第三百七十四話 とある紳士、ウナギを食す
「おう、アントニウス。来てやったぞ!」
神聖歴1206年の五月末。
私の友人であるブレイスマが、我が家へとやって来た。
「よく来たな、と云いたいところだが、予定よりも随分と早いではないか、ん?」
私がそう云うと、ブレイスマは子供のように、いししと歯を見せて笑った。
「腹が減っていたからなぁ。あるんだろ? 今、王都中で話題になっている、あの食いモンが」
「ああ。ある。購入制限があったんでな。使用人たちを単なる平民に化けさせたり、その家族を動員したりして、どうにか手に入れたわ。苦労したんだぞ?」
「苦労したのは、買い出しに行った連中だろう。それよりも、早く食わせてくれよ。これが楽しみで楽しみで、走ってきたんだよ」
「走ってきた? 馬車を急がせた、ではなく?」
「いんや? 生身で駆ける方が早いからな」
「……ブレイスマ。お前一応、貴族だろう?」
「美味い食い物の前に、貴族も平民もありはしないさ。腹に納まるモノこそが重要なんだぜ?」
「また訳の分からんことを……」
しかし、この食べ物。
うな重とやらを楽しみにしていたのは、私も同じだ。
ウナギや沼ドジョウは、もともと下魚として平民層ですら食べなかった雑魚なのだ。
だからそんなものが売り出されると聞いても、期待した者は多くはなかった。
しかも売り出しの発端となったのは、全くの無名貴族。
これでは誰も注目しない。
エルフの商会と、ゼーマン子爵家の名前がなければ、誰も試食会には集まらなかったのではないかとすら思う。
実際、もしも私が誘われていたら、多忙を理由に断ったことだろう。
これで私も忙しい。
貴重な時間を割いてまで、下魚を食いに行こうとは思えない。
しかし、試食会に出かけた貴族達は、皆がウナギの味に舌鼓を打ったと云う。
参加者の中には食通や食い道楽で知られる美食家の貴族もいたが、彼らすらもこぞってウナギを絶賛したことから、上流階級の者たちも一斉に興味を抱いた。
この私も、また。
だから私は、おためごかしに友人に告げる。
「すぐに用意させよう。単体で食べても美味いみたいだが、酒と良く合うらしいのだ、これが」
使用人を呼び、準備をさせる。
と云っても、酒を運ばせ、弁当を温め直すだけなのだが。
「まずは飲もうか」
「おうよ。そうこなくちゃな」
まるで水をがぶ飲みでもするかのように。
ブレイスマは、遠慮会釈もなしに酒を呷って行く。
「ぷはぁ~~っ! この家は辛気くさくていけないが、酒の趣味だけはちょっとしたもんなんだよなぁ」
「辛気くさいは余計だ!」
私の抗議に、友人はニヤリと笑う。
「しかしなぁ、今日は会議だったって聞いたぞ? 元老院議会と云っても、実態は上意下達。三公五候の事前会議や、王族の意志が尊重されることが多いと云うのは、武官の俺でもよく知っている」
「む……」
「で、今のお前さんの不景気なツラだ。どうせ何かがあったんだろう? 屋敷中の空気が、お前ひとりのせいで台無しさ。いいか、アントニウス。美味い飯を食うときは、沈んだ気持ちじゃダメなんだ。せっかくのご馳走が、味気なくなっちまう」
私とて、好きで沈んでいるわけではないのだが。
「なら、少し吐き出しておけよ。心も物体と同じさ。出した分だけ軽くなるってもんだぜ?」
「…………」
身勝手なことを好き放題に云っているようで、私の愚痴に付き合ってくれるつもりらしい。
私は長年の友人に、今日あったことを話してみる気になった。
「実はな、発端は、ベイレフェルト侯の『提案』なのだ――」
「あの爺さんの? 中身を聞くまでもなく、油断ならないと身構えちまうなぁ」
他人事だからか、ブレイスマは笑いながら肩を竦めている。
「先だって、一級魔術試験が行われたことは知っているな?」
「そりゃ、もちろん。第四王女殿下が史上最年少で満点合格をし、ついに初段位に王手を掛けたと騒がれたからな」
「一級試験の結果を受けて、五候による会議の席上で、ベイレフェルト侯は云われたそうだ。『第四王女殿下こそ、王家の至宝。そこでどうですかな。殿下に近習を付けると云うのは』とね」
「近習だぁ?」
「そうだ。近習だよ。尤も侯爵は単なる側仕えではなく、もっと広い意味で、『友』になれるような人材を傍に置いたらどうかと提案したらしいのだがね。殿下程の人物ともなると、股肱の臣が必要という理屈は、まあ不自然でもない」
「おいおい、アントニウス。そいつは一見、理に適っているようで、争いの火種にしかならないんじゃないのか? 第四王女殿下とお近づきになりたい家は、それこそ山のようにあるだろうに。王家にしたって、変なヤツを殿下に近寄らせたくないはずだぜ?」
「その話題も当然出た。そこでベイレフェルト侯は付け加えたそうだ。『氏素性の分からぬ者は、殿下に近づけることは出来ぬ。しかし、然るべき身分の者が保証人となり推挙するならば、その問題は解決しよう』とな」
私の言葉を聞いたブレイスマは、呆れたように笑った。
「見え透いてるよなぁ、そいつはよ。つまりだ。近習なり側仕えなりを出せるのは、最上級の貴族の家だけってことになるじゃないか」
「故に、さしたる反対意見は出なかった」
「ははは! そりゃ、五候は皆、大貴族だからな! 反対などせんだろうよ!」
「ところがな、一悶着あったのだ」
「うん? そいつはどういうことだ? バウスコール公爵家なら反対するかもしれないが、問題の提案とやらは五候の会議上であって、三公はいなかったんだろう?」
「そうだ。三公はいない。声をあげたのは、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家だ」
「へえ。ヴェンテルスホーヴェン家がねぇ? 何と云って反対したんだ?」
「いや。反対ではないのだ」
私がそう云うと、聡い友人はそれだけで、ははぁと頷いた。
「つまり、張り合ったんだな? クローステル侯爵家と」
「そうだ。『当家の孫娘にも』と手を挙げたのだよ」
第四王女殿下の母君、パウラ王妃はクローステル侯爵家の出身。
対して第三王女殿下の母君は、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家の出だ。
娘同士の歳も一緒、加えて家格が同じで身分に差がないとなると、それだけでライバル意識が出てくるものらしい。
ヴェンテルスホーヴェン侯は、第四王女殿下ばかりが脚光を浴びることに我慢が出来なかったようだ。
「我慢が出来ないったってよ、アントニウス。第四王女殿下は、魔術の天才だ。おまけに、王位継承権も有している。一方、第三王女殿下には、今云ったことのどちらの資質もない。これで張り合おうってのは、少し苦しいんじゃないのか? 人を募って集まらなかったら、それこそ面目丸つぶれだろうに」
「だが、ヴェンテルスホーヴェン侯は、やるつもりらしい。他の侯爵家も反対はしなかったようだ。第三王女殿下の実家が恥をかいても、自分たちは別段、損はしないからな」
「じゃあ、新月と満月は側仕えを募ることになる訳か」
「まだ本決まりではないが、おそらくそうなるだろうな」
両姫殿下の不仲説は特に聞いたことが無いが、こう云ったものは周囲が熱中し、その影響が本人に伝搬することがある。
万が一にも姉妹同士で相争うようなことになったら、それは悲劇と云うほかにない。
「成程なぁ。だからお前は、こんなに陰気な顔をしていたのか。まあ、お前さんが辛気くさいのは、いつものことだがな」
「放っておけ!」
私が怒鳴り友人が笑うと、そこにウナギが運ばれてきた。
ブレイスマは酒も話題も放り投げて、温め直しただけの弁当に意識を奪われている。
「おおぉっ! なんといい匂いだ! 食わなくてもわかるぞ。これは、絶対に美味いと!」
「食べなくても分かるなら、無理に食べなくてもいいぞ」
「おいおい。そんな意地悪を云ってくれるな! これを食べられないなんて、蛇の生殺しだぜ」
弁当を受け取ったブレイスマは、子供のように爛々とした瞳でウナギを見ながら、匂いを楽しんでいる。
「んんん~~! 香ばしい! これがあの下魚かね! 温め直してこれなんだから、出来立てだったら、さぞ美味いんだろうなぁ!」
「こればかりは仕方あるまい。まさか仕事を抜け出して食べに行く訳にもいかないからな」
我らは笑いあいながら、ウナギを口に運んだ。
「――――ッ!?」
そして、同時に顔を上げる。
「うんめぇえええええええええええええええ!」
「こ、こら、米粒を飛ばすな!」
云いながらも、私は感動に打ち震えていた。
まず、米が美味い。
ウナギが美味い。
そして、ソースも美味い。
しかし一番感心するのは、『全部が美味い』と云うことなのだ。
飯に染みこんだ重厚な味と香り。
ウナギとの相性。
これは個々で食べるものではなく、初めから『一体になること』を想定した料理なのだと分かった。
「素晴らしい設計思想だ。米があるから米を食うのではなく、飯をより美味く食う為の工夫として、この調理方法とソースが選択されているのだな!」
これを作り出した人物は、まさに天才なのだろう。
そしてたぶん、米の飯が大好きなのだな。
「アントニウス。確か、バイエルンとかいう名前だったよな、この料理の開発者は」
「ああ。しかし料理研究者なんて、お前には縁遠い人物だろう?」
「縁遠いだって? とんでもない。こいつの発明品は、すでに軍部にも深ぁ~く入り込んでいるんだぜ?」
「うん? どういうことだ?」
「干し肉だよ。俺たちが行軍する時、干し肉は携行食糧として欠かせないが、奴が開発したという干し肉が、これまた美味くてな。あれを知ってしまうと、もう元の味気ない干し肉には戻れない。軍部だけじゃない。私設の傭兵団や冒険者にも、あの干し肉は手放せないものになっているはずだ。だからこそ、俺はウナギというものを食べてみたくなったんだ」
「成程な。お前が興味を抱く下地が、既にあったと云う訳か。道理で走ってくるわけだ」
料理の世界にも、天才が現れているということか。
こういった人を幸せにする類の天才なら、いくらでも出て来て欲しいものではあるな。
私たちは、買い込んでいた弁当を全て食べてしまった。
『余ったらやる』と宣言していたので、使用人たちの視線は酷く冷たかったが……。
「話を近習に戻すがよ、アントニウス」
咀嚼をしながら、ブレイスマが云う。
「両王女殿下は、どちらもガツガツした人格でないことが救いだ。近習の質や量に差が付いたとしても、侯爵家のメンツは兎も角、おふたりはそこまで荒れないんじゃないかと思うんだ。だからお前も、そんなに辛気くさい顔をするなよ。もっと気楽に行こうぜ?」
「まあ、な」
私は頷いたが、ひとつだけ懸念を抱いた。
またいつもの無駄な心配性だとしても、ぬぐい去ることの出来ぬ不安もある。
(このウナギは美味い――)
私やブレイスマは、腹一杯食べることが出来た。
だから満足だ。
不満がない。
しかし、食べることの出来なかった使用人たちは、不満を抱いたことだろう。
だから。
だからもし。
もしも両王女殿下が同時に『近習にと望む人物』が現れた場合、亀裂の原因となるのではないか?
親友同士が同じ男を好きになり、ついには仲違いをしてしまうように、『人を求める』と云うことは、場合によっては禍根を残すことになるのではないかと思ってしまった。
「流石に心配しすぎだろう。それだといつ来るか分からない天災に怯えて外に出られないと嘆くのと同じレベルだぞ?」
旧友には、呆れられてしまった。
確かに私の懸念は根拠がないし、具体性もない。
だから願おう。
ものの見事に杞憂となって、将来の笑い話になってくれることを。
美味いウナギを食べながら、私は無駄な思考を重ね続けた。




