第四百二十四話 妹様感謝デー(第三回)
目をさました。
早い時間に目をさました。
免許試験があるときよりも早くに、目をさました。
それは大事な大事な妹様の為に。
今日一日は、この娘に付き合ってあげると決めているから。
「ふひゅひゅ……っ! ふひゅひゅひゅひゅひゅ……っ! にぃ、た……。すき……」
ダイコンに抱きつきながら眠るマイシスターの口元は、もうずっとヒクヒクとしている。
撫でたら、その瞬間に目覚めてしまいそうな勢いだ。
けれども昨日のマイエンジェルは、今日が待ち遠しくて中々眠れなかったみたいだから、少しでも睡眠を取らせてあげたい。
なので、お触り厳禁。グッと我慢。
窓を開けて外を見る。
夏の夜明けは早い。
起きて早々に『今が何時か?』なんて気にしなくて良いのは、前世よりも勝っている点だろう。
「アルちゃん。おはよう~」
唐突に。
本当に唐突に、柔らかい感触に包まれた。
どうやらマイマザーに、だっこされてしまったようだ。
「おはよう、母さん。今日も早いね?」
「アルちゃんのほうが早いじゃない」
愛娘同様の頬ずり攻撃。
娘さんとは感触が違うが、すべすべとした極上の質感。
マイマザー、肌美人よね。
「今日は『フィーちゃん日』でしょう? 珍しく早く起きちゃいそうだから、私もその分、早起きしないとね? やりたいこともあるし」
「ああ、もうすぐで完成だもんね?」
「アルちゃんは、もう完成させているでしょう? 流石ねぇ」
「ふははは……。納期に追われるのは……慣れている……からね……」
「アルちゃん、なんだか目が黄昏れているわよ……?」
完成、と云うのは、フィーへのプレゼントだ。
と云っても、まだ妹様の生誕祭ではない。
俺と母さんがフィーの為に、別々のものを同時期に作っていたに過ぎない。
それでせっかくだから、一緒にプレゼントしてあげようと云う話になったのだ。
もちろん驚いて貰う為に、マイエンジェルには内緒だ。
「じゃあ、お母さんは別のお部屋に行くわね? 今日のお料理は私とエイベルで作るから、アルちゃんはフィーちゃんに付いていてあげて?」
「ありがとう。母さん」
「うっふふ……。大切な子どもたちの為ですもの! あ、でもでも、あまりフィーちゃんを甘やかしすぎちゃダメよ? フィーちゃんの為にならないから!」
ちゅっとほっぺにキスをして、マイマザーは出ていった。
ここのところのキスの一番槍は、妹様ではなく母さんなのである。
(さて。もうちょっとしたら、フィーが目をさますかな?)
夏の空は、やっぱり綺麗だ。
※※※
「に・い・たあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
そして、天使様の覚醒。
飛び付いてくる速度。
抱きしめてくる腕の力。
もちもちしたほっぺの圧力まで、いつもとは違うことが感じ取れる。
「ふへ……っ! ふへへ……っ! ふへへへへへへへぇ……っ!」
よだれの量も凄かったわ。
この日を待ちに待っていたフィーは、もう朝からハイテンション。
酩酊したサラリーマンのように千鳥足で俺の周りを回っている。
「ふひゅ……っ! ふひゅひゅひゅひゅひゅ……っ!」
機嫌が良いのか、自然にダンス。酔拳かな?
「にぃたぁ……! にぃたぁぁ……っ!」
「うん。何だ、フィー?」
「今日、感謝デー! にーたがまるまる一日、ふぃーのもの?」
分かってるはずなのに、とろけきった顔で確認してくる妹様。
苦笑しながら頷くと、
「や――」
「や?」
「やったあああああああああああああああああああああ! 今日のにーた、誰にも邪魔されずに、ふぃーのものだああああああああああああああああああああああああああああ!」
ぴょこんぴょこんと飛び回る。
その勢いのまま、ダンスを再開。
「やんやんややん、やんややーん!」
機嫌が良いのか、おしりをフリフリ。
「やややん、ややん、ややややーん!」
とろける笑顔で、おしりをフリフリ。
「にーた、だっこ!」
「はいはい」
抱き上げてあげると、すぐに熱烈なキッスを見舞われた。
「ふへへぇ……! 今日はふぃーが、にーたにキスしほーだい!」
うん。
それはいつもだぞー?
「それで、フィー。今日は何をして遊ぶんだ?」
「みゅみゅーっ! ふぃー、にーたに遊んで欲しいもの、いっぱいある! 積み木、お絵かき、ダンス、かくれんぼ、ブランコ、三輪車、砂場、プール、しりとり、指相撲、ボール……」
妹様は、両手で頭を抱えだした。
「にーた、どうしよう!? ふぃーたち、時間足りない!」
おちつけ。
まだ朝飯すら食べてねぇ!
「フィー。遊んではあげるけど、ちゃんとお昼寝もしないとダメだぞ? 疲れちゃうからな?」
「んゅゅゅ……っ! でも寝たら、すぐに今日が終わっちゃうの……」
そんな泣きそうな顔を。
「ふぃー、もっともっと、にーたに甘えたい……! たくさんたくさん、にーたに遊んで欲しい!」
「うん。たくさん遊んであげるし、たっぷり甘えて良いぞ? だから、ちゃんと寝ような? 俺はフィーには、いつでも元気でいて欲しいんだ」
「みゅうーーーーん!」
苦悶とも喜びとも付かぬ懊悩の声をあげながら、ほっぺを擦り付けてくるマイエンジェル。
でも大事なのは、『お昼寝の時間があるよ』と予告しておくことだからね。
直前で急に云うと、ぐずるかもしれないし。
ともあれ、兄貴としての俺の任務は、フィーの健康を気遣うことだ。
怪我をされたり疲れさせたりするわけにはいかない。
しっかりと見ていてあげなくては。
しかしそのタイミングで、くぅぅっと、マイシスターのお腹が鳴った。
「にーた! ふぃー、お腹減った!」
状況がどうあれ、人間のお腹は減るらしい。
特に、うちの妹様は起きてすぐに食べられる子だから、毎日が健康よ。
「そうだな。難しいことは、食べてから考えよう」
「にーた、よく分かってる! ふぃー、食べるの好き! にーたが好きっ!」
うん。
もちもちほっぺを押しつけられるなら、笑顔での方が、俺も嬉しい。
※※※
「にーたぁ……。にぃたぁ……。すきっ! ふぃー、にーた大好きっ!」
朝食を食べ終わってのひと休み。
天使様は真っ先に駆け出そうと思ったみたいだけど、食べてすぐに動くのは良くないからね。
あぐらをかいた膝の上に座らせている。
こうしてギュッてして撫でてあげるだけでも、マイシスターには嬉しいみたい。
ネコのように眼を細めて笑っている。
「にぃたぁ……? ふぃーのお腹、なでなでして?」
食い過ぎたんかい。
デレデレ状態のまま、よく食べてたからなァ……。
要求通り、ぽこんと出ている真っ白なお腹をさすってあげる。
「ほら、フィー。これで良いか?」
「ふへへ……。くすぐったい……! にぃさま、ありがとーございます……っ」
銀色の髪の毛をぐりぐりと俺に擦り付ける妹様は幸せそうだ。
「ねぇ、にーた、ふぃー、起きてまだすぐなのに、もうこんなに幸せいっぱい! ふぃー、今日どうなっちゃうの?」
「どうもこうも、幸せのまんまだよ。今日一日、力尽くでもフィーを幸せにすると決めているからな」
「ふへへ……っ! ふぃー、嬉しい! ふぃー、幸せ! ふぃー……けぷっ!」
「はいはい。無理して動かない。遊ぶのも良いけど、こうしてくっついてるだけでも良いもんだろう?」
「うんっ! ふへへ~……!」
頭を擦り付けたまま、目を閉じるマイシスター。
やっぱり、まだ眠いのかな?
それなら、このまま寝かせちゃっても良いんだけれども。
向こう側ではマリモちゃんを抱いた母さんが眼を細めて俺たちを見ている。
「うっふふ。フィーちゃん、とっても幸せそう。アルちゃんは、フィーちゃんのおひさまなのね」
今は夏だから、さしずめ俺たち兄妹は太陽とひまわりかね。
尤も妹様を追いかけて目を向けているのは、俺の方かもしれないけれども。
(フィーは、このまま眠っちゃうかな……?)
微妙にうつらうつらしている天使様を撫で続けていると、フィーはハッと顔を上げた。
「にーた! ふぃー、めーあん思い付いた! まずは、このまま遊ぶ! そうすれば、苦しくない! ずっとなでなでしてて貰える!」
「ん~、何で遊ぶんだ? しりとりでもするのか?」
「お歌うたう! ふぃー、お歌得意! にーたに、ふぃーの歌声、聴いて欲しい!」
「ん。そうか。じゃあ妹様ご自慢の喉を、存分に披露して貰おうかな?」
「ふへへ、任せて! にーた、ふぃーがじょーずに歌えたら、ごほーびにキスして下さい!」
云うが早いか、マイエンジェルは俺にキスをしてきた。
妹様の手並みはとっくに承知だが、俺がどうするかなんて、決まり切ったことだろう。
大きく息を吸い込むフィーを見る。
ちいさなちいさな妹様は、俺を見てひまわりのような笑顔で云いきった。
「にーた、大好き!」




