第三百四十九話 泥がくる(その十四)
「私がミシエロでございます。優れた薬師殿に出会えて光栄です」
法衣を着た男は、丁寧な動作でそう云った。
もしもこの場にアルト・クレーンプットがいれば、こう呟いたであろう。
恵比寿様に似ている、と。
確かに彼は恵比寿に酷似している。
かの七福神を金髪にして法衣を着せれば、ミシエロが出来上がるのだ。
福々しい外見と柔和な表情は、奇病と土砂崩れにより不安を抱いていたリューリング村の住人たちを安心させた。
しかしアレッタは、胡散臭いものを見るような目で、恰幅の良い神官を睨め付けている。
そしてその背後にいるシーベルは、ひっそりと、しかしマジマジと、やって来た聖職者を観察していた。
「皆様の苦衷、察するに余りあります。何の力にもなれないこと、ただただ恥じ入るばかりです……」
泣きそうな顔をしながら、村民に声を掛けていくミシエロ。
その様子は、本当に村の有様に心を痛めているように見える。
(ふん……! 思っていた通り、胡散臭い男ね……)
一方アレッタは、ミシエロを疑いの目で見ている。
彼はアレッタが到着する前日にリューリング村におり、そして土砂災害――土砂人災の後に、ひょっこりとやって来ている。
彼女には、それが『仕込み』をしては立ち去り、また戻って来ているように思える。
加えて彼女は、教会という存在そのものに不信感を抱いているのだ。
最初から色彩豊かな眼鏡を掛けて見つめるのは、ある意味では当然だった。
しかし村民たちはミシエロを尊崇しているらしく、次々と周囲に集まっていく。
「ミシエロ様、どうか我らをお救い下さい!」
「どうか我らをお導き下さい」
「祈りを! 希望を!」
それらの声にしっかりと頷き、彼らの手を取り声を掛け励ます姿は、確かに聖者に見えるかもしれない。
それはラトも同じであるらしい。
神官に近づき、声を発する。
「ミシエロ様。私たちの村を土砂崩れから救ってくれた白い影は、神様の御使いなのでしょうか?」
「――――」
その言葉に恰幅の良い神官は、初めて動揺したように見えた。
尤も動きを止めたのは一瞬であったし、表情が大きく歪む事はなかったので、人間たちは気付かなかったが。
ただ、ふたりのエルフだけが、それを察したに過ぎない。
「救いというものは、皆全て、我らが主がもたらしてくれるものなのですよ……」
ラトの問いに、神官はそう答えた。
彼が少女の発言に直截な云い回しを避けたのは、未だに教会で『メジェド』なる怪人の処遇が決まっていないからだ。
ミシエロも災害から村を救った謎の存在の情報を聞いている。
種々の特徴から、それが北大陸に出没する異形の者であることも分かっている。
だからこそ、軽々にアレを語ることは出来ない。
ラトはそれでも尊敬の眼差しで、目の前の男を見上げている。
「ミシエロ様は『善悪を決めることが出来る方』だって、皆が云っています!」
「ははは……。それは違いますよ。善も悪も主の聖断に属するもので、それ以外に善悪を論じることがあってはなりません。私はただ、信徒の皆様が安心して過ごせるよう、朋友たちと主の御意志の理非を論じ合っているにすぎませんよ……」
その言葉で、アレッタは警戒心を引き上げる。
(この男、『異端審問官』の資格持ちだ――!)
険しい眼光をものともせずに、ミシエロはアレッタに頭を下げた。
「村の皆様に貴重な薬を配って頂いたそうで、感謝の言葉もありません」
「……別にあんたの為にやった事じゃないわ。感謝される謂われのないヤツからの謝意は不快なだけよ」
「それは大変失礼致しました。ですが貴女の尊き行いには、主も喜ばれることでしょう……」
彼は構わずに柔和な笑顔のまま、もう一度頭を下げた。
アレッタは舌打ちする。
「薬と云えば、あんたの同僚。なんとかって奴が特効薬を作ったとか吹聴しているらしいじゃない」
「同志トヴィアス殿ですな。本当ならば、これほど喜ばしいことはありません。ですが申し訳ありません。私はまだ、その効果の程を知らないのです」
ミシエロは困り顔で云う。
本当に知らないのか、それともとぼけているだけなのか。
アレッタには分からない。
「ところで、そちらの方は……?」
神官はシーベルに目を向けるが、当の本人は帽子を目深に被り、しかも背が低いので、顔が見えない。
まさか覗き込むわけにもいかないので、彼は困惑したような表情を作った。
「あの娘は村の状況をエルフの里に報告するために来ている調査員よ。余計な手出しはしないでちょうだいね」
「おお、左様でしたか。実地で検証をすることはとても大切です。どうか貴女に、良き前途が開けますよう」
笑顔で印を切ると、シーベルはかすかに身を躱したようだった。
どうやら、『神の祝福』を受けるつもりはないらしい。
しかしその動作は僅かだった為に、彼女の意図に気付いたものはいない。
アレッタは構わずミシエロに問いかけた。
「……で、あんたの目的は、一体何なの? そもそもここへは、何をしに来たのよ?」
彼の『同僚』であるトヴィアス。
あれには、明確な功名心が見えた。
おそらく奇病事件を解決して、名声を得たいのであろう。
ある意味では分かりやすい存在だ。
だが、ミシエロの行動原理が分からない。
こんな田舎の村に来て布教をする訳でもなく薬の研究をする様子もない。
来訪目的が不明瞭だ。
アレッタがそれを質すと、ミシエロは誇らしげに頷いた。
「私に出来ることは、主の威光を遍く地の果てまで届かせること、ただそれだけでございます。主の御威光とは、無限の愛です。人々を慈しみ、包み込む広大無辺の慈悲。愛と慈悲。即ち慈愛こそが主の御意志。私はその一助として、常日頃から教会の行き届かない範囲に、目を光らせているのでございます」
「晦渋な云い回しはやめて。目的を云いなさいと云っているの」
エルフの医術者が睨み付けると、ミシエロは不可解そうに首を傾げた。
「他者を心配して様子を見に来ることが、それほど不思議でしょうか?」
「それがあんたの本音だとでも云うの?」
「もちろんです。誰もが笑い、幸せに暮らせる世の中こそが理想の姿ではありませんか」
彼は真顔だった。
その瞳は真っ直ぐで、自らの言葉に寸毫程の迷いも抱いていないように見える。
「あんたの好きな言葉は?」
「人類愛ですな」
「あんたの理想は?」
「世界平和です」
ミシエロは次々と即答する。
その様子に、アレッタは鼻を鳴らす。
(なんて胡散臭い男なの。誰がその言葉を信じるもんですか!)
周囲にいる村人たちは彼の言葉に、流石は徳の高い神官様だと感心しきりだが、アレッタは却って訝しいと考えた。
しかしラトを含め、周囲の人間にそのことを話しても賛同は得られそうにない。
唯一、同じ思いを抱きそうな者と云えば、それは同族の魔術師だが――。
(あれ? いない?)
今の今まで後背にいたはずのちいさなエルフは、いつの間にか姿を消していた。
アレッタが振り返って困惑していることに気付いたのだろう。ミシエロが云う。
「お連れの方でしたら、私が印を切った直後に立ち去って行かれましたよ? その道を真っ直ぐ――山の方へ向かっていかれましたが」
「あの子……! ひとりで……!」
土砂崩れ以降のシーベルは、あまり村に寄りつかなくなった。
逆に積極的に、山の方へ移動しているようである。
そんな所で何を調べているのか?
本人に訊いても、聞こえていないかのようにスルーされてしまう。
シーベルが何をやっているのかは気になるが、今はミシエロを見張る方が先だとアレッタは考えた。
彼女の中では、『教会』は事件の有力容疑者なのである。
「……っ!」
その時、急な目眩がアレッタを襲う。
膝をつきそうになる彼女に、ミシエロが慌てて駆け寄った。
「どうされましたか!? もしや、お体の具合でも!?」
「な、何でもないわよ……」
ミシエロを見張りたいが、今はそれすらも苦しい。
聖職者を振り払い、空き屋へと撤退することにした。
(最近、どんどん目眩の発生率が高くなっている……)
道すがら、彼女は思う。
最早単なる疲れではなく、これは何かの病気であろうと。
エルフと云えども、病気にはなる。
一年程前には、北大陸にいる同胞が死病である黒粉病に罹ったと云われている。
しかしその後に耳にした情報によると、その病は癒されたようである。
死病が治るなど、にわかには信じがたい話ではあるが、信頼のおける情報筋から確認したのだから、まず事実であると思うしかない。
(高祖様だ……! きっと高祖様が救って下さったんだ……!)
ハイエルフにも高名な薬師は何人もいるが、アレッタは迷わず高祖が同族を救ってくれたのだと判断した。
それは根拠のない決めつけではあったのだが、実際に『破滅』の名で人口に膾炙するアーチエルフが動いたのは、僅かな者しか知らない事実であった。
(あの方のように……。私も、あの方のようになりたい……)
多くの病から同胞を救い続け、今なお多くの新薬を作り続ける。
それはアレッタの思い描く、理想の医術者像だった。
高祖に少しでも近づくことこそが、アレッタの望みであったのだ。
村民の姿が見えなくなると、張りつめていた気が途切れたのか、アレッタの身体は糸の切れた人形のように力を失う。
しかし、倒れることはなかった。
姿が見えなくなったと思ったちいさな同族が、自分を支えていたのである。
「あ、あんた……? 山の方へ、行ったんじゃ……?」
「……喋らない方が良い。これ以上体力を使うと、命に係わる」
「は……! ま、まるで私が、病気、だと、でも云いたいみた、いね……?」
「……ん。広い意味では病気」
特に飾ることなく。
ちいさなエルフは、淡々と事実を口にする。
「……アレッタ。貴女は寄生種に取りつかれた。このままだと遠からず、内部から破裂して死亡する」
更新ペースが滞り、申し訳ありません。




