第三百六十九話 試験の後は、商会へ
「ふおぉぉおおぉおぉ~~~~っ!」
毎度おなじみショルシーナ商会の特別応接室で、マイエンジェルが大きなおめめをキラキラとさせている。
理由は簡単。
今や妹様の新たなる大好物となったお菓子、プリンが山と置かれているからだ。
「にーた! プリン、たくさんある! ふぃー、全部食べるっ!」
「もう、フィーちゃん。全部はダメよ? 晩ご飯、食べられなくなっちゃうんだから!」
窘める母さんの言葉も、その耳に届いているかどうか。
これはうちの家族と、そしてエルフ族の偉大なる高祖様の為にと、商会の皆さんが用意してくれたものなのだ。
応接室には、商会の№1と№2のハイエルフがおり、お客側として、我がクレーンプット一家と闇の純精霊であるマリモちゃんがいる。
つまり、いつも通りのメンツだね。
メガネの似合う商会長様は、エイベルがプリンを気に入っていると分かって、最上のおもてなしが出来ると大喜びしている。
「――、――っ」
うちの先生は無言だが、プリンを食べる手をゆるめる様子がない。
与えたら与えただけ食べそうな勢いだ。
マイマザーはフィーだけでなく、エイベルにも注意をした方が良いと思うんだが。
「はぁぁ……っ! エイベル様は、お菓子を頬張る姿もお美しい……っ!」
商会長は感動しているが、無表情ながら目を輝かせて一心不乱にデザートを食べる様は、まるで子供のように俺には見えるんだけれどもね。
「どうぞ、アルくん。熱いから気を付けて下さいね?」
今回も手ずからお茶を淹れてくれた副会長様が、ウィンクとともにカップを置いてくれる。
「アルくんの考案したプリンは、商会スタッフにもファンが多いんですよ。王国貴族の方からも、レシピや販売に関する質問がひっきりなしです。たぶん一過性のブームではなく、定番のスイーツとして定着するでしょうね。凄いことですよ、これは」
まあ、大元は俺が考えたもんじゃないしね。
あまり褒められても、嬉しさよりもむずがゆさの方が勝るかもしれない。
「ふぃーのにーた、凄い! 親子丼も美味しい! ふぃー、昨日もたくさん食べた! おかわりした!」
「ああ、親子丼もたいへん美味しかったですね。漁場に引き続き、鶏卵のほうも根こそぎ押さえるようにうちの商会長が指示を飛ばしていますので、プリン共々、我が商会が新たな卵料理を掌握することでしょう。それがなれば、より簡単に皆様にお出しできるようになりますね」
と、柔らかいハイエルフ様は今後の展望を語ってくれる。
卵やらミルクやらトウモロコシやら、押さえるものが多いと大変だねぇ。
「じゃあフェネルさんは、交渉の為に飛び回っているのかな?」
それは単なる独り言だったが、やわらかハイエルフ様が、笑顔のままで俺の頬をつついた。
「アルくん? フェネルのことが気になるんですかー……?」
「え? いや、忙しいのかなって思っただけで……」
「そーですかー……?」
笑顔、だよな、これ?
「アルくん、フェネルには『特権』を与えて優遇していますよね? もしかして、あの娘がお気に入りなんですかー……?」
特権は俺があげた訳じゃないんだが……。
急に抱き上げられるとビックリするし、マイシスターは激怒するしで心臓に悪いのよね。
と云うか、ヘンリエッテさん。
微妙に口調が変わってませんかね?
すると今の今までエイベルの食べる様子を、でへでへとした笑顔で見つめていた会長様が、真顔でクルリと向き直った。
「ああ、アルト様。ヘンリエッテは拗ねると面倒なことになるタイプなので、適当にご機嫌取りをしてあげて下さいね? 業務に支障をきたすと、こちらも困りますので。この娘、滅多に拗ねないはずなんですけどね」
そんなことを云われても。
何よ、何さ?
ヘンリエッテさん、拗ねてるの?
「拗ねてませんよー……? 私は笑顔ですー……」
いつも笑顔ですよね、貴方。
おかげで全く感情が読めませんが。
そのまま俺の頬をつつくのを続けなければ、本当に拗ねているとは思わなかったろう。
すると、またまたショルシーナ商会長が神妙な顔で頷いた。
「ああ、拗ね度は軽度っぽいですね。これなら放置でも大丈夫でしょう」
拗ね度ってなんだよ……。
ヘンリエッテさんは何も云わず、黙々と俺の頬をむにむにし続けている。
なので商会長様が、こちらに改めて向き直った。
「三輪車。キックスケーター。プリン。親子丼。そしてタイヤと、アルト様にはこの短期間に次々と新商品を考案して頂いておりますが、そのどれもが、今後も好調な販売を望める品であると判断しております。なので現在の商会の急務は、職人の確保です。こちらにも大変骨を折っておりますが、本日も新たな発明品をお持ち頂いたとのことですが……?」
「ええ、一応持ってきましたが、もしかして迷惑でしたかね?」
「いいえ、とんでもない。職人の確保と生産ラインの策定が済んでしまえば、後は軌道に乗せるだけですから。ここで商機を失うことの方が痛手です。なので安心して、発明品をご開示下さい」
「売り物になってくれると良いんですがね……」
過去に半分失敗扱いだった品物もあったしね。
あまり期待されるのも困るんだが。
「アルト様はご自分の発明品の凄さを理解されていないようですね?」
凄さって云われても、スライドパズルとか、そんなに売れてるって聞かないけれども。
「たとえばタイヤです。これは車輪というものが存在する限り、遙かな未来まで存在し続けるものになるでしょう。ウナギ、沼ドジョウに関しては、漁師の間で権利争いが起きる程に加熱しています。服飾業界だって、貴方が事情を一変させたのですよ? 爪切りに至っては、一家に一個と云う規模まで広がりかねません」
ある意味、地球からの持ち込み品だからね。
向こうで需要があったものは、こちらでも需要があったんだろうさ。
「それで、今回はどの名義の発明品になるのでしょうか? エッセンでしょうか? それともバイエルン?」
「ふたつありますが、まあ両方『プリマ名義』で良いかなと」
「では、薬品の類ですか?」
「いえ、ちょっと違います。薬――に近いものはありますが、それは俺が作ったものではないので」
エッセンは雑多だが、バイエルンは食べ物。プリマは薬品や衛生用品と区分している。
あくまでザッとで、あまり熱心に使い分けはするつもりがないけれども。
と云う訳で、今回の売り込み品をテーブルに置く。
ずっとほっぺをむにられているので、やりにくいったらありゃしない。
「こちらは?」
まずひとつめを手に取り、ショルシーナ商会長が首を傾げる。
まあ、パッと見じゃ、何に使うのかよく分からないだろうね。
「それは、歯ブラシです」
「歯ブラシ、ですか?」
そう。
今回作ったのは、歯を磨く為のおなじみのアイテムだ。
売り込みが目的ではなく、マイエンジェルの白い歯を守る為に作ったものだ。
当然のことながら、この世界の衛生観念は現代日本に劣る。
平民の下層階級なんて、歯を磨かない連中も多い。
手入れをする人も、布でゴシゴシとやるか、楊枝を使うくらいのもので、俺から見ると不充分だ。
なのでガドとエイベルに協力して貰って、歯ブラシを作った。
うちの妹様を尊いと思うのは、毎日ちゃんと歯磨きをしてくれていることだろう。
お風呂も欠かさず入っているし、いつも清潔でいい匂いがするのである。
なお大衆浴場があり、風呂付きの家のある世界観ではあるので、身体洗い用の道具に関しては、今のところ参入することはない。
タオルや布で洗う人も多いが、へちまや海綿などの天然スポンジが比較的安価で売られ、一般家庭でも用いられているからだ。
そういう世界でも歯磨きは疎かなのだから、衛生管理というのは難しい。
「それで、こちらの薬品のようなものは何でしょうか?」
「それは歯磨き粉です。口内洗剤とでも云えば良いでしょうか? エイベルに開発して貰ったものなので、効果も安全性も保証しますよ」
「エイベル様がっ!」
ガバッと立ち上がる商会長様。
この人もブレないね。
「ならばこちらの商品は、このショルシーナが命に代えても売って見せましょう!」
そう上手く行くだろうか?
歯ブラシが売れる為には、衛生に気を遣うと云う前提や常識がないとダメだと思う。
今回に関しては、売れなくても仕方がないと考えているが。
すると商会長は、眼鏡を光らせて俺を見る。
「店舗にも置きますが、そうですね。たとえば大衆浴場に置いて使って貰うとか、虫歯で医者へやって来た人に勧めるなどの方法を採用すべきでしょうね。偉大にして可憐なるエイベル様の作った口内洗剤が見向きもされないなど、神が許しても、このショルシーナが許しませんとも! 少なくとも、商会職員には使用を徹底させますよ!」
臭いのダメ、絶対! と云いきるショルシーナさん。
そう云えば消臭剤を開発したときも、警備部がどうのと云っていた気がする。
女性だし、その辺を気にするのは当然か。
「それで、こちらのアイテムも歯磨きに関連したものでしょうか?」
商会長は、もうひとつの売り込み品を手に取った。
でもすみませんね。
全然関係ないんですよね、それ。
勢いと思いつきで品物を作っているので、歯磨きとは無関係です。
彼女が手に取ったもの。
それは――。




