第三十五話 覚えるべきもの
(気まずそうな顔をしてるなァ……)
こちらを見るフスの瞳は複雑だ。
彼にも一応、プライドらしきものがある。
下人であっても天下の侯爵家に仕えているのだぞ、と云う誇りが。
失敗の多い水曜日担当者は、どちらかと云えば軽蔑の視線を向けられることが多い。
そんな彼にとって、無条件で『上に立てる』と思っている対象が、この離れに住む妾とその子供だ。
囲われ者と私生児の親子と云うものは、この世界でも存在それ自体が低く見られる。
ようはフスに、俺たち親子は見下されている訳だ。
自分が『下』だと思っている相手に失態を見られると云うのは、面白くないに違いない。
俺を見るフスの視線には、羞恥と怒気があった。
「おい、フス、話の最中に何を見てんだ……? ああ、坊主たちか」
ヘンクもこちらに気がつき、振り返る。
彼は勝手に厨房に入らない限り、怒ることはない。
マイエンジェルが厨房担当者の持つザルに気がついた。
「にーた、きのこ! ふぃー、きのこすき! おいしいッ! なでて!」
「フィーは何でも食べるもんなー。偉いねー? よしよし」
「きゃーっ! にーた、ふぃーなでられるのすきッ! ほめられるのすきッ! にーたがすきッ!」
我が妹様は俺と違って好き嫌いがない。素晴らしいことだと思う。
俺は酸っぱいのがダメ。お酢とかは大好きでタコとキュウリの酢の物はよく作っていたが、レモンとか梅干しは苦手だ。
別段、転生しても味覚の好悪に変化はないらしい。
「梅干し苦手とか、なんなん? お前は日本人じゃねえ!」
などと、元の世界で友人に云われたことがあるが、そいつはワサビがダメだったので、今思い出しても釈然としない。
「あー……。フィー、あのキノコは危険みたいだから、多分、食べられないぞ」
「ふぃー、きのこすきなのに、たべられないの?」
「食べられないね」
「ざんねんなの……。にーた、なでて?」
妹様の要求に従い、慰めているとヘンクがザルに手を伸ばした。
「いいや、食えなくはねェ。毒キノコはこいつとこいつとこいつだけだな。全部が全部、毒キノコじゃねェよ」
ヘンクはザルの中身を手早くより分ける。彼はキノコの目利きが出来るようだ。
この世界だとキノコ類は、美味しいけどリスクのあるもの、と認識されているようである。
元の世界のフグに対する認識に近い。フグ程には警戒もされてないし、キノコの調理免許なんてものは無いけれども。
「お嬢、キノコは食えるから、安心しろ」
「――! にーた! ふぃー、きのこたべられるの! しあわせ! なでて!」
フィーも嬉しそうだし、ヘンクも誇らしげだ。このオッサンも、妹様には甘いからな……。
そして結局どう転んでも、マイシスターを撫でることになる俺。いいえ、不満はありませんとも。
「へっ! 結局、食えるんじゃねェか……。なのに俺に文句を云いやがって……」
そんな様子を見てフスがうそぶく。
自分が毒キノコを持ち込んだのに、そんな態度を取る。気に入らない。
ようは俺たち親子をどうでも良いと思っていると云うことだからな。
フィーや母さんに害を及ぼす類の人間は、基本的に俺の敵だ。
「にーた! ふぃーがにーたにきのこ、たべさせてあげる! にーたすき! だいすきッ!」
どうやら妹様は大好物を俺に分け与えてくれるらしい……。良い娘だ……。
「キノコ、食えるなら問題ないだろ、俺は行くぜ」
「待てやフス。この毒キノコはお前が持って帰れ」
「……チッ」
フスはヘンクから引ったくるようにザルを受け取ると、不愉快そうに舌打ちをして立ち去った。
「……ん。毒物の反応、消失」
エイベルが淡々と告げる。
やはりあのキノコが原因だったようだ。
「騒がしちまって、悪かったな。かわりと云っちゃなんだが、晩飯は期待していてくれ」
ヘンクは自分の怒鳴り声が俺たちを引き寄せたと思っているようだった。
まあ、エイベルの探知魔術は秘密にしているから、これは仕方がない。
「ああ。夜ご飯、楽しみにしているよ」
俺はそう返事をして、その場を立ち去った。
※※※
「にーた! あーんして?」
「あーん」
晩飯時。
先程の予告通り、フィーが手ずからご飯を俺に食べさせてくれる。
「ふへへへ……。にーた、おいし?」
「ああ、美味いよ。フィーのおかげだな、ありがとう」
「やったああああ! にーたに、ほめられたあああ! にーた、にーた、もっとたべて?」
ご飯が美味しいのはヘンクの手柄だって?
違うね。マイエンジェルに食べさせて貰っているからだ。
「ほら、フィーも、あーん」
「あーん。ぱくっ」
今度は俺が食べさせてあげる。フィーは咀嚼する姿すら愛おしい。
「えへへへへへ……。にーたに……にーたに、たべさせてもらったあああああ!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまった。
あ、ちなみにこの遣り取り、毎日やってます。
マイエンジェルは可愛いからね、仕方ないね。
「良いなぁ……。お母さんもアルちゃんやフィーちゃんに食べさせてあげたいわ……。と云うか、ご飯を作ってあげたいわ……」
そう云えば、母さんは料理好きだったな。
ここではヘンクが厨房を譲らないし、セロに帰った時もドロテアさんがキッチンを独り占めにしていた。あの祖母も料理大好きだったからなァ……。
クレーンプット家の女性に抱擁癖が遺伝しているように、料理好きの魂も遺伝していたりするのだろうか?
(だとすると、フィーにも……?)
こう云うと妹様が怒るかもしれないが、フィーが料理をする姿があまり想像できない。
覚えて欲しいと頼めば多分、全力で頑張ってくれると思うが、強制はしたくない。
何を学ぶにせよ、自由意志でやって欲しい。
そんな風にマイシスターといちゃついていると、エルフの少女と目が合った。
「エイベルって料理できるの?」
「……出来なくはない。けれど、私はマニュアル通りに作るから、突出した出来や独創性を期待されても困る」
長くひとりで生き続けて来た人なんだから、そりゃ、出来るか。
でも口ぶりからすると、料理にはあまり興味がないのだろう。やってみると結構楽しいんだけどな、料理。
まあ、前世最後の数年は、何かを作るという気力すら無かったが。そんな暇があるなら、一秒でも多く寝る時間を確保しようとしていたな。……確保できなかったけれども。
「アルちゃんは料理に興味があるの?」
母さんが目をキラキラさせながら訊いてくる。
あると云うか、結構好きです。お菓子も作れます。
だがこの世界では一度も調理をしたことがないから、適当に頷いておくしかない。
「いつか覚えたいな、って思ってるよ」
「にーたがやるなら、ふぃーもおぼえる! にーたすき! ずっといっしょ! なでて!」
マイエンジェルが喜び勇んで手を挙げた。
強制はしていないが、誘導したようになっちゃったな、これは。
「じゃあ、今度セロの街に帰ったら、お母さんとおばあちゃんのふたりで教えてあげるわ。おばあちゃんも、きっと喜ぶわ」
その提案は渡りに船だ。いきなり料理が作れてしまうと不審がられるだろうからな。
それに、『A計画』の為にも料理や菓子作りが出来ると認識されねばならない。
くっくくく……。
エイベルよ。その耳、必ず貰い受ける。
「…………?」
無表情のエルフが小首を傾げた。
彼女は知らない。
俺がお菓子作りを覚えた時が最後だと云うことを。
「……アル」
「ん? な、何?」
俺は企みを見抜かれないよう、努めて平静を装う。気を抜くと黒い笑みを浮かべてしまうからな。
「……アルの魔術の訓練について」
「うん」
「……七級からは実戦を想定した試験内容になると聞いている。だから、これからは対戦形式の教え方も増やした方が良いと思う」
「道理だね。なるたけ、怪我はしたくないけれども」
「……その怪我を減らすために、覚えるべきものだと思う」
俺が強くなると云う事は、フィーを守ってやれるようになると云うことだ。
なら、躊躇うべき理由はない。
「うん。じゃあ、よろしく頼むよ。で、お相手はエイベルなの?」
「……私が主になるけれども、色々な戦闘スタイルとの対戦経験が増えねば意味がない。商会か里の方に頼むかもしれない」
どっちにせよ、俺の練習相手はエルフになるようだ。
「にーた、なにかやるの?」
「んー? フィーを守ってあげるんだよー……。その練習かなー……」
「にーたまもるの、ふぃー! ふぃーがまもるの! にーたはふぃーをだっこして?」
妹様は俺を守ってくれる気、満々らしい。
しっかり強くならないと、ホントにそうなりかねない。
料理もお菓子も練習もと、覚えるべきものは増えて行く。
(俺自身の為だしな。頑張ろう……)
改めて、そう思った夜だった。




