第三百七十話 他の売り込み品と、ちょっとした情報
ショルシーナ会長が掴んだのは、噴霧器――ようは、霧吹きだ。
難しい構造ではない。
二本の管と、ふいごのように空気を送り出す仕組みがあれば、夏休みの小学生でも工作で作れるような簡単なもの。
もちろん商品サンプルだから、細かい部品の作成と実際の組み立ては、ガドにやって貰ったんだけれども。
「液体、が入っていますね?」
「それはこの間の消臭剤ですね。……で、こうします」
プシュッと吹き出されるミスト。
ついでにほっぺを押されたので、俺の口からブフッという情けない音も響いたが。
「これは……霧が……っ!?」
「ええ。霧吹きです。まあ、薬の散布に便利ですよね。園芸にも使いますが。香水を振りまくのにも良いでしょう?」
すると、プリンを一心不乱に頬張っていたマイエンジェルが、俺の言葉に反応した。
「ふぃー、それ、お庭の植物に使う! プシュッてするの、楽しい! ふぃーのお気に入り!」
この娘にとっちゃ、遊具の一種という認識なんだろうがね。
「これ、凄くないですか……?」
俺の頬を押し続けていたヘンリエッテさんが、霧吹きを手に取った。
本来は消臭剤とセットにすべきだったとは思うんだけどね。
「場合によっては、農業に革命的進歩をもたらすと思うんですが」
流石は商会の№2。
地球世界の農業では、噴霧器の存在は極めて重要だ。
そこに一瞬で辿り着くとは。
(ただ、これの使い途は農業だけじゃないんだよね……)
工場等においても、噴霧器は必須の存在と云って良い。
大量生産と品質の均一化に、大きく寄与する器具ではあるな。
まあ、その辺の使い方は商会に任せましょうかね。
俺は商品の売り込みをするだけよ。
「それで、ですね」
俺は、母さんが止めるのもきかずプリンを食べ続けていたマイシスターを抱き上げる。
だっこされたことが嬉しかったのか、突然のことにもかかわらず、妹様は、にへらと笑った。
「ふへへ~……っ!」
うん。
嬉しいのは分かったから、プリンまみれの口で頬ずりしてくるのはやめような?
俺は云う。
「実は今回は更にひとつ。商会用の売り込み品があるんですよ」
「更にひとつ?」
ハイエルフズの美声がハモる。
「今回のアルト様の売り込み品は、歯ブラシと霧吹きのふたつではない、と云うことですね?」
「いいえ。俺の用意したものは、そのふたつで打ち止めです」
聡い商会のトップは、それだけで俺が抱きかかえているマイシスターに視線を注いだ。
「フィーリア様が……?」
答えを返す代わりに、マイマザーが用意していたものを、テーブルの上にでんと置いた。
「こ、これは……っ!」
目を見開くショルシーナ会長。
ヘンリエッテさんも、息を呑んでいるように見える。
しかし、そこから先の反応は、少し違った。
「何と見事な造形……!」
商会長は『それ』の出来映えに驚き、
「高純度の魔力を帯びた、魔性具――ですよね……?」
副会長は、『それ』の在り方に驚いていた。
(でも、ふたりとも違うんですよ。出来映えや在り方でなく、品そのものを見て欲しいんですがね)
テーブルに置かれたもの。
それは妹様がこね上げて作り出した食器――丼だった。
この世界の料理に丼ものはない。
だからうな丼やら親子丼やらを盛りつけるのは深皿が主だった。
でも今後も丼ものは売り込みたいから、食器としての丼そのものが無いと困る。
なので、フィーに作って貰ったのだ。
「それ、ふぃーが頑張って作った! にーたの美味しい料理、食べる為のもの! その為の食器!」
ハイエルフのふたりは、ぺたぺたと丼に触れている。
「成程。保温と耐久性を考えて、深手で厚手の食器を作ったわけですか……」
「理に適っています。理には適っていますが――」
やっぱり、食器そのものの出来映えに目も心も奪われるらしい。
「これを、フィーリア様が……?」
「アルくんの妹さんは、陶芸の才がおありなのですね……。いえ、魔性具の制作者としての才、と云うべきでしょうか」
ふたりはそれから、ぽしょぽしょと小声で話し合っている。
そして、改めてこちらに向き直った。
「この食器そのもののアイデアは是非購入させて頂きたいのですが、フィーリア様がお作りになられたこれは、決して人目に付かないようにした方が良いと愚考致します」
「見る人が見れば、間違いなく騒ぎになるレベルの出来映えですからね」
まあ、その辺はね。
この娘の才は、あまり人に知られない方が良い類のものだろうとは、俺も思う。
意図的に制御しないと、うちの娘の作品は魔力を帯びてしまうのだから。
「ご兄妹揃って、ズバ抜けた天才と云うのは、どうやら本当のようですね」
ショルシーナ会長の言葉に一番喜んでいるのは、すぐ隣でドヤ顔を晒しているマイマザーだろうな。
実際はフィーだけが天才なのだが。
「しかし、同じ驚いたり戸惑ったりするならば、やはりクレーンプット家の皆様のような話題でありたいものですね」
商会長は、唐突にそんなことを云う。
どこか遠い目をしているが、複雑な感情がこもってそうな感じだ。
俺の傍へ戻って来て、ほっぺつんつん攻撃を再開したヘンリエッテさんが、小声で説明してくれる。
「実は先程まで、テイス・コーレイン様の相手をしていたのですよ」
テイス・コーレイン。
それは平民会の代表である護民官であり、性別不詳の美貌の友人、イケメンちゃんことノエル・コーレインのパパのことである。
何だが、久々に聞いた名前だな。
「相変わらず、この商会を味方に引き込もうとしてるんですか?」
俺の呟きに答えたのは、商会長の方。
「相変わらずではありますが、久しぶりでもありますね。ここ最近は、『元老院包囲網』を作る方に熱心だったようですから」
そんなものを画策していたのか。
でもって、商会に足を運ばなかったって事は、そっちが上手く行っていたのかな?
「上手く行きかけた、と云う方が正しいですね。元老院は、爵位持ちの貴族が強い所ですから、貴族の中にも改革重視派や不平不満をため込んでいる者もいます。テイス・コーレインは彼らを引き込み、更に他の都市とも連携してこれに当たろうとしたようですね」
結構壮大な話だったんだな。
まさしく包囲網か。
「ですが、頓挫しました。それこそ、急激に」
「そいつはまた、何でですか?」
「事態を重く見た元老院は、対・平民会の指揮を、ある人物に臨時で委ねました。その貴族が、大層なやり手だったようで」
「へえぇ。急ごしらえなのに成果を出すって事は、相当に切れる人物なのかな?」
「ええ。カスペル・ロンバウト・エル・ベイレフェルト侯爵でしたから。切れ味の方は折り紙付きでしょう」
カスペル老人! あいつかよ!
ほっぺをつついたままのヘンリエッテさんが、柔らかい表情で敷衍してくれる。
「事に当たる前、侯爵は云ったそうです。『これは反・元老院派の元老院議員をあぶり出す絶好の機会である。危地と呼ぶのは誤りだ』と。実際に平民会と通じていた貴族のいくつかの家が、容赦なく潰されたようですね。更に平民会と通じていた他都市の連携も、ものの見事に分断したようで」
「一瞬の間に包囲網が潰滅し、終わってみれば平民会が孤立する形になりました。それで慌てて、護民官はうちに来たと云う訳です。全く不愉快ですね。優勢なときならまだしも、尾羽打ち枯らした状態で来られても、協力するわけないじゃないですか。いえ、そもそも我らエルフは、人間同士の争いなんかに巻き込まれること自体が真っ平御免な訳ですが」
ぷくっと頬を膨らませる、赤いフレームの眼鏡を掛けたハイエルフ様。
しかしムーンレインも、相変わらず不安定な国だなァ……。
「王国貴族も一枚岩ではない。その点を突いたこと自体は、まあ間違いではありませんでしたけどね」
ショルシーナ会長がそう呟き、
「貴族が大事なのは、まず第一に自分の家ですからね。自家の繁栄と安全が約束されるなら、上に頂くものが何であっても構わないというのが本音なのでしょう。それこそ王族が、ムーンレインでもフレースヴェルクでも違いなく。或いは、フェーンストラであったとしても」
ヘンリエッテ副会長が、そう返した。
王国の『王家交代劇』は六代も前の話だけど、考えてみれば、この人たちは当時から存命な訳なんだよな。
当時の貴族たちの様子も、きっと色々知っているんだろう。
それこそ、卑怯な裏切りや、土壇場で態度を変えた者もいたんだろうなァ。
ただ、あまり嫌悪感のある口ぶりではないな。
するとヘンリエッテさんが、俺の心を読んだかのように、苦笑しながら云う。
「より高い視座で見れば、当商会も『同じ』ですからね。エルフ族と協調する勢力ならば仲良く出来ますし、排除に動くのならば、こちらも反撃します。『名義』は関係ありませんので」
種族全体の保身と云う点に関して、ショルシーナ商会は一貫しているということか。
それはきっと、これからも。
知ってはいたが、改めて『人間の味方ではない』と再認識した。
たとえば仮にこの国で内乱が起こっても、商会は武装中立を貫くのだろうな。
「そう云えばアルくん。護民官の子――ノエル様が、アルくんに会いたがっていましたよ?」
大人気ですね? 等と云いながら、ほっぺの『ぷに力』を強める副会長様。
云われてみればイケメンちゃんとは、しばらく会ってないもんなァ……。
「にーた! 難しい話、しなくていい! ふぃー! ふぃーだけを見ていて? にーたとふぃーは、それだけでいーの! ふぃーのこと、なでなでして?」
だっこされたままの妹様が、銀色の頭をグリグリと押しつけてきた。
波乱と無縁でいられるのであれば、それも正解のひとつなんだろうけどね。




