表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹のいる生活  作者: むい
431/757

第四百二十五話 草笛を吹いた日


 イザベラ・エーディット・エル・ベイレフェルトは、ブランコが大好きだった。


 いや、過去形ではなく、今も好きだ。


 けれども、何故だか味気ない。


(今日も、いない……)


 住人のいない『おとぎの国』を、イザベラはそっと眺める。


 この風景は、こんなにも寒々としていただろうか。

 もっと暖かさに満ちた、日だまりのように見えたのに。


 イザベラと違う世界に住む、西の離れの人々は、遠くセロへと里帰り中なのであった。


 彼女は忙しい。

 侯爵家の令嬢として日々、勉強に追われている。


 彼女は決して愚かではなく、寧ろ四歳という年齢を考えれば聡明ではあったけれども、その幼さでは天性の知力を十全に発揮できない。


 初歩の初歩の学問。

 読み書きですら、まだ大変であったのだ。


 けれども自分の娘が優秀であることに固執する母・アウフスタは、勉強の遅れを許さなかった。


「イザベラ! こんなことも出来ないの!? 愚かな娘など、私の娘ではありませんよッ!」


 そのように怒鳴られ、罰を与えられることが多かった。


 何人かの家庭教師は、「まだ子どもなのだから」とアウフスタ夫人に取りなしたが、そのことで夫人の怒りを買い、解雇されている。


 残ったのは、夫人の『方針』を良しとする者か、或いは無関心を貫く者かの、どちらかだけ。


 彼女にとって、勉強とは恐怖と嫌悪の時間へとなりつつあった。


 だから。

 そう、だから余計に、すぐ隣にある『別世界』に強く憧れたのだ。


(まだ帰って来ない……)


『彼』と遊ぶ機会は殆ど無い。


 けれども、遠くから『家族』を見つめているだけで。

 仲の良い一家を見ているだけで。

 イザベラの心は軽くなり、生きる活力を得ることが出来たのだ。


「早く……。早く帰ってきなさいよ、ばか……」


 その言葉を聞いた者は、どこにもいない。


※※※


 七月も終わろうかという頃、隣の家に、やっとあの家族が戻ってきた。


 その日から隣家は、色彩の付いた絵画のように、活気を取り戻した。


 笑い声が聞こえる。

 互いに気遣う言葉が耳に届く。


 閑散としていた離れは、あっという間に『おとぎの国』へと早変わりした。


『彼』は、今日もブランコを点検していた。


『家族』の為に何かをするとき、『彼』はいつもひとりだ。


 誰もいない時間に、誰かの為に、そっと行動をしている。


 イザベラは垣根をくぐり、『おとぎの国』へと足を踏み入れた。


「やあ。久しぶり」


「ふ、ふん……」


 柔らかい笑顔が、自分に向けられる。


 頼りない顔。

 でも、深みのある顔。

 実家では決して向けてくる者のいない、不思議な笑顔。


「きょ、今日もブランコを見てるのね……」


「うん。何かあったら、大変だからね。遊具の手入れは、しっかりとやっておきたいんだ」


「良いわね、暇そうで! 私はとっても忙しいのよ!?」


 イザベラの言葉に、『彼』は目を伏せて笑った。

 それは矢張り、とても深い表情で。


「そうだね。暇なのは良いことだ。……忙しいと云うのは、基本的に『無理がある』ってことだからね」


「何よ! 私をバカにしているの!?」


「違うよ。『暇を見つけた方が良い』と云っているんだ」


 真っ直ぐに自分だけに向けられる瞳には、あざけりはない。

 イザベラはそれを直視できずに、目を逸らした。


「疲れているなら、無理はしない方が良い。ましてやキミは、女の子なんだからね」


「し、仕方ないでしょう!? 私には、勉強があるのよ!」


「うん。勉強は大変だね。覚えなきゃいけないことも、いっぱいあるし。でも――」


 ひょい、と、『彼』はイザベラの頭に手を伸ばす。

 突然のことに、思わず身体が竦んでしまった。


「ちょっとしたことでも、案外、息抜きになるものだよ」


『彼』の手には、葉っぱが一枚。

 それは垣根を抜けるときに付いてしまったものなのだった。


(な、撫でられるわけじゃ、なかった、のね……)


 ちょっぴり、どきどき。


 そんな彼女の心の動きを知ってか知らずか、『彼』は手にした葉っぱを口元に寄せた。

 プー、と少し間の抜けた音がする。


 けれどもイザベラは、その『音』に驚いた。


「な、何よ、それは!? ま、魔術!? 魔術なの……!?」


「ちょっと違うかな? 上手い人のは、確かに魔術じみているとは思うけどね」


 間の抜けた音が続く。

 しかしそれが連続すれば、明確な『音楽』。


 どうして葉っぱからそんな『音』がするのか、イザベラには分からなかった。


「――! ――!」


 目をキラキラとさせている少女に、『彼』は微笑んで語りかけた。


「草笛、やってみる?」


「く、くさぶ、え……?」


「うん。葉っぱを笛にするから、草笛」


『彼』は葉っぱを彼女に渡す。

 合間で浄化の魔術で洗浄をしていることに、イザベラは気付かない。


「こ、こうかしら……?」


 フスーっと、間抜けな空気音が響いた。


 失敗。

 ただ、それだけ。

 けれども失敗すると怒られるイザベラは、反射的に身を竦めてしまった。


「唇を当てる位置が違うかな?」


「――えっ?」


「うん? どうかした?」


「あ、い、いいえ」


『彼』の反応は、至極真っ当。

 だけど、イザベラには意外に思えてしまう。


 戸惑う少女に、『彼』は吹き方のレクチャーをした。


「こ、こう……?」


 プェー、と、調子外れの音がする。

 けれどもそれは、紛れもない草笛で。


「で、出来た! 出来たわっ!」


「うん。出来たね。初めてなのに上手だね。凄いよ」


「え、えへへ……!」


 イザベラは笑い、それからハッとして顔を逸らす。


「ふ、ふん……っ! こ、こんなこと下らないわ……! た、ただ音が鳴るだけじゃない!」


「音楽は素晴らしいものだと思うけどねぇ」


『彼』は笑いながら、草笛を奏でた。


 それは、なんとも楽しそうで。

 イザベラも思わず、葉っぱを手に取った。


 たわいのない遣り取りであるのに、何故だか心がぽかぽかとした。


※※※


「お母様……っ!」


 帰宅後、イザベラは母・アウフスタのもとへと走った。

 草笛という『娯楽』を、実母にも知って欲しかったのである。


「何です、大きな声で、はしたない!」


「ぅ……」


『母』の機嫌が悪いことは、一目で見て取れた。

 けれども彼女は懸命に笑顔を作って、自分の家族に近づいた。


「お、お母様、私、凄い発見をしたんです……! こうやって葉っぱを口に当てると――」


『発見』と云う言葉を使ったのは、隣家の人間との交流を知られるわけにはいかないからである。

 しかしそんな部分を気にするまでもなく、アウフスタ夫人は顔色を変えた。


「イザベラッ!」


 バチン、という音が響いた。


 宙に浮かんだ一葉と、熱と痛みを持った頬の感触で、少女は自分が平手打ちを喰らったのだと知った。


「お、お母――」


「汚い葉っぱを家の中に持ち込むなんて何事ですか!? しかもそれを、口に付けようとするなんて! 虫でもいたらどうするのです!? 我が家が汚れてしまうでしょうッ!?」


「ひ……っ!」


「葉っぱなんかを持ってくるということは、勉強もせずに外を出歩いていたということなのよね!? そんなことで、十月の試験を合格出来ると思っているのですかッ!?」


 再び、頬を張り飛ばされた。


 そこにあるのは、煮えたぎるような怒りと、そして憎悪だった。


 イザベラは知らない。

 彼女が笑顔で草笛を吹いていた頃、その母が実父であるカスペル侯爵に、


「どうやらお前よりも、離れの妾のほうが『母』として上であるらしいな」


 と、淡々と指摘されていたことを。


 アウフスタ夫人はそれを最大級の侮辱であると考えた。


 自分の身に問題があるのではなく、イザベラが遊びほうけているから、そう判断されたのだと思ったのである。


「私が! この私がッ! あんな女に劣る点があるわけ無いでしょうッ!? イザベラ! 貴方のせいですよッ! 貴方がきちんと勉強をしていれば、私がお父様に『あんな目』で見られることなんてなかったのですよ! 謝れッ! この私に、謝りなさいッ!」


 二度三度と、平手を喰らった。


 イザベラは泣きながら謝り続けた。


※※※


 夕刻。


 そして彼女は、『おとぎの国』の近くの大きな木の下に佇んでいた。


『反省』が足りないと判断されたイザベラは、しばらく屋敷の外で頭を冷やすようにと命令されたのである。

 遊びほうけていた上に汚らしい葉っぱを持ち込んだ罰として、夕食抜きも厳命された。


「ひっく……! ぐす……っ!」


 イザベラは泣いていた。

 頬が痛いのか、心が痛いのか、それすらも分からずに。


 ガサリ、と云う音がした。


 彼女は慌てて目元をぬぐう。

 泣いている姿を誰かに見られることは、したくなかったのだ。


「……気の、せい……?」


 音は確かに、垣根の向こう側から聞こえた気がしたのだが。


 或いは風でも吹いたのだろうか。

 いずれにせよ、周囲に人影は何もない。


(私、どうしてここ(・・)に立っているんだろう……?)


 家の外なら、扉の前でも良いはずなのに。

『あちら』が見えるこの場所に、何故か足が向いていた。


 自分がこうしている間も、『向こう』は笑顔なのだろうか? 

 笑いあい、肩を寄せ合って食事をするのだろうか?


 くぅくぅと、お腹が鳴った。


 そこに。


「あぁー、腹がいっぱいで、もう食えないなァ……。どうしようかなァ、こいつを」


 セロに住む劇団員が聞けばズッコケるような、わざとらしい棒読みが響いた。


 が、イザベラは、その『声』に気を取られてセリフ回しまで気が回らない。


 それは間違いなく、『彼』のものだった。


 目を向けると、垣根の向こうに人影がある。


 それは『彼』と、まだ若く、とても綺麗な、メイド服を着た少女。


「……っ」


 イザベラは反射的に顔を逸らす。

 涙に濡れ、ぱんぱんに腫れた顔を見られたくなかったのだ。


「あれー、偶然だなァ。こんなところで、何をしているの?」


 もの凄い棒読みが、イザベラに向けられる。


「あ、貴方には、関係ないでしょ……っ」


「うん。まあ関係はないんだけどさ。ここで会ったのも何かの縁だし、もしもそっちが良ければだけど、俺を助けてくれると嬉しいんだよね」


「……? 助ける? どういう、こと?」


「うん。これなんだけど」


 その言葉に、メイドの少女が持っているお盆に目をやった。

 そこには何かが乗っかっている。


(食べ物だ……!)


 ゴクリ、とイザベラは喉を鳴らした。


「この、おにぎりなんだけど」


「おにぎり? そんな変なの、見たことない……」


「あー……。流石に侯爵家では食べないか。美味しいんだけどねェ、おにぎり。兎も角、これなんだけどね。俺もう、お腹いっぱいで食べられないんだ。でも残すと怒られちゃうから、途方に暮れてたんだよね」


「…………」


 イザベラは目を伏せ、それから震える声で『彼』に云う。


「ふ、ふぅん。怒られるのは困るわね。……も、もしもどうしてもって頭を下げて頼むなら、その、おにぎ、り? を、私がたべてあげても……良いわよ?」


「本当? 助かるよ。お願いできるかな?」


『彼』はホッとしたように笑った。

 その安堵は、何に向けられたものだったか。


「ふん……。し、仕方ないわね……」


 イザベラは、おずおずとお盆に載せられているおしぼりに手を伸ばす。

 他、水差しと綺麗に洗われたコップがある不自然さにも、おにぎりが作りたてであることにも、彼女は気付かなかった。


「手づかみで食べるなんて、野蛮だわ……」


 白い塊を口に含む。


「――っ! お、美味しい……」


「そいつは良かった。たくさんあるから、どんどん食べてね?」


 頬を動かす度に痛みがあったけれど、その味と、空腹が満たされることで、気が紛れた。


『彼』は傍らの少女からお盆を受け継ぎ、メイドさんに向かって片目を閉じる。


「それじゃあ、よろしくね?」


「はい、任せて欲しいですねー。イフォンネに頼んでおけば、後のフォローは問題ないはずですねー」


 メイドの少女は、トコトコと本館の方へ向かって行く。


「な、何? あの人、どこに行ったの……?」


「ああ、気にしない、気にしない。個人的なお使いを頼んだだけだから。それより、ほっぺが腫れてるみたいだけど?」


「――っ。これは……ちょっと、そこらへんでぶつけただけよ……! こんなの、な、何でもないんだから……っ!」


「そう? なら良いんだ」


 云いながら、『彼』はポーチから薬ビンを取り出した。

 そして慣れた手つきで、イザベラの頬に塗布する。


 あまりにも自然な動きだったので、異性に触れられることに気付くのが遅れた。


「な、何をする、のよ……っ」


「うん。単なるお節介。キミは何でもないって云ったけど、女性の顔のことだからね」


 撫でられる頬の感触は、どこまでも優しかった。

 無言のままに、自分を真っ当に扱ってくれていることが分かった。


「嘘……? い、痛く、ない……」


 信じられないことだった。

 ジンジンと痛んでいた頬の痛みが、すっかりと消えている。腫れも引いたようである。

 こんな一瞬で治ることがあるのか、子供心にも訝しかった。


「おにぎり、食べてくれて、ありがとう」


『彼』は微笑み、頭を下げる。

 イザベラは顔を逸らした。


「か、貸しよ、これは貸し……っ」


「うん。借りておく。いつか返す機会があると良いな」


「…………」


 彼女は押し黙る。

 不思議と心の痛みも消えていた。


 すぐ傍では、草笛の音。

 それは『彼』が奏でる、下手くそな演奏であったのだ。


 イザベラはおずおずと葉っぱを手にする。

 それをそっと、口元に近づけた。


 ふたつの音色が、暮れの空に静かに重なった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] >どうやらお前よりも、離れの妾のほうが『母』として上であるらしいな 単純に母体としても超常の魔力を持った娘の前に異界から過労戦死雨宮の魂を釣り上げて根源干渉の能力与えて娘の出産に備えるし も…
[一言] 特級の変態だから、つい忘れがちだけど、ミアって外見は凄く良いって設定でしたね…。
[良い点] 妹様が可愛い。 腹違いの妹も順当にブラコン化しそうでなにより。 [一言] 妹様感謝デーが1話で終わってしまって物足りないので妹様感謝ウイークリーとか開催してもいいんですよ?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ