第三百六十二話 たまごを食べよう!(後編)
『A計画』――。
それは俺がエイベルの耳を触る為に企図した、遠大な計画である。
うちの先生様は甘いものが大好き!
好物の甘味を口にすると無表情のまま、魅惑の耳がピクピクと動くのだ。
そして今日。
俺の目の前には、鶏卵がある。
鶏肉と一緒に買ってきて貰ったミルクもある。
そして甘いものが大好きな女性陣の強い希望で、お砂糖もある。
ここまで揃えば、俺が何を作るつもりなのか、誰もが分かることだろう。
そう。
それはちいさなお子様から妙齢の女性までもを虜にするお菓子の王様、プリンである。
(俺の弟子としてのカンが告げている……! プリンは絶対にエイベルの好みに合うと!)
昼間の試食会のメンバーも、よもや俺が『A計画』の為に鶏卵を保存したとは思うまい……。
お腹いっぱい親子丼を食べ、フィーと母さんがお昼寝している間に、俺はプリンを作成した。
本当は家族全員の分を用意すべきなのだろうが、それでは卵が足りないのだ。
耳の為にエイベルの分しか作れなかった、欲望まみれの俺を許しておくれ……。
と、云う訳で時間は夜。
クレーンプット母子が眠りに入り、マイティーチャーとのお話タイムに、俺は用意したお菓子の王様を持って屋根裏部屋へと足を踏み入れた。
「エイベル、今、時間は大丈夫?」
「……ん。アルなら構わない。……きて?」
読みかけの書類を置き、ちいさなおててで、ちょいちょいと手招きしてくれる。
カップに入れたプリンにフタと布を被せたまま、師の傍へと歩み寄る。
エイベルは一瞬だけそれを見たけれど、中身が何か分からない為だろう。
すぐに視線を俺に戻した。
「……私も、アルに話があった」
「うん? エイベルが話?」
一体、何だろうね?
プリンは後まわしにして、先に話を伺いましょうかね。
恩師すぐ傍に腰を下ろす。
「…………もう少し、こっち……」
エイベルに袖を引っ張られてしまった。
近くに座っていたはずなのになァ……。
改めて座り直し、密着するくらいに肩を寄せ合う。
すると、エイベルは無表情のまま、満足そうに頷いた。
「で、エイベル。話って何かな?」
「……ん。複数ある」
そう云って取り出したのは、二通の手紙だ。
「それは……?」
「……ん。これは、アルに」
「俺に?」
よもや、手紙をエイベル経由で貰うとは思わなかった。
ヒツジちゃんのママンからのそれのように、離れに届いたものをミアが持ってきてくれるのが通例なのだが。
「え……!? これって……!」
思わず差出人の名前を二度見してしまったぞ。
確かにこれなら、エイベル経由にならざるを得ないだろう。
それは、別々の場所から来た手紙。
ひとつは北の果て。
大氷原にある氷雪の園の総族長の孫娘、エニネーヴェからのものだった。
今ひとつは海の向こう。
南大陸側に隠された伝説の島、キシュクードの主である聖霊、マイムちゃんからのものだ。
内容はどちらも同じで、『今度是非遊びに来て下さい』とのことだった。
(もう、それなりに時間が経ったんだもんなァ……)
今は神聖歴1206年の三月。
聖湖の近くで水色ちゃんと会ったのが、1205年の五月で、十ヶ月前。
氷雪の園でエニと出会ったのは、1204年の十月だから、一年半近く前になる。
「……ふたりとも、アルに会いたがっていた」
「それは光栄だねぇ。俺も久々に、エニやマイムちゃんの顔を見たいね」
「……アルにその気があるなら、今年中に顔を出しに連れて行く。今回は危険な旅ではないから、リュシカも連れて行ってあげられる」
キシュクード島へは母さんも同行したけれど、大氷原の時はお留守番だったからな。
尤もあれは、危険うんぬんを抜きにして、エアバイクの定員オーバーという問題もあったのだが。
(と云うか、フェフィアット山自体は、いつでも危険な場所だと思うんだけどねぇ……)
その辺の基準は、俺とエイベルで違うだろうから口を挟む気はないが。
改めて、手渡された手紙を見る。
(手紙にも、両者の個性が出ているなァ……)
そう思った。
エニの手紙は折り目正しく、文字も綺麗だ。
けれど、とても女の子らしい字だ。
あの娘の性格が良く出ていると思う。
一方、水色ちゃんの方は、『頑張って書きました』と云う心情が伝わってくるかのようだ。
人間世界の言葉――大陸公用語で拙く書かれた手紙と同じ内容のものを、古代精霊語で『念のため』にと同封してあるのも彼女らしい。
ちゃんとこちらの言葉の勉強をしてるんだな。
水色ちゃんは偉いなァ。
「エイベルは話が複数あるって云ったから、当然、この手紙以外の用件もあるんだよね?」
「……ん。私からは、みっつ」
結構ありますな。
「……まず、ひとつ目。この間の奇病事件で協力してくれたことを、リュティエルが感謝していた。そのうち改めてお礼をするとも」
エイベルの妹か。
彼女自体は俺の能力を知らないと思うが、治療に協力したことは告げてあるのか。
一体、どう説明したのやら。
「……それで取り急ぎのお礼として、アルを正式に『名誉エルフ族』とすることが公認された」
「え……ッ!?」
何でそんな流れに……!?
俺、別にそんな立場を望んだ憶えがないのだが……。
「……ふたつ目。以前のキノコ狩りで話題に出した『万秋の森』への立ち入り許可が取れた。日にちは決まっていないけれども、今度はそこでキノコ狩りが出来るはず」
うあー……。
きのぱの時の話題か。
エイベル、ちゃんと話を進めていてくれたんだなァ……。
(て云うか、『万秋の森』って、確か聖域なんだろう? また凄いところへ行く事になったもんだねぇ……)
正直、半分忘れてたぞ。
ごめんよ、エイベル……。
「……そして、みっつ目」
無表情のまま、俺の頬をつねってくるマイティーチャー。
力が入っていないので、全く痛くはないが。
「……私は。セロの時に無茶をしたアルに、罰を与えると云ったはず」
「あぁ~……。云われたね、そう云えば」
でも、あれは七月で、今はもう三月だよ?
おそるべきエルフ族の時間の感覚。
(え~と、確かエイベルは、俺をどこぞに連れて行くと云っていたんだっけか)
お仕置き部屋とかですかね……?
痛いのはいやよ?
俺のほっぺから手を離したエイベルは、そのまま弟子の掌をギュッと握った。
「……これは、アルのお仕置き」
「うん」
「……他の者は関係ない」
「まあ、そうだねぇ」
「……だから、他の誰も連れて行かない。リュシカも、フィーも」
ふたりっきりってことですか。
母さんは兎も角、フィーに留守番していてくれと云うのは、無理ではなかろうか?
しかしエイベルは、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「……あそこは、他の誰をも連れて行くことの出来ない場所」
――ああ、そうか。
エイベルの云う『場所』がどこなのかは分からないけれど、きっとそこは、とても大切な所なのだろうな。
無機質に見える緑色の瞳は、とても真剣に見えた。
これでは、断る事なんて出来やしない。
「わかったよ」
「……ん。よかった」
首肯する俺に、エイベルはちいさく頷き返した。
仕方がない。色々と覚悟を決めるとしましょうかね。
――これで恩師からの用件が終わったので、次は俺が、例の計画を発動することとなる。
エイベルの目の前に、布を被せたカップを差し出した。
「……これは?」
小首を傾げるマイティーチャー。
試食会の最中に戻って来たので、この方も親子丼は食されている。
しかし俺がプリンの為に巧妙に隠しておいた鶏卵の使い途は知らなかったようだ。
「卵を使ったお菓子だよ。エイベルに食べて貰おうと思って作ったんだ」
「……フィーではなく、私の為に?」
「え? う、うん。まあね……」
正確には、『耳の為』なんだが。
布を取りフタを外し、カップの中に黄色く輝く『ぷるぷるぷるん』が現れる。
「……可愛いお菓子」
「ぷるぷるしてるんでね。プリンと名付けた」
もちろん、命名理由は口から出任せですが。
プリンには、ちゃんとカラメルソースも掛かっている。
人によっては、「あれは要らん」と云うけれど、黄色一色だと味気ないしね。
……って、この感想は親子丼でも云ったけれども。
「……食べても良い?」
「もちろん。世界で最初に食べるのは、エイベルだよ」
「……世界初……。アルが、私に作ってくれたもの……」
そんな嬉しそうにされると、ちょっと心が痛む。
まあ、エイベルに食べて貰いたいという気持ちに嘘はないんだけどさ。
ちいさなエルフ様は匙を取り、プリンをすくい上げる。
「……柔らかい」
プリンの魅力は味だけでなく、食感にもあるからね。
マイティーチャーは、スプーンを口に運ぶ。
そして、目を見開いた。
「…………! …………っ! ~~~~っ!」
うん。
エイベルの方も、ぷるぷると震えているな。
「……アル」
「はい」
「……これは我らエルフ族の秘法にすべきものだと思う」
すいません。
俺はエルフ族じゃないんですよ。
結局、エイベルは瞬く間にプリンを平らげてしまった。
表情はいつも通りだが、魅惑の耳がピコピコ動いているから、たぶん気に入ってくれたのだろう。
(くくく……っ! この調子で、プリンの虜になるがいい……! プリンなしじゃいられない身体になったあかつきには、それをネタに耳を触り倒してくれるわ!)
ほくそ笑んでいると、無表情なのにキラキラした瞳の先生様が、服の袖を引っ張ってきた。
「……アル。プリンの作り方を教えて欲しい。私もチャレンジしてみたい」
「えっ」
まさかエイベルが進んでレシピを欲しがるとは……!
自作されちゃったら、餌付け出来ないじゃん!
「…………!」
あああ、なんて爛々とした瞳。
これじゃあ、断れるわけがない……ってセリフも、本日二度目だねぇ。
こうして俺の『A計画』の第一弾は、開幕早々、頓挫したのであった。無念。




