第四百九話 天使の歌姫
一休みを終え、再び催し物を見る。
これが終われば中央広場へと向かう予定だ。
「そう云えば、今年の演劇はゾン・ヒゥロイトだけなのねぇ」
と、ドロテアさんが云う。
ゾン・ヒゥロイトは軍服ちゃんの所属する『男性だけの歌劇団』で、他には『女性だけの歌劇団』であるマーン・ヒゥロイトと、男女混合であるスタラ・ヒゥロイトのみっつがあると云う。
この三者の中に、更に歌唱専門、演技専門、両方やる人と細分化される――と云う情報を、「私は両方出来るのだがね」、と豪語するフレイ様直々に聞いたのである。
このうち、スタラ・ヒゥロイトはセロの外へと遠征中。
マーン・ヒゥロイトは王都での公演を終えて帰ってきたばかり。
それでこのセロの星祭りでの演劇は、残るゾン・ヒゥロイトが担当することになっているんだそうだ。
我らが軍服ちゃんが美少女にしか見えない美男子であるように、マーン・ヒゥロイトにも男装の麗人が何名もいて、こちらももの凄い人気なんだとか。
去年、王都の女性貴族がマーン・ヒゥロイトの男装スターのひとりを別の女貴族と取り合って流血沙汰を起こしたのだと、フレイに聞いた。
一部の人が悪目立ちしているだけなんだろうけど、芸能人のファンって情念マシマシの怖い人が多いイメージがある。
或いは、他人をそこまで夢中にするだけの魅力が、アイドルにはあるのだと考えるべきなのか。
(そういえば去年、システィちゃんならヒゥロイトにも入れるかも、みたいな話を聞いた気がするな)
本人の性格を考えると、まあ断るのも分かるけどね。
引っ込み思案であることと、託児所のお手伝いが気に入っているというふたつの理由によって。
そのシスティちゃんは、嬉しそうにイルカの木彫り細工を抱きしめている。
気のせいか、露店で買った小物よりも気に入ってくれているような?
やっぱりイルカには相当な思い入れがあるのだろうな。
(ショルシーナ会長に出した公衆浴場のレジャー化のアイデアのひとつが実を結ぶと、この娘やぽわ子ちゃんが喜ぶかもしれないなァ……)
そして喜んでいると云えば、腕の中の妹様も俺の木彫り細工がお気に召したらしい。
「ふぉおぉおぉぉおぉぉ~~~~っ! 可愛いブタさん! にーた、ふぃーの為にブタさん作ってくれた! デザインもふぃーの好み! やっぱりにーたが、ふぃーのこと一番分かってくれてる!」
マイエンジェルは上機嫌でキスしてくるが、メジェド様を格好良いと云ったり、近接武器に棍棒をチョイスしたり、ぬいぐるみにダイコンと名付けるマイシスターの奔放なセンスを、実兄である俺でも、正直掴みかねているのだが。
そんな所へ、ハトコ兄であるブレフがやって来る。
「良いな~。なあアル、俺にもドラゴンの像でも作ってくれよ……!」
「悪いが、もう材料がない。この可愛くない方のブタの像なら喜んで譲るが」
「要らねぇよぉ! こんなの貰って、俺はどうすれば良いんだよ?」
まあねぇ。
俺もこれを持て余しているし。
システィちゃんに頼んで、託児所にでも寄付させて貰おうかしら?
面食いちゃんみたいな妙な子もいるし、ひとりくらい、これを気に入る子どもがいるかもしれないし。
(それにしても、今年は平和だな……)
去年の今頃は、たぶんもう阿鼻叫喚の有様だったはずだ。
それでも当然と云うか、ティーネとフェネルさんのハイエルフズが、今回もコッソリと俺たちを護衛してくれている。
事前に聞かされた話では、セロ支部の商会員もこれに加わっているのだとか。
ちょっと大袈裟な気もするが、俺にとっても家族は大事だ。
何かあったら皆を守ってあげて欲しいと思う。
今年が平和なお祭りであるおかげだろう。
すぐ傍では、マイマザーとドロテアさんが、仲良く談笑している。
交互にマリモちゃんをだっこしているみたいだが、今は祖母の腕の中だ。
「お母さん、お母さん、今日の演目って何か知ってる?」
「ええ、もちろん。『天使の歌姫』ね」
「えぇ~~っ!? 『天使の歌姫』!? 私、そのお話、大好きっ!」
母さんの瞳に、興奮の色が灯る。
グランマは「まるで子どもね」と云いながらも、笑っている。
『天使の歌姫』と云うのは母さんが本当に好きな話らしく、俺もフィーが一歳だったころに、西の離れであらすじを聞かされたことがある。
三歳児に語って聞かせるような物語ではないが、話自体は凄くシンプルだ。
あるところに、やんごとなき身分の少女がいた。
彼女には抜群の歌唱力があり、歌姫として持て囃されていた。
しかし令嬢はお人形然とした大人しい人物ではなく、ちょっとおてんば。
ある日彼女は興味の赴くままに屋敷から抜け出し、街へと出かけてしまう。
そこでトラブルに見舞われるが、平民出身のひとりの男に助けられる。
ふたりは短い時間行動を共にし、街の酒場で歌って歌唱力に驚かれたり、男を通じて庶民の生活を見て楽しんだりして、徐々に親交を深めていく。
歌姫は男の優しさと包容力に。男は歌姫の世間知らずだけれども天使のような無垢さに惹かれていき、友好以上の感情を抱いていく。
しかしやがて、歌姫は屋敷に戻らなければならなくなる。
ただの平民と貴族の娘では身分が違う。
ふたりは再会を誓うが、その後、二度と出会うことはなかった――。
と云う、ちょっとほろ苦いお話だ。
ただ、ビターエンドがイヤだと云う層は昔から一定以上いたらしく、再会して結ばれるバージョンもあるのだとか。
うちの母さんは恋愛小説が大好きな人なので、こういうお話は大好物のようだ。
繰り返して云うが、三歳児に聞かせる話じゃねぇな?
「私はやっぱり、ハッピーエンドの方が好き! ご都合主義でも、最後は笑って終わって欲しいかなー……」
「だからリュシカは子どもなのよ。あれは別れのシーンが最高なんじゃない。どちらも二度と会えないと分かっていて再会を誓う姿が美しいのよ!」
ドロテアさんも、結構恋愛脳なのかしら?
なお、この『天使の歌姫』が人気を博しているのは、単にストーリーだけが理由ではないみたい。
『歌姫』とあるように、随所随所で歌が挿入されるので、舞台作品として優秀なんだとか。
ミュージカルに近いのだろうかね?
「その分、役者さんの歌が下手だと台無しになるのよねぇ……。セロのヒゥロイトなら問題は無いでしょうけどね」
ドロテアさんがそんなことを云うが、それってつまり、何度もこの舞台を見たことがあるってことだよね? グランマも大好きなのでは?
「今日の舞台は、どっちのバージョンなのかしら? 幸せに終わってくれると良いなぁ……」
マイマザーは歌の善し悪しよりも、やっぱりそちらを気にしているようだ。
「にゃーん」
そこに、一匹のネコが駆けてくる。
首輪が見えたから、飼い猫だろうか?
ちいさな茶トラは、そのまま俺たちの傍を通って、祭りの喧噪の中に消えて行く。
「あ、ネコちゃん」
母さんはミアみたいなことを云う。
イーちゃんやトトルに懐かれているように、この人は子どもだけでなく動物も好きみたいだからな。
「ふふふー……。『天使の歌姫』も、最初にヒロインがネコちゃんを追いかけて、彼に会うのよねぇ」
母さんは俺からフィーを奪い取って、ギュギュッと抱きしめた。
愛娘を抱きたかったと云うよりも、感極まって恋愛小説を抱きしめたりする仕草に近いのではないか?
その瞳は、どこかうっとりとしている。
周りが見えていないのは、ちょっと危ないと思うぞ?
(ほら、子どもが走ってくるじゃないか)
何か急いでいるのか、駆けてくる子も周囲が見えていない感じだ。
事故というのは、得てしてこういうときに起こるものだ。
「ネコを追いかけるヒロインが転びそうになって、彼に抱き留められるのよね……」
ああ、フィーを抱きしめているのは、そう云う理由もあるのね。
よく見れば、ドロテアさんもマリモちゃんをさっきよりも強く抱いている。
やっぱり似たもの親子なんだと思うわ。
そして件の子どもは、もう俺たちのすぐ傍まで来ていた。
年格好は、俺やブレフに近いのではないか?
その割りには、他に大人の姿が見えない。
或いは親を探しているのか、待ち合わせ場所にでも急いでいるのか。
「きゃっ!?」
そして、女の子は躓いた。
俺がキャッチできる範囲だから、間に合うとは思うけど。
「大丈夫かな、お嬢さん。走るのは構わないけど、時と場所を選ばないと怪我をするよ?」
「え、ふぇぇ……っ!?」
女の子は、妙に驚きながら俺を見上げている。
しかし長い前髪が両目を覆っているので、顔かたちがよくわからない。
「ア、アルちゃん……っ! そのセリフ……!」
「出会いのシーンねぇ」
母と祖母が、同時にきゃーとか云っている。
もっと他に、心配すべきことがあるだろうに。
「めーっ! にーたにくっつく、それ、めーなのーっ!」
歌姫ではない天使様は、いつも通りに激怒された。




