第三百五十九話 泥がくる(終)
「ふへへ……! にーた! ふぃーたち、てるてる坊主みたい!」
白衣――というより、白布にくるまれた俺たちの姿。
これは、これから村々を回る為の装備なのだ。
奇病治療の為の道程の。
マイエンジェルは、我らクレーンプット兄妹の姿をてるてる坊主と評したが、俺の感想はちょっと違う。
マスクの代わりに布きれで口元を覆うその様は、まるでギャングの三下のようだと思う。
フィーの姿はそれでも愛らしいが、俺の方は胡散臭いだけだな……。
白衣を着て、はしゃいで――そしてすぐに眠ってしまった妹様を背中に括り付け、治療へと向かう。
「あんたたちみたいな子供が白衣を着ていると、仮装か何かにしか見えないわね……」
などとアレッタは云うが、当のご本人様だって、エルフ故に『少女の姿』をしているので、白衣姿はいいとこ『看護師見習い』くらいにしか見えないんだがな。
一方、エイベルはいつも通りの『魔女スタイル』だ。
うちの先生の白衣姿も、ちょっと見てみたくはあったんだが。
「……なに?」
俺の視線を受けて、ちいさく首を傾げるアーチエルフ様。
ストレートに白衣姿が見たいと云うと照れて拒絶されそうなので、直球ではなく変化球を投げてみる。
「シーベルは白衣を着ないんだね」
「……ただの白衣では、防御力が落ちる。あんなことがあったのだから、進んで弱体化をする意味がない」
実に散文的な返答だ。
まあ真っ当な理由だし、食い下がる必要は無いだろう。ちょっと残念ではあるけれども。
そうして、治療行脚を開始する。
驚いたのは、アレッタの人気だ。
村人は皆、彼女が薬を持ってきたというと大歓迎で受け入れた。
訝しむ者はひとりもいない。
治療薬を作り出したのは確かにエイベルなのだけれども、アレッタはアレッタで村民の為に奔走していたから、こうして信頼を勝ち得たのだろう。
教会の先生の薬を既に飲んだという人も、改めてエルフ謹製の治療薬を飲んでいる。
気を遣ってくれたのか、より信頼されているのか。
後者だと良いのだけれども。
比較的症状の軽い者。内臓の損傷が軽微な者は、たちどころに元気を取り戻した。
薬には栄養剤も混ざっているから、その効果もあるのだろう。
もちろん、中には『寄生種を駆除したが、既に手遅れ』という人もいたけれども。
話せるまでに回復した者の中には、ラトと云う少女の父親もいる。
エイベルやアレッタの見立てでは、内臓がかなり弱っているので、今後も生存出来るかは半々とのことだ。何とか助かってくれると良いのだけれども。
そのラトパパからは、ディットの話が聞けた。
アレッタは、彼が犯人だとは云わなかった。
「証拠がないもの。それでは混乱をもたらすだけよ」
俺にはそう説明したけれど、ラトやその父親に気を遣ったのではないかと思う。
どうもこのエルフの医術者は、エイベルとは別方向で不器用な性格であるらしい。
ラトパパの話によるディットの半生は、こうである。
彼は幼い頃から頭の良い人物だったようだ。
識字率のおしなべて低い田舎の村で、ほぼ独学で読み書きを憶えてしまったのだという。
行商人や村長からの聞きかじりで文字が書けるようになったのだから、確かに優秀だったのだろう。
彼は学問で身を立てたいと思い、街の学校へ通いたいと願った。
しかし、田舎の村の貧農に生まれた身だ。金がない。
彼とその母親は方々に頭を下げて歩き、何とか資金を用意した。
ディットは喜び勇んで勉学の途についた。
――が、上手くは行かなかった。
ただ学ぶだけならまだしも、学問で身を立てるなら地頭の他に知識もいる。
つまり、入学前からどれだけ知識を蓄えていたか。
そして入学後も、どれだけ学ぶ機会を得られるかだ。
この点が重要だということに関しては、俺もよく分かる。
アルト・クレーンプットと云う人間が天才と誤解されるのは、前世の知識と経験があるからだろう。
決して地頭がよいわけではない。
それなのに『知っていることがある』と云うだけで、俺の生活の豊かさは段違いとなっている。
知識の差というものは、果てしなく大きく広いのだ。
ディットは俺とは逆に、この点に全く恵まれなかった。
だから学校では、あまり成果を出せなかったのだ。
もとからの知識量に乏しく、そして新たなことを学ぼうにも金がない。
書物を買うのも誰かに師事するにも、兎に角、金が必要だった。
インターネットがあればどんどん調べ物が出来る現代日本とは、そこが決定的に違う。
入学の為の金の工面すら苦労したディットには、ろくな知識を仕入れるチャンスがなかったのだ。
そして、彼はドロップアウトした。
虚しく田舎に戻ったディットに待っていたのは、村人からの罵声と嘲笑だった。
「何が天才だ! 井の中の蛙じゃないか!」
「こんなバカタレに金を貸したなんて知られたら、俺が笑いものになってしまうわ!」
「貧農の小せがれが学問で身を立てるなんて、大層な夢を見るんじゃねぇ!」
みっつの村は近所同士と云うこともあり、人の交流や嫁の遣り取りも多い。
つまり、彼の話は、三村全てに、瞬く間に広まってしまった。
我が子の為に頭を下げて金を工面していた母親は、罵声と嘲弄の中で借金を返そうと無理を重ね、そして倒れてしまったのだと。
「俺は村の連中の全てが憎い……」
母親がなくなった日、ラトの父親は、友人のそんな呟きを偶然に聞いたのだという。
そして奇病が流行り出す直前あたりから、彼は実に生き生きとし出したのだとも。
完全な推測だが、それは単純な復讐の喜びだけではなかったのではないか?
寄生種と云う『研究材料』。
それを学べる喜びもあったのではないかと、俺には思えてならない。
「ディットは優秀な男です。他の皆が何を云おうと、俺はそれを信じています。彼はきっと、この先、村の為になくてはならない人物になるでしょう。そうすれば、もう誰も彼をバカにはしないはずだ」
真っ直ぐな瞳でそう云いきるラトパパの言葉が、とても悲しいものに感じられた。
「ふん。だから人間は嫌いよ……」
ラトの家を辞し外に出たアレッタは、強がるような表情で、そう呟いた。
「すぐに他人をあげつらい、多数で少数を攻撃する。だから精神性が幼いって云われるのよ」
それは本当に、単なる人間への批判だけなのだろうか?
行き場のないむなしさを、悪口に変えているだけではないのだろうか。
そんなアレッタに、エイベルは云った。
「……排他性や攻撃性は人間族だけのものではない。私たちエルフにもある。そこは気を付けねばならない」
「わかってるわよ、そんなこと……」
そう呟いたアレッタの顔は、とても悲しそうに見えた。
※※※
かくして、みっつの村を襲った奇病事件は実行犯の死と、真犯人不明のままで幕を閉じた。
誰も得をせず、スッキリもしない終わり方だった。
後日、至聖神を祀る教会は、所属の神官・トヴィアスが奇病の治療薬を作り、村々を救ったと発表した。
彼が村へやって来てから奇病が根絶されたので、多くの人がその話を信じ、教会の信望はより大きくなった。
しかしごく一部では、エルフの医術者こそが病を根絶したのだとの噂が流れた。
また、リューリング村の近くの山の一部が変形し、荒野となった中腹の一部に、白い神の像が忽然と姿を現していたこと。
その神が『泥の津波』から村を救った存在であることから、病を退治したのは教会でもエルフでもなく、あの白き神なのだと云う信仰が、みっつの村の一部で根付いたと云われている。
※※※
――後日談。
エルフの医術者・アレッタは、喜びに頬をひくつかせていた。
今日は、あのシーベルから紹介された『太古のポーション』の作成方法を知る人物がやってくる日だ。
奇病の治療では、無表情のエルフに後れを取ったが、きちんと学ぶことが出来さえすれば、すぐに自分が上に立てるはずだ。
「太古のポーションは、高祖様の技術! それをついに、あたしが……!」
思わず笑みが浮かびそうになる表情を引き締める。
「教わる立場ではあるけれど、卑屈になんてならないわよ……! だって知識量が同等なら、誰と比べたって、あたしの方が優れた結果を出せるに決まっているもの! 見てなさいシーベル! あたしは高祖様のような偉大な医術者になってみせるわ! 百年後には、エルフ族で知らぬ者はいないくらいになっているんだから!」
意気込んでいると、ノックが聞こえた。どうやら教師役が来たらしい。
ドヤ顔全開で扉を開けたアレッタは、その表情のまま、そこで固まった。
「……は?」
と云う声だけが、しばらくしてから口から漏れた。
目の前にいる同族の男。
それはハイエルフの長老であることを示す紋章の入ったローブを着ていたのだ。
つまり目の前にいる人物はハイエルフで、しかも長老職にある人物だと云うことになる。
ノーマルのエルフにとって、ハイエルフは雲の上の存在だ。
しかもただのハイエルフではなく、ハイエルフたちを束ねる長老となれば、人間基準で考えれば、町医者の家に王様が単独で訪ねてきた以上の衝撃なのである。
「え? あ? へ? は、ハイエルフの、長老、様……!?」
「左様」
男の声は短かったが、威厳に溢れていた。
それはその立場であることが当たり前であることを示している。
「ひ、ひえええええ~~~~っ!」
アレッタは慌てて平伏しようとして、男に止められた。
「あ、ああああああ、あの、は、ハイエルフの長老様が、どうしてこのような所に……!?」
「……む? 私は大恩ある高祖様より命じられて、アレッタなる駆け出しの医術者に、技術を伝えに参ったのだが?」
「は? はァ……ッ!? 高祖様!? 偉大なる我らの恩人たる尊き御方が、何故、あたしのような若輩者の存在を知っていらっしゃるのですか……!?」
アレッタの反応を見たハイエルフの長老は、不思議そうに首を傾げた。
「その方は、羨ましくも数日の間、我らの祖である始まりの御方と行動を共にしていたと聞いたのだが?」
「へ……!?」
自分が高祖様と行動を共に!?
そんな夢のようなことなんてない。
一緒にいたのは、シーベルとか云う、無表情でろくすっぽコミュニケーションの取れない変なエルフだけで――。
「ま、まさ、か……!」
アレッタの顔から、血の気が引いていく。
彼女と会った最後の夜。
眠ってばかりだった高位精霊の幼体は、彼女をなんて呼んだか?
「エイベル」
そう云ったのではなかったか!?
あの無愛想なエルフの持つ薬の技術と知識。
本来ならばどうやっても倒せるはずのない悪魔の泥を相手に、一方的に優位を確保した超絶の魔力。
いや、そもそも高位精霊の幼体を連れて来られるコネクションなど、普通のエルフが保持するものだろうか?
ならば――答えはひとつだ。
「う、うそ……! そんな、シーベル、が……」
「うん? シーベル? そのような名前のエルフもいたのか? まあよい。まずは名乗っておこうか。私はソリューの森の統括をしている者で、ロキュスと云う。その方と高祖様の約定により、前述の通り、薬の技術を伝えに参った」
「ロ、ろろろ……! ロキュス様……ッ!? 医聖と呼ばれる、あのロキュス様……ッ!?」
「無礼者がッ!」
「ひッ!」
「医術の聖と呼ばれるべき御方は、高祖様をおいて他にない! 次にそのようななめた口をきけば、この世に生まれたことを百万回後悔することになるぞ!」
「~~~~っ!」
アレッタは文字通り、泡を吹いて倒れた。
「お、おい……ッ!? どうしたのだ……!?」
目の前のハイエルフ。
そして自分が数日の間、同行していた者の正体に思い至ったとき、彼女の精神の許容量は、完全に飽和してしまった。
ハイエルフの長老の最初の仕事は、弟子候補の介抱となったのである。




