第三百四十八話 一方、西の離れでは
「ふへ……! ふへへへ……! ふへへへへへぇ……っ!」
ここ数日。
我が最愛の妹、フィーリア・クレーンプット嬢は、夢見心地だった。
理由は、この兄――アルト・クレーンプット自身にある。
何せここ最近は、フィーに体力を使い果たして貰う為に、日中はいつも以上に遊んでいるからな。
マイシスターは、それで上機嫌なのだ。
しかして実態は、すやすや眠って貰って夜間に出かける為という、コスい作戦の結果なのだが。
「にーた! 三輪車! ふぃー、三輪車で遊ぶ! その後はブランコ! でも、ボール遊びも捨てがたい!」
二月の庭に喜び勇んで突撃していくマイエンジェルを、素直に凄いと俺は思う。
まあ、打算ありの遊びだとしても、こっちもこの娘と遊ぶのは楽しいしね。
「にーたああ! にいいいいたああああああああ! 好きっ! ふぃー、にーた好きっ! 大好きっ!」
外に出るなり俺に飛び付いて、もちもちほっぺを擦り付けてくるマイシスター。
これは相当に機嫌が良い証拠だな。
俺がこうして遊んでいる間も、エイベルは南大陸で調査中と考えると、内心忸怩たるものはあるんだが。
「んゅ? にーた、お顔が暗い。何か心配事? ふぃー、にーたにキスした方が良い?」
素敵な回復策をありがとう。
やんわりと大丈夫だよと云ってみると、
「じゃあ、ふぃーが、にーたにキスして貰う!」
ずずいっと、頬を眼前に突き出して来る。
キスされる気満々だな。
うちの子はキスをするのも好きだが、それ以上にされるのが好きだからな……。
「ほら、フィー。ちゅ」
「はひゅひゅ~~~~んっ! ふぃー、ふぃー、にーたにキスして貰った! ふぃー、幸せ! ふぃー、嬉しい! ふぃー、これで今日も戦える!」
何とさ?
「アルトきゅ~ん! どこですかぁー?」
「ん? ミア?」
デレデレモードの妹様を撫でていると、向こうから駄メイド様がやって来た。
「あ。ここにいましたねー。探しましたねー。寒いのにお外にいるなんて、正気の沙汰とは思えませんねー」
とか云いながら、俺にピタッと引っ付いてくる。
こいつ、当たり前のように、なんてことを……。
マイエンジェルが激怒しているし、何をされるか分かったものじゃないので、華麗にターンして、距離を取った。
「あぁん……」
あぁん、じゃない。なんて残念そうな顔をしているんだ。
「何しに来たんだ? 今、フィーの体力……じゃなかった、フィーと遊ぶので忙しいんだが」
「にーたは、ふぃーと遊んでくれる! 邪魔する、めーなの!」
「冷たいですねー。もっとミアお姉ちゃんも、アルトきゅんに構って欲しいですねー」
そう云って、再び迫ってくる変態駄メイド。
こいつまさか本当に、俺を襲いに来ただけなんじゃあるまいな?
「残念ながら違いますねー。お手紙と報告があるんですねー」
「うん? 手紙?」
うちに手紙を寄こす者がいるとしたら、セロに住む祖父母だろうか?
それとも軍服ちゃんが本当に舞台公演のチケットを送ってきたとか?
「はい。これですねー。運んできたミアお姉ちゃんを、少しねぎらってくれると嬉しいですねー」
「うむ。大儀であるぞ」
「くふふっ。貴族然としたアルトきゅんも新鮮ですねー」
実際は俺が平民でミアがお貴族様なんだけどな。
受け取った手紙を確認すると、そこには『フローチェ・シェインデル』との署名がある。
フローチェさんは、ヒツジちゃんのママンだね。
中身を確認すると、第二回目の聞き取り調査を三月に開催したいと記してあった。
もう一枚の紙には、幼子が書いたと思しき黒い毛糸玉のようなものが。
こっちはヒツジちゃんの直筆なのだろうか?
「聞き取り調査って云ってもなァ……」
すっとぼけるのが前提なんだから、何度調査をしても特に進展なんてないと思うが。
まあ、時候の挨拶と共に社交辞令っぽく書かれている、
『娘も皆様の来訪を心待ちにしています』
と云う文言が本命だったりするんじゃなかろうかという気持ちにもなるが。
片手でフィーを抱き、片手で手紙を読んでいるので、当然、我らが妹様もその内容を吟味している。
特にマイシスターが気にしているのは、解読不能なはずの『黒い毛糸玉』のほうだ。
「みゅみゅー……っ! こっちの紙から、不穏な気配がするの! ふぃーのカンが、良くないって云ってるの!」
マイエンジェルが、凄く深刻そうな顔をして、手紙? を睨んでいる。
気のせいじゃないの? とも思うが、余計なことは口にはすまい。
「……で、ミア。報告って云うのは何? 配置換えでもあるとか?」
「配置換えですかー! 単なる離れ勤めから、アルトきゅん専属になれると良いんですがねー。もしもそうなれたら、ミアお姉ちゃんが手取り足取り腰取り、色々と甘やかしてあげるんですけどねー」
元から存在しないポジションに、どうやって転換されると云うのか。
「改めて訊くけど、報告って何なのさ? うちに関係あること?」
「クレーンプット家の皆様ではなく、アルトきゅんに関係しますねー」
「うん? 俺、個人?」
「それと、我がヴェーニンク男爵家ですねー」
「ああ!」
思わず、手を叩きそうになった。
尤も、両手が塞がっているので、それは不可能だが。
「ウナギか」
「はい。沼ドジョウさんですねー。まだ本決まりではありませんが、大体、五月の末から六月くらいから本格的に稼働するみたいですねー。今云ったことは極秘なんですが、アルトきゅんには伝えておこうと思いまして」
そこで駄メイド様は、躾の行き届いた丁寧な礼をする。
ミアは一応貴族で、しかも侯爵家で働くメイドだから、こういう所作もしようと思えば出来るんだろうな。
「万年貧乏の我が家が潤うのは、アルトきゅんのおかげですねー。お礼にキッスのひとつでもしてあげたいですねー」
要りません。間に合ってます。
何で目を閉じる?
何で近づいてくる?
「めー! にーたにキスする、それ、ふぃーだけなの!」
案の定、妹様が怒り出してしまったぞ。
「ほら、フィー。今日は三輪車で遊ぶんだろう? 怒ってないで、楽しい時間を優先しよう」
「みゅ! 三輪車! そうだった! ふぃー、早く三輪車に乗りたい! あれ楽しい! ふぃーのにーた、素敵なものを作ってくれた! ふぃー、幸せ!」
「むむー。羨ましいですねー。お仕事がなければ、私も混ぜて欲しいんですけどねー。アルトきゅんの発明品、面白そうだから乗ってみたいんですけどねー」
指を咥えて、そんなことを云い出すメイドさん。
四歳児用の三輪車に、十四歳のボディで搭乗するのはキツいと思いますがね。
まあキックスケーターなら、いけるとは思うが。
その後、往生際悪くこの場に居座ろうとした駄メイドを送り返し、フィーとたっぷり遊んだ。
大はしゃぎのマイエンジェルは、目論見通り、夜にはぐっすりと寝入ってしまう。
だまし討ちみたいで心が痛むけど、こればかりは仕方がない。ごめんよ、フィー。
(さて。そろそろエイベルが俺を迎えに来る頃だと思うが……)
こないだは人災っぽい土砂崩れのようなものがあったからな。
場合によっては数日の間、様子を見るかもしれないとマイティーチャーは云っていた。
だからひょっとしたら、今夜は外出無しになるかもしれない。
「さてと……。待っている間はどうしよう……? 勉強をするか、ボトルシップ三号の制作を再開するか……」
新商品のアイデアをまとめるのも良いかもしれない。
しかし、思案を始めてすぐ。
いつもよりも早い時間に、俺の恩師はやって来た。
「エイベル、おかえり」
「……ん。ただいま」
無表情のままのマイティーチャーの綺麗な顔は、それでもどこか真剣そうに見えた。
何かあったの?
それを尋ねるより先に、エイベルは口を開いた。
「……見つけた」
「――!」
それは、結論。
南大陸で起きている奇病事件の急所。
俺がフィーやミアとたわむれている間に、彼女は何か大きな発見をしたらしい。




