第三百四十五話 泥がくる(その十一)
(さて……。お手並み拝見と行きましょうか?)
アレッタはニヤニヤと笑いながら、アルトの行動を見守った。
彼女は熟練の薬師である。
だから知識うんぬん以前に道具や材料を扱う手際を見れば、その時点でおおよその実力は把握出来る。
きっとあの子供は、おっかなびっくり震える手つきで、懸命にポーションを作成するのだろう。
片言で喋る男の子の年齢は、七歳か八歳くらいだ。
そんな歳では、ろくな技術など持ち得るはずがない。
材料は勿体ないが、まず、粗悪なポーションを作らせる。
その上で自分が華麗な手さばきで優れたポーションを作って見せれば、彼は知るはずだ。
アレッタというエルフが、どれだけ偉大な医術者なのかを。
そして、師よりも優れた存在がいるのだということを。
(ふふふ……。その時の顔が見物だわ。まあ、態度次第で、多少の手ほどきはしてあげてもいいのだけれどね……)
視線の先にいる子供はしかし、作業台へは向かわなかった。
流し台――下水ではなく、外にそのまま水が流れるだけの問題ある構造だ――に、トコトコと歩いていく。
「――えッ!?」
そこで、信じられないものを見た。
突如として空中に、水の球が出現したのである。
それは、魔術以外に有り得なかった。
(詠唱をなしで、水の魔術を……!?)
彼はそのまま、そこでジャブジャブと手を洗う。
洗い終わると今度は風の魔術で乾かしているようだった。
そして、その手が一瞬だけ淡く輝く。
それが浄化の魔術なのだと、アレッタはすぐに気付いた。
(詠唱を必要としないというだけでも珍しいのに、高難度の浄化の魔術まで……。この子供、一体何者なのよ……!?)
もしや人間ではないのでは?
そんな疑念が、頭の中を駆け巡る。
(それにしても、器具や材料に触れる前に手を洗うとは、分かっているじゃないの……)
清潔であること。
こんな当たり前の知識や観念が、世間ではあまり浸透していない。
医術者から見て、由々しき事態である。
特に問題なのが、医療従事者でも衛生観念を持たぬ者がゴロゴロいるという現実である。
どうやらあの子供の師は、少なくとも基本にして最重要な『洗浄』と云う行為は教えているようである。
アルトは作業台につくと、まずは器具や素材の状態を確認している。
これも当たり前のことなのに、疎かにする愚か者が多い。
「××××××××××××××××××××××××……」
子供はサウルーン語ではない別の言語で、感心したような声をあげた。
(ふふん。あたしの道具が素晴らしいものだから、驚いているのね……)
彼女はそう解釈したが、実際にアルト・クレーンプットが呟いたのは、
「おお、細かなところまで手入れが行き届いてる。道具を大事に出来る人なんだなァ……」
だった。
そうして、アルトは作業を開始する。
その手並みに、アレッタは驚いた。
(ど、どういうことよ……! あの子の動き、とても昨日今日習い始めたようなドシロートじゃないわ!? まるで何年も、そして一日も欠かさずに調合を続けているかのようななめらかさだわ……!)
まだ十歳にも満たないはずの子供なのに、何故?
その疑問を口にするより前に、別の驚きがアレッタを襲った。
(えっ!? ギムの根を煮ているの……!?)
ギムの根はそのまますり下ろして混ぜることが定石である。
熱してしまうと回復効果が激減する上に苦みを発生させ、飲みにくくなるとされている。
しかしアルトはちいさなビーカーで皮を剥いた根を湯にくぐらせ、アクを抜くと、すぐに引き上げた。
それから、すり下ろして使っている。
他、数えればキリがない程、通常の作成工程とは違った行動を取っていた。
そのどれもが、アレッタの見たことのない加工方法ばかりだった。
既存の材料を使うポーションは、ここまで手間暇を掛けない。
だからこそ、初級として成り立つのだ。
だが、アルトのそれは多くの段階を踏んでいる。
しかも驚くべき事に、それでも調合スピードが早かったのだ。
アレッタの見る所、通常の作り方と作成速度は変わらないと思われた。
恐るべき手際の良さだった。
そして発端であるベクマの葉は他の素材と合わせて、見たことのない、別種の薬液に仕上げている。
最後に既存の素材を使った液体と混ぜ合わせ、ポーションを完成させた。
(何? 何なの、こいつの作り方は……! 私は知らない! こんなやり方を、見たことがない!)
出来上がった液体は、澄んだ湖水のような青色をたたえている。
ひと目見ただけでも、ただのポーションとは別物だと認識できる。
ちいさな少年は、アレッタに振り返った。
「出来まシタ」
「…………」
エルフの刀圭家は憮然とした表情で、一本の金属棒を取り出した。
それは魔性金属に薬品を混ぜ込んで作り上げられた、ポーション鑑定の為の特殊アイテム。
この棒を薬液に浸すと、中の成分に反応して色が付く仕組みになっている。
その色合いで、どのくらいの効果を持つ薬なのか、ある程度わかるようになっているのだ。
(この子供……! あたしが鑑定棒を出しても不思議がる素振りすらみせない……! つまり、『これ』がなんなのか分かっているってことよね……。たぶん、あのシーベルとかいう女エルフが教えたのね……!)
忌々しい、と彼女は思った。
この鑑定棒はエルフの秘奥のひとつで、人間族にはいっさい教えていない技術なのだ。
考案者は、破壊の魔術と薬学においては並ぶもの無しと謳われた偉大なる高祖である。
アレッタは『破滅』の名で知られる高祖を心底尊敬していたから、一族の祖が作り出したこの棒の存在を人間の子供なんかに教えたシーベルのことを、恨めしく思った。
(今度会ったら、文句のひとつも云ってやろうかしら!)
胸中で呟きながら、棒を使う。
果たしてエルフ族の秘奥は、アルトの作ったポーションを高品質と判定した。
それは彼の使った材料のランクから考えれば、信じられないレベルの高判定だったのである。
「…………っ」
アレッタは舌打ちをこらえ、かわりに歯ぎしりした。
そして、男の子を睨み付ける。
「……ひとつ教えなさい」
「何、カ?」
「あんたの技法って、あのシーベルとか云う女から習ったのよね?」
アルトはハッキリと頷いた。
「……ギムの根を煮たのは、何故?」
質問がふたつになってる、とアルトは思ったが、口に出さずに質問に答えた。
「ギムの根を、加熱すルと効果、が、下ガル、とされ、てイルのは間違い、デス」
たどたどしい言葉遣いで、彼は説明をする。
曰く、熱すると出てくるアクこそが苦みの元であり、治療効果を妨げる物質なのであると。
加熱すると苦み成分は一時的に分泌量を増すが、煮ることでアクとして放出させてしまえば、阻害要因が取り除かれ、ポーションの効果が上がるのだと。
また、ベクマの葉はそのままでは使えないが、特殊な製法で薬液にすると、ポーションと混ぜ合わせたときに薬効が飛躍的に向上するのである。
アレッタはベクマを『雑草』と切って捨てたが、寧ろポーション作成には欠かせない重要植物なのだと彼は説明した。
「ふざけないで! あたしの里も、あたしの師も、こんな方法は知らない! どうしてあんたの師は、こんなやり方を知っているのよ!?」
「えっト、『大崩壊』が原因ト、エイ……シーベルは云っていマシタ」
大崩壊は人命だけでなく、植物を含む生態系にも多大な被害をもたらした。
ベクマの葉も、一時は絶滅寸前まで追い込まれたのだった。
そんな事情で、当時の薬師たちはベクマの葉抜きでポーションを作るしかなかった。
少ない材料と限られた資材で、調合に挑むしかなかったのである。
だからアレッタの知る作り方は、単純な『劣化』とは云えない。
当時においては、それが最適解だったのだ。
そして薬の原料が自然界で復活する頃には、手間暇掛かり、何より多種にして大量の材料を使う『太古のポーション』の製法は、遺失してしまったのだと云う。
残ったのは、簡略化された、『非常用』の作り方だけ。
「じゃあ何? シーベルの里は遺失技術が伝わっていたのに、同族にも出し惜しみしていたってこと!?」
「ロキュスって人、製法知っテル、シーベル、云っテまシタ。伝わってナイ、色々な問題、アル思いマス」
「ロキュス様が……? いえ、あの方は高祖様から直々に薬学を学んだはず……。みだりに伝えることを避けたのかしら……? となると、シーベルの里には、ロキュス様の弟子でもいたのかもしれないわね……」
アレッタは苦虫を噛み潰したかのような表情で、愚痴をこぼす。
「……あたしの師匠の系譜だって、元をたどればロキュス様に辿り着くのに、教えて貰ってないってことじゃない……! どうなってんのよ!」
俺を睨まれても困る、とアルトは胸中で呟いた。
「あんた、アルトとか云ったわね? シーベルは、当然、これ以上のポーションを作り出す技術と知識を持っているのよね?」
「間違イなク」
「そう! なら良いわ!」
アレッタの瞳が、ギラリと輝いた。
「あんたの師を問い詰めて、知っている製法を、全部聞き出してやるんだから!」
吼えるように、エルフの少女は云いきった。
(『全部』は無理だと思うけどなァ……)
アルト・クレーンプットは、肩を竦める。
謝罪するうんぬんと云う話がうやむやになった気がしたが、混ぜっ返す度胸は、彼にはなかった。




