第四百二話 システィちゃんとの午後
昼飯を終え、三日目の昼。
居間でくつろいでいる俺に、フィーが抱きついている。
「にーた! にーた! にーた! にーたぁあぁ!」
この娘からすれば午前中のハトコとの訓練は、『自分を差し置いてブレフと遊んでいる』ようにしか見えなかったことだろう。
だからこうして寂しくなって、俺から離れなくなってしまうわけだ。
「だーう?」
「うふふー。そうねー? ノワールちゃんは、そう思うのねー?」
そしてすぐ傍では、マイマザーがマリモちゃんをあやしている。
このふたりは仲が良いので、本物の親子のようにしか見えない。
片付けをしながらそれを見ているドロテアさんが、不思議そうに口を開いた。
「フィーちゃんって、ノワールちゃんに嫉妬しないのねぇ……」
え、何をバカな……と思ったが、すぐにそれは『母さんを取られたこと』に対してだと思い至る。
普通の幼子は、親が下の子の世話をしていると嫉妬するみたいだからねぇ。
「あーきゅ!」
母さんの手を離れた黒髪の赤ん坊が、俺の方へとハイハイで寄ってくる。
そして笑顔でこちらに手を伸ばすが――。
「めっ!」
既に俺に甘えているフィーが立ちふさがってしまう。
「うぶぅ……!」
しかし、マリモちゃんも以前よりも逞しくなっている。
ただ追い散らされるだけではない。
不満そうに頬を膨らませると、側面に回って俺の身体を掴んでくる。
「だ? だ?」
遊んで遊んで?
てしてししながら俺にアピール。
「めーっ! ったら、めーっ! にーたはふぃーのなの! 盗る、めーなの!」
「はいはい、フィーちゃん」
マイマザーが、そんな妹様を抱き上げる。
「ノワールちゃんもアルちゃんが大好きなんだから、少しだけ譲ってあげましょうね?」
「やーっ! にーただけは、絶対に渡さないのーっ! にーたぁっ! にいたああっ!」
フィーは既に泣いてしまっている。
泣きながら、こちらへと手を伸ばしている。
「あらあら。フィーちゃんは、本当にお兄ちゃんが大好きなのねぇ」
ドロテアさんは微笑ましいものを見るかのような目をしているが、マイシスターの嫉妬は単純な幼さ故の独占欲とは云いきれないので、引き離したり我慢させるのは慎重に行わないと、逆効果になるかもしれない。
「むふーっ!」
一方マリモちゃんは、俺の膝の上に登ってきて満面の笑顔。
嬉しそうにサラサラの黒髪を擦り付けてくる。
「はぁ……。やっぱり子どもって可愛いわぁ……」
母と祖母が同時に同じセリフを云う。
フィーが泣いているので、俺は気が気でないのだが。
(それにしても、子どもか)
実は行きの馬車の中で、アーチエルフ一名とハイエルフ二名が慶事があると話し合っていたことがある。
ハイエルフの里で、久しぶりに新しい命が誕生しようとしているのだと。
つまり、ひとりの女性が懐妊中なのだと云う。
アーチエルフを除くエルフ族は大きく分けて三種。
ハイエルフ、エルフ、そしてハーフエルフだ。
名誉エルフ族の話題はこの際どうでもいい。
エルフ族は非常に血統を重んじる。
それは純血種であるアーチエルフに近ければ近い程、その力は強く、寿命は長く、より美しい個体が生まれるからなのだと云う。
たとえば俺とも親交が深い商会の面々は良い人揃いだが、それでもハイエルフであることに誇りを持ち、ただのエルフと混同されることを極端に嫌う。
逆にノーマルのエルフたちはハイエルフに強烈な憧れと劣等感を持っているようだ。
ヒトとの混血であるハーフエルフは、更にその傾向が強い。
しかし一方で、ハーフエルフよりもエルフ。そしてエルフよりもハイエルフの方が、より子どもが出来にくいと云う特徴を持っているんだそうだ。
だから新しいハイエルフの誕生はとても喜ばれているみたい。
子ども好きのフェネルさんなんかは、休暇を取ってでも絶対に見に行くと云いきっていた程だ。
そして目の前の幼子様は。
「にーたぁ……っ! にいたあああっ!」
俺から引き離されて数秒だが、もう限界をむかえようとしているようだ。
そろそろ慰めてあげねば。
「母さん、フィーが泣いてるから」
「そうねぇ。――お母さん、頼める?」
「ええ、もちろん」
ドロテアさんは嬉しそうに、俺の膝の上に鎮座まします闇の純精霊を抱き上げる。
「あきゅ……っ!?」
急にグランマに抱かれてマリモちゃんはビックリしているが、嫌そうではない。
ドロテアさんが母さんと似ているからだろうか?
「ほら、フィー。おいで」
「にいいいいたああああああああああああ! にいいいいいいいいいいいいいたあああああああああああああああああああ!」
母さんから解放されたマイエンジェルが一直線に飛び付いてくる。
自発的な我慢はなんとか出来る子なんだが、甘えている最中や寂しいときに離れることは、まだまだ出来ないようだ。
「おーい、アルー」
そこへ朝から継続して家にいるブレフが寄ってくる、が。
「めーっ!」
午前中に俺を独占したと判定されたハトコ様は、フィーに警戒されている。
「お、おぉ……。今にも噛み付かれそうだな……。大丈夫だ、別にアルをとりゃしねぇよ……」
「みゅみゅ~……! みゅっ!」
マイシスターは半信半疑と云った様子で、より強く俺に抱きついてくる。
ブレフは妹様を刺激しないように遠巻きに俺の視線の先に立って、クイクイと台所の片付けを手伝っているシスティちゃんを指さした。
ハトコ兄の伝えたいことはわかる。
たぶん俺に、『うちの妹の相手もしてやってくれ』と云いたいのだろう。
去年はあんなことがあったので、あまりあの娘とは話せないで終わった。
今年は軍服ちゃんやブレフと話してばかりで、やっぱり親交を深めてあげられていない。
(そうだな。今日は彼女と話す機会を作ろうか)
明日は星祭りだ。
そうなると皆で行動するので、控え目な性格のシスティちゃんが積極的に話しかけて来ることはない気がする。
だから今日は、こちらから接点を持たねばならないよね。
と云っても、腕の中で寂しそうにしているマイエンジェルを蔑ろにすることも出来ないわけで。
(うん。まずはちゃんと、フィーの相手をしてあげよう)
方針と行動は定まった。
※※※
「ふ……ふへ……っ! ふへへへへへ……っ! ふへへへへへぇ……っ!」
腕の中では、妹様が夢見心地になっている。
しっかりと集中して甘やかしてあげたからだろう。もの凄くゆるんだ表情で、デヘデヘと笑っている。
先程までの泣き顔が嘘みたいだ。
「あぶ……」
一方、寂しそうにこちらを見ているのはマリモちゃんだ。
尤も彼女は母さんにも懐いているので、マイマザーがお世話をしてあげているときは、ちゃんと笑顔になるのだが。
フィーが笑顔になったのを見計らって、ブレフがシスティちゃんをこちらに送り込んでくる。
最初は尻込みしていた彼女だが、
「一年ぶりなのに、ろくに会話をしないつもりか?」
実兄にそう云われて、おずおずとやって来た。
「し、失礼します……」
ちょこんと女の子らしく隣に座るハトコ様。
正統派の、女の子らしい女の子だね。
「システィちゃん、今日も元気そうだね」
「は、はい……っ。おかげさまで……」
はにかんだような笑顔に、気を遣っての嘘があるようには思われない。
どうやら、ある程度は心を許してくれているようだ。
「あ、あのぅ……。アルトさん」
「うん?」
「私、アルトさんに、ずっとお礼を云いたかったんです」
「俺にお礼?」
どういうことだろうか?
俺はまだ、この娘に何もしてあげられていない。
お礼を云われることなど、あったろうか?
「その……私が託児所でお母さんのお手伝いをしているのは、知ってますよね……?」
「そりゃもちろん」
「確かに私がお手伝いを始めたのは、お母さんに云われてなんですが、それでも私、好きなんです。皆のお世話をすることが、大好きなんです」
システィちゃんは、幼女にして母性本能の塊なのだろうか。
『好き』と口にするその笑顔には、慈愛が充ち満ちている。
「私、こんな性格ですから、皆と上手く接することが出来なくて。赤ちゃんのお世話のお手伝いくらいしか、やらせて貰えなかったんです」
赤ちゃんのお世話が出来るだけでも凄いと思うし、立派だと俺は思うが。
「でも、アルトさんは去年、私が皆と仲良くなれるように、折り紙を教えてくれました」
ああ、そういえば去年は折り紙が話題になっていたか。
今年の託児所でも、折り紙やりたいって云ってた子がいた気がする。
つまり、折り紙は託児所で人気だし、定着もしたのだろう。
「折り紙のおかげで、私は一歩踏み出せました。託児所には私みたいに引っ込み思案な子もいますけど、折り紙を使うと仲良くなれるんです」
あれはもともと、道中の馬車でフィーに楽しんで貰う為に持ち出したものだからな……。
役に立っているなら何よりだが、あまり感謝されてもこそばゆい。
「折り紙は単なる切っ掛けだよ。上手くやれているなら、それはシスティちゃんの努力だ」
本心で、そう思う。
システィちゃんは目を伏せて微笑した。
「それでも、私はアルトさんにお礼を云いたかったんです……」
彼女は、無意識に左手を握っていた。
そこには、いつも通りの包帯が巻かれている。
或いはこの娘の気弱さは、この包帯に原因があるのだろうか。
(これに関しては、気軽に踏み込んじゃダメだよね)
そのくらいのことは、愚鈍な俺にもわかることだ。
「じゃあシスティちゃん。去年教えてなかった他の折り方を教えてあげようか?」
「ほ、ほんとうですか……!?」
結構、食いついてきたな。
それだけ彼女の中では、折り紙は重要なんだろう。
しかし、他にも食いついてくる子がひとり……。
「にーた! 折り紙する!? ふぃーも! ふぃーも折り紙する! だっこ!」
だっこは今しておりますよ、お姫様。
マイエンジェルも折り紙は大好きなので、その単語を聞いて、デレデレモードから正気に戻られたようだ。
「だーう! にゃー」
「アルちゃん。ノワールちゃんもやってみたいって」
マイマザーが、やる気に満ちた黒髪の赤ん坊を抱いたまま近づいてくる。
システィちゃんは、笑っていた。
それは保育士さんの笑顔に近くて。
ちいさい子が好きというのは、心からのものなのだろうなと思えた。
「じゃあ、アルトさん。私たちに、折り紙を教えて下さい」
システィちゃんがそう云うと、ブレフが足早に近づいてきて、自分の妹に耳打ちした。
「良い……かよ? せっかく、……と話せる機会……によう……。自……ら棒に……るかね」
よく聞こえないが、聞かないほうが良いんだろうな。
それはとっても失礼なことだ。
「……うん。良いの。……ありがとう、お兄ちゃん」
ハトコちゃんの笑顔は穏やかだ。
フィーとは違った意味で、良い妹なんだろうなと思った。
その後、俺たちは皆で折り紙を楽しんだ。




