第三百七十六話 ハイエルフ・ミィスの往来
こんにちは。
鬼に囚われ、日々無体な激務を課せられている哀れな労働者のミィスです。
今日はエフ爺に呼び出されて、夜の街に来ています。
苦痛まみれの労役を終えたと思ったら、その後は花のない老人のお相手ですよ。全く、嬉しくないにも程があります。
これではせっかくの食事も喉を通りません。
「こりゃ、ミィス! いくらわしのおごりだからと云って、バクバクバクバク遠慮会釈もなしに食いおって……!」
「失礼ですね。遠慮はしていますよ? それとも、本気を出した私の姿が見たいんですか? 見たいんですね? いいでしょう。それが貴方の望みなら、私は喜んでそれを御覧に入れますとも。――店員さ~ん、ブタの丸焼きとレバーを追加してくださーい!」
「あ、こ、こら! わしの懐事情は、お主も知っとるはずじゃろうに!」
「知りませんねぇ。そもそもエフ爺、昨日は私やデボラに勝ったじゃないですか」
私は牌をつまむ仕草をします。
すると目の前の爺の顔が曇りました。
「何が『勝った』じゃ! あれは撒き餌と云うんじゃよ! レートを上げた途端、揃ってわしをむしり尽くしたくせに!」
「いやですね。そんな都合よく勝てるわけがないじゃないですか。あれはあのタイミングでエフ爺のツキが落ちただけですよ」
大体、ここは大衆食堂兼大衆酒場です。
本来は私のように高貴なハイエルフの来るところではありません。
臭く不潔な冒険者が大勢たむろするようなところなのです。
そんな場所に私のようなか弱く繊細な美少女を呼び出すとは、エフモントの常識を疑いますね。
「何云っとるか! 高級レストランでは騒げないし喉も通らないとか云うくせに!」
エフ爺があることないこと云っています。全く失礼な老人ですね。
「貴方のたわごとはどうでも良いのです。わざわざ私を呼び出してご馳走したいだなんて、何か魂胆があるのでしょう? 私は貴方と違って忙しいのです。ささ。用があるなら、サクッと云って下さいよ」
「何が忙しいじゃ。二日酔いが酷いときは『自主半休』にするくせに!」
「体調不良で身体を休めるのは、当然のことですよ? まさかエフ爺、悪代官よろしく倒れるまで働けとでも云うつもりですか? 世の労働者が黙っていませんよ?」
「世の労働者を侮辱しているのは、お主じゃろうが! 全く、相変わらず、とんでもない奴じゃ! ……まあええ。用事があるのは事実じゃからな。実はお前さんに、人を紹介して欲しいんじゃ」
むしゃむしゃと肝焼きを頬張りながら、エフモントが云います。
この爺、歳のくせによく食べるんですよね。
人様の食欲をうんぬん出来る立場ではないと思うんですが。
「人を紹介?」
「そうじゃ。お前さんでなければ、頼めんことじゃ」
「はぁ……。まさかエフ爺、劣等種の人間の分際で、ハイエルフに恋をしたとでも云うんじゃないでしょうね? いくら私が善良なる恋のキューピッドになれる資質持ちとは云え、高貴なエルフ族を老い先短い人間に紹介するのは憚られますね。ああ、うちの商会長なら、寿退社させて貰っても一向に構いませんよ? 彼女が引退すれば、私もやりやすく――いえ、あの人に泣かされる職員も減ることでしょうから」
「ツッコミ所が多すぎて、どうしたらいいか分からんわ。よくもまあ、ペラペラと妄言ばかりを口に出来るものじゃなぁ」
失礼な爺さんですね。
私の口は、真実しか口にしませんのに。
「で。エフ爺は、一体全体、誰を紹介しろと云うんですか?」
「ああ。それはな――」
真っ白なヒゲがモゴモゴと動き、私に名前を告げました。
それは予想外の人物の名前だったのです。
※※※
翌日。
私は同僚のヤンティーネと連れだって、あるお屋敷を目指しています。
そこに、目指す人物がいるのです。
「……ミィス先輩、少しはご自分で歩こうとは思わないんですか?」
ポニーテールを揺らしながら、警備部のハイエルフがそんなことを云っています。
しかし愚問ですね。
古来より、人は楽をする為に馬を飼っているのです。
ならば私が騎乗するのも当然のことではないですか。
利点を捨てて地べたを歩くなど、玉を捨てて瓦を拾うようなものですね。有り得ないことです。
「タリカには荷物を載せる予定だったのですが、先輩が乗っているのでそれも出来ません」
「貴方のその鍛え抜かれた腕は、重い荷物を持つ為にあるのです。か弱い私は、だから果下馬に乗っていると云う訳ですね。当然の成り行きです」
「か弱いって……。商会どころか、ハイエルフ族全体で見ても、ミィス先輩よりも強い者なんて、数える程しかいないと思うんですが……」
「それは大いなる誤解ですね。『ミィスがやられたようだな。奴はハイエルフの中でも最弱……』私はそう云われるポジションにいますからね。でも、めげませんよ? 私の値打ちは愛嬌と美しさにあるのです。強さを売り物にはしていませんから、弱くても構わないというわけです」
「……うちの警備部長、ミィス先輩に来て欲しいって云っていましたが」
「イヤですよ。私は臭いところには近づきませんよ! 絶対に! そう、絶対にです!」
もしも私が法の支配者なら、『汗臭罪』を作って厳格に施行させますね。
不潔であることは罪です。
ダメです。
許しませんよ。
「……その前に、『酒臭罪』を作るべきだと私は思うんですけどね……」
馬のしっぽエルフが何か云っています。しかし残念ですねぇ。よく聞こえませんでしたよ。
※※※
「え? ミチェーモンさんですか?」
相も変わらず幼女をだっこしたままの少年が、私の言葉に目を白黒させています。
それはそうでしょう。
あんな枯れた老人のことなど、普通は誰も憶えていません。
それが一度挨拶をしただけの者に会いたいなどと。
不審がられるのも当然でしょう。
「ご安心下さい、怪しいセールスの類ではありませんよ? そこだけは、この私が保証しましょう。尤も、何かあっても責任までは取りませんがね」
「保証とは一体……」
「そのような些事はどうでも良いのです。せっかく私があの爺に買収されてこちらに来たのですから、うんと云って貰えなければ困ります」
「あの……。否も応も、そもそも俺、気軽に外出できないんですが」
「そこは高祖様を利用して下さい。貴方の頼みに甘味を添えれば、あの方はコロリでしょう?」
私はお土産にと持ってきたデザートを置きました。
これは彼ではなく、高祖様や彼の家族に嗅がせる鼻薬です。
アルト少年は子供であるのに、お菓子を与えてもさして喜びません。
雰囲気同様、中身にもどこかくたびれた労働者のような哀愁があるせいでしょうか。
「にーた! 甘いの来た! ふぃー、甘いの好き! にーたが好き! ふぃー、これ食べたい!」
「食べても良いけど、ちゃんと歯も磨くんだぞ? それから、晩ご飯も食べられるようにな?」
「ふぃー、平気! ご飯美味しい! 食べない、有り得ない! ふぃー、今日もおかわりする!」
妹さんに注意をしながらも、優しい口調で頭を撫でています。
これは躾けているんでしょうかね? それとも、甘やかしているだけか。まあ、どちらでも良いんですがね。
ああ私も、日々ツラい目に遭っているんですから、甘やかし放題にしてくれる恋人が欲しいものですねぇ。
いえ。甘やかしてくれるなら、別に恋人じゃなくても良いのですがね。
「しかし、ミチェーモンさんが俺に用ねぇ……。一体全体、どんなことなんだろう……?」
「そこはあの、枯れ大木に聞いて下さい」
「枯れ大木、ですか?」
「そうです。爺のくせに、ヒョロヒョロと背だけは高いので、枯れ大木です。まあ粗大な朽ち木、でも構いませんがね」
「……ミィスさんって、ミチェーモンさんに辛辣ですよね?」
「対人関係と云うものは、云ってみれば鏡です。あの爺の無礼な行いの数々が、こうして反射して刺さっている訳ですね。あの枯れ木に、私は幾度となく泣かされてきたのですよ」
おやぁ?
くたびれた少年がジト目でこちらを見ています。さては信じていませんね?
この歳で猜疑心の塊とは、悲しいことです。
きっと妾の子供に生まれたという境遇が、彼を『他人を疑らずにはいられない人格』に育ててしまったのでしょう。
環境が人を作るのです。
私もあのような悲惨な職場に留まり続けていては、山の新雪のようなこの清い心が、いつか穢されてしまうことでしょう。
「で、どうでしょう? ご隠居には会って貰えますかね?」
「エイベル次第ですかねぇ。彼女が忙しいというなら、無理して頼む気にはなれませんので」
相変わらずの高祖様べったりですね、この子は。
これはアレですね。
高祖様を先に射落としておかないと、話が進まないパターンですね。
「では、高祖様にお伝え下さい。アルト・クレーンプットが織物問屋と会っている間、このミィスが素敵なデザートで歓待すると。高級品も限定品も、よりどりみどりですよと」
釣れてしまえば、後はうちの商会長に押しつけてしまえるのです。
私の財布にダメージはありません。
しかし私の言葉にピクンと反応を示したのは、男の子にだっこされている幼女の方でした。
「にーた! デザート! ふぃー、デザート食べたい!」
「うん。今フィーが食べているのが、そのデザートだぞ?」
くたびれた雰囲気の少年は、やがて妹さんの口元をぬぐってやりながら云いました。
「取り敢えず、エイベルに訊いてみます。正式な返事は、それからでも良いでしょうか?」
「ええ、もちろん。明日、もう一度こちらに伺いますね」
エフ爺に呼び出され、貴族の屋敷へ来て、それから翌日の往来をし、私は彼から、OKを貰ったのでした。
(さて、エフモント。ここから先は、貴方次第ですよ……)
何故か私は鬼会長に、仕事をたくさん押しつけられてしまいましたからね。どうにもなりません。
あとは野となれ山となれ、です。




