第三百六十七話 一級試験(中編)
「おい、トルディ。マウィーフルが来るぞ」
一級試験の前。
ロッサムさんにそう云われ、私は驚きを隠せませんでした。
「マウィーフルさんって、あのマウィーフルさんですか?」
「おうよ。あのマウィーフルだ」
私の問いに、ロッサムさんは大きく頷きました。
マウィーフル・パルハウナ。
平民出身の、フリーランスの魔術師です。
魔術師と云っても、その方向性は無数にあって、研究職に就く方もいれば、魔道具技師のような製造・技術職になる方もいます。
しかしマウィーフル・パルハウナは、戦魔術師――魔物の討伐と傭兵稼業、そして決闘の代理人など、生粋の戦闘職として名を馳せた女性なのです。
故に、その戦闘能力は強烈。
従って、王族・諸侯が争って仕官を望む人物と云われておりました。
その彼女が、何故……?
「どこかの貴族が決闘でもするのですか?」
「いんや。幸い、そう云った物騒な事件は起きてないな」
「では何故、彼女が? 大規模な魔獣の討伐報告も、戦争もありませんよね?」
「今のところはなー……。数年先は、どうなるかが分からないがね」
「ロッサムさん、縁起でもないことを云わないで下さい……っ!」
「ははっ! 悪い悪い。で、マウィーフルの来訪目的だが、どうやら、『あの子供』の実技試験の対戦相手になるらしい」
「――! アルト・クレーンプットくんですか!?」
私は目を見開きました。
この国で魔術の才を謳われる子供と云えば、まず第四王女殿下の名前が挙がるはずですが、ロッサムさんは、わざわざ私に話題を振りました。
となると、該当する子供は、我々とも馴染みのある人物――即ちアルトくんと云うことになります。
「しかし何故、彼女のような超実戦派の魔術師が……?」
「さぁなぁ……? どこかのお偉いさんの押し込みと聞いたが、それ以上は分からねぇなぁ……? そもそもマウィーフル・パルハウナと云う女は、金や地位には頓着しないって話だから、別の報酬で釣ったんだろうがね」
私はマウィーフルさんの為人を詳しく知りませんので、動機については何とも云えません。
けれど彼女の登場によって、アルトくんの実技試験はまたもや困難を伴うものになることは分かりました。
「いくら能力減衰の指輪を付けるとは云え、あの大魔術師が相手というのは、アルトくんが可哀想では……?」
「ん。だからよ、トルディ。お前さんが審判役をやってくれや。アルト・クレーンプットがマウィーフル・パルハウナに敗れても、一級の実力に足ると判定するなら、合格をくれてやって構わねぇからよ」
それが、私が本日この場に立っている理由です。
目の前では神童と大魔術師の魔術戦が行われています。
ロッサムさんは、「お前にとっても、この試合の見学はいい勉強になるだろう?」とか云っていましたが、審判役はただ見とれているだけでは務まりません。いざというとき、即座に対応する能力も求められます。
引き受けておいてなんですが、気楽に見ていられる立場ではないと思うのですが……。
(アルトくんは、例の『水の塊』を作り出しましたね……)
それはロッサムさんと対戦したときに作り出した自動砲台。
何をどうすればあのような魔術が組み上げられるのか、私には見当も付きません。
他にこの魔術の使い手を見たこともありませんから、あれはアルトくんのオリジナルスペルなのでしょう。
この一事だけでも、彼が隔絶した天才であるとわかります。
少年の頭上に現れた浮遊砲台は、あの時と同じように、間断なく水弾を発射します。
マウィーフルさんは慌てて回避行動に入りました。
彼女程の魔術師でも、未知の術式だったのでしょう。
「面白い魔術を使うのね。でたらめだわぁ、貴方」
そう云いながらも、彼女は完璧に水弾を躱しています。
間合いの取り方。
回避までの動き。
傍目から見ても『確実に避けられる』と分かる体捌きです。
そこに、アルトくんは自身も水弾を放っていきます。
私が心底マウィーフルさんを凄いと思ったのは、この時でした。
彼の水弾は、空中で軌道を変えたのです。
私が喰らってしまった、あの謎の攻撃。
曲がるはずのない魔術。
彼女はそれを、ギリギリとは云え躱してのけたのでした。
「……っ! 何、今のは……っ!?」
驚きながらも、瞬時に複数の氷柱を発射。
それは自動砲台からの攻撃を弾き、アルトくんからの攻撃を防ぎ、なお逆襲する不意打ちじみたカウンターのような一撃。
しかしアルトくんは、これあるを予測していたのでしょう。
ロッサムさんの使うパリングで、いとも容易くマウィーフルさんの攻撃を弾いてしまいました。
その瞬時の遣り取りは、一級という現場を考慮に入れてもなお、次元の違う攻防と云えたでしょう。
少なくともアルトくんの対戦相手がマウィーフルさんでなかったら、おそらく試合は既に終わっていたに違いありません。
ちいさな男の子は、眉をひそめました。
「一級だから難しいのか、俺だけ対戦相手が酷いのか……」
すみません、後者です。
しかしアルトくんが『水の塊』を展開したことで、主導権は完全に彼のものになりました。
マウィーフルさんからの攻撃は悉く迎撃され、一方でアルトくんからの攻撃は、何とか躱しているという有様です。
このまま勝利はアルトくんの掌中に帰するのでしょうか?
そう考えた矢先、マウィーフルさんは不敵に笑いました。
「いやいや。予想以上のバケモノもいたものねぇ。これは戦闘レベルをもう一段、引き上げても文句は云われないでしょう」
「いえ、云いますよ。これは死闘じゃなくて試験なので、最初に競っていた強さでいて下さいよ」
「んっふふ……。だーめ」
彼女の掲げる杖の先に、冷気が収束していきます。
私の持つ知識では、マウィーフル・パルハウナは水系の魔術が苦手だとのことですが、とてもそうは思えない有様です。
「ごめんね、ボク? 王都の試験会場は治療設備も医者も優秀って聞くから、『もしも』があったら、そっちに頼ってね?」
「また流血沙汰なのかよ……」
アルトくんは、心底イヤそうな顔をしていました。
しかし手加減をゆるめると聞いても、臆した様子が微塵もありません。
それだけ自分の力量に自信があるのでしょうか?
それとも、ただ単に肝が据わっているだけなのか。
「諦めてるだけですよ……」
そんな言葉が、ぽつりと聞こえて来ました。
そして、マウィーフルさんは術式を展開しました。
無詠唱魔術の使い手だけあって、構築速度が突出しています。
私の高速言語でも、これを防ぐのは間に合うかどうか……。
「行くわよ……。氷刃……っ」
それは氷で出来た微小の刃。
微小故に大量。
それらが吹雪となってアルトくんに放たれました。
私は思わず叫んでしまいます。
「こ、こんなものを喰らったら、全身がズタズタになりますよ……! やめて下さいっ!」
「そんなヤワじゃないでしょ、彼は」
全方位からの無数の刃。
こんなもの、防ぎようがないではないですか!
肉という肉が削げ落とされ、切り刻まれ、最悪の場合、死んでしまいます!
けれど、アルトくんは――。
「水柱」
彼の周囲に、幾本もの水の柱が巻き上がりました。
それは濁流の様に、螺旋状に高速回転しています。
柱そのものが回転するだけでなく、幾本もの水の柱は、術者であるアルトくんの周囲も回っています。
そこへ、氷の刃が嵐のように殺到しました。
「――え!?」
思わず、私は声をあげます。
攻撃を阻むように展開された水柱に触れた氷の刃は、いとも簡単に破壊されていきました。
砕けた氷は光の粒となって舞台の上で煌めきました。
それはいっそ、幻想的な風景であったのでしょう。
マウィーフルさんは、気怠げに。
けれどニヤリと笑いました。
「成程、成程。良い判断力ねぇ」
判断力。
その言葉で、私は彼のやったことを理解したのです。
氷の刃は、鋭利であっても、脆い。
ならば、そこを突く。
それは水分と衝撃。
水に浸された氷は、より脆くなる。
そこに水圧が加わればどうなるか?
このように、残らず砕けるはずです。
対・氷の刃特化の防御陣を即座に思い付き実行できる能力――つまりは、彼の判断力の妙なのでしょう。
「とっさの判断なのに、ベストな選択ね。氷刃の他に私が何か魔術を使っても、これなら防ぎきれると踏んだのでしょう? 水と氷の魔術しか使わないなら、同じ水で防ぎきれると」
「そこまで自信家じゃァないですよ。だって貴方、俺に攻撃が防がれても驚きもしないもんなァ……」
返事の代わりにマウィーフル・パルハウナはちいさく笑い、杖を高らかに掲げました。
「だって氷刃は、これを練り上げるまでのつなぎだもの。あれでダウンされちゃったら、拍子抜けも良いところだわ」
現れたのは、巨大な影。
それは、巨大な氷塊。
武舞台そのものを叩き潰せるかのような、圧倒的な質量の暴力。
それが、舞台上に浮いていました。
「マウィーフル・パルハウナ! 貴方は対戦相手を殺す気ですかッ!?」
「いいえ、トルディ・クロンメリン! これは彼に対する正当な評価よ! このくらいの魔術でなければ、目の前の子供は倒せない!」
「これは試験です! 殺し合いではありません! ただちに攻撃を中止して下さい……ッ!」
「残念だけど、お断りねぇ。私が戦闘を引き受けた条件のひとつが、満足行く戦いをさせること。能力減衰の指輪も付けるし、使用魔術に縛りを入れるのも構わない。けれど、戦いに手を抜くことだけは決してしないわ」
ああぁ、そうでした。
マウィーフル・パルハウナは、『戦魔術師』として名を馳せた人物です。
ならば。
ええ、ならば。
戦闘行為が嫌いなはずがありません。
リングサイドに佇む老人は、これから惨劇が起きるかもしれないというのに、武舞台をジッと見つめておりました。
まるで人の命に価値などなく、ただひたすらに使えるかどうかだけを見定めてでもいるかのように。
「ごめんねぇ、ボク? 手足がひしゃげて身体が潰れても、生きているなら治療を手伝ってあげるから」
何でもないことのように云って、彼女は躊躇無く氷塊を落下させました。
こんな分厚い氷を破壊する手段など、瞬時に用意できるはずもなく。
「アルトくん……ッ!」
私の叫びも虚しく、巨大な氷は舞台に降り注ぎました。
瞬間、瀑布のような大量の水が武舞台全体を覆い、私たちの視界を遮ったのです。




