第三百八十五話 初段試験(前編)
「さて。じゃあ、やろうか」
武舞台の向こう側にいるディックさんは、まさに自然体という感じだ。
状況が状況なのに、気負った様子もない。
案外、したたかな人なのかもしれない。
しかし、彼にやろうかと云われても審判役――ロッサムさんかトルディさんか、どっちだか知らないが、号令が必要なのでは?
俺がリングサイドにいるふたりの方を見ると、トルディさんは号令を掛けてくれたが、ロッサムさんは苦笑いしながら舞台上の友人を指さしている。
(詠唱……? いや、高速言語か!?)
彼は既に、魔術の準備を整えていた。
やっぱり、したたかだ!
撃ち出されたのは、泥の玉。
俺が試験では水弾で手加減するように、彼は泥の玉で手加減してくれるらしい。
確かにこれなら当たっても怪我はしないが、当然ながら喰らうわけにはいかない。
(ロッサムさんを見習って、パリングするか? いや、何かイヤな予感がする。距離を取って躱しておこう)
逡巡と同時に回避行動。
目の前を通り過ぎた泥玉を見て、俺は自分の行動が正しかったと知った。
(泥玉の後に一回り小さいもうひとつの泥玉を飛ばしていたのか)
その場で弾いていたら、二発目を貰っていたかもしれない。
ディックさんは肩を竦めている。
「ありゃ~……。簡単に躱されたねぇ。初っぱなから、とっておきの不意打ちだったんだけどなぁ……。もしかして、シックスセンスの持ち主じゃないよね、キミ?」
そんなレアスキル、持ってませんがな。
そしてディックさんが喋っている間も、間断なく泥玉が飛んでくる。
最初の高速言語で、既に速射・連射を準備していたようだ。
会話に応じていても、やっぱり喰らったかもしれない。
(したたかと云うより、曲者だな、この人は……!)
俺が続けて回避行動を取っていると、その間に高速言語で別の魔術を練り上げている。
こちらに隙を与えずに押し切るつもりらしい。小賢しいが、正しい戦術だ。
ならば――。
(魔壁……ッ!)
水の魔壁を前面に展開。
水をチョイスしたのは、俺がこの属性魔術を得意と誤認されていることがひとつ。それから、場合によってはリング上にバラ撒く為なのがひとつだ。
「凄いねぇ。一瞬で魔壁を作り出すなんて、俺には出来そうにないなぁ……。これなら行けるかな? 行けてくれるといいなぁ……。とっておきだよ?」
そう云って発射してきたのは、バランスボールくらいある大きな泥の玉。数は三。
巨大さ故か速度が遅く、飛び方もぎこちない。
ひとつは真っ直ぐに魔壁に向かってきたが、残るふたつは左右にへろへろと飛んでいき、そのまま俺の側面の床に着弾した。
(外した……と考えるわけにはいかないよな? この人は、曲者だもの)
ジャンボ泥玉が放ち終わると同時に、今度はちいさめの泥玉が発射される。
小型故に数が多く、そして速い。
まるで。
そう、まるで、手数で俺を足止めしているかのように。
「――ッ!」
魔壁を放置して、勢いよく飛び退いた。
そこに、槍状の土が飛び込んできた。
射出場所は両側面。
それは先程放たれたバランスボールを材料にしたものだ。
防御に専念していたら、今のを喰らっていたかもしれないな。
「ありゃありゃありゃ……。とっておきの切り札が、簡単に躱されてしまったぞ? やっぱりキミ、第六感持ちだろう?」
これは経験による回避だよ。
この程度の小細工を喰らうような失態を、うちの先生は許さない。
もちろん、教えてあげないけれどもね。
「試験官さん、随分と『とっておき』が多いんですね?」
「まさか。今ので打ち止めさ」
云いながらも、間断無い攻撃で俺の行動を封じようとする。
この人の方針は、たぶん俺に何もさせないことなのだろう。
防御で手一杯にし、そして不意打ちじみた攻撃でしとめるつもりだ。
もっと大技に頼っても良いのよ?
それこそ、大きな隙が出来るような。
「俺はマウィーフル・パルハウナのような大魔術師じゃないからね。工夫しないとやっていけないんだよ」
それは確かにそうだろう。
この人からは、あの気怠げプッツン女のような圧力を感じない。
実戦――命の遣り取りだったら、たぶん彼女が勝つのだろう。
だが、これが試合なら。
有効打と認定される一撃を命中させればいいと云う条件を満たすだけならば、大魔術は必要無い。寧ろどれだけ上手に立ち回れるかが重要になってくる。
だから試合形式なら寧ろ、この人の方が厄介な可能性があるのだ。
(全く……。まともな対戦相手は望んでいたけど、こういう相手ともやりたくないんだぞ!)
チラリとリングサイドを見る。
そこではロッサムさんが苦笑していた。
「横合いからねじ込むんだから、実力者になるのは当たり前だろうよ」
気軽に云ってくれるなァ……。
俺が思うに、『自力で戦闘に勝ち続けられる者』は、大別してふたつ。
即ち、『戦が強い者』と、『戦が巧い者』。
この人は、完全に後者だな。
そしてたぶん、俺がなれるのも後者だろう。
後天的に前者になれる者は、あまりいない気がする。
(うちの先生みたいに、『強くて巧い』人もいるけどね)
決して届かぬ例外については、この際置いておく。
(せめてギャラリーがいなければな)
見られたくない技能。
知られるべきではない技術。
そう云ったものも動員できるのだが。
(曲がる弾なんかも使いたいが、この状況ならカラクリがバレるだろうな。実戦の為に、あれは取っておきたい)
いつもの俺は詠唱をしないことと手数でもって、相手より有利に立ち回ってきた。
今回はしょっぱなから、そのお株を奪われているようだ。
ディックさんは、幸薄そうな微笑みを俺に向けている。
「何となくだけど、キミに行動の自由を許しちゃいけない気がする」
「過大評価は困りますね!」
泥玉は発射され続ける。
魔壁もパリングもしないで動き続けるのは、止まると何かされる可能性があるから。
でも、こうやって防御の手段を限定されているのも、あの人の手の内なのかもしれないなァ……。
(ああ、いや。そういうことか)
お株を奪われたと俺は考えたが、これがまさしくそうだろう。
気がつくと、武舞台は泥で汚れていた。
いや、泥に覆われていると云うべきか。
俺の足下以外が。
これはアレだね。
今まで俺がリングを水浸しにして圧倒してきたことを、そっくり返されているのだろうな。
『水たまり作戦』で足を滑らせようとしたように、『どろんこ大作戦』で、俺の回避を封じるつもりだ。
そして足を止めれば――。
「――くッ!」
待ち構えていたように、泥のランスが襲ってくる。
間断なく撃った泥は、まさしくこの環境を作り出す為に。
「これがおじさんのとっておきだよ。――蟻地獄」
ぞわぞわと、武舞台を覆う泥が渦巻いていく。
というか、アンタの攻撃、ホントにとっておきばかりな。
しかし実際にやられると、これは困るぞ。
足下は泥の流砂。
そして現在進行形で撃ち出され続ける泥の玉。
足を止めれば呑みこまれ、さりとて動き続けることも出来やしない。
どうにもならない。
詰んでいる。
――普通ならば。
(身体強化、出力上昇……ッ!)
残された綺麗な床を踏みつけ、ディックさんへと跳躍する。
前方には魔壁を展開したままに。
「おぉっと、突撃かい? シンプルだけど効果的だね。対処に困っちゃうな。……仕方ない。とっておきを出そうかな」
またかい。
目の前の泥が一瞬にして盛り上がり、それは巨大な口となった。
まさしく俺は、自ら虎口に飛び込む餌となったわけである。
「はい。これでおしまいだよ。お疲れさん」
そして、口が閉じられた。




