第三百三十八話 泥がくる(その四)
病人にはあまり近づくつもりのなかったエイベルだが、死亡したてというのであれば、そうもいかない。
何か残滓のようなものが発見出来るかもしれないからだ。
案内役の男と共に、現場に向かう。
途中、可能な限りの防御魔術を自身に施した。
「う……っ! こりゃあ、酷ェ……」
内部から裂け、臓物を撒き散らした遺体を見て、男は顔を背けた。
天井には、噴出された血液がベットリとこびり付いている。
その傍には死亡した男によく似た男性が、恐怖と衝撃で涙を流しながら震えていた。
「おい、カイ、しっかりしろ!」
案内役の男は青い顔のままで、震える人物に話しかけた。
彼はこの村の住人であり、たった今死亡した男の弟なのだという。
「う、うぁ、ぅ……!」
しかし弟は泣きながら首を振るばかりで、会話は出来そうにない。
門番の男が彼に話しかける横で、エイベルは遺体に近づいた。
(……臓器の異常な変質と、部分部分に見られる融解……。内臓の節々に見える、通常では有り得ない肉腫のようなもの……。そして――)
エイベルは室内を見回している。
それは、余人には決して感じ取ることの出来ないもの。
(……内部からの破裂は、魔力によるもの……)
しかし、魔術ではない。
魔力の放出は行われたが、術式が編まれた形跡はない。
どちらかと云うと、ドラゴンのブレスやモンスターのカノンに近いものだとエイベルは見て取った。
「こ、こんな奇病は見たことがねぇ! それとも、何かの呪いなのか!?」
「…………」
青ざめながらエイベルに振り返る案内役に、しかしちいさなエルフは答えなかった。
(……死亡する原因と仕組みは理解した。しかし、問題は感染経路と対策……)
エイベルの推測が正しければ、『これ』は発症してしまえば、ただひとつの手段を除いて打つ手がない。
それも、早期でなければ手遅れだ。
ツカツカと弟に近寄り、両の掌で顔を挟んだ。
間近にこの世ならざる美貌を目の当たりにして、カイは身を竦める。
「……貴方の兄は、魔力の保持者だった?」
「え? あ、ぅ……」
「……答えて」
無機質な瞳に見つめられ、カイはコクコクと頷いた。
背後から、案内役の男が言葉を投げかける。
「カイの兄貴は確かに魔力を持ってはいたが、もの凄く微量で、魔導士になれるような量じゃなかったはずですよ? まあ、文字だって書けないから、仮に魔力量があったところで、試験は落ちるでしょうがね」
「……けれど、養分にはなる」
「養分? 何のことです?」
「…………」
エイベルは黙考する。
そして、振り返る。
「……病が流行りだしたのは、どのようなタイミングだった? 人や物資の出入りは? 思い出せる範囲で構わない。答えて欲しい」
「え? えぇと――」
案内役は、記憶の糸をたぐった。
「た、たしか、去年の三月か四月に最初の病人が出たから、田起こしの後くらいじゃないかと思うんですがね……? 人や物資の出入りに関しては、全く分かりません。ちいさな村ではありますが、それ故に、あちらこちらと交流――物々交換ですな――をしなくては立ち行きませんからね。うちが他所に作物を運ぶこともあれば、その逆もある。旅人や冒険者も立ち寄ることもありますし、たまにですが、行商だって来ますから」
「……では、罹病者の共通点を訊く。全員が他所に出かけたことがあるか、或いは逆に、ずっと村に留まっていたということは?」
「えぇ……っ? どうだったかなぁ……? カイ。お前の兄貴って、夏頃にお使いに出たよな?」
「あ、ああ……。で、でも先月死んだ婆さんは、歳を取ると遠出はキツいからと、ずっと村にいたはずだ……」
「……となると、矢張り単純な伝染ではなく、条件」
エイベルは少し考え、
「……この村で、農作業をしない者はいる?」
「ダンドンの家がそうですね。あそこは、村で唯一の鍛冶屋です。といっても、作るのは日用品が主ですがね。でも鍛冶場に掛かりっきりなんで、農作業はしてないですよ」
「……そこは無事?」
「ええ、幸いなことに。鍛冶場まで使えなくなったら、鎌ひとつ手に入れるのも大変になりますからね。あいつん家が病気にならなくて良かったですよ」
案内役の男はカイの視線に気付き、慌てて謝った。
「わ、悪ィ……」
「い、いや……」
エイベルは、この村だけでは条件の絞り出しは難しいと考えた。
残るふたつの流行地であるゴーシュ村とリューリング村へ調査に行ってみなくては、と。
埋葬を手伝うと、彼女はすぐにセルカット村を後にした。
※※※
「そんな、あたしの薬が……」
奇病の患者を前に、アレッタは肩を落とす。
彼女の用意した複数の妙薬が、いずれも効果を発揮しなかったのだ。
特にショックを受けたのは、痛み止めすら役に立たなかったことだろうか。
何を飲ませても、病状の改善は見られなかった。
「ど、どうして……」
彼女の心に刺さるのは、薬効が悪かったことだけではない。
「おとうさん……! おとうさん……!」
病床に伏せる父親の手を泣きながら握る、幼い少女の姿が視界にあるからだ。
「あたしが絶対、助けてあげるわ!」
そう豪語して、結果が出せなかった。
そのことがとても心苦しい。
「先生、手を尽くして下さって、ありがとうございます」
倒れ伏した男の妻が、そう云って頭を下げる。
それは、高価なポーションをいくつも使用したからだ。
だが回復させることが出来ていないのに気を遣われるのは、ツラい。
アレッタは唇を噛んだ。
(情報……! まずは情報よ! 病の原因が分かれば、あたしならきっと、すぐにでも治療薬を作れるはず……!)
兎に角考える時間が欲しいと思った。
そこに、一家の大黒柱を救えなかったという贖罪意識が混ざり込み、アレッタは別のことで、この一家の助けになってあげようと考えた。
「ご主人は、水田で薬草畑を作っているのよね?」
「え、ええ。はい。うちは米や麦ではなく、街に卸す薬草を育てておりますので」
「冬季は作業が出来ない米作と違って、薬草には冬に育つ種もある。そうよね?」
「はい、ですが水生薬草の手入れは難しく、今育てているものも、主人でなければ世話が出来ません……。私たち親子も、水田に入ることは許されておりませんでした」
その言葉を聞き、アレッタは笑顔を取り戻す。
そして、胸を張って云った。
「なら、このあたしに任せなさい! あたしは医術者! つまり、薬草の生育にも知識があるの! この村にいる間だけだけど、薬草畑の世話は、あたしがしてあげるわ!」
「そんな、悪いです!」
「平気よ。あたし程のエルフに掛かれば、診察の片手間で出来ることよ!」
アレッタはそう云ってふんぞり返った。
翌日。
薬草畑の世話をしたアレッタは、その手並みを驚かれ、感謝された。
水田にあるのは、彼女にも馴染みのある種だったのである。
「お医者様、すごーい!」
幼い娘に、わずかでも笑顔が戻ったことが、アレッタには誇らしかった。
この調子で貴方のお父さんも救ってあげる。
そう云いながら、彼女は久々に泥にまみれて水田の世話をした。
本来、一日かかるはずの作業を午前中だけで終わらせ、午後は往診をする。
しかし有力な情報は手に入らず、また、どの家でも薬の効果は薄かった。
リューリングにくる直前で別れた無表情のエルフが村に現れたのは、そんな時だ。
彼女はアレッタに挨拶をすることなく、村中で情報を収集しているようだった。
目の前に自分がいるのにスルーされたので、アレッタから無機質なエルフを捕まえた。
「ちょ、ちょっと! 声くらい掛けなさいよ! 知らない仲でもないでしょう!?」
「……有力な情報がある、或いは治療方法が発見されているならば、貴方の性格ならば、放っておいても自慢を始めるはず。それがないということは、進捗もないということ。話しかける意味はない」
「じょ、情報交換くらいは出来るでしょう!?」
「……では問う。貴方はどんな情報を有しているの?」
「それは、その、薬の効き目が薄いこととか……」
「既存のポーションの効果が薄いことは承知している。こちらに来るより以前、この病に倒れた同族は薬を与えても助からなかったと聞いているから」
「な……ッ!? 聞いてないわよ、そんなこと!」
「……話していないから、それは当然」
云うだけ云って、エイベルは踵を返そうとする。
しかし少しでも手がかりの欲しいアレッタは、回り込んで叫んだ。
「か、仮説くらい……。何か仮説くらいはないの!?」
「……何に対して?」
それは感染経路か原因か、或いは薬の効き目が薄いことか。
自分でも曖昧な訊き方をしたと、アレッタは赤面した。
「じゃあ、薬が効きにくい理由は分かるの?」
「……ひとつは内臓そのものが弱っているから。それで薬をろくに吸収出来ないことが原因。たとえば痛み止めを用いるのであれば、飲み薬ではなく塗り薬の方が効果は高いと思われる。けれど、それも焼け石に水ではある」
「ど、どうしてよ!」
「……痛みの原因が、体内にあるから。それを取り除けなければ、薬効以上の痛みが続くだけ」
「体内に? そう云いきる根拠は何?」
「……私はセルカットで死亡したばかりの人間を見た。その臓器に、異変があった」
「スライム状になるってやつ? それは街でも聞いた話でしょう?」
「……違う。融解した臓器には、無数の肉腫があった。あれは自然発生した悪質な細胞ではなく、臓器と何かが『融合した結果』であると私は見ている」
「融合!? それって、まさか――」
驚くアレッタに対し、ちいさなエルフは淡々と呟いた。
「……病をもたらしているもの。それはおそらく、寄生種が原因と思われる」




