第三百四十話 泥がくる(その六)
教師、などと云う範囲の広い曖昧な表現をされ、アレッタは困惑した。
目の前のエルフは無表情なくせに、どこか誇らしげだ。
(あたしたちエルフって里が総出で幼い子の面倒を見るから、子供好きになるヤツが多いのよね……。このエルフも、その手合いか……)
親バカ教師バカ、そう云う輩の言葉は、のろけ話にも似て相手にする意味がない。
アレッタはそう決めつけて、会話の方向性を修正することを考える。
「この際、貴方の職業はどうでもいいわ。問題は、奇病よ、奇病! あれを何とかする術はないの? いいえ。そもそも、アレは何なのよ? 貴方は生物兵器とか云ったけど、どうしてそんなものが、こんな田舎の村々で流行しているのよ?」
「……流行した理由など知らない。強いて云えば、故意である可能性が高いとしか云いようがない。目的も犯人もわからない」
それはそうだろう。
寄生種を調べてわかるのは、寄生種のことだけだ。
背後関係など、わかろうはずもない。
「じゃあ、憶測でもいいわ。貴方これって、どんな生物だと思うの? 分かる範囲で教えなさいよ」
「……ん」
切り口を変えて質問すると、エイベルは淡々と答えた。
曰く、繁殖能力のない、完結した存在。
大元となる何かから、『胚』のようなものが生まれるのだと。
ただし、胚のままでも、これは動く。
ボウフラがサナギのままでも活動できるように。
そうして胚が動物を見つけると、体内に潜り込み、血管を通って各種内臓に寄生する。
胚からは無数の幼体が誕生し血液と魔力を奪いながら成長する。
やがて肉腫となって臓器と一体化し、肉体を崩壊させていく――。
「寄生虫をタチ悪くしたような存在ね。でも、どうして繁殖能力がないのかしら?」
「……たぶん、制御の出来ない無秩序の拡大感染を恐れたのだと思う。これに寄生されると、基本的に助かる術がない」
「ふん。『作った側』も持て余していると云う事かしら? でも、魔力を奪うと云うのは何? そんな生態までもを観測したの?」
「……胚が育つ条件として、魔力と云う養分が不可欠なのだと思う。私の実験でも魔力を意図的に与えた個体の方が成長が著しかった」
その言葉で、アレッタは限定的な発病状況を理解した。
同じ場所、同じ生活環境にありながらも、無事な者とそうでない者がいるのは、魔力の有無が分水嶺になっていると云うことなのだと。
そして『魔術師や魔導士』ではなく『魔力持ち』が条件と云うことが、より法則性を分かり難くしたのだと云うことを。
「と、云うことは、魔力持ちを標的にしていると云うことなのかしらね?」
「……それは分からない。単純に錬金生物だから、魔力が必要だっただけかもしれない」
そもそも本当に魔力持ちを標的にするのならば、人の集まる都市部にするはずだ。
田舎の僻地では、どうしても魔力持ちの人数に限りがある。
エイベルは云う。
「……いずれにせよ、相対的に魔力の多い私たちエルフ族は、罹病すると人間族よりも早くに蝕まれることになると思う。寄生種対策は十全にしておくべき」
「そこよ!」
アレッタはビシッと指さした。
「その胚とやらがどこにいるのか、それを聞かせて貰わないと始まらないわ。貴方は一体全体、どこでこのおかしな生物を見つけて来たのよ?」
「……ん。それは、泥の中」
エイベルの調べたところによると、『寄生先』には魔力の持ち主が必要となるが、胚がそれまでの間に生命維持していられる場所が、豊富な栄養を含む土と水分なのだと云う。
即ち、水田や湿地帯。
その話を聞いて、アレッタは眉をひそめた。
「農民に水田に入るなと云うのは、無茶な話じゃないのかしら?」
「……無理に止める権利は私たちにはない。警告だけでもしておくより他にない」
その言葉に、アレッタも頷いた。
※※※
「はァ!? 畑に入るな!? バカ云うな! そんなことが出来る訳がないだろう!」
エイベルたちの忠告は、怒声で報われた。
アレッタが危惧した通り、農業は彼らの生活の基盤であり、父祖から受け継いできた土地でもある。離れることは出来なかった。
「大体、今まで何年も分からなかった病気の原因を、やって来て数日で突き止められるなんておかしな話だ。あんたら、エルフだからって適当なことを云ってるんじゃないのか?」
別の農民が、訝しげに睨め付けて来た。
彼らは腕利きの医者や偉い学者が原因の特定に失敗したことを知っている。
いきなり「これが原因だ」と云われても、信じることが出来なかったのだ。
「あ、あたしたちが、嘘を云っていると云うの……!?」
「嘘をついているとまでは云わん。でもな、エルフの先生。あんたの薬、怪我や普通の病気にはよく効いても、例の奇病には何の効果もなかったじゃないか。それで信じろなんて云われても、納得は出来んよ」
「…………っ」
アレッタは反論出来ずに黙り込んだ。
彼女等は、あの寄生種が『作られた存在』とまでは説明していないが、もしもそれを話していたら、荒唐無稽にすぎて、更に信用を失ったことだろう。
「今、教会からは、とっても偉い司祭様が来ていると云う。何でも南大陸では知らぬ者がいない程の薬学者でもあるんだそうだ。その司祭様が、俺たちに『田に入るな』とは一言も云っていない。せめて司祭様と見解が一致していたら、一考の余地があったんだがなぁ……」
誰に云っても、賛同は得られなかった。
彼女たちには、実績が足りなかったのである。
そして間の悪いことに、リューリング村にちょうど、そのトヴィアスの噂が伝わってきたのだ。
「おぉ~~い! あの司祭様が、奇病治療の手がかりを掴んだらしいぞ! ゴーシュ村では、患者の顔色が良くなったとか!」
「本当か!? それはめでたい!」
「流石は司祭様だ! これも至聖神様のお導きであろう!」
「これで俺たちは助かるぞ!」
ふたりのエルフなど、最早、誰も見向きもしない。
目の前にぶら下がった『実績の噂』に、皆が飛び付いていた。
これはトヴィアスだけでなく、教会そのものが持つ『信頼度』の効果も大きい。
だから皆は、その噂を即座に信じた。
アレッタはエイベルの袖を引く。
「ちょ、ちょっと。今の話、本当だと思う?」
「……思わない」
エイベルは即答する。
始まりのエルフの見る所、あの寄生種の最大の難点は、『魔力の放出』にある。
これによって内臓の融解が引き起こり、更には臓器をぶちまけると云う結果を産む。
加えて寄生種自体が宿主と同化することで、薬効も無効化してしまう。
つまり、通常の薬では退治のしようがないのだ。
これに対する解決策は、エイベルもただひとつしか知らない。
そしてあの神官に、『それ』が可能とは思えない。
アレッタが問う。
「本当じゃないと思うなら、何が起きていると云うの?」
「……それは知らない。たまたま何かを勘違いしているか、嘘をついているか。そのどちらかだと思う」
「じゃあ、嘘で確定ね! あの神官、ムカツク顔をしていたもの。あたし、薄笑いが気持ち悪い男は信用しないことにしているの」
酷く一方的な理由で、アレッタが断言した。
そして、エイベルに向き直る。
「あんたの持ってる『サンプル』。あれをいくつか、あたしによこしなさいな。それで本当の特効薬を、あたしが作って見せるわ!」
「……全部は無理だけど、いくつかは譲っても構わない。それから、私は一度、報告に戻る。少し試してみたいこともある」
「そ、そう。立ち去るのね……。でも、安心しなさい! エルフ族の名誉は、あたしが守ってあげるから!」
少しだけ寂しそうな顔をしたアレッタは、そう云って自身の薄い胸を、ドンと叩いた。
※※※
それからエイベルはリュティエルに状況の報告をした。
しかし、『解決策』については語らなかった。
たとえ信頼できる実の妹であったとしても、おいそれと話すことが出来なかったのだ。
エイベルは、また南大陸に舞い戻ることを妹に告げ、館を辞去する。
だが向かう先は南大陸ではなく、彼女の慣れ親しんだ、ある家の離れだった。
数日ぶりの離れの庭からは、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「ふへへへ……! ふぃー、にーたが好き! だっこ! ふぃー、にーたに、だっこして貰いたい!」
「ほら、フィー。ぎゅー」
「ぎゅーっ! ふへへへぇ……! これ、ふぃー、やみつき! いつから好きなのか、自分でもわからない! もっと! にーた、もっとふぃーのこと、ギュッてして?」
「あぁ~ん! アルちゃああん! お母さんも! お母さんもだっこさせて?」
もう何度も見た光景に、しかしエイベルは混ざらなかった。
時間的に、クレーンプット母娘が二階のハンモックでお昼寝することを知っていたからだ。
今自分が出ていけば、眠らないかもしれない。
その可能性を回避したかったのだった。
エイベルが声を掛けたいのは、ひとりの男の子。
それは彼女の自慢の弟子にして、奇病に対する切り札。
おそらくこの世界でただひとり、あの寄生種に対抗する能力を持つ、唯一無二の存在なのであった。




