第三百三十七話 泥がくる(その三)
入って来たのは、確かに法衣を着た人物だった。
しかし、僧侶と云うよりは研究者と云った感じの風貌をした男だ。
室内に、男の知己はいないらしい。
故に、「誰だこいつ」と云う反応がふたつ。
一切興味のない反応がひとつ。
男は教会式の所作で、恭しく礼を取った。
「私は至聖神教会南方支部所属の司祭で、トヴィアスと申します。教会内においては、医療と薬の研究に従事している者です。この度の病の流行においては、我らが猊下も切に心を痛めており、原因の究明を神の使徒たる我らの試練と定められました。そこで私が、この地へと赴く任を拝命したのです。院長殿におかれましては多忙のこととは思いますが、どうか我らの救済活動に御助力をお願い致したく、こうして参上した次第です」
長い挨拶が終わると、院長は飛び上がらんばかりに驚いた。
「トヴィアス! あのトヴィアス様ですか!?」
「おや、我が名をご存じでありましたか」
「もちろんです! トヴィアス様と云えば、教会きっての薬学者! 医療に携わるものとして、聞き逃せる名前ではありません!」
「ははは……。院長殿は他者をもてなすことに慣れていると見えますな。しかし私は非才浅学の身。知られる功績があるとしたら、それは主のお導きの結果に過ぎませんよ」
云いながらも、男の表情は明るい。
次いでトヴィアスは、同じ室内にいるふたりのエルフの顔を見た。
薄い笑みを浮かべていても、どこか冷たさを感じる表情だった。
教会とエルフ族が不仲であることは、院長も知っている。
「院長殿、こちらの方たちは?」
「ああ、彼女……たちも病の調査をして下さると云うエルフ族の方たちです」
「ほう。そうですか。それはそれは」
彼の視線を受けたエルフたちの反応は冷淡を極めた。
アレッタの方は露骨に嫌悪の籠もった沈黙をぶつけて来ており、エイベルはそもそも、見向きもしない。
まるでそこにトヴィアスが存在しないかのような態度である。
「お、おふたりとも……」
院長が困惑した態度を見せるが、司祭はそれを手で遮った。
「良いのですよ、院長殿。エルフの皆様方は、皆こうなのです。それは素晴らしき神の教えを知らないが故なのですよ。子供の無知を責める親はおりますまい? いちいち目くじらを立てることでもありません」
「あんたらが嘘ばかり吐いてるから嫌いなだけなんだけど?」
アレッタはそう呟いたが、トヴィアスは微笑を浮かべたまま、それを無視した。
ハラハラと様子を窺っていた院長は、罵り合いやケンカ沙汰にならなかったことに安堵する。
「それでは院長殿。貴方の知っている範囲で構いません。病の情報をお聞かせ頂けますかな?」
「は、はい。もちろんです」
院長はエイベルたちに聞かせたのと同じ話を司祭にもし、それからいくつかの流行地の情報を語った。
「ふぅむ……。流行地はいくつかありますが、酷く限定的ですね……? 他所にあまり伝搬していないのも気になりますが、環境依存であるとも軽々には決めつけられませんか……」
トヴィアスは腕を組んで考えるような仕草をした後、意を決したように頷いた。
「これは矢張り、私自身が現地へ出向いてみる以外にありませんか」
「トヴィアス様! それは危険では……」
「何の、これも衆生を救い、神の恩寵を輝かせるためです。我が身を惜しんではおられませんよ」
「おぉぉ……! 流石は司祭様! 何と云う勇気! 何と云う慈悲深さ!」
「ふん……。売名宣伝の為って素直に云えば可愛げがあるのに」
アレッタはそう呟いたが、敢えて反応する者はいなかった。
「では私は、最初に病が発生したとされるゴーシュ村へと行ってみますかな」
トヴィアスは席を立つ。
エルフふたりを横目に立ち去るその顔には、自信の程をみなぎらせている。
事実、彼は自分が来たからには、疫病快癒へとこぎ着けるであろうと云う自信があった。
だから煽られても気にしない。
無駄な舌戦を繰り広げるくらいなら、金縁付きの実績を示す方が、遙かに効果があるし、スマートだ。
一方、アレッタの方。
彼女は教会関係者と顔を合わせて調査をするなど真ッ平御免だった。
奴らはエルフ族の功績を奪い、自分たちの手柄とする盗人だ。
肩を並べることなど出来ない。
そう考えている。
だから、他の流行地を選択する。
奇病の発生地域は最初にトヴィアスの向かったゴーシュ村。
その後に流行し、今なお最大の被害を出しているリューリング村。
そして最近発生したが、その勢いの激しいセルカット村のみっつが三大疫病地とされている。
発生している場所は他にもあるが、この三村が代表地だ。
アレッタは最流行地であるリューリング村へと向かうことに決めた。
「さあ、行くわよ?」
鞄を提げ直し、エイベルに声を掛ける。
しかし返ってきたのは淡泊な言葉がひとつ。
「……私はセルカットの方へと行ってみる」
「な、何でよ!?」
「……貴方と行動を共にする理由がない」
「理由がないって、あたしは医者よ!? そのあたしから離れて、万が一貴方が罹患したら、どうするつもりなの!?」
アレッタは一応、エイベルのことを案じてはいたらしい。
けれど、無表情なエルフは首を振る。
「……私は状況の見極めから始める。観察と会話による情報収集を主にするつもりで、患者に近づくつもりもない」
「ふ、ふぅん……。まあ、医術者じゃないなら、そっちの方が安全かもね。あんたの目的は調査であって治療じゃないんだものね? ……あたしは手持ちの薬をいくつか罹病者に与えてみて、効果を確認するつもり。私の作るポーションは、凄い効果なのよ?」
院長に視線を向けると、彼は勢いよく頷いた。
「アレッタ様の作られるお薬の効果の程は、私自身がよく知っております。叶うならば、当診療所に定期的に卸して欲しいくらいです」
その言葉は事実であっても、エイベルには無価値な情報だった。
既に自分の薬が効いていないのだ。
彼女の腕がどれ程かは知らないが、仮に同等だとしても素材では間違いなく自分に劣るはずだと思っている。だから効果も薄かろうと。
だが、その辺は口にしない。
云えば説明をせねばならないし、万が一にも、彼女の薬が効果をあげる可能性だってある。
余計な口を挟む気もなかった。
結局、アレッタは何度もエイベルを振り返ったまま、街の入り口で別れることとなった。
エイベルは迷いのない足取りで、セルカット村へと向かった。
※※※
エイベルの辿り着いたセルカット村は、人口八十人程の集落だ。
そのうち、二十人弱が罹病していると云う。
たかが二十人というなかれ。
この村の病人たちは、皆が去年のうちに発病しているのである。
一年にも満たぬ期間に、村民の四分の一が罹病しているだ。
だから彼女は薬師だとは名乗らなかったが、それでも調査目的で来訪したことを告げると歓迎された。
エルフ族が薬学に明るいことは、周知の事実だったからである。
「エルフ様。何か薬をお持ちでは無いのですか?」
「……今はない」
それは偽りではあっても、半分、事実ではある。
何種類かのポーションはあるが、おそらく効果は薄いだろうと思っている。
リュティエルが罹病したエルフに使用させたのは、エイベルの作った薬の中でも貴重な部類に入る。神代植物も使っていたものなのだ。
手持ちの薬は、『それ以下』のものだ。
だから出す意味がない。
無駄な希望を与えて、ポーションを減らすわけにもいかなかった。
「……この村は、農業がさかん?」
「ええ。他に産業もありませんしねぇ。街に働きに出る者や、冒険者になる奴も多くて、病気が無くても人口は減る一方ですよ」
案内役として付いてきた門番の男性が苦笑する。
モンスターの存在する世界なので、ちいさな村でも見張りがいないと云うことはない。
専門の番人はおらず、村人が交替で作業に当たっているのだと云う。
(……ここでは、米を主に作っている)
エイベルの視界には、空の田んぼが広がっている。
三月以降になれば田起こしが始まり、種まきも開始されるのだろうが、今は二月。
まだ、手が付けられていないようだ。
「幸い、刈り入れが終わってからは、あまり病人が出ていないんですがね。間の悪いことに、数少ない魔力持ちばかりが倒れちまいましてねぇ……。これじゃあ畑作業も村の防衛も不安になるってもんですよ」
「…………」
エイベルは考え込んでいる。
村について早々に、彼女はある種の仮説へと辿り着いていた。
それはエイベルがある感知能力を持つが故であった。
(……目的を考える意味はない。重要なのは、手段)
村人たちの生活に、それ程の違いはない。
交替で番をし、そうでないときは畑の世話をする。
これだけだ。
環境に原因があるとするならば、殆ど全員が罹っていなくてはおかしい。
しかし、そうはならない者もいる。
エイベルはそこにも、ひとつの理由を見いだしている。
「う、うわああああああああああああ!」
そんな時、悲鳴が上がった。
罹病者のひとりが、破裂して死んだのである。




