第四百二十九話 あい、あい、あいす!
八月の暑い盛り。
庭での遊びから帰ってきた俺たちを、母さんが出迎えてくれる。
「お帰りなさい、アルちゃん、フィーちゃん。戻って来たなら、しっかりと水分をとらなきゃダメよ?」
「はーい!」
率先してちゃんと手洗い・うがいをした妹様は、コクコクとスポーツドリンクを飲んでいる。
「これ美味しい! ふぃー、甘いの好き!」
ぷはーっと息を吐き、満面の笑顔。
CMにでも出られそうな程に美味しそうな反応だ。
フィーは水よりもスポーツドリンクのほうが好きだ。
子ども用に糖分を控え目にしているが、それでも『ただの水』を飲むよりも甘くて良いと考えているようで、よくねだられる。
つまりはジュース感覚なのだろう。
それを分かっているので、俺も母さんも、夏場以外はあまり飲ませないようにしている。
「今日、暑い! ふぃー、氷たべる!」
続いて、冷凍庫から氷を取り出し、口に放り込むマイエンジェル。
こう暑いと、内部から冷却したくなる気もわかるが。
「アイスが食べたいな……」
俺は、ポツリと呟いた。
いや、呟いてしまった。
「――っ!? アイス!? にーた、アイス食べる!? ふぃーも! ふぃーもアイス食べたい!」
「あら、良いわね! 私も食べたいわー」
ああぁ……。
食いしん坊母娘が食いついてしまった。
云うまでもないことだが、氷というのは貴重なのである。
主な氷の入手方法は、大別してみっつ。
ひとつが、天然のそれ。
ふたつが、魔術による作成。
そしてみっつが、今フィーが元気よくかみ砕いている大元――製氷機や冷凍庫による作成だ。
うちの冷凍冷蔵庫はガドによるお手製で、従って断熱効果は極めて高く、その中に氷の魔石を設置し、常時内部を冷却している。
なので製氷皿に水を入れて放置しておけば、勝手に凍って氷が出来上がる。
規模の違いはあれど、魔石を用いた氷の作り方は他所でも大体同じだ。
しかし重要なのは、氷の魔石はとても高価だということ。
そもそも、手に入る地域がまことに少ない。
北大陸の北部地域――雪と氷の盛んな場所で得ることが出来るとの話だが、たとえば峻険な雪山として名高いフェフィアット山は、攻略難度が不可能レベルに高く、高ランクの冒険者でも侵入をはばかると云われているし、その先にある『大氷原』は、普通の人間は到達できないとされている。
まあ、どうにかしてあの雪山を越えたところで、魔石を得るには、だだっ広い氷の大地で魔力溜まりを探さねばならず、仮に魔力溜まりを発見出来ても、それらは邪精のエサ場か、氷雪の園の管理下にあるので、結局入手は無理だろうと思われるが。
なので主な入手先は、フェフィアット山より南側、と云うことになる。
だが、そこから得られる魔石も、王侯貴族や大商家などが押さえてしまう為、普通の人は、中々手に入れることが出来ない。
しかも魔石は消耗品でもある。
使い続ければエネルギー切れを起こす。
一度買えば安泰、とはいかないのだ。
継続して入手出来る伝手や経済力がないと、たとえばうちにあるような冷蔵庫も、ただの箱になってしまうと云うわけだ。
なお我が家の魔石はガドが驚くレベルの品質なので、十年単位で魔力が保つだろうと云われているし、使い切るようならまたくれるとレァーダ園長に云って貰っている。高祖様のコネ万歳!
次の入手法。
魔術について。
これも中々難しい。
と云うのは氷の魔術は『水の派生』に分類されるが、簡単に云うと使い手が少ない。
また氷の属性に適性があっても、魔力量が少なければ充分な量は作れないし、魔術の変換・構築が下手くそなら、ちゃんとかたまらない。
一級試験で戦った『気怠げプッツン女』は精度の高い氷の魔術をバンバン使っていたが、あんな魔力量があるなら、戦うよりも『氷売り』でもしているほうが平和ではないかと思う、割りとマジで。
貴重な氷系魔術の使い手なら、お偉いさんが喜んで雇ってくれるだろうからね。
……俺は、やらんけれども。
最後に、天然の氷。
これも結構、大変だ。
地球世界にも『氷室』と云うものがあったが、それはこちらにもある。
簡単に云うと、氷の保管場所だね。
日の当たらない地域、涼しい場所に、冬の間に氷をつめて維持しておく。
で、要請があれば、そこから氷が溶ける前に、急いで対象にお届けるするというシステム。
云うまでもなく、これは大変な手間暇、そして金が掛かる。
奈良時代の皇族である長屋王は、この方法で夏でも氷入りの酒を飲んでいたと云われているが、そんな大権力者でも藤原氏に逆らえば謀反人の汚名を着せられて始末されてしまうのだから、お貴族様の社会というのは恐ろしい。
――で、我が家だ。
夏の暑さと甘味の魔力にやられた美人母娘は、完全にアイスに心を奪われてしまった。
これはもう、アイスを食べなければ収まりが付かないだろう。
なお、この世界にはアイスキャンディーやかき氷はあっても、アイスクリームはない。
ないと云えば、バニラエッセンスもない。
今度エイベルに頼んで、抽出して貰おうかしら? アレがあれば、色んなお菓子に使えるし。
(ああ、でも――生クリームとバニラエッセンスがなくても、卵アイスなら作れるか……)
問題はサルモネラ菌だが、これは親子丼のときと同じく、浄化の魔術で対抗するしかないな。
「にーた、アイス食べに行く!? ふぃー、ばんりのはとーも、ものともしない!」
だからお前は、どこでそういう変な言葉を学んでくるんだ……。
「いや、外には行かないよ。そもそも、出られないし。ここで何とかしようか」
「アルちゃん! と云うことは、かき氷ね!? 私、かき氷も大好きなのよ!」
そう云えば、かき氷はあるのに、『かき氷機』は無いんだよね。
地球世界でも発明されたのって、確か明治期だから仕方がないけども。
構造自体はシンプルだし、作ったら売れるかな?
あぁ、いや。
氷の入手が難しいから、需要は少ないか。
でも、我が家限定で用意するのは有りかもね。
「かき氷でもないよ。ちょっと別のものを作ってみようと思ってね」
冷蔵庫から、卵を取り出す。
鶏卵はこちらではお高いからな。おいそれと使うのは勿体ないが。
「――! プリンっ!? にーた、プリンつくる!? ふぃー、プリン大好き! 甘いのの中でも、特に好きっ!」
「いや。プリンじゃないかなー?」
「なら、親子丼!? ふぃー、親子丼も好き! おかわりする!」
お姫様、まだ晩ご飯の時間じゃありませんぜ。
「違うよ、フィー。卵を使った、新しい氷菓を考えてみたんだよ」
「新しいお菓子!?」
母娘の声が重なる。
期待に満ちたその目は、しかし獰猛に輝いているようにも見える。
「にーた、一体、何作る!? ふぃー、にーたにキスした方が良い?」
キスは関係ないかなー?
兎に角、さっさと取りかかろう。
冷やすのも時間が掛かるし。
(しかしそうなると、母さんたちが待ちきれなくなるだろうな……)
甘いものばかりを食わせるのもなんだけど、先にかき氷も作っておくか。
※※※
「あい、あい、あいすー」
「あい、あいすー!」
母さんとフィーが、イスに座りながら歌っている。
笑顔でかき氷を頬張りながら、左右に揺れてハモっている。
打ち合わせしたわけでもあるまいに、何というシンクロ率か。
それを横目に、俺は『卵と牛乳のアイス』の作成に取りかかる。
使うのは卵、牛乳、グラニュー糖、小麦粉のよっつ。
『小麦粉』とは随分と雑な分類だが、パンが主流であることが影響して、こっちの小麦粉って硬質小麦ばかりなのよね。
お菓子に向くのは薄力粉のほうなので、その辺は少し工夫が必要だろう。
卵と砂糖を混ぜて、牛乳と少量の小麦粉を加え、軽く加熱してまた混ぜて、それから冷やしてまた混ぜて、と……。
俺がアイスを作っている間、かき氷を食べ終えたフィーは母さんとお風呂に入り、冷たい水を飲み、一緒にお昼寝していた。
(アイスを出せるのは、晩ご飯のデザートだな、こりゃ)
どうしても時間を取られるから、こればかりは仕方がない。
「と、云う訳で、出来ました」
「やったーっ!」
またもやハモる、クレーンプット母娘。
夕食の席なので、この場には当然、敬愛する美耳エルフ様も存在する。
冷凍庫から出してきてから、エイベルはもうずっと、この『カスタードアイス』に目をやっている。
「……貴重なプリンの材料をどう使うのか、アルの先生として見定めさせて貰う……」
あーはいはい。
マズいものだったら承知しませんよと。
エイベル、プリン大好きだもんね。
「まあ、取り敢えず食べておくんなさい。クリーム状のアイスなんで、『アイスクリーム』と名付けましたよ」
各々の前に、アイスを置いた。
「ふぉおぉぉぉおぉ~~~~っ! にーた、これ美味しそう……! ふぃー、気に入る予感がする……っ!」
「柔らかそうねー。とっても美味しそうだわ」
「……問題は、プリンの材料を使う程の価値があるかどうか……」
大のプリン党のマイティーチャーだけは、事前評価が手厳しいな……。どんだけ好きなんだよ、プリン。
「じゃあ、どうぞ。食べておくんなまし」
「いっただっきまーす!」
「……ます」
同時にスプーンを口に入れる。
――そして、目を見開いた。
「ん~~~~っ! 甘くて美味しいっ! それに、とってもなめらか! アルちゃん、素敵よ、このアイスクリーム! 夏にピッタリだわ!」
「にーた、これ美味しい! ふぃー、気に入った! ふぃー、いっぱい食べる! 夏以外でも食べる!」
取り敢えず、お母様と妹君にはご好評いただけたようだ。
さて、エイベルは――。
「…………」
無表情のまま、わなわなと震えている。
そして、ジッと俺を見る。
「……アルは」
「はい」
「……アルは、私にこんな美味しいものを憶えさせて、どうするつもり?」
A計画を進めるつもり。
「……私から、商会へ直々の命令を出しておく。鶏卵の増産を急がせる……」
迷惑だろ、それ!?
ともあれ、気に入ってくれたようで良かったよ。
俺もアイスを口に入れる。
(ん~……。やっぱり、バニラエッセンスも欲しいよなァ……)
個人的には、まだ未完成評価だねぇ。なお研究の余地有りだ。
別に不味くはないけどね。
味わいながら咀嚼していると、女性陣は既に器を空にしていた。
晩ご飯の後だってのに、食欲旺盛すぎるだろ……。
「にーた! アイス美味しい! ふぃー、おかわりしたい!」
「はいはーい! 私も、私もよー!」
「……ん」
全員ですか。
そうですか。
「残ってた卵の都合上、あとふたつしかないけど……」
云ってから、俺は後悔した。
火薬庫に火種を放り込んだことに気付いたのだ。
――そして、凄惨な奪い合いが始まった。




