第三百五十一話 泥がくる(その十六)
翌日。
リューリング村に、自信満々の笑顔を湛えたトヴィアスがやってきた。
彼は村を見回る態でアレッタを探すと、真っ直ぐに彼女に向かってきた。
「お久しぶりでございますね、エルフの医術者殿」
「……何の用よ?」
どこか青白い顔で不機嫌そうに返すアレッタに、トヴィアスはとろけるような笑顔を向けた。
「ははは……。なに、貴方はエルフで私は僧侶ではありますが、互いに薬学に一家言持つ身。治療薬の作成に進捗があったかどうか、意見交換をするのも悪くはないと思いましてね」
「ふん。素直に自慢したいって云えば良いでしょう? あんたが特効薬を作ったという噂は、とっくの昔に聞いているわよ」
「自慢だなど、とんでもない。確かに私はある種の妙薬を作りはしましたがね、特効薬と呼ぶには、まだ足りません」
「つまり、ある程度の成果は出せていると云いたいんでしょう? やっぱり自慢じゃない。あたしは忙しいの。自慢話を披露したいなら、あっちの木にでも話しかけてて」
「これは手厳しい……。それとも、貴方のプライドを傷付けてしまいましたかな……?」
トヴィアスは、アレッタが治療薬を作り出そうと意気込んでいたことを知っている。
だから自分が一歩先んじて怒らせてしまったと思ったのだ。
尤も、それは彼の希望する展開ではあった。
エルフ族は優れた薬学の知識と技術を持つ。
それ故に、いつも人間の薬師はエルフ族に及ばないと云う評価を受け続けてきたのだ。
その鼻っ柱をへし折ってやれたのであれば、これに勝る快事はない。
果たしてアレッタは、怒りを押し殺したような瞳で、ボソボソと呟いた。
「薬師としてのプライドなんて、とっくの昔にボロボロよ……!」
エルフの少女は肩を怒らせて、ズンズンと歩いて行ってしまう。
その姿を見てトヴィアスは、哄笑するのを我慢するのに必死だった。
人族が薬の技術でエルフに勝る――。
それは人間の鍛冶士がドワーフに勝つのと同じくらいの快挙なのである。
トヴィアスはアレッタのセリフが、自分の作り出した薬に向けられたものだと思ったのだ。
「トヴィアス殿!」
入れ替わりにやって来たのは、福々しい恵比寿様こと、ミシエロだった。
「おお、ミシエロ様ではありませんか。すぐに挨拶に伺わずに、申し訳ありませんでしたな」
「なんの。お気になさらず。それよりも、聞きましたぞ。奇病治療の妙薬を作り出されたとか! 流石は教会の誇る名医術者ですね!」
「ははは……! ミシエロ様にそのように褒められますと、何とも面映ゆいですな。しかし、ある程度の効果が望めるのは事実です」
「それは素晴らしい! 私などは薬に関しては全くの門外漢ですが、よろしければ、どのようにして特効薬を作り上げたのか、聞かせて頂きたいものですね」
「ふむ……。本来、この発見は秘中の秘なのですが、同じ主を戴く身。ミシエロ様には、特別にお聞かせ致しましょう」
もっともらしい表情を作って、トヴィアスは云った。
もしもこの場にまだアレッタがいれば、
「やっぱり自慢したいだけなんじゃない!」
と、声を荒げたことであろう。
「私が作った薬というのはですな――」
教会の薬師は、誇らしげな表情で説明を始める。
人には、得手不得手がある。
それは、得意分野であっても、更に細分化されるものだ。
たとえば戦。
戦上手と呼ばれる者は何人もいるが、それは同一の戦法で名を成したわけではない。
先駆けが得意な者がいる。
防衛戦に長ける者がいる。
或いは奇襲が巧みな者がいる。
戦が上手いと云っても、得意分野は違ったりする。
そしてその理屈は、薬師にも当てはまる。
伝統的に教会が得意な薬は、栄養剤の類だった。
それは教会が貧民救済を掲げることが多いからで、従って弱った身体に、いかに滋養を与えるかを課題にしてきたからでもあった。
トヴィアスは今回の奇病の原因を、栄養失調による合併症と見たのである。
即ち、栄養剤で体力を回復させてやれば、患者は持ち直すであろうと。
「合併症……ですか。しかしトヴィアス殿。私は内部から破裂して死亡する病状というものをよく知らないのですが、これも合併症なのですか?」
「そこは今後の調査が待たれる部分でありましょう。或いは、この地方特有の風土病のようなものがあるのやもしれません。しかしいずれにせよ、私が治療薬と栄養剤を混ぜ合わせた特別な薬を飲ませた者たちは、その多くが動けるまでに回復しております。効果が出ていることは疑いありません」
「成程。そのようなものですか……」
ミシエロは困惑しつつも頷いた。
一方、トヴィアスは自信満々である。
「まあ、実際にこの村でも私の薬が効果を発揮するでしょうから、ミシエロ様にはどうか、その様子を見守って頂きたいものですな」
トヴィアスは用意してきた大量の栄養剤を見ながら笑った。
果たして彼の薬を飲んだ病人の大半が、その日のうちに活力を取り戻したのであった。
※※※
その人物は不機嫌だった。
たった数日のうちに、多くの計画が狂ってしまったからだ。
奇病の流行地にエルフと神官がやってきた。
いや、エルフの方はさしたる成果を出せなかったからどうでも良いのだが、神官の方は、どうやら病気の治療薬を作ってしまったらしい。
じわじわと苦しめて殺す。
決して助かることのない惨たらしい死に様で、怯えさせて殺す。
みっつの村の連中を、そうやって残らず殺す。
そう願っていたはずなのに。
このままでは、そんな悲願も果たせない。
あってはならない。そんなことは。
「あれを治せる薬なんて、作れるはずがないと思っていたのに……!」
しかし村々に溢れる笑顔は、その人物に薬効を信じさせた。
「あの神官め……」
その人物は、歯ぎしりをした。
だが、まだ許容できる範囲の怒りだ。
何故ならあの寄生種は、改良の余地があるからだ。
より凶悪に。
より苦しむよう。
より強く改良してしまえば、今の薬など役に立たなくなるだろう。
そう。
アレは簡単に対処出来るような代物ではないのだ。
自分には『品質向上』し続けることが出来ると云う、圧倒的優位性がある。
そしてもうひとつ。
いざと云う時の為に用意した『泥の波』。
あれも、他に用意が出来ている。
つまり、どうあっても自分の『勝ち』は動かない。
だから薬のひとつくらいは、我慢してやろう。
治らないと思った病気が治りかけ、そして今度は強化された病気に冒され、結局、苦しみ死んで行く。
一度希望を抱いた方が、より絶望することだろう。
そう考えれば、一度特効薬を作られたことは、プラスに働くかもしれぬ。
その人物はそう思いながら、アジトへと向かった。
「……?」
そこで、足を止める。
アジトの近くへ来て、違和感を覚えたのだ。
信じがたいことに、アジトから灯りが漏れていたのである。
入り口は岩を加工したもので、遠目からは出入り口と判断するのは不可能なはずだ。
しかし目の前の岩戸は半開きになっており、夜の闇を削るように、煌々とした灯りがこぼれ出ていたのだ。
(工房が見つかった……ッ!? バカな……ッ!?)
有り得ない。
周囲には獣道すらなく、人が来るような場所にはない。
なのに、何故!?
(万が一を考えて、『偽装の魔術』で隠蔽性を強化しておいたのに……!)
犯人は、何度も首を振った。
無論、この人物は知らない。
なまじ魔術を使ってしまったから。
隠そう隠そうと、偽装の為に魔力を込めてしまったから、あるエルフに感知されてしまったことなど、知る由もない。
(あの中には、寄生種の『大元』があるのに……!)
あれを駆除されてしまえば、もう胚をバラ撒くことも出来なくなる!
改良するどころではない!
(頼む、まだ発見されたばかりであってくれ……!)
中にいる者を始末してしまえば、まだ『続き』が出来る。
そう。
その人物は、『発見者』と相対しても、勝てるつもりでいたのだ。
何故なら、自分は優秀だから。
だからきっと、殺せるだろうと考えた。
中をそっと覗き込む。
(……えッ!? 子供……ッ!?)
それは、本当に意外で。
そこにいたのは村人でもなければ、たまたまここを見つけてしまった冒険者でもない。
見たことのないちいさな子供が、くたびれた雰囲気と共に、立っていたのである。




