第三百六十六話 一級試験(前編)
さて、一級試験だ。
俺の受験の場合、何故か実技で変なギャラリーがいたり対戦相手がおかしかったりで、色々と妙な目に遭うことが多い。
なので今回と次回くらいは真っ当な内容だと良いんだけどね。
「えぇっとですね、アルトくん」
久方ぶりに出会ったトルディさんは、困った風な、申し訳なさそうな表情をしている。
それだけでもう、『今回もダメだ』と気付かされてしまった。
「また何かありますか……」
「はい……。今回は、特にですね。主にアルトくんが、になりますが」
「うん? 俺、ですか……?」
どういうことだろう?
ハンデマッチでもさせられるのかな?
「今回も、アルトくんの試験を観戦する方がいるのです」
観戦する『方』?
『方々』ではなく?
と云うことは、ギャラリーは単数なのか?
首を傾げながら実技会場に移動する。
俺の試験舞台は、例によって端っこの目立たない場所だ。
何でなんだよ、もう……。
そして、息を呑んだ。
(カスペル侯爵――!)
そこにいた男。
それはベイレフェルト家の当主である、怜悧な老人だったのだ。
彼は静かに、こちらを見つめている。
表情はないが、凝視されていることだけは分かった。
(あああ、バカか、俺は……っ!)
ステファヌスが現れた背後に、侯爵の影がチラついていたじゃないか。
それにこの老人は、俺の『利用価値』を見定めようとしていたのだ。
ここに現れたって、少しもおかしくないだろうに。
(いや、落ち着け……。あの爺さんに見られているからといって、取り乱さねばならない理由は無いはずだ。いつも通りで良し。平常心、平常心……)
たぶん、動揺は顔には出ていなかった……と思う。
なるべく、あの男の方は見ないことにしよう。
視線を武舞台に移すと、そこにはローブを着た女が立っている。
彼女が実技試験官なのだろうか?
その割りにはプロテクターも付けていないし、服装も試験会場の職員とは違って見えるが。
「ふぅん……? キミが天才と噂の少年かぁ……。本当にちいさいのねぇ?」
どこか気怠げな雰囲気を持つお姉さんだ。
手には杖を持っているし、いかにも魔術師って感じだが。
傍にいるトルディさんが、ちいさく耳打ちしてくれる。
「アルトくん。彼女があの、マウィーフルさんですよ?」
あの、とか云われてもね。
彼女がどんな人なのか、俺は知らない。
こちらの表情で察したのだろう。
トルディさんは、もの凄く噛み砕いた説明をしてくれる。
「えぇとですね……。強くて有名な魔術師さんです」
「大変分かりやすい説明、恐縮でございます」
「このくらい平明な表現じゃないと、トロネさんには伝わらないことが多いんですよね……」
苦笑しながら、以前、騒動を起こしたエルフの名前を出してくるトルディさん。
あのエルフ、確か今はこの人の家に厄介になってるんだっけか。
そんなことを考えていると、マウィーフルと呼ばれた魔術師はツカツカと俺の傍にやって来て、マジマジと顔を見つめてくる。
「中々可愛い顔をしてるじゃない。あと十年もすれば、女の子にキャーキャー云われる男に育つかもねぇ?」
前世よりも圧倒的美形に生まれたのは事実だが、似ているのがステファヌス氏では素直に喜べない。
「あら? あまり嬉しそうじゃないのね」
マウィーフルは俺の態度に首を傾げたが、向こうからは、ちいさく鼻を鳴らすような気配がした。たぶん、カスペル老には俺の心の動きが読まれたのだろう。
相変わらず、油断の出来ない爺様だ。
「キミのことは色々と聞いているわよ? 水の魔術が得意なんですって?」
別に得意じゃないです。
人にぶつけても比較的安全そうだから、試験では水系魔術を使っているだけです。
まあでも手の内を明かしても良いことがないだろうから、その誤解を逆用して適当に話題でも振らせて貰おうか。
「こちらの得手をそちらは知っているのに、俺は貴方の得意な魔術を知りません。教えて頂けると、試験もより公平性を増すと云うものだと考えます」
「あら、結構しっかりしてるのね? でも、私の得意な魔術は内緒。だってそれは実戦で仕留めるべき相手に使うものだからね。実技試験では貴方と同じ水系の魔術しか使わないから、安心して良いわよ?」
俺は水以外の魔術も、使った方が有利な状況なら使うつもりだが……。
まあ、『水系だけ』と云う言質も取れたし、その辺は助かるね。
複数の魔術を使われると対応が困難になるのは、毎日のようにエイベルに負け続けて思い知っているのでね。
俺が安堵する傍ら、マウィーフルは『能力減衰の指輪』を撫でながら云う。
「ハンデがある方が、絶対に楽しめるものね」
ああ。
全力なら受験生くらい、苦もなくひねれると。
まあ六歳児相手に『負けたらどうしよう』とか考えるよりは、ずっと常識的な思考の範疇だろう。
なお実技試験は仮に負けても、見所のある試合をすれば合格となる場合もあるのだとか。
別に俺は『全試験満点』を目指しているわけでもないので、合格出来るなら負けたって構わない。
「あまり気負った感じがしないわね。自信があるのかしら? 流石は、オール満点でストレート合格して一級に来た神童ね」
「いいえ。今回の試験官さんなら、仮に負けても怪我をしないで済みそうだと安堵しているんですよ」
実戦さながらだった褐色イケメンや、真剣で斬りつけてきたヴィリーくんとか、今までの対戦相手はどこかおかしかったからな。
(あああ、トルディさんは悪くないのに、申し訳なさそうな顔をしているぞ。俺が嫌味を云ったと思われたのかな?)
ちょっと配慮の足りない言葉だったろうか?
しかし目の前の対戦相手は、俺の言葉に薄く笑っただけだった。
「ふふふ……。お互い、怪我が無いと良いわねぇ……?」
おいおい。
今回も流血沙汰とか、冗談じゃないぞ?
マウィーフルは武舞台の中央に歩いて行き、長い杖で舞台をとんと叩いた。
試験を開始するつもりらしい。
「アルトくん、ここを合格すれば、いよいよ初段位です。頑張って下さいね?」
「応援ありがとうございます。行ってきます」
トルディさんに見送られて、舞台へと上がる。
『唯一のギャラリー』は、別にどうでもいいや。
「んっふふふふ……。楽しい試合になると良いわね?」
「楽な試合だと嬉しいです」
「ああ、それは期待しないでね? 私、楽しみたくてここに来たので」
マウィーフルの笑顔が、剣呑なものに見えて来た。
強敵である必要は全くないので、『実は弱かった』とかを期待したいんだけどねぇ。
「それでは実技試験、始めて下さい」
トルディさんが開始を告げる。
さあ、やりますか。
「――っ!」
顔を上げた俺は、いきなりのけぞることとなった。
顔面の傍を、氷柱がスレスレで通過していったのだ。
「あーあ。不意打ちは失敗かぁ……」
マウィーフルは、イタズラが失敗した子供のような声でそんなことを云う。
今の命中してたら、大怪我していた気がするんですがね?
「当たらないでしょ、貴方にはこれくらい。ねえ、神童くん?」
ニヤリと笑う女魔術師。
彼女が使ったのは水の派生魔術の、氷魔術だ。
確かに広い意味では『水系』だが、子供相手に容赦ないなァ……。
「んっふふ……。一級試験に出てくる以上、相応の実力者と判定するわよ? 『子供だから』と云う甘い考えがあるなら、今のうちに捨てることをオススメするわね」
「いやいや。侮ってくれて構いませんよ。手加減も大歓迎です」
「いい性格ねぇ、貴方」
再びの氷柱。数は四。
手足を狙うような事はせず、胸やら顔やら、真っ直ぐに急所を狙ってきている。
「あっははは……。容易く躱すのね、貴方。私の魔術を『不意打ち』と思わないなんて、まずそこがおかしいわ」
「詠唱しないと云うだけで、今のところ戦い方は真っ当ですからね」
そう。
彼女は無詠唱魔術の使い手だ。
高速言語で時間の短縮もしない。
ノーモーションで、いきなり魔術が発動する。
けれどもそれは、エイベルだって同じこと。
毎日毎日、経験していることなのだ。
「ふぅん……? 天才って触れ込みは、本当のことなのかもね?」
氷柱の速射。
しかもフェイントと誘導も兼ねている。
ただやみくもに撃ってくるだけではない。
この人の戦い方は、とても実戦慣れしているように思える。
「体捌きだけで綺麗に躱すのねぇ。しかもこちらの攻撃ポイントまで読み切ってる。並みの相手なら、躱したと思った瞬間に当たる類の攻撃のはずなんだけどね。貴方、本当に子供なの?」
中身は子供じゃないかもしれませんなァ……。
まあ、魔術で防がなかった事には、ちゃんと理由があるんだけどね。
(こいつを練り上げるのには、多少の時間がいるからな……)
手数の多い相手に使う、俺の切り札。
「さあ、出番だ『天球儀』」




