第三話 エイベルとの邂逅
エルフだった。
外見年齢は十二~三歳くらい。
大人びた小学生と呼ぶべきか、或いは幼い中学生と称すべきか。
背は低く、折れそうな程に華奢な身体。
無機質で冷たそうな、緑の瞳。サラサラと流れる、色素の薄い金髪。
そして、長い耳。
物語に出てくる、エルフの姿そのものだった。
(でも服装は魔術師そのものだな……)
エルフと云うと、理由は知らんが『緑色の薄着姿』と相場が決まっているが、目の前の人物はまるで違う。
清潔そうな淡い青色のローブに黒っぽいマントを羽織り、家の中だというのにツバの広いとんがり帽子を被っている。
腰にはレイピアのような細身の剣があり、杖や弓は持っていないようだ。
おそらく、この少女が母の友人のエイベルなのだろう。
(だとしたら、外見年齢よりもずっと年上のはずだ)
少女――と呼ぶべきではないのだろうが、俺の脳みそはどうしても彼女を『少女』と捉えてしまう。可憐で儚げな美人だからだろうか。
「…………」
俺がジッと見つめていると、エイベル(と思しき女)は俺ではなく庭を見ながら口を開いた。
「……コアのないサンドゴーレムを複数使役、それに、視力強化……。生後十一ヶ月の赤ん坊にしては、異常な能力……」
「!?」
俺の『練習』が見られた! しかも、視力強化まで認識している。
「……その様子だと、リュシカたちには内緒にしている? だとするなら、知力の発達も異常なレベル……」
エルフは俺を掴んで優しく持ち上げると、表情のない瞳でジッと見つめてくる。
(なんなんだ、この女!? もしかしてヤバい奴なのか……!?)
「……リュシカの『天才』発言は、いつもの妄言じゃない……?」
母さんは俺を天才と呼ぶ。
半分は単なる親バカだが、もう半分は俺が既に明確な意思の疎通と会話が出来ると知られているためだ。
情報収集のためには仕方なかった。
魔法のことさえ知られなければ良いやと軽く考えていたが、母はこの『友人』にそれを自慢していたらしい。
「……私はエイベル。貴方がアルト・クレーンプット……?」
「…………」
ヤバい。ヤバいぞ。
何で俺が魔法の訓練をしているとバレたんだ? 端から見れば、庭を眺めているだけのはずなのに。
「……私は魔力の波長が感じ取れる。それで貴方が何をしているか分かっただけ。普通の人間には無理。心配しなくても他の者には気付かれていないはず。だから当面は安心して良い」
何だ、そのいかにも実力者みたいな発言は。
「……魔術の行使をバラすつもりはない。貴方が忌避される立場だと認識している。その警戒は当然」
(俺の懸案事項まで看破してる……!)
間違いなく切れる女だ。敵にしちゃいけないタイプだ。
「……少し身体を見せて貰う」
「ふぇっ!?」
云うが早いか、エイベルは俺の肌着を剥ぎ取った。全身が露わになる。
(は、恥ずかしい……ッ! ていうか、何するんだこの女! 変態か!?)
いっそ泣き声をあげてやろうかと息を吸い込んだ。
「……増援を呼ぶのはやめた方が良い。最悪、貴方の命に係わる」
(な、なんだと!? 騒いだら殺す、とでも云うつもりか!?)
「……違う。貴方の身を案じている。リュシカの――親友の子供は私にも大切な存在」
「…………かーたん、の」
母の親友。そう云われて俺は黙った。
まだ会って間もない奇矯な行動の少女なのに、抵抗する気がなくなった。
無機質に見える瞳は奥までのぞき込むと、不思議と優しい。
得体が知れないから戸惑っていたが、よくよく考えれば、このエルフは母の友人だ。俺が一方的に焦っていただけで。
(落ち着け、落ち着け、俺。魔法を使えることがバレて取り乱したが、別にこの子は俺に対して敵対的な行動を一切取っていないじゃないか)
大きく深呼吸。少し気分が凪いできた。
俺の心の動きを理解したのか、あちらもほんの少しだが、表情が柔らかくなる。或いは、こちらを気遣って、そう演じてくれたのか。
「……貴方は良い子」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、エイベルは微笑した。
その笑みを見て、敵ではないと確信できた。
(でもやっぱり恥ずかしいッ!)
俺は今、全裸なのだ。
その俺の隅々を、エルフの少女は観察する。まるで何かを探しているかのように。
結局そのまま背中も足の裏も、大事な部分も全部見られてしまった。
「……『紋章持ち』ではない……?」
安堵したような。それでいて不可解さを感じているような。
そんな様子で、エルフの少女は息を吐く。
「も、もんしょー?」
何だよそれ。何かヤバいものなのだろうか? ちゃんと説明して欲しい。こっちは分からないことだらけだ。いきなりひんむかれて、全身を見られてしまったのだから。
「……貴方は私の言葉を正確に理解している。だから話す。けれど、色々と知らない風に装っておいた方が良い」
つまり、これまで通り厄介事は封印、とエイベルは呟いた。
「……『紋章』と云うのは聖痕のこと。特定の生まれや能力を引き継いだ者に現れる印」
それは『魔王』や『勇者』や『聖女』など、特別な存在を示す識別マーク。
紋章のある者は強大な力を得て、波乱のある運命に翻弄されるのだという。
彼女は俺を『紋章持ち』と考え、身体をチェックした。確かに懸念はもっともだ。そんなものがあったら、俺の人生は平穏無事では済まないだろう。なくて良かった。
そして、「増援を呼ぶな」の意味も理解できた。
仮に俺が『紋章持ち』なら、ベイレフェルト家に知られたら大事になる。彼女はそれを配慮して、誰もいない間に俺の身体を調べてくれたのだ。
「……でも紋章がないなら、それはそれで不可解」
じぃっと、肌着を着直している俺を見つめる。
「……紋章を持たないのに、一年にも満たない年齢で、その魔力量と知能は異常すぎる。貴方は何者……?」
過労死した社畜ですが、何か? などと云える訳もない。
いや、ふざけてないぞ。日本にいた頃は無害な一般人だったのだから、実際、答えようがないではないか。
「…………」
「…………」
黙っていると、根負けしたのか、エルフの少女は「……いい」と呟いて首を振った。
「……魔術は独学?」
(急に話題を転じてきたな)
その問いには頷いて返す。
云うまでもないが、日本には魔法なんて無い。だから、何もかもが手探りだ。
「……四大元素は操れる?」
四大元素って、火、水、風、土だよな、多分。
俺は首を振る。砂人形は念動力で固めて動かしているだけで、土魔法ではない。
「……成程。本物の天才かもしれない」
そんなこと云われても意味が分からない。
知識や意思の疎通に関しては『記憶引き継ぎ』状態だから出来たことで、俺の地頭が良い訳ではない。
魔法にしたって同じことだ。
俺は魔力を『他のもの』に変換する術を知らない。
だから仕方なく生のままの魔力をそのまま使っているだけで、俺と同じ立場の人間がいたら、やっぱり同じ結果になるんじゃないかと思っていたのだが、違うのだろうか?
エイベルは戸惑う俺を見て呆れたようにため息を吐いた。「よくそれで命があったもの」と呟いたようだ。
「……魔術、学びたい?」
「あい」
思わず即答してしまった。もうちょっと慎重に返すべきだったろうか。
しかし魔法に関しては今現在、頭打ちなのは事実。基礎魔力量と精密操作の訓練しかやれてないのが実情だ。他の魔法を使う術が俺にはないのだ。ずっとやきもきしていた部分なので、コツくらいは知りたいものだが。
「……なら、私が先生になってあげる」
「いーの?」
「……魔術は使い途を誤ると死の危険がある。扱い方を知らない子供を放置する訳には行かない。それに、私が貴方を見てあげれば、リュシカの負担も減る」
渡りに船だ。母さんの知り合いなら、色々教えてくれるのだろう。
俺は彼女を信頼することに決めた。
「おえがい!」
「……ん」
エイベルはちいさく頷いて、俺の頭を撫でた。それが合図。
師弟契約。そして互いを信頼し合うと云う意味での。
こうして、その日、俺に魔法の先生が出来た。
俺の人生にとっての大きな変化だった。
そして、大きな変化はもうひとつ。
弟子入りから数ヶ月後に、母が妊娠したのである。
「……子作りを忌避される妾の身分でふたり目とは恐れ入る」
「羨ましい? 貴方は出産経験どころか、男性経験すら一切無い処女だものね」
親友ふたりは、そんなやりとりをしていた。ざっくばらんな関係のようだった。