第四百三十二話 クレーンプット家への来訪者(前編)
「にいいいいたああああああ!」
氷雪の園への出発を明日に控えたある日。
俺はフィーと、庭で遊んでいた。
まあ、明日の予定がなんだろうと、大体この娘と遊んでいるんだけどね。
「ほら、フィー。こっちだぞ~」
「ふぃー、にーたを捕まえる! この手につかみ取る!」
本日の演目は、鬼ごっこでございます。
逃げるのが俺。
鬼役がフィーだ。
「ふぃー、にーたを捕まえたら、ご褒美にキスして貰う!」
いつの間にそんな話に……。
しかし目標があるからか、妹様の瞳には、火が灯っている。
「ふへへへへぇ……! にーーーーーたああああああああああああああああああ!」
でも笑顔でこちらに駆けてくるフィー。
俺だけしか目に入っていないのか、周囲も足下も見ていない。
両腕を前につきだして走ってくるので、危なっかしくて仕方がないぞ。
二度、三度と突撃を躱し、適当なところで捕まってやる。
あまり走らせると、マイエンジェルが疲れてしまうからね。
「ふへへ……! にーた、捕まえたぁっ!」
ぎゅぎゅ~っと抱きしめてくるマイシスター。
そこには、勝利と達成感が綯い交ぜになった得意げな笑みが浮かんでいる。
「うーん、捕まっちゃったかぁ。やるな、フィー」
「ふへへ! ふぃー、鬼ごっこ得意! いつもにーたを捕まえてる! 毎回、勝つ!」
一旦俺から離れ、両腕を広げる。
だっこしろと云うことらしい。
「ほら、フィー。ぎゅー」
「ぎゅーっ! にーた、あと、キスも! ふぃー、にーたにキスして欲しい!」
「はいはい。……ちゅっ」
「きゅふううううううううううううううううううううん! ふぃー、今日もにーたからのキスを勝ち取った! ふぃー、嬉しい! ふぃー、にーた好き!」
そして繰り出される『キス返し』。
母さんはわが子たちのそんな様子を、苦笑しながら見つめている。
「もう、フィーちゃんったら、その服、着っぱなしなんだから」
その服、と云うのは、例の『ブタさんスーツ』だ。
ブタさんの格好がお気に召したマイシスターは、兎に角、この服を着たがった。
マイマザーはこれを部屋着として作成したのだが、その娘さんは眠るときも勉強のときも、こうして外で遊んでいるときも、『小ブタさんモード』になりたがる。
となると、一着じゃとても足りない。
なのでリュシカ・クレーンプット様は、小ブタ服の増産に入っている。
それは凄く大変そうだが、それでも嬉しそうな母さんだった。
「云ってくれたら、アルちゃんの分も作るけど?」
いいえ。私は遠慮しておきます。
俺は振り返り、静かに傍に控えてくれているヤンティーネに水を向ける。
「ティーネはどう? 動物さん服。似合うと思うけど?」
「いいえ。私は遠慮しておきます」
同じセリフだー。
まあ、ある程度の歳いってたら、ちょっと恥ずかしいよねぇ。
「副会長やフェネルなら、或いは喜んで着るかもしれませんが」
あのふたりか……。
まあエルフの皆さんって、大抵が中高生くらいの外見だから、これを着ても違和感無いんだろうけどさぁ。
そしてヤンティーネは何者かの気配を感じ取ったのか、ピクンと身体を竦ませる。こんなときでも手放さない槍をそっと握りしめた。
「誰かが敷地内に入ってきたようです」
侵入者……な訳はないよな?
しかし親しい知り合いが訪ねてくるとも思えないから、カスペル侯爵かステファヌス氏でもやって来たのだろうか? それならぶっちゃけ、会いたくないんだが。
しかし、やって来たのは意外な人だった。
いの一番に表情が変わったのは、それまで冷静な態度であったはずの女騎士だ。
彼女は槍を手放さんとする勢いで、その場に跪いた。
(あれは――)
現れたのは、四人。
ひとりは俺のよく知る、大好きなエルフの先生様。
のこりのメンツを、彼女が連れてきたものと思われる。
そして集団のメイン。
エイベルが案内してきた人は――。
「あら? あらあら……! エイベルの妹さんじゃないの!」
マリモちゃんをだっこしているマイマザーが目を輝かせた。
そう。
やって来たのは、この世にたったふたりしかいないアーチエルフ。エイベルの妹、『天秤』の高祖・リュティエルだった。
他、長く美しい耳を持つエルフが二名。
片方は、やたらと気品溢れる高貴な外見をしており、『エルフ族のお姫様』と云われたら納得してしまいそうな少女。
服装もなんとなく豪奢だし、額には品のあるティアラが嵌っている。
今一人はフード付きのケープを身に纏い、その顔に奇妙な仮面を付けた小柄な女の子。
こちらはエイベルやミィスと同じくらいの低身長だった。
身の丈に合わない衣服を着ているからか、手が袖の中に隠れてしまっている。そのせいで、顔は見えないが幼い印象を与えてくる。
リュティエルはマイマザーを見てビクッと身を竦ませて、ササッとエイベルの陰に隠れてから、こちらに向き直った。
「……お久しぶりですね、クレーンプット家の皆さん」
「お久しぶりです。リュティエルさん」
「ぶりなのー!」
フィーを抱えたまま、頭を下げる。
腕の中のフィーも一緒に、ぺこんと頭を下げてくれたが、これは単なる俺のマネだろうな。
母さんがリュティエルに視線をロックオンしたまま、親友に問いかけた。
「エイベル、エイベル! この抱き心地が良さそうな子たちはだぁれ? 教えて、教えて?」
「……ん。私の知り合い」
相変わらず、マイティーチャーの説明は簡潔を極める。
リュティエルが呆れたように息を吐いた。
「エイベル。それは紹介になっていません」
「……?」
小首を傾げる高祖様。
そんな、『何故?』みたいに不思議がられても。
後ろの『お姫様っぽい子』が苦笑している。
この娘の外見はパッと見、一三~四歳くらいだろうか? ただし、スタイルは良い。
彼女は優美な動作でこちらへ一礼した。
「わたくしはシアックの里のフィルカーシャと申します。どうぞお見知りおきを」
一人称、『わたくし』ですか。
やっぱり、良いとこのお嬢様なんじゃ……。
ともあれ、挨拶はちゃんとしておこう。
「アルト・クレーンプットです。よろしくお願いします」
「ふぃーです! にーたが好きです!」
「ああ……っ! か、可愛いお子様たちですね……!」
フィルカーシャ嬢は、おめめをキラキラとさせて俺たちを見ている。
そういえば、エルフ族って子ども好きが多いんだっけか。
俺はハイエルフの女騎士に小声で語りかける。
「ティーネ、フィルカーシャさんって、偉い人だったりするの?」
「フィルカーシャ様は、シアックの里のハルモニア家のご息女です。ハルモニア家は、ハイエルフ族全体のまとめ役を勤めています。里長たちも、形式上はハルモニア家の下の立場となりますので、その権勢は随一です。また、『始まりの森』と並ぶ聖地である、高祖様たちの眠る『聖廟』も、ハルモニア家の管轄です。人間世界の感覚で云えば、『王家』と云う概念がそれに近いでしょうか」
うわー。
めちゃめちゃ高貴な血筋じゃないですかー。
しかしそれを聞いていたらしいフィルカーシャさんは、上品に、しかし、困った風に笑う。
「我が家は高祖様方より、権限の一部を任されている存在に過ぎません。里長の皆様に対する命令権もありませんし、何より、両高祖様と云う絶対の存在がおられるのですから、恐れ多くて『王家』などと名乗ることは出来ませんよ」
それは謙遜ではあっても、本音でもあるのだろう。
両高祖と云う明確な上位存在がいるのだから、自儘に振る舞えるわけでもないはずだ。
「――ですから、わたくしのことは気軽に、フィルとお呼び下さいましね?」
フィルカーシャさんことフィル嬢は、俺たちに近づこうとし、それからマイマザーを見る。
「あのぅ……。この愛くるしいお子様たちは、貴方様のご家族ですよね……?」
「ええ! 私の自慢の子どもたちよ」
「矢張りそうですか。面影がありますものね。特にご息女とは、よく似ていらっしゃいます」
行動とか言動も似てますがな。
「あの……。お母様、この子たちをだっこさせて貰っても、よろしいでしょうか?」
母さんの顔色を窺うように、そんなことを云い出す。
いや、そもそも貴方たち、何しに我が家へやって来たのですかね?




