第三百八十九話 せんとう
「切っ掛けは『近くにあった』と云うことなのですが――」
西の離れにやって来た日、ショルシーナ会長は、俺にそう説明した。
大元は、風呂。
マイエンジェルや母さんやエイベルが大好きな、風呂。
この世界にも下水道があり、裕福層の家には風呂があると云うのは、以前にも説明した通り。
実際、西の離れやセロのクレーンプット家にも、それがあるしね。
僻地に住む人々は風呂になんて入らないが、一方で都市部に住む人たちは、入浴を好んだ。
家に湯船がなくとも大衆浴場――銭湯があるので、夏場なんかは皆が足繁く通っているようだ。
自宅に浴槽があっても、公衆浴場を利用する人もいる。
これはある意味当然の話で、水を汲むのは重労働であり、湯を温めるのにも燃料が必要となるから、『それなら銭湯で済ませてしまえ』、と云うパターンもあるからなんだそうだ。
これは料理は出来るがコンビニ弁当で済ませよう、に近い感覚なんだろうか?
ともあれ、浴室を作るにも金が掛かるが、日々自宅で風呂に入り続けるというのも、また手間暇&金が要るという次第。
裕福なら作業は奴隷にやらせるか、水汲みも温めも、魔道具や魔石で補えるのだがね。
王都はこの国の首都である。
つまり、人口が多い。当然の話だ。
ならばこれも当然の話として、銭湯を利用しようとする人たちも数多くいる、と云うことだ。
「ですので、公衆浴場というのも立派なビジネスになるわけですが――」
それは浴場の経営者同士で、競合すると云うことでもある。
工夫が必要と云うことでもある。
たとえば肉体労働者が多く集う場所の近くに銭湯を建てれば、彼らを客として得られよう。
一方でそう云う人たちが多く来る場所は汚れやすいから、近づきたくないと云う人らもいる。
この辺は食堂と同じだろう。
高級路線で行ったり、量を食わせることで客を獲得したり、公衆浴場にも色々な苦労があると云うことだ。
弱肉強食、適者生存と云う訳だね。
「実は一等地に大規模な湯屋があったのですが、これが売りに出されることになりまして。そして、これも単なる偶然なのですが、そのすぐ隣りにあった別の浴場ふたつも、同時に購入のチャンスが上がってきたのです」
ショルシーナ商会は銭湯を経営していない。
しかし、一等地を押さえることは有用であろうと考えた。
何せ、良い場所とは『取り合い』だ。場所さえ確保しておけば公衆浴場でなくとも、別の店舗を出すと云う選択肢も取れるからだ。
「我々も当初は浴場を改装し、他の店舗を構えるつもりでした。しかしみっつの浴場を同時に押さえられそうなこと、それから買い取り先が見事な浴場であったことから、これを活用すべきではとの意見も出ましてね」
俺を見る。
「ヘンリエッテ、フェネル、ヤンティーネ、ナトゥーナ、そしてミィス。そのいずれもが、件の場所の利用法について、貴方に意見を求めてみてはどうかと云い出したのです」
「俺に、ですか……?」
「ええ。貴方にです、アルト様。これは貴方が、我々ハイエルフに信頼されている証だとお考え下さい。アルト様に責任はありません。義務もありません。ただ気の向くままに、思いつきを口にして頂ければいいのです」
「別に意見が採用されるとも限らないから、ですか?」
「そこはまぁ、我々も商売ですので」
ショルシーナさんは冗談めかして笑うが、これは俺にプレッシャーを掛けない為だろうな。
しかし、みっつの大浴場の使い途ねぇ……。
現場を見てみないと、何も云えないよね。
立地条件もあるし、建物にしたって『意外と狭い』、『案外広い』、これを直に感じてみないことには。
「では、アルト様が初段試験を終えられ、こちらに来られた時に見学して頂くのはどうでしょうか? 件の浴場も、六月いっぱいは営業しているようなので、ちょうどいい塩梅かと思いますが」
「そうですねぇ……。俺としても、フィーには色々な所を見て貰いたいんで、試験会場と商会と自宅を往復するだけじゃ寂しいですからね」
「では、それでお願い致します。アルト様には降って湧いた面倒事だとは思いますが、その分、報酬も支払わせて頂きますので」
ショルシーナさんは折り目正しく頭を下げる。
もともと商会の人たちにはお世話になっているんだから、この程度を面倒とは思わない。
責任も発生しないし、意見が採用されるとも限らないわけだしね。
そんな理由で、俺は商会長の相談に乗ることにしたのだった。
――で、現在だ。
俺たちは商業地区の一部へ来ている。
そこに、件の銭湯があるようだが……。
「ふぉおぉおおぉぉ~~~~っ! にーた、建物おっきい! ふぃー、大きいの好き!」
予想以上に立派だった。
そう云えば、一等地と云っていたもんな……。
俺はせいぜい、下町のちいさな銭湯くらいだと……。
(公衆浴場が人気を博しているのは知っていたが、規模も店舗数も把握してないもんなァ……)
こういう知識、常識の無さも、あまり外に出ないが故だろう。
「王都内だけでも、三桁の湯屋がありますからね。一等地ともなれば、収容人数も多く、建物の見栄えもいいですよ」
と、ショルシーナ会長は云う。
確かに、石造りのどっしりとした建物の外観は良い感じだ。
安心感があるし、単純にオシャレでもある。
風呂屋と云うと日本のそれが頭から離れないからちょっと違和感があるけれども、それは俺個人が乗り越えるべき問題だろうな。
(ふぅん……? みっつの銭湯それぞれが本当に近いな。でも、広いスペースもある……)
各所の敷地を合すれば、ちょっとした建物くらいなら、追加で建てられるんじゃないかと思われる程だ。
日本の法律だと、銭湯同士ってある程度離れてないとダメだったんだけどな。こちらでは関係なかったみたい。
「成程。これは確かに『まとめ買い』したくなりますね」
「ええ。広い土地をいっぺんに購入出来るのは、我々にとっても大きな魅力です。前述した通り、場合によっては建物全てを取り壊し、ひとつの大型店舗にする案もありますからね」
商業地区にあるんだから、売買を中心に考えるのは悪くないんだが……。
(せっかくのお風呂を、手放すってのもねぇ)
その辺は中を見て考えれば良いか。
『壊した方が良くね?』みたいな状況下かもしれないし。
何にせよ、外から無責任にさえずるだけで良いと云うのは、気楽なものだよな。
※※※
で、建物の中だ。
こちらも外観と合わせて立派なものだが、何となく物足りない気がした。
いや、確かに内部も広いんだが、何と云うか『それだけ』な感じだ。
古代ローマの『テルマエ』のように運動場やら図書館まで用意しろと云うつもりもないが、プールのようにだだっぴろい湯船とサウナ室だけと云うのは、どうなんだろう?
(シャワーもないのか……)
地球世界だと、古代ギリシャに、既にその原型がある。
と云っても、頭上から水が垂れてくるだけの単純な仕組みなのだが。
残るふたつの銭湯もスペースの取り方が違うだけで、大体の作りは同じだ。
これはたぶん、『風呂とはこういうものだ』と云う観念が強固に出来上がっているからだと思われる。
「にーた! ここのお風呂広い! ふぃー、泳ぎたい!」
フィーは広いと云うだけで喜んでいる。
まあ、雄大なものが大好きな子だからね。
「いかがでしょうか、アルト様。貴方はここを、そのまま湯屋として運用すべきだと思いますか? それとも一度更地にして、別のお店を構えるべきだと考えますか?」
「ふーむ……」
アイデアは、なくもない。
でもそれは本当に単なる思いつきで、どちらかと云うと『無責任』に属することだ。
「ショルシーナさん、凄く適当なことを云いますが、それでも良いですか?」
「ええ。もちろんです。アルト様は責任者ではありません。友人同士の会話で気楽な思いつきを口にするような感覚でよろしいと思います」
俺のアイデアがダメダメなら、普通に店を建て直せばいいと考えているのだろう。だから彼女の対応も軽いものだ。
おかげでこちらも深く思い悩まずに済む。
「じゃあ、俺の意見を云いますね? せっかくのお風呂なので、それを活かせる方が良いと思います」
「具体的には? みっつの湯屋をそのまま続けてもあまり代わり映えしないと思いますが、アルト様には何か、それ以上の腹案があるのですね?」
「ええ、まあ。せっかくの水場なんですし、ここを一種のレジャー施設にしたらどうかと思いまして」
「レジャー施設」
俺の言葉に、ショルシーナ会長は目を瞬かせた。




