第三十六話 プッシュ
土俵は力士の魂である……。
いや、別に疲れてないよ?
ちょっと相撲を思い出しただけだ。
で、何故に俺が相撲を思い出したのか?
それは、目の前に丸いリングがあるからだ。
魔術のある世界には、魔道具がある。
ならば、魔術を使った競技もあるのも、当然のこと。
その競技の名前が――プッシュだ。
プッシュを知らない異世界人が目の前にいて、この競技の説明を求められたら何と云うか?
俺ならこう云う。
「魔術を使った相撲のようなものですよ」
と。
土俵のような丸いリングにふたりの術者が立ち、風魔術を使ってリングから対戦者を押し出す。
これがプッシュの概要である。
単純だが、見ている方には中々面白いらしく、人気競技のひとつだ。
相撲には投げ技や、すかし技と云う駆け引きがあって、単純な腕力や体重だけで全てが語れないように、プッシュにもコツがある。
風魔術の使い方、押し方によって、多くの駆け引きが可能になる。魔力の多寡だけで決着が付くわけではない。
まあ、基礎魔力量がある方が圧倒的に有利なのは、事実なのだが。
俺は今から、このリングに上がる。
別に競技者としてではない。単なる魔術訓練の一環だ。
対人魔術戦としてのプッシュは、風を使って対象を押し出すだけだから、無制限に攻撃をするよりも安全度が高い。
訓練の初歩としては打って付けだろう。
対戦相手はエイベル大先生。
魅惑の耳を持ち、弟子を常に誘惑する、いけないエルフだ。
先日話をした実戦形式の訓練。これがその第一弾である。
プッシュで使って良いのは風魔術だけ。肉体の使用も不可。
風魔術も刃にして対戦者を傷つけるなどは禁止。
巧妙に砂埃をたてて目つぶしを狙うのも当然禁止だ。
リングの周囲にはクッションが敷き詰めてある。吹き飛んでも安全なようにだ。
低俗な催し物だと、田んぼのような泥水に囲まれた場所で競技させ、どろんこになった敗北者を笑う場合もあるのだとか。
「……遠慮せずにやって良い」
リング内に、我が師がぽつんと立っている。
特に構えている訳でもなく、気負うこともない。いつも通りの師匠の姿だ。
違いと云えば、帽子を被っていないことだけ。風魔術を使うので、吹き飛ぶことを考慮しているのだろう。彼女の帽子は母さんが預かっている。
「アルちゃーん。エイベルー、頑張ってねー!」
「にーたぁ! ふぃー、だっこしてほしい! こっちきて?」
リングの外から声援を送ってくるふたり。
すまない、フィー。今はお前をだっこしてやることが出来ない。
「じゃあ、行くよ、エイベル」
俺は右手をかざす。
プッシュで使う風魔術は、突風で吹き飛ばすというのではなく、圧力で押し込む感じだ。俺としては生のままの魔力を使う状況に近いので、こっちのがやりやすい。
「よいしょォー!」
「……ん」
ダメだ。ビクともしない。
高祖様の風魔壁が頑強すぎて、俺の魔術じゃ何の効果もない。
別に説明も要らないと思うが、風魔壁とは風魔術で作った防御壁のことだ。
マンガとかであるような透明のバリアに近いのが、風魔壁と水魔壁のふたつだろう。
何故風や水かと云うと、防御壁だって『変換』して作り出す必要があるからだ。
生のままの魔力をそのまま防壁する奴は俺以外にいないと思うので、視界を阻害しない魔術壁だと、風か水が主になる。
ちなみに一番強固なのは土魔壁だが、前が見えなくなっちゃうからね……。
「エイベルー……。もうちょっと手加減して欲しいぞー……」
「……防壁を脆く展開したことがないから、難しい」
そりゃそうだな。
堅固である程、防壁は良いんだから、わざわざ弱く使う事なんてなかったのだろう。長い人生を過ごしてきたエイベルですら。
「じゃあエイベルが攻撃してきてよ」
「……ん。極力、手加減する」
エイベルが左手をかざす。今度は俺が防壁展開。
根源魔力で防壁作成したいけど、プッシュは風魔術以外使用不可だから、俺も風で魔壁を作り出す。
――が。
「ぬわーーっ!」
どっかのパパさんみたいな声をあげて、リング外のクッションに突き刺さった。
すっごい圧力だった。
踏ん張るとか頑張るとか、考える暇もない。
気がついたら吹き飛んでいた。
「にーたああああ! にーたあああああああああああああ!」
フィーが泣きながら駆け寄ってくる。
クッションのおかげで怪我は一切無いが、心配を掛けてしまったようだ。
(巨象とアリ以上の差だな、これは)
規格がなにもかも違いすぎる。
腕力を使うまでもなく、吐息だけで吹っ飛ばされた感じだ。
どれだけ手を抜いてくれても、これじゃあ勝負にならないし、練習にもならない。俺がリングとクッションの間を行き来するだけで終わるだろう。
「にーた! にーたああ! だいじょーぶ!? いたくない!?」
「ああ、平気だよ、フィー。心配してくれて、ありがとう」
抱きついてくる妹様の頭を撫でる。
「……アル、大丈夫?」
エイベルも小走りで近寄ってくるが、
「めー! にーたいじめる! ゆるさないッ!」
マイエンジェルが立ちはだかってしまった。
「フィー、これは虐められてるんじゃないんだぞ」
だから、そんな顔をしないでくれ。お前には、『そういう感情』とは、無縁でいて欲しい。
背後から妹様を抱きしめる。
「に、にーた……?」
「俺は大丈夫だから、怒らないでくれ」
剣術の訓練もそのうち始まるが、その時は本当に怪我もするだろう。心配してくれるのは嬉しいが、こういうことに慣れて貰いたいし、区別が付くようになって貰いたい。
「な? フィー」
「う、うぅ……。でも、ふぃー、にーたがきずつくの、や……!」
「これは俺がフィーを守ってやるための訓練なんだ。わかってくれ」
「ぅぅうぅぅうぅ……! にーたあああ、にーたあああああああ!」
フィーは泣きだしてしまったが、なんとなくわかる。
これは俺のために我慢してくれる時のフィーなのだと。
訓練を許容してくれる気になったのだと。
「よしよし、ありがとな、フィー。お兄ちゃん、頑張るよ」
「にーたああああああ! にーたああああああああああ! ふぃー、にーたがひどいめにあうの、みたくないよおおおおおおお!」
愛妹をこれ以上泣かせたくないからなんとかしたいが、実際問題、魔術戦でエイベルに歯が立つとは思えないぞ。
「……アル、ごめんなさい」
そのエイベルにも頭を下げさせてしまった。
俺が弱いと云うだけで、方々を心配させてしまう。もっと強くならねば。
それともこの場合、フィーを泣かせてしまったことを謝っているのか?
どちらにせよ、彼女に非はない。
「いや、エイベルは全く悪くないよ。そもそも最初の対人戦だから危険の少ないプッシュにしよう、って云ってくれたのは、他ならぬエイベルなんだし」
俺の中では、エイベルも傷つけてはいけない相手に設定されている。
妹様同様、守ってあげたいな、とも思う。
実際の実力が及ぶかどうかは別として、心根だけでも、そうありたいと願っている。
俺がエイベルに対して無体な行動に出ることがあるとしたら、それは耳を狙う時だけだろう。
理性が吹っ飛んだ場合は、残念ながら、どうしようもない。
だが、それ以外の時は力になってあげたいし、フォロー出来る時はフォローすべきだ。
「エイベルが魔術の扱いが上手だと云っても、圧倒的格下相手に手加減して使うことなんてそうそうなかっただろうから、気にすることはないよ。……自分で云うのもアレだが、俺がエイベルの想定よりも弱かったってことでしょ、ようは」
手加減されたのに吹き飛ばされたんだから、そう結論せざるを得ない。
そして悲しいことにそれは図星だったらしく、無表情のまま目を伏せるお師匠。
「あー……。まあ、その、なんだ。俺が魔術の練習を頑張るように、エイベルも俺を使って手加減を練習すればいいんだよ。持ちつ持たれつと云うか、ウィンウィンな関係と云うか」
……エイベルが手加減を覚えても、俺以外に使う機会なんかないだろうから、得をするのは俺だけだ。
つまりこの論法は破綻している気がする。
が、それには気付かないフリをすることにした。
「……アルの云う通り。私が手加減を覚えれば良い話。……努力する」
無表情のまま、まるでガッツポーズのように両手を胸の前で握るエルフ様。やる気が見て取れるくらい、真剣に考えてくれているようだ。
そしてその直後から、エイベルはすぐに手加減のコツを掴んだようだった。魔力量に関しては。
「ぬわーーっ!」
まあ、上手に手加減されたところで、俺が吹っ飛ばされるのには、変わりはないんだけどね。
だって魔力量を抑えてくれても、魔術そのものの使い方に歴然とした差があるのだから。
風魔術の使用箇所も、使用速度も、とても俺がどうにか出来るレベルじゃなかった。
なんと云うか、モグラ叩きをやっていて、全部の穴からいっぺんにモグラが出てくる感じ。
対応のしようがない。
エイベルとしては順番に出しているつもりなのだろうが、俺の反応速度の埒外だ。
結果、為す術なく吹き飛ばされる。
その度に妹様は泣き、エイベルは申し訳なさそうにしていた。
うん。
さっさと強くならないと、ふたりが可哀想だ。
一層の努力を誓う俺であった。




