重しがいなくなったことで、俺とフィーに、幼体たちが再びジリジリと迫る……。
「にゅあぁ! にーた、ふぃーたち、囲まれてる!?」
妹様が俺にしがみつく力を強める。
これは完全にトラウマになってしまったか……?
「ひ、ひぐ……っ! で、でも、大好きなにーたは、ふぃーが守るの……!」
こんなに震えているのに、健気に俺を守ろうとしてくれているフィー。
母さんの腕の中のエニネーヴェは、こちらの様子に気付き、怪訝そうに眉をひそめた。
「へ、変ですね……? この子たち、いつもはちゃんと云うことを聞いてくれるはずなんですが……?」
「それは、アルちゃんの魔力が美味しいからじゃないかしら? ノワールちゃんもアルちゃんの魔力、とっても大好きなのよ? いっつもたくさん食べてるんだから!」
「にゃにゃっ!」
俺の魔力、と云う言葉を聞きつけたマリモちゃんは、再びボール状になり、ふよふよとこちらの方へ。
そして肩に着地すると、ご飯ちょうだいと、真っ黒ボディを擦り付けてくる。
「ミー……」
「ミミー……」
その姿を見た雪精たちが鳴いている。
寂しそうな、羨ましそうな感じだ。
「…………」
雪ん子ちゃんは、ジッと俺を見つめている。
それは、先程までの親愛の籠もった明るい瞳とは違い、まるでごちそうを前にした、お子様のように。
「ア、アルト様の魔力、どんな味なのでしょうか……!?」
ごくり、とツバを飲み込むお嬢様。
そう云えば精霊って、基本的に食いしん坊なんだっけか。
「んふふ~。気になる? 気になる? じゃあ、少し食べさせて貰ったらどうかしら?」
我が子を食わせるだって……?
なんてことを……。
しかしその発言は、エニの興味を激しくそそってしまったらしい。
「アルト様……」
ああ、うん。
プリンを見つめるときのエイベルの眼光と同じですね、これは。
『知り合い』から『食いもん』に格下げになったんじゃないですかね、俺。




