第三百五十四話 泥がくる(その十九)
「え……ッ!? エルフのお医者様……ッ!? どうしてここに……!?」
アレッタの登場に、ディットと呼ばれた男は明らかに動揺した。
それはそうだろう。
エルフの魔力量は人間の比ではない。
もしも戦闘になるなら、厄介極まりないはずだから。
「…………」
男はチラリと俺を見た。
捕まえて人質にでもするつもりなのかな?
念のため、ごく自然な動作でアレッタの傍まで移動しておく。
これなら、おいそれとは手が出せまい。
そんな動きなど知らないであろうアレッタが、男に首を傾げている。
「あたしは奇病の調査をすると云ったでしょう? ここの発見も、その活動のひとつよ。で、あんたはここで何をしているの?」
「いえ、私は単なる見廻りで――」
「ひとりで? 夜の山を?」
「ええ。ちょっと仲間とはぐれてしまいまして……」
「ふぅん……? 見廻りは何人で? はぐれた仲間の名前は?」
「アレッタ様、どうしてそんな細かいことを訊くんですか?」
ディットが引きつりながら問うと、アレッタは不思議そうに眉を寄せた。
「だって、貴方たちの村は、今大変な状態じゃない。夜の見回りにどのくらいの人数を割いて、誰が外に出ているのかを私も把握しておかないと、急に怪我をした、薬をくれと云われても困ってしまうわ?」
「う……」
アレッタの言葉はごく普通の疑問であり、医者として当然の用心だったのであろう。
なのに男は、言葉につまった。
そこで彼女は、はじめて訝しく思ったようである。
「……もう一度訊くわよ? 何人で見廻りをしているの? 貴方と組んでいたのは、誰?」
「…………」
ディットは俯いていた。
そこには先程までの動揺はない。
まるで『覚悟』を決めたかのような目の据わりかただった。
瞬間、閃光が瞬いた。
氷原の戦いでリュネループの女魔術師が似たような技を使ったが、光量はアレに数段劣る。
詠唱した様子もないから、おそらくは魔道具か薬品を用いた化学反応の一種だろうと思われる。
光が瞬いた瞬間に、俺は前面に魔壁を展開している。
眩んだ隙を突いての攻撃に備えたのだ。
けれど、魔壁に衝撃はなかった。
不意打ちを仕掛けてこなかったということなのだろう。
ならば、ディットの選択肢はひとつだ。
(逃げるつもりか――!)
賢く、当然の行動ではあるのだろう。
魔術に長けるエルフと正面から戦うのは愚策だろうから。
それに俺の言葉を信じていれば、『冒険者の父』がやって来てしまうことも考慮するだろうしな。
(しかし、夜の闇に紛れられると困るぞ……!)
フィーかエイベルでもない限り、発見が困難になってしまう。
その間に、やけくそ気味に行動されたら、被害が広がってしまうかもしれない。
どうする……?
どうやって捕捉する?
俺がそう考えるよりも早く、あの男の困惑したような声が響いた。
「な、何だ、これは……!?」
前方で、もがくような気配。
視力が戻ると、そこには魔術の網に絡め取られたディットの姿があった。
そしてその傍には、大事な大事なお師匠様の姿が。
(そうか……! エイベルが捕まえてくれたのか……!)
姿が見えないと思ったら、いつの間にか外に出ていたようだ。
「な、何なのよ、これは……!? あんたが取り押さえたの!?」
「…………」
アレッタの言葉に、何も答えないエイベル。
凄いイラついた顔で舌打ちをするエルフの医術者。
仕方がないので俺が代わりに、わかりきったことを訊いてみる。
「エイ……シーベルが捕まえてくれたの?」
「……ん。この洞窟に近づく気配があったから、捕縛の為の術式を構築しておいた。ここ以外に、もう一カ所の出入り口があったことは把握している」
「クソ……ッ! 緊急用の脱出路まで知られているのか……!」
ディットがもがくが、網はビクともしない。
これから尋問が始まるのかな?
なら、今のうちに妹様を迎えに行ってこよう。ひとりにするのは不安だし。
内部へと走ると、すでに壁面には見事すぎるメジェド様像が出来上がっていた。
マイエンジェルは最後の調整をしているのか、難しい顔で流線型を整えている。
「フィー!」
「みゅ、にーた?」
ほぼ出来上がっているからか、簡単に言葉が届く。
ぽてぽてと俺の前に来た妹様は、大きく両手を広げた。
何を要求しているかなど、訊くまでもないことだろう。
一も二もなく、だっこする。
「ふへへ……! ふぃー、にーたにギュッてされるの好き……っ!」
抱き上げると、嬉しそうに頬ずりされてしまう。
しかし、体温が高いな。
やっぱり、凄く眠いんだろうな。
頭を撫でてやると、既に半分、船を漕ぎ出している。
フィーを回収した俺は、そのまま入り口の方へと戻った。
そこでは、アレッタがディットを尋問している最中であった。
「じゃあ、あんたがこの事件の犯人だというの!?」
「だったら、何なんだ……!」
既に逃げられないと観念したのか、今更云い繕うつもりはないらしい。
半分、不貞腐れたかのような顔で、男は吐き捨てた。
「『だったら何だ』ですって!? あんたのやったことで、どれだけの人が苦しんだと思っているのよ!? どれだけの命が、失われたか分かっているの!?」
「分かっているに決まっているだろう! 俺の目的は、リューリングやゴーシュの連中を皆殺しにすることなんだからな! 苦しんで、命が失われなければ、実行する意味がない!」
両者とも感情にまかせて怒鳴っているので、俺には聞き取りにくくて仕方がない。
一方、体力を使い果たしたマイエンジェルは、怒号の中でも既に深い眠りに付いている。
妹様本人はだっこを強く希望していたが、手が塞がっていると困るので、おんぶ紐で再び背中に括り付けた。
「村の人たちを鏖殺することが目的ですって!? どういうことよ、あんた、村の人たちと上手くやっていたんじゃないの!? 水路を直したり、肥料を分けてあげていたんでしょう!?」
「上手く、だって……? 俺があのクズ共と、仲良く出来るわけがないだろうが! あんなものは、余計な軋轢を生まない為のポーズさ! 俺はずっと、奴らに復讐する為に生きてきたんだよ!」
ディットの瞳は憎悪に濡れている。
たぶん、何ごとかの理由があったのだろう。
復讐を決意させるだけの理由が。
しかし、そこに無機質な瞳の持ち主が割って入った。エイベルだった。
男は、うちの先生を見上げて毒づく。
「ふん、エルフの魔術師か……! お前も俺の正義の行いを侮辱するつもりか……!」
「……貴方の行動に理非があろうがなかろうが、そんな事は関係ない。貴方は私たちの同胞を巻き込んだ。それだけで、始末する理由は充分。貴方の『理屈』など、訊く必要も無い」
「――っ」
云いきられて、ディットは呆気に取られる。
エイベルは構わず続けた。
「……私が訊きたいのは、別のこと。あの寄生種は、どこから持ち込まれたのか? あれは魔導歴以前の錬金生物学の技術を用いたもの。おいそれと用意できるものではないし、現代の人間が簡単に作り出せる類のものでもない。つまり、貴方にアレを提供した者がいるはず。それを知りたい」
「ふん……! 云うと思うか?」
「……口を閉ざすなら、苦痛を与えることになる」
エイベルは拷問を示唆した。
非情な手段だが、確かに人為的に寄生種を作り出せる者がいるなら、その出所は押さえておかなければならないだろう。
もしもディットが寄生種を与えられただけならば、与えた側を何とかせねば、これからも同様の事件が起こってしまうかもしれないからだ。
エイベルは小瓶を取り出すと、もう片方の手に木の枝を拾った。
男の表情が、侮ったようなものへと変わる。
「ははは……! そのちいさな枝でつっつくだけか? そんなものでは、俺の心はへし折れねぇよ!」
「…………」
答えの代わりに、エイベルは躊躇無く男の足に枝を突き刺す。
端の方だ。
それに、深く刺さっているとも思えない。
あれでは大した痛みがないのではないか?
案の定、ディットの表情に苦悶はなかった。
「この程度か? 山歩きしていれば、こんな怪我くらいはしょっちゅうなんだよ!」
「……ちいさな傷だからこそ、意味がある」
その傷口へ、薬液が一滴だけ垂らされた。
瞬間。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
凄まじい程の絶叫。
網で絡め取られていなかったら、どれだけのたうち回ったであろうかと云う程の苦しみ方だった。
エイベルは淡々と云う。
「……薬には、こういう使い方もある。貴方の云う通り、こんな傷は大したことがない。なら、傷を大きくしたらどうなるか。傷の数を増やしたら、どうなるか」
「――ッ!?」
男の顔が、明らかな恐怖で歪んだ。
あの薬液によってもたらされる痛みは、きっとそれ程のものだったのだろう。
未来を想像させるだけで、心をへし折れる程の。
「ふん。さっきまでの覚悟は、どこに行ったのかしら?」
ディットの青白い顔を見て、アレッタがせせら笑った。
確かに今の男の顔は、絶望しているように見える。
しかし俺には、何かイヤな予感がしたのだ。




