第三百六十八話 一級試験(後編)
いやぁ、酷いね。
どうしてこう、俺の対戦相手って、プッツンしたヤツばかりなのか。
ドでかい岩のような氷に潰されて、無事でいられるわけがないじゃないか。
なので、喰らわないこと。
これが大前提。
一番良いのは武舞台の外に逃げることだろうけど、リングアウトは負けなのよね。
(『古式』を使えばブッ壊せるけど、死屍累々だろうからな……)
なので、別の手段で躱す。
まずは煙幕。
水のカーテンで、周囲の視界を遮る。
その瞬間に、ふたつの魔術を同時発動。
ひとつはセロで憶えた、クラゲ浮遊。
リングの外へ飛んで逃げて、そのまま氷塊を迂回する。
大量の水を噴出しての移動なので、普通は目立つし、どんな手段を使ったか一目瞭然だろうが、今回ばかりはそうは行かない。
何せ水弾やら水柱やら、そしてこの煙幕やら、リングの中も外も水浸しにしているからね。
構築したままの天球儀を移動させ、もうひとつの魔術に身を任せた。
(行け、天球儀……ッ!)
『気怠げプッツン女』の頭上から、水弾の雨を降らせる。
しかし女は傘のように氷の魔壁を自身の上部に発動し、それを防いだ。
「んふふふふ……っ! 絶対に反撃してくると思っていたわ……! どうやってこれを回避したのか知らないけれど、貴方と戦うのは、本当に楽しいわ……ッ!」
「俺は楽しくないですよ」
「――え……ッ! 側面……ッ!?」
天球儀からの攻撃は囮だ。
俺が発動した、もうひとつの魔術。
それは氷穴の戦いでリュネループの女性が使った『隠匿の魔術』の超劣化版。
即ち、『気配遮断』。
呆気に取られた女の横から、巨大な鉄砲水をお見舞いしてやる。
「きゃあああああああああああああ!」
悲鳴だけは可愛いじゃないですか。
女は吹き飛び、リングの外――壁面に叩き付けられた。
粘水でガードしてやれば衝撃はなかったろうが、そこまでしてやる気にはならないし、粘水の存在を知らせるつもりもない。
だからそのまま、壁に激突して貰った。
「う……、っぐ……っ! 嘘……。わ、私が、負け……」
女は物理的な衝撃よりも、敗北の方がショックだったようである。
視界を遮る水の目隠しがなくなると、トルディさんが駆けつけてくる。
「あ、アルトくん……っ!」
そして舞台に立つ俺と、壁の端っこで膝を突いている女を見比べ、
「か、勝ったんですか……!? ど、どうやって……?」
「それは企業秘密です」
「…………」
彼女はなおも驚いたままに俺たちを見やり、そして、告げた。
「あ、アルト・クレーンプットの勝利です。実技試験、合格です……」
「そいつは、どうも」
とにかく、疲れた。
体力も魔力もさして消費しなかったが、精神的な面で。
やっぱ俺には、斬った張ったの物騒な世界観は根本的に合わないや。
元は平和志向の日本人ですからなァ……。
トルディさんは、俺と氷塊を見比べている。
「よく回避出来ましたね、これを……」
(回避以外に、選択肢がなかったんですよ)
フィーやエイベルならば容易くはじき飛ばせるような単なる氷を、必死こいて躱さなければならない己が非才を嘆くより他にない。
「ふ、ふふふふ……っ!」
「のわァ……ッ!?」
突如背後から、びしょ濡れ女に抱き上げられてしまった。
「凄い……ッ! 貴方、凄いわぁっ! ハンデ付きとは云え、この私を完封するなんて……! まさに天才! 天才よぉっ!」
服が濡れるんで離して下されい。
「その歳で、これだけの魔術を使いこなすなんて。貴方、水の魔術の『特化型』ね? ひとつを極めることがこれ程素晴らしいなんて、久しく忘れていた感動だわ」
俺が天才と云うのも特化型と云うのも、水の魔術が得意というのも、どれもこれも的外れなんですがね。
まあ、いちいち訂正はしないけれども。
びしょ濡れさんは俺を抱えたまま、勢いよくリングの外に振り返った。
「侯爵さん、凄いわよねぇ、この子供。想像以上の能力だったわよ……?」
こいつら、顔見知りか――。
となると、対戦相手がこの女だったのは、カスペル老人の差し金なのか?
ピンと伸びた背筋を持つ侯爵は、面白くもなさそうに言葉を返した。
「一級まで上がってくるのだ。相応の戦闘能力があるのは当然だろう。だからこの場合、勝ち負けは問題ではない。お前の攻撃に対し、この子供がどう反応したか? どう適応したか? その『傾向』こそが重要なのだ」
「ああ、それがねぇ……。何も分からないのよ。気付いたら、私の側面に出現していたから。回避方法も移動手段も、陽動の手順も、全てが謎のままよ」
俺を抱えたまま、肩を竦めるびしょ濡れさん。
老人はジロリと俺を見るが、もちろん説明してやる義理もなければ義務もない。
だが侯爵は、淡々と俺を見ながら云う。
「舞台全体を水で囲ったのは、目くらましの為だろう。それが必要と云うことは、他者に見られたくない『奥の手』を隠し持っていると云うことだな? そしてそれは、水の魔術と極めて親和性が高いか、或いは目を覆うだけで誤魔化し通せる類の手段と云うことになる」
思わず舌打ちしそうになったが、どうにか無表情を貫いた。
相変わらず食えない爺様だ。
怜悧な相手というのは、兎角やりにくい。
「まあ良い。ある程度の材料は得た。最早ここに留まる意味もない」
云うだけ云って、侯爵は歩き去った。
前に会ったときから思っていたんだが、歩くの早いんだよな、あの男。
時間を無駄にしない性分なのか、それともただ単にせっかちなだけか。
「で、えーと……。俺を抱えているお姉さん?」
「マウィーフルよ。マウィーフル・パルハウナ。子供らしく、『マウお姉さん』って呼んでも良いのよ?」
「いえ、結構です。それより、離して貰えませんかね? 俺もさっさと帰りたいので」
大事な大事な妹様が、寂しさに耐えかねて泣いているかもしれないからな。
「貴方のその才。磨けばきっと、もっと伸びるわよ? 何なら、良い師を紹介してあげるけど?」
「いりません。無駄でしょうから」
「無駄? どういう意味よ? まさかその歳で、もう伸び代がないって訳でもないでしょうに」
無駄、と云うのは、俺の『根本』を見誤っていると云う意味だ。
俺の才が『優れている』と思うなら、もうその時点で見る目無しだろう。
足らざるを知り、長所を伸ばしてくれる師でないと、凡人は伸びることが出来ない。
こちらは、放っておいても頭角を現す天才などではないのだから。
それに――。
(俺の魔術の先生は、エイベルだけで充分だ)
そう決めている。
尤も、これは俺の間違いと云うか、傲慢な決めつけなのかもしれない。
剣術の修行なんかで出稽古をするのも、己を俯瞰的に見る為に必要なことだろうから、『師以外に教わる』と云うのは、本当は大切なんだろう。
(まあ、でも、今はいいや)
色々なことで、手一杯だ。
俺のキャパを越えることだよ。
「で、そろそろ降ろしてくれると嬉しいんですけどね」
「ん~……。今度また、私と戦ってくれるというなら、離してあげるわよぉ?」
冗談じゃない。
子供相手に危険な魔術をブッ放してくるような戦闘狂と、誰が戦おうとするもんか。
「トルディさ~ん……。助けて下さ~い……」
「あっ! 第三者に助けを求めるなんて……!」
俺は、その辺にはプライドを持たないことにしたからな。
既にこの世界では、散々親のコネに頼っている男よ。
助けてくれる人に手を伸ばすのは、当然のことだ。
ひとりで何でもやろうとすると、苦しんで死ぬのは経験済みよ。
結局おなじみのお姉さんに、びしょ濡れのお姉さんから救出して貰った。
「トルディさん、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、本当に助けるべき時に何も出来ず、申し訳ありませんでした」
ぺこりんと腰を折る十代後半の国家公務員。
(さっきの氷塊落としの話かな?)
この人も真面目だよねぇ。
日本にいたら、過労死するタイプかもしれない。
(早くフィーに会いに行こう……)
俺も一礼して、実技会場を後にする。
「私は諦めないわよぉ? 今度は命を掛けて、戦って貰うから~……!」
びしょ濡れの背中に、そんな声が響いた。
もちろんそれを、俺は意図的に無視したんだけれどもね。




