第三百五十三話 泥がくる(その十八)
「ふぅーん……。まさに誰かの隠れ家だねぇ……」
内部は、意外な程に整っていた。
机に書架。数々の研究道具。
隠者が潜んでいそうな場所だが、雰囲気がどこか『屋根裏部屋的』で、淡い光に照らされる様には、ある種の懐かしさを憶える。
籠もるなら、こういう場所もいいかなと思える程だ。
尤も、ここで研究されていたのは、はた迷惑な奇病の素なのだが。
(設備の規模と数から考えて、矢張り『犯人』は単数か……?)
いみじくもエイベルの指摘通りだったと云う訳だ。
「……アル。こっち」
「ああ」
恩師の後を追うと、そこにはいくつものフラスコのようなものが配置されていた。
サウルーン語で文字と数字が書かれており、並べ方も規則正しい。
「エイ――シーベル、これは?」
「……寄生種の胚。それを時系列順に並べてあるみたい」
成程。
バージョン違いってことね。
たぶん新しい程、より迷惑な存在なんだろうな。
なお、『大元』である寄生種の母体は、すでに運び出してあるとのこと。
「……ここを発見出来たことは、大きな前進だった」
エイベルは云う。
末端の胚だけでは共通項を見つけることは難しいが、大元を得たことで、対処の範囲が大きく広がったのだと。
「……たぶん、短い期間で治療薬を作ることは出来るようになるとは思う。けれど、それも完全とは行かないかもしれない。寄生種の駆除には、アルの力がいる」
「具体的には?」
「……ん。私が試験的に作った薬では――」
お師匠様は説明してくれるが、それが大陸公用語だったせいか、近くのエルフがサウルーン語で「自分にも聞かせなさいよ」と叫んだ。
フィーが起きてしまうので、あまり大きな声は出さないで欲しいのだが。
「んゅ……?」
と思ったら、目をさまされてしまったようだ。
「にーた……? ここ、どこ?」
「えーと、どこだろうね……?」
「ふぃー、にーたに、おんぶされてる……。でもふぃー、だっこの方が好き……」
「はいはい……」
背面から腕の中へと移動させると、眠そうな表情のまま、妹様がにへ~っと笑った。
「うぅ……。お、起こしちゃって、悪かったわよ……」
一方、アレッタはバツが悪そうだ。
流石に四歳児の安眠を妨げたことには、思うところがあるらしい。
「にーた、にーた」
「うん……?」
腕の中のマイエンジェルが、俺の服をクイクイと引っ張った。
「にーた、ここでメジェド様作ってた……?」
「えぇ……?」
唐突に何を云い出すのか。
一瞬、寝ぼけているのかとも思ったが、マイシスターの視線を追うと、その言葉の意味が理解出来た。
(あの岩壁のことか……)
壁面の一部が、ちょうどメジェド様のシルエットのように見えなくもない。
顔もないのっぺらぼうだが、云われてみれば石窟像を作成でもしている途中のようにも思える。
「にーた、メジェド様なら、ふぃーがつくりたい!」
「いや、別にメジェド様を作っている訳じゃ……」
言葉の途中なのに、ぴょこんと飛び降りた妹様は壁面に向かう。
掘削道具も持っていないのに、どうするつもりなのだろうか。
「みゅー……。手でこねられないのは、何か違うの……」
両手で壁面に触れると、まるでメジェド様が浮き上がるように、凄まじいスピードで岩から剥離して形を成していく。
どうやら魔術で彫り込み、削り、かの白き神を作り始めてしまったらしい。
「な、何なのよ、その子……!?」
何が起きているのか理解出来ていないアレッタも引き気味だ。
うちの妹様、魔術と粘土に関しては天才的だからな……。
長年この娘の様子を見ていた俺には分かる。
寝ぼけてはいても、完全に制作に『入り込んで』しまっている。
この分では、しばらく周囲のことは目に入らないだろう。
(一応、今のうちに入り口を見てくるか……?)
接近してくる者がいれば、それは自動的にエイベルに捕捉されるとは思うけれども、念のためにね。
俺は来た道を引き返し、入り口の方へとやって来た。
(ありゃりゃ……。光が漏れてしまっているな……)
岩戸も半開きだし、通路の灯りも付けているしで、結構離れたところからも、中に誰かがいるってバレちゃうんじゃなかろうか。
尤も、こんなところに来る者がいるとしたら、それは犯人くらいのものだろうけれども。
(閉じておいた方が良いのかな……?)
出入り口の方に目をやると、何かが一瞬、動いたかのように見えた。
それは視力強化の魔術を使っていなければ気づけないような僅かなものだったが、それ故に却って警戒心を抱かせた。
(大急ぎで離脱するか……? いや、それで向こうを激発させる結果になったら困るな)
この距離なら、エイベルは間違いなくやって来た者に気付いていることだろう。
ならば、時間を稼ぐ方向に舵を切るべきだ。
(何も気付かなかったフリをして背中を見せても良いけど、万が一にも背後から攻撃されたらたまらないからな……)
俺は極力子供らしい声色を作って、不慣れなサウルーン語で問いかけてみた。
「だ、誰カ、いルんでスカ……!?」
我ながら、酷い発音だ。
急ごしらえの言語なんで、こればかりは仕方がないが。
果たして、向こう側からは逡巡する気配がする。
ややあって、ひとりの男が姿を現した。
年の頃は三十越えるか越えないかくらい。
ややインテリっぽい雰囲気をした人物。
畑を耕すよりも、大学の研究所にでもいるほうがしっくり来るような容姿をした男だ。
精一杯、子供が警戒するような素振りで、俺は男を見上げる。
相手も、ごく普通の人間を演じているかのような態度で、柔らかい微笑を浮かべた。
「私は近くの村の者だよ。最近は何かと物騒なんで、警戒の為に巡回をしていたんだ。そうしたら、ここから灯りが漏れているのが見えてね……。ここは何だい? 坊やは誰なのかな? 奥にお父さんがいるのかな?」
一応それらしい理屈を並べてはいるが、モンスターのいる夜の山で巡回をひとりで行うなんておかしな話だ。
俺の姿を見て一回姿を隠したのも訝しい。
普通、子供がひとりでこんな所にいれば、すぐに声を掛けるだろうからな。
そもそも、態度が妙にぎこちない。セロの軍服ちゃんの演技力とは比べるべくも無い。
(尤も、向こうは『本職』だがね)
ともあれ、俺は男を『黒』と断定した。
たぶん、ここの主か、その関係者だろう。
時間を稼げれば何でも良いので、適当なことを云っておくか。
「お父サン……。冒険者。山、行く途中、偶然、ココ見ツけタ……。お父サン、他に仲間イル。それ呼ビに行っタ。自分、歩ク危険だカラ、ココ待ツように、云っタ……」
「成程……。偶然――なんだね?」
笑う男の瞳が、スッと細くなったような気がした。
今のうちに俺を処理するのか、或いは捕まえて人質にでもするのか、良くない決断をしたんじゃなかろうか。
(と云うか、俺のバカ! 『お父さんは奥にいる』とでも云っておく方が、手出しする決断を鈍らせることが出来ただろうに……)
何となく自覚はあったが、即興で嘘をつくだけの頭が、俺にはないのかもしれない。
犯人さん、さっきは演技力をうんぬん云ってごめんよ。
どうやら、俺も似合いのダイコン役者のようだ。
「じゃあ、お父さんが戻ってくるまで、私が傍にいてあげよう。ところでキミたちは、ここの奥まで入ったのかい?」
探るような目つきだ。
俺がどれ程の情報を握っているかで、『処理』の優先度合いが決まるんだろな。
俺は首を振った。
「お父サン、危険だカラ、奥、来るナ云っタ……。ダかラ、よく分からナイ……」
「成程。『キミは』奥を見ていないと……」
うわーい。
架空のパピーを処理するつもりだな、これは。
寄生種をバラ撒くくらいだから分かってはいたが、障害を排除することに躊躇無いタイプなのかな?
(俺自身も、突然、押さえつけられるかもしれないから、警戒はしておかないと……)
相手の強さが分からないうちは、格上と考えておかなくてはダメだ。
第一、俺は弱い。
一切の油断は出来ない。
身体強化の魔術を使い、少しだけ腰を落とした。
何かあったとき、すぐに飛び退けるようにと。
そして、転機が訪れる。
男が何かを云おうと口を開いたと同時に、奥からエルフがやってきたのだ。
しかしそれは、エイベルではなかった。
あのアレッタとか云う、やかましい少女が姿を見せたのだ。
「ちょっと、あんたね。子供がひとりで出歩いちゃダメでしょ!」
どうやら、俺を探しに来てくれたらしい。
そしてすぐに、男の姿を見つけて首を傾げる。
「ん? あんた、ラトの知り合いじゃない。確か、ディットとか云ったっけ? こんなところで、何をしているのよ?」
どうやら男は、アレッタと顔見知りであるらしい。




