第三百五十二話 泥がくる(その十七)
過ぎたるはなお及ばざるが如しと云う言葉がある。
いや、この場合は、ただ単に見込みが甘かっただけか。
ともかく、俺の目論見は失敗した。
我が家族にして、最愛の妹様。
あの娘のことだ。
「にーた! にーた! にーた! にいいいいいいたあああああああああああああ! 好きッ! ふぃー、にーた好きッ! 大好きッ!」
腕の中には、超絶上機嫌で俺に頬ずりをするマイシスターの姿。
ここ最近、体力を削る為にたくさん遊んであげたら、懐き度が上がってしまったのだ。
まさかカンストしていたと思っていた『好き好き度』が、更に上昇していくとは思いもよらず……。
マイエンジェルは完全な甘えん坊モードへと変わってしまい、片時も俺から離れなくなってしまった。
常の居場所は俺の腕の中か、膝の上だけという有様だ。
それでも夜にはグッスリと眠ってくれるなら、まだ良かったのだが――。
「ふぃー、今日はにーたにだっこして貰いながら寝る!」
ひしっと俺にくっついて、笑顔で見上げてくる妹様。
「ダイコンはどうしたんだ?」
「ふぃー、ダイコン好き! でも、にーたにだっこして貰う方が、もっと好き!」
最近は俺や母さんに抱きついていなくても、ダイコンがいればなんとかひとりで眠れていたので、たまには甘えたいのだろう。
これを突っぱねるのは、あまりにも可哀想だ。
だから、この娘が寝付くまではだっこしてあげようと思ったのだが――。
「すぴすぴ……」
昼間に体力を使い果たしていたからか、マイシスターすぐに寝息を立ててしまう。
それでも頭を撫でてやると、にへ~……っと眠りながら笑うのだ。
(エイベルが来る前に、トイレに行っておくかな……)
そっと抜け出そうとすると。
「んゅ……? にーた……?」
安眠状態だったはずの妹様が、パチッと目をさましてしまった。
いつもは熟睡していると、ちょっとやそっとじゃ起きないはずなのに。
「フィー、起こしちゃったか……?」
「にーたのぬくもり、消えた……。だから、ふぃー、起きた……」
ピトッと俺にしがみつき、すぐにまたすやすやと眠り始める。
どうやら、眠いのは本当みたいだ。
しかし――。
「みゅみゅ……?」
改めてトイレに行こうとすると、再びマイシスターが起きてしまう。
今度は物音も立てていなかったんだが……。
「にーた……。どこ行く……?」
「いや、ちょっとトイレにな。すぐに戻ってくるから、安心して寝てて良いぞ?」
「トイレ……。にーたが行くなら、ふぃーも行く……」
云いながら、半分寝ている。
だが、俺から離れようとしない。
やんわりと引き離そうとすると、すぐに起きてしまう。
ううむ……。
これではトイレはもちろん、エイベルの仕事を手伝えなくなってしまうな。
フィーはただ単に、俺に抱きついて眠りたいだけなのだ。
最近はダイコンで我慢して貰っているから、「今日も遠慮しろ」などとは、口が裂けても云うことは出来ない。
仕方なく、眠る妹様を撫でていると、外に出ていた恩師がこちらへやって来た。
「おかえり、エイベル」
「……ん。ただいま」
無機質な瞳を、ちらりとマイエンジェルに向ける母さんの親友。
彼女はフィーの性質をよく理解している。
だから、一目で何が起きているかを見抜いたようだ。
「……離れなくなった?」
「よくおわかりで」
俺が苦笑すると、マイティーチャーは無表情のまま、考え込むような仕草をする。
「……事情は理解した。けれど、今はアルの力を借りたい場面」
「そりゃ、俺もエイベルに協力するのは、やぶさかではないけどね」
実際問題、この娘が起きてしまうんだから身動きが取れないのさ。
「……選択肢はふたつ。このままフィーも同行させるか、私が強制的に彼女を深い眠りに落とすか」
「強制はやめてあげて欲しいなァ……」
この娘は俺に甘えたいだけだ。
無理矢理眠らせるのは、いくらなんでも可哀想すぎる。
「……なら、向こうにフィーを連れて行くことになる」
妹様自体は、とってもおねむみたいだから、俺に引っ付いていれば、たぶんずっと寝ているだろう。
眠ったまま同行して貰うことが、話の落としどころだろうか。
メジェド様スーツやハンモックに加工した丈夫なシーツの残りを手にとって、『おんぶ紐』を作ると、フィーを括り付ける。
うん。
俺に触れていると、やっぱり全く目をさまさないな。
「すぴすぴ……」
これなら、このまま朝までグッスリかもしれない。
(あとは、母さんだ……)
これから我が子がふたりともいなくなるので、流石に何も云わない訳にもいかないだろう。
ちょっと揺すって起こしてみる。
「母さん、母さん……」
「ん、ぅ……? アルちゃん……? なぁーに? お母さん、眠いわ……。タロイモ……?」
返事は返ってきたけど、完全に寝ぼけてるな、これ。
って云うか、タロイモって何だよ?
明日の朝にこのことを憶えているか聞いても、忘れているんじゃなかろうか?
でも、話だけは伝えておかないとな。
「ちょっとフィーを連れて、エイベルと外に出てくるよ?」
「ん? んん~……? ん? エイベル……? エイベルなら、安、心ね……? でも、むにゃ……のよ……? むにゅむにゃ……」
ダメだ。何を云っているのか、まるで分からん。
マイマザーは、そのまま眠ってしまった。
代わりに、マリモちゃんがふよふよと飛んできて、俺の肩に止まった。
一瞬、一緒についてきたいのかなと思ったが、つんつくつんと俺をつついてくるので、餌の催促をしているのだろう。
寝る前に食べても太らないのは、素直に羨ましい。
「えっと、エイベル。ノワールがお腹空いたって云ってるけど?」
「……ん。この娘に餌をあげられるメンバーが全員家を空けるから、今食べさせておく方が良いかもしれない」
マイティーチャーのちいさなおててが、俺の掌を握る。
そのまま恩師から魔力を貰って、『俺味』にしてマリモちゃんに食べさせた。
「~~~~っ!」
肩の上では、真っ黒なピンポン球が、ポンポンと跳ねている。
相変わらず、食べるの大好きね。
「エイベル、出発前に魔力減っちゃったけど大丈夫?」
「……全く減ってないから、問題は無い」
「そうスか……」
俺が即死する量の五~六倍は食われたと思うんだがね。
エネルギー補給出来て満足したのか、マリモちゃんはふよふよと宙を飛んで、眠る母さんの胸元へと納まった。
この娘がいてくれれば、何かあっても母さんを守ってくれることだろう。
「……じゃあアル。出かける準備をして欲しい」
「ほいさぁ」
着替えてもいないし、トイレも行けていないしねぇ。
※※※
そんなわけで、何度目かの南大陸へとやって来たのだ。
移動先は村ではなく、村の近くの山の中だ。
エイベルはここで、寄生種の大元を発見したのだと云う。
今日一日は、そちらへの対応で手一杯だったらしい。
「……あの『泥の津波』を発生させる装置は、二カ所程見つけて停止させてきたけれど、本命のこちらが見つかったから、未調査の場所が出来てしまっている」
「その二カ所で打ち止めだと良いんだけどねぇ」
こればかりは仕方がないだろうな。
マイティーチャーの身体はひとつだし、優先順位というものもある。
「××××××××!」
そして、背後から聞こえる怒鳴り声。
これは、『もうひとりの同行者』のものだ。
アレッタと云う名前の、ノーマルのエルフ。
なんと今回は、彼女もついてきているのだ。
サウルーン語で捲し立てられても上手く聞き取れないが、たぶん内容は、
「ちょっと! ちゃんとあたしにも分かる言葉で話しなさいよ!」
だと思う。
間違っていても、知らん。
しかし、我が恩師の凄まじい事よ。
まるで彼女がいないかのように、怒鳴り声を無視しているぞ?
「××××××××!」
まだ何か怒鳴っているが、こっちは完全に聞き取れない。
早口だとサッパリだね。
これ幸いと、俺もシカトを決め込もう。
「……ではアル、中に入る」
そっと手を握ってくるエルフ様。
特に『気を付けて』などの警告がないから、脅威の類は排除済みなんだろうな。
恩師に手を引かれ、背中に妹様の寝息を聞きながら、俺は洞窟の奥へと足を踏み入れた。




