第三百四十六話 泥がくる(その十二)
翌日。
アレッタはリューリング村の外れの水田の近くで、エルフと子供の師弟を見かけた。
彼女は、一も二もなくふたりに近づく。
「ちょっと!」
声を掛けると、男の子の方は振り返ったが、エルフの少女は聞こえていないかのように反応を示さない。
エルフの医術者は舌打ちをして、同族の肩を掴もうとした。
――が。
「……なっ!?」
アレッタの手は虚しく空を切った。
シーベルはごく自然な動作で、背後からのアプローチを躱したのだ。
「く……っ! この……ッ!」
二度三度と伸ばした手は、その全てが空振りする。
背中を向けたままのエルフに、体術の心得があるのは明らかだった。
「スルスルと……! 何で躱すのよ!?」
「……私は身体に触られるのが苦手」
エルフの魔術師は、やっとそれだけを喋る。
やっぱり聞こえてるんじゃない、とアレッタは胸中で毒づく。
しかし、肩を掴むことに拘泥しても仕方ない。
「あたし、あんたに話があったのよ」
「……私は特にない」
シーベルは一切振り返らない。
ジッと水田の方を見つめている。
その瞳は真剣そのものなのだが、それを理解出来る人間は、彼女の弟子か親友くらいしかいないだろう。
「あんたの教え子に聞いたわ。あんた、遺失した太古のポーション生成技術を知っているそうじゃない。あたしにそれを、教えなさいよ」
「……無理」
「どうしてよ!? このあたしの腕前が信用出来ないとでも云うの!?」
感情を剥き出しにして睨み付けるアレッタに、シーベルは冷ややかな視線を向けた。
「……技量以前の問題。私と貴方では、基礎となる知識量に大きな隔たりがある。それを埋めるところから始めなければ、まともなポーションは作れない。そして、今は知識を授けている時間がない」
「時間がないですって!? じゃあ、あんたの弟子はどうなのよ!? あんなちいさな子供に、あんたは薬の生成法を教えているじゃない!?」
「…………」
ちいさなため息を吐くと、シーベルは自分の弟子に近寄って、何事かの指示を出した。
彼はすぐに頷くと、場所を変えて水質の調査を開始した。
どうやら、師が敢えて、弟子を移動をさせたようだ。
「……あの子は」
「何よ」
「……あの子は、きちんと知識の習得から勉強を開始している。それに、調合も基礎の部分しか教えていない。『時間』と云う釣り合いは取れている」
「嘘よ!」
アレッタは叫んだ。
「あの子の技量も。あの子の速度も、とても初心者とは思えなかったわ! あれは熟練者の動きよ! あれで素人とは云わせない」
「……あの子は、少し特別だから」
「は! 特別? 何? 自分の弟子は天才だとでも云うつもり?」
「……アルは天才ではない。あの子の技量は、努力の結果によってもたらされたもの」
「ふざけないで!」
アレッタは、再び叫んだ。
「あの子、どう見ても七~八歳くらいじゃない! つまり、勉強を初めて数週間……いいとこ数ヶ月でしょう? それであの技量があるなら、天才と呼ぶしかないじゃない! 何が努力よ!」
云いきった瞬間、アレッタは強烈な寒気に襲われた。
それが目の前の魔術師から発せられた『殺気』によるものだと気付くことに時間は掛からなかった。
無表情のままなのに、明らかな怒気を感じる。
もしもこれ以上不興を買えば、命を失うのではないか?
そんな気持ちにさせられる程だ。
(大したことを云った訳でもないし、流石に襲いかかって来るわけはないわよね……。そもそもこのシーベルとか云う女、あまり強そうに見えないし……。でも、怒らせるのはやめておこうかしら。一応ね、一応……)
アレッタが黙ると、シーベルから『寒気の元』が消えて行く。
彼女はアレッタから視線を外し、懸命に調査をしている弟子に目を向けた。
そして、ポツリと呟く。
「……四歳」
「何がよ?」
「……あの子が薬学の勉強を始めたのは、四歳の時から。数週間や数ヶ月ではない」
「四歳? それは随分と早いわね。でも、たかが二年や三年であんなポーションが作れるなら、やっぱり図抜けた才能の持ち主と云わざるをえないわ」
「……それが、努力の結果」
「どういうことよ?」
「アルは、勉強を始めた日から、一日も休まずに修練を続けている。私がいない日も、休まずに」
「ふぅん? よっぽどポーションが好きなのね」
「……違う。あの子には、家族がいる」
「はぁ? 家族くらい、誰にだっているでしょう? 違いがあるとしたら、それは生きているか死んでいるかの差だけであって」
「…………」
その言葉に対するシーベルの視線は冷たい。
しかし、怒気や殺気が籠もっていないせいか、アレッタが気付くことはなかったが。
「……あの子が必死に勉強をするのは、その家族のため。自分が家族を支えるため」
「あんなに幼いのに、そんな事を考えているの? 確かに家族を大切にするのは良いことだけど、ちいさな子供が、普通、そんなことに思い至るものかしら?」
アレッタの疑問に、シーベルは答えなかった。かわりに、言葉を紡いだ。
「……あの子は、家族に内緒で積み立てをしている」
「はぁ? あの歳で、もうお金を稼いでいるの?」
子供でも働いている者は、実はそんなに少なくはない。
家の手伝いで農業をさせられている者もいるし、スラムの貧民や孤児は、村のおつかいやゴミ拾いなどで生活費を工面している者もいる。
だが、『貯蓄』まで出来る程に稼げる者は稀であろう。
「……アルは、こう考えている。『こんな世の中だから、家族を残して自分が先に死んでしまうこともあるかもしれない。そんなことがあったときに、少しでもお金を家族に遺してあげたい。僅かばかりでも、生活の足しにして欲しい』。だから、あの子は無駄遣いをしない。自分の欲しいものを買うことも殆どない。母と妹の為に、稼いだお金を貯めている」
その言葉で、アレッタはあの子供に父親がいないようだと気がついた。
尤も、片親や親無しの子供など、いくらでもいる世界ではあるのだが。
「……だからアルは勉強を休まない。怠らない。自分の学んだことが家族の支えになると信じているから、手を抜かない。それが、上達の早い理由。どうすれば上手く行くのか? どうすれば失敗しないのか? 常にそれを考えているから、すぐにコツを掴む。アルの技量は、そうやって養われたもの。決して天才ではない。ただただ家族の為だけに、あの子は今も勉強を続けている」
シーベルの言葉で、アレッタは彼女が『何が努力よ』と云った時に怒った理由を理解した。
軽い気持ちで云った言葉が、あの子供の半生や行動を侮辱したことになったからだ。
休まずに走り続ける大変さは、彼女自身もよく知っている。
(尤も、『努力できること』も才能のひとつだと、あたしは思うけどね)
名君の条件のひとつが、『持続する意志』を持つことであったはずだと、アレッタは思い出した。
「まぁでも、それはそれよ。あたしのような優れた医術者が知識を得ることは、より大勢の命を救うことにも繋がるわ。だからさっさと、あんたの持ってる知識をあたしに教えなさい」
「……他所を当たって。私は忙しいと云ったはず」
「そんなことを云っている場合じゃないでしょう? 奇病の治療法を見つけなければ、より多くの命が失われるのよ? それこそ、あんたやあんたの弟子だって危ないかもしれないのよ?」
「……その理屈は理解出来る。けれど今回の場合、『元を断つ』ほうが優先順位が高いと私は判断している。寄生種の胚を撒いた者を見つけることに注力したい」
容疑者と聞いて、アレッタはディットの云った神官のことを思い出した。
この情報を取引材料に、いくばくかでもシーベルから知識を奪い取れないだろうか?
「それならあたし、面白い話を聞いたわよ?」
「……何?」
「ふふーん。知りたい? 知りたいわよねぇ? でもダぁ~メ! 情報だって、タダじゃないのよ?」
「……貴方はさっき、私の保有する知識を代償の提示なしに求めた」
「何云ってるのよ? あたしの作る薬の効果が上がれば、よりたくさんの命を救えると云う、最大限のメリットを示してあげたでしょう?」
「……その論法を振りかざすなら、犯人の確保も同じ理由が成立するはず。人命救助の為にも、即時の情報開示を要求する」
「ぐ……っ。あんた、意外に舌が回るのね……」
しかし、ここで『取引』出来なければ、『太古のポーション生成技術』を知ることが出来なくなるかもしれない。
引きたくはなかった。
何としても、シーベルの持つ知識が欲しかった。
アレッタが次なる譲歩の為の方策を考えようとした矢先、それが起こる。
ドオン、と何かが爆発するような音が響いたのだ。
村の近くの山の頂上あたりが、大きく揺れたように見えた。




