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妹のいる生活  作者: むい
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第三百五十話 泥がくる(その十五)


 アレッタは空き屋のベッドに寝かされていた。


 それは彼女の住まう空き屋ではなく、シーベルと名乗るエルフの使っている方の空き屋だ。


 重い身体と目眩のせいで酷く疲弊していたが、それでも彼女は室内を見渡すことを止めることが出来なかった。


(ここが、あの空き屋……? 信じられない。まるで設備の整った診療所じゃない……!)


 アレッタ自身は最低限の器具や材料しか持ち込めていない。


 しかし、ここは違う。


 清潔なベッド。

 真っ白なシーツ。

 傷んだ壁面を覆う、新しい壁紙。

 大きめの機材と、大量の素材。


 一体、いつ、どうやって運び込んだというのか。


 自分はもちろん、村人が手伝ったり運搬する姿を目撃したという話も聞いていない。


 その全てが、あまりにも不可解だった。


(器具の質も凄いものだって、一目で分かる……。でも、材質が不明瞭。あんななめらかで美しい金属なんて、今まで見たことがないわ……。まるで神話やおとぎ話に出てくる、『精霊銀』でも使っているみたい……)


 凄いと云えば、すぐ傍で調合を開始するちいさなエルフの手際も凄い。


 彼女の弟子の手並みは見たが、師であるシーベルの技量は、自信家のアレッタすら驚愕させる程のものだった。


 一体どれ程の経験と才能があれば、これだけ早く、そして正確に薬を作れるものだろうか? 


 見たことのない素材がある。

 既存の材料でも、使用方法や調合手順が自分の知識とはまるで違う。


 自分の継承してきた技術や知識とは、隔絶した差が、そこにはあった。


(な、なんなの、こいつ……!)


 そういえばシーベルは、失われた『太古のポーション』を生成する知識があるのだったと思い至る。


(そうか……! この子、きっとロキュス様直系の薬師なんだわ……! だから特殊な技術や重要な道具を譲り受けているのね……!)


 シーベルの師は単なるロキュスの弟子ではなく、指折りの高弟のひとりだったのだろう。

 アレッタはそう考えた。


「あ、あんた、魔術師ではなく、薬師だったんじゃない……!」


「……私は『教師』と云ったはず。魔術や薬学は生きて行く上で覚えたもので、特に表芸としているつもりはない」


「涼しい顔で……! 忌々しいわ……!」


 起き上がろうとして、失敗した。

 身体がとても重いことを思い出す。


 シーベルは完成した薬をアレッタの口元に運ぶ。


 身体の起こし方。

 飲ませ方。

 そのどれもが手慣れていた。


 アレッタは知識や技術だけでなく、経験でもシーベルに及んでいないことを知った。


「――っ!?」


 そして飲まされた薬の、覿面な効果に更に驚く。


 あれ程までに重かった身体が、羽のように軽くなった。

 目眩すらも霧散し、今すぐにでも動けそうな感じである。


「な、何なの、これは……ッ!? まさかあんた、既に特効薬を完成させていたの!?」


 驚愕の表情を浮かべるアレッタに、シーベルは無表情のまま首を振る。


「……こんなものは一時しのぎにすぎない。この薬では、治ることはない」


 シーベルの云う所は、こうである。


 この寄生種はまず魔力と血液を喰らい、自身を大きくしていく。


 ある程度まで育つと、今度は魔力を溜め込むようになる。

 そして溜めた魔力が放出されると、内部から破裂する。


 今のアレッタは、血と魔力を奪われている段階。


 だからある程度の栄養剤を与えれば、一時的に回復はする。


 しかしそれも、穴の空いたバケツと同じだ。

 本当に急場しのぎであるだけで、すぐに限界はやって来る。


 自分のやったことは治療と呼べるものですらないと、シーベルは語った。


(それにしたって、この即効性はどうなのよ……? 認めたくないけれど、こいつ、医術者としての能力がズバ抜けているわ……!)


 軽い食事と温かい飲み物を与えられ、アレッタは一息ついた。


 自分に治療を施したにも係わらず、シーベルは彼女などいないかのように、黙々と器具の点検をしている。


「ねえ、あんた」


「…………」


 返事はない。

 見向きもしない。


 けれど、聞こえてはいるはずだ。


「あんたも薬学を囓っているなら、高祖様の伝説くらいは知っているでしょう?」


「…………」


 やはり応えることはない。


 けれど、いやしくもエルフ族に名を連ねる者で、偉大なる両高祖に尊崇心を抱かぬ者などいないはずだ。


 だからアレッタは、構わずに続ける。


「まだあたしが生まれる前。……六百年くらい前の話なんだけど、あたしの里に、新種の病が流行ったことがあったらしくてね」


 それは新種であるが故に、当時のエルフたちには、どうしようも出来ない問題であった。


 噂を聞きつけたハイエルフの薬師も救援の為にアレッタの里を訪れたが、打つ手がなかったと云われている。


「感染力が強かったこと。治療方法がなかったこと。この両方が理由で、里そのものに廃棄論が出たとも云われているわ。でも、問題なのはその先。感染の拡大を防ぐ為に、あたしの里の者たちは外に出ることを禁止すべきだと云う意見が他の里から出され、ハイエルフの方々も、それを承認しようとしたの」


 それはその場で死んで行けと云うことと同じ意味だった。


 仮に決定が下された場合、こっそり抜け出そうとしたら殺処分されたであろうことは疑いない。


「誰もが生きることを諦め、同族を憎んで。それでもどうにも出来なくて。……高祖様が訪れて下さったのは、そんな時よ。あの御方は数日のうちに原因を突き止め、新薬を完成させ、里の皆を救って下さった。それだけではなく、ギクシャクしてしまった他の里との橋渡しまでして下さったと云われているわ。あたしの里。あたしの先祖。皆が今こうして生きているのは、全部高祖様のおかげなの。あの御方がいらっしゃらなかったら、あたしが生まれることもなかったわ。だから、あたしは医術者になることを志したの。優れた刀圭家になって同族を救うこと。それが決して返すことの出来ないご恩を賜った、あたしなりの報恩なのよ」


 アレッタが云いきると、シーベルは手を止めて彼女を見つめた。


 相変わらずの無表情なので、何を考えているのか、全く分からない。


「……何を思うのも、何を目指すのも、それは貴方の自由。けれど前提として、生きていなければ意味がない」


「一応の道理ね。でも、あたしは寄生種に感染してしまった。あたしは、もう……助からないでしょう?」


「…………」


「だから、あんたに頼みがあるのよ。あたしが死んだら、この身体を研究して欲しいの。出来れば高祖様に献上したいのだけれど、それは無理でしょうから、あんたに頼むわ。あんたか、あんたの師匠か。この奇病に少しでも対処出来そうな者に、解決の糸口を探って欲しいの。もう死んで行くしかないんだから、これだけが、あたしが高祖様に出来るささやかな恩返し。役に立つかも分からないことだけど、でも、何もしないよりはマシでしょう?」


 真っ直ぐな瞳だった。


 彼女は笑顔を浮かべて、シーベルに後事を託そうとしている。自らを献体として。


 ちいさなエルフの無機質な瞳が、今はしっかりとアレッタを見ている。


「……この病気で貴方が死ぬようなことがあったら、その言葉を尊重させて貰う」


「『死ぬようなことがあったら』って、まるで助かる可能性もあるみたいじゃない。あんたでも、希望を持たせるような云い方をするのね?」


「……私は感情面に欠陥がある。あまり他者に配慮できるように作られてはいない」


「何よ、それ。意味わかんない」


「…………」


 シーベルは答えなかった。


 しかし、献体の約束が出来たので、アレッタには他のことを考えるゆとりが出来た。


「はぁ……。せっかくミシエロとか云う胡散臭い坊主が出て来たんだから、見張りたかったのに。きっと尻尾を出したと思うわ」


 それはシーベルに聞かせたのではなく、独り言に近かった。


 しかし意外なことに、ちいさなエルフは、その言葉に反応を返したのだ。


「……神官たちが寄生種の流行地に来たことは、大きな意味があった。犯人のしっぽとは云わなくても、リアクションは引き出せた」


「何? あんた、何を云っているの? リアクションって何よ?」


「……リアクションと云うのは、あの『泥の波』。あんなもの、普通は必要無い。神官がやってきて、そして治療薬の噂が立ったからこその行動と考える」


「どういうことよ? この事件って、教会の自作自演じゃないの!?」


「……自作自演ならば、特効薬を完成させた上で行動に移るはず。トヴィアスと云う男の薬も、まだ噂の段階で完治者が出たと云う話を聞いていない。『手を尽くしたが治らなかった』では信望を集めるには不充分だし、人によっては、却って反感を抱かれる。だから私は、この事件は教会の自作自演ではないと推測する」


「そんな……。それじゃ、容疑者がいなくなるじゃない!」


「……流行地とは全く無関係な第三者が、たまたまこの地を『実験場』に選んだだけという可能性もある。無理に犯人捜しをするよりも、寄生種の『大元』を探す方が有効であると私は考える」


 その言葉で、アレッタは顔を上げた。


 ここ最近、シーベルが山の方へ向かっていた理由に思い至ったのである。


「じゃあ、あんたがあちこち歩き回っていたのって……!」


「……地元の人間でも、モンスターが多く生息する場所には近づかない。身の危険があるし、場合によっては村まで群れを引き寄せてしまうから」


「近場でも、条件さえ揃えば『アジト』を用意することは簡単ってことね……?」


 アレッタは、自分とシーベルのやろうとしていることの差を理解した。


 自分は病気の治療に専念しようとした。


 一方シーベルは、事件の根本に照準を合わせ、活動していたのだと。


「あたしだって、エルフの端くれよ。身体さえ動けば、少しは戦闘が出来るのに……!」


「……それなら、私の弟子を連れてくる」


「は? あんたの弟子って、あの幼い子供? あんなちいさな子を呼んで、何をどうするつもりなのよ?」


 訝るアレッタに、シーベルは無表情のままで、自信満々に云いきった。


「……あの子は切り札。事件解決には、アルの力が必要になる」


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