第三百七十七話 第三王女の憂鬱
「聞いたか、聞いたか? あの『新月』様が、近習を募集するんだとよ」
「聞いたぞ、聞いたぞ。まさか自ら進んで、『望月の姫』に挑み掛かるとはなぁ」
ああ、今日も。
今日も自分を比較し、貶める声が聞こえてくる。
クラウディアは物陰でひとり俯いていた。
(私が望んで、側仕えを募るわけではないのに――)
クラウディアの祖父がクローステル侯爵家と張り合った事実は、『第三王女の無謀な挑戦』という名目で、貴族間に広まってしまっていた。
「はっははは……! よもや、あの第三王女に大山と丈比べする度胸があったとはな!」
「こらこら。山と張り合うようなマネは度胸とは云わん。考えなしの見境なしと云うのだ」
「しかし、こいつは見物だぞ? 第三王女殿下は、人が集まらなかった云い訳を、どのようにされるのかな?」
「いやぁ、第三王女殿下自体が『アレ』でも、背後にはヴェンテルスホーヴェン家がある。かの侯爵家に取り入ろうとする奴もいるだろうから、全くの無応募にはなるまいよ。が、問題は質だな」
「そこよな。万が一にも第四王女殿下の側仕え『落選組』が来たら、恥と云う話では済まんぞ!」
「そこは大丈夫。あの姫殿下には、既に失うべき面目など、ありはせんのだからな!」
「あっはははははは……!」
(もうやだ……っ! もうやだよぅ……っ!)
クラウディアは耳を塞ぎ、しゃがみ込んでしまった。
魔術が使えないというのは、そんなにも罪なのだろうか?
自分ひとりがいるだけで、母の実家にも迷惑を掛けてしまう。
クラウディア・ホーリーメテル・エル・フレースヴェルクとは、なんと惨めで、なんと無様な存在なのだろうか。
多くの者が云うように、自分の元に近習など来るはずがない。
仮に来ても、きっと見下され、バカにされるに違いない。
「いらない……っ! そんなもの、私は欲しくない……っ!」
彼女にとっての側仕えの募集は、既に恐怖の対象となっていたのだった。
「いや。わしは近習を取るべきだと思うぞ、クラウディア」
ある日。
祖父同然の老人は、側仕えを拒むクラウディアにそう云ったのだ。
「エフモント……様?」
顔を上げ仰ぎ見るその老爺の視線は厳しいが温かかった。
彼の瞳には、いつも侮蔑の色が微塵もない。
だから、彼女はエフモントの言葉を聞こうという気になるのだ。
「大元の発案者であるベイレフェルト侯は云われたそうじゃ。近習は殿下に股肱の臣を与える為に募るのだと。『臣』と云う部分を『友』に換えるならば、わしはお主に、それを得て欲しいと思う。傍にあって、共に笑い、共に泣ける。そういう人物がいて欲しいと思う」
「ですがエフモント様、私なんかが、そんな人を得られるなど――」
「クラウディア」
老いた魔術師が、幼い姫の言葉を遮る。
「阿呆どもの言葉に引っ張られて、自分の値打ちを決めつけるな。お前の価値は、これからのお前が作るべきものじゃ。魔術と云う一側面のみに絶対の価値を置く必要などない。クラウディアと云う人間そのものの価値で自分を語ってやれ」
「ですが……エフモント様は、大魔術師でいらっしゃいます。大予言者でいらっしゃいます……!」
「では訊くがなクラウディア。お前がわしと仲良くしてくれるのは、わしが魔術師だからなのかのぅ?」
「い、いいえ……! それは違います……!」
「そうじゃろう? お前は『魔術師ではないわし』を見てくれておる。ならば、お前だって同じだ。『クラウディア』と云う少女そのものを見てくれる人物と、きっと巡り会える。わしは、そう信じておる」
老人の言葉に、クラウディアは縋るような目を向ける。
「エフモント様みたいに、ですか」
幼い王女の言葉に、老爺は目を伏せながら笑う。
(わしはジジイじゃからな……。そう長く、お前の傍におられんじゃろうよ……)
誤魔化すように、孫娘のような童女の頭に手をのせる。
「お主が危惧するように、募集は『当たり』ばかりとは限らんじゃろう。寧ろ、ダメなのが多かろうな。だが、僅かでもお主を見てくれる者と出会う可能性があると云うのならば、その希望を捨てないで欲しいんじゃ」
「…………」
はい、と答えることが出来ずに、クラウディアは黙り込んだ。
五歳の誕生日以来、彼女は家族と目の前の老人以外に優しくされたことなどない。
即答する勇気が持てなかったのである。
そんな第三王女の心の動きが分かるが故に、エフモントはそれ以上、無理に話を進めなかった。
「ところで話は変わるがの。お主、ウナギの試食会は憶えておるじゃろう?」
「……え? は、はい。もちろんです。あのように素晴らしいご馳走は、初めて頂きました」
「うむうむ。あれは実に酒と合うからの。で、じゃ。あのウナギ料理を開発した者が作ったデザートがあるのじゃが、食いに行ってみんか?」
「――っ!」
それまでどんよりと曇っていたクラウディアの瞳が、一転してキラキラと輝いた。
彼女が生まれて以来の付き合いであるエフモントには、目の前の王女が『甘いもの大好き』なことを知っている。
「え、エフモント様……! そのデザートというのは、もしや『ぷりん』なるお菓子では……っ!?」
「おお、よう知っとるの。確かにそれは、プリンと呼ばれていたはずじゃ」
「ぷりん……! やはり……!」
神にでも祈るかのように指を組んだクラウディアは、恍惚とした表情のままに天を仰ぐ。
「お母様からの伝聞ですが、それは天上のお菓子であるのだと聞かされています……!」
「ティネケ嬢もまだ食ってないと思うがな……。母娘揃ってチェックしとるんか? まあ、女性に人気のあるデザートではあるようじゃが」
「いつでしょうか……!?」
「うん?」
「ぷりんは、いつ食べられるのでしょうか……っ!?」
「えらく食いつきが良いの……。で、場所なんじゃが、知り合いの飲み屋が、昼の間に店を貸してくれると云ってくれたので、食うのはそこじゃな。時期はお前さん次第じゃが――」
「すぐに参りましょう!」
「待て待て! わしゃまだお前に、大事なことを伝えておらん」
「――? なんでしょうか? ぷりんは待ってくれませんが」
「人が変わっとるぞ、お主……」
エフモントは咳払いをすると、苦笑いを消した。
「そのプリンなんじゃが、別の者も食いにくる」
「え――」
一転して、クラウディアの表情が恐怖に変わる。
他人はイヤだ。他人は怖い。
そんな思いの見て取れる顔。
エフモントは敢えてそれには触れず、何気ない口調で言葉を続けた。
「ウナギの試食会の時にホレ、お主と同い年くらいの兄妹がおったじゃろう? あれじゃよ。あれも来る予定なんじゃ」
「…………」
この場に余人がいる訳でもないのに。
幼い王女は僅かに後ずさった。
「クラウディアよ」
老爺は、しわがれた大きな手を、再び少女の頭にのせる。
「敵でもない者を怖がるのはやめておけ。いつか本当に敵に回してしまうぞ?」
「は、はい……」
「それに、じゃ。外に出るなら、お前はクラウディアではない。わしの孫娘の、クララじゃよ」
「エフモント様の、孫娘、の……?」
「そうじゃ。お主はただの織物問屋の娘さんじゃ。誰も魔力のあるなしでお前を見ない。お前はお前のまま、人と触れ合ってみるがいい。落ち込むのも怖がるのも絶望するのも、その後でも遅くはないぞ?」
逡巡していたクラウディアは、時間を要したが、やがて頷いた。
一歩を踏み出そうと云う気になってくれたことが、エフモントには嬉しかった。
(さぁて、後はアルト・クレーンプット次第じゃなぁ……)
あのくたびれた雰囲気の子供が、『孫娘』の支えになってくれるか否か。
それはエフモントにとっても、無視の出来ない重要な点なのであった。




