第三百三十六話 泥がくる(その二)
流行病の話題を持ち出されたことで、エイベルは初めて小うるさいエルフに目をやった。
彼女は肩から、大きめの鞄を提げている。
その中からは、魔力を含んだ薬品の気配がした。
「……薬師? それとも、医療の心得がある?」
「どちらもよ。まだ名乗ってないのに気付くなんて、やるじゃない」
ふふん、と笑うエルフの少女。
やっとエイベルの注目を勝ち取れて嬉しかったのか。
それとも医術に関する技量に自信があるのか。
「あたしはアレッタ。トヴレの里長の娘で、刀圭を学んでいる者よ? で、貴方は何? 単なる旅行者? それともこの辺りに知り合いでもいた?」
「……私は、病を調べに来た」
「貴方が?」
上から下まで、エイベルに視線を這わせるアレッタ。
アレッタが初めて見るちいさなエルフは、剣を帯びているが明らかに魔術師の姿だ。自分と同じ、医者には見えない。
「面白半分で来たのなら、後悔することになるわよ?」
「……エルフたちの命が掛かっている。面白半分で事に当たるつもりはない」
「ふぅん……? 貴方に医術の心得があるようには見えないし、里の命令か何かで取り敢えずの調査に来たって事? 確かにこれ以上、被害が拡大したら大変だからね。でも大丈夫よ。あたしがいるんだもの! あたしは里一番の医術者なの! このあたしに掛かれば、解決なんて、すぐよ、すぐ!」
「……壮語する根拠を示して欲しい。原因の特定が出来ているか、明確な治療手段を備えているの?」
「どちらも、まだよ! でも、すぐに何とかなるわ! だって私は、大医術者なんだもの!」
「…………」
その言葉と表情で、エイベルは彼女との会話に意義が少ないことを認めた。
自己評価が異常に高いが、肝心要の病そのものに対する言及がない。
取り合う価値無し。
それが彼女の結論だった。
ドヤ顔を晒すアレッタの横を無言で通り抜ける。
当初の予定通り、人間から情報を仕入れるべきだと考え、候補地へと向かおうとした。
「ちょちょ、ちょっとォッ!?」
今の今まで会話をしていた相手が、自分がいない者かのようにスルーして歩き出したので、アレッタは慌てて後を追う。
「ど、どこへ行くのよ!? まだ話の途中でしょ!?」
「……貴方は『自分は凄い』としか云わない。病気の情報を話す様子がない。私は面白半分で来た訳ではないと云ったはず。急いでいるので、もう話しかけないで」
「ま、待ちなさいよ! あたしは貴方のためを思って、忠告をしてあげているのよ?」
「……その忠告が、一度も出ていない」
「う……」
「……その様子では、有力な情報も所持していないと判断する。もう一度云う。私に話しかけないで」
「あ、あたしはロキュス様の流れを汲む医術者なのよ!? ロキュス様よ!? あの、ロキュス様! 滅多に弟子を取らないことで知られる、ハイエルフ最高峰の薬師! 貴方もエルフなら知っているでしょう!? ロキュス様の師は、薬学の道、神の如しと讃えられる我らの高祖様! あの御方の直弟子なのよ!? あたしの師の師の師の師の師が、確かロキュス様の孫弟子だったはずなのよ!」
「……誰の弟子で、どの流れを汲もうが関係ない。重要なのは、貴方が流行病の情報を持っているかどうかだけ。無いなら、話しかけないで」
「あ、貴方、情報が欲しいんでしょう? なら、あたしといる方が得だと思うけど?」
「……得と断言する根拠は?」
エイベルは『眠りの粉』を握りしめて問う。
これで有力な情報が無かったら、物理的に黙らせてこの場を去るつもりだった。
「あたしは、里長の娘で医術者と云ったでしょう? つまり、この街の診療所とも交流があるのよ。本当に困っている時だけ、里の薬草を譲ってあげることがあるの。だから、奇病についての話が聞けるはずよ?」
「…………」
その言葉が本当なら、同行する価値はある。
アレッタ自身の学識や見識には微塵も期待の出来ないエイベルだが、人脈だけは活用できるかもしれないと思ったのだ。
「ほら。あたしの言葉に従って正解でしょう? 貴方、滅多に見ない同族だもの。だから声を掛けてあげたのよ?」
「……正解かどうかは、話を聞いてから判断する」
診療所の人間も、有力な情報を持っているかが分からないのだ。話半分に効いておくより他にない。
エイベルはアレッタに案内されて、診療所へと向かった。
※※※
「おお、アレッタ様!」
診療所は、それなりの規模だった。
ついて早々に、そこの院長が駆け寄って来た。
中年の男性であり、彼の表情は明るい。
彼女の言葉通り、ある程度は良好な関係が築けていることが窺われる。
「院長、久しぶりね?」
「はい。最後にアレッタ様にお会いしたのは、もう十年近く前になりますか」
「あら。割と最近だったのね。二十年くらいは経っているかと思ったけれども」
ふたりが挨拶をしている間も、エイベルは内部の様子を観察している。
パッと見では、重病者がいるようには思えない。
どちらかと云えば、負傷者の方が多いだろうか?
これはモンスターが存在し、冒険者なる家業がある世界なので、ある意味当然ではあるのだが。
(……場に、瘴気の類はない。おかしな魔力も無し)
通常の診療所の風景とエイベルは判断する。
「あの、アレッタ様。そちらの方は……?」
「ああ、この娘? この娘は、例の奇病を調べるために他所から来たんだって。あたしもそうなの。何か知っていたら、話を聞かせて貰えるかしら?」
「そういうことでしたら、こちらへ」
ふたりは別室へと通される。
茶と茶菓子も丁寧に出されたので、扱いが丁重であることは伝わった。
尤も茶の淹れ方は、エイベル基準では、まるでなっていなかったが。
院長は説明を始める。
「まず、例の奇病ですが、この診療所内に患者はおりません。今後もやって来る可能性は低いかと思われます」
「可能性が低い? 院長、ここはこの辺りでも一番大きな街でしょう? この診療所だって、立派なものじゃない。なのにどうして、患者がいないの? 運ばれてくるか、自分でやって来るか、頼ってきそうなものなのに」
「はあ、それなのですが……」
院長の説明によると、この街は周辺では一番の大都市であり、中継地点であり、要となる場所だ。
だから都市の統治者は新種の病気を持ち込まれることを許さなかったのだと。
近隣に触れを出し、この街に例の病気の患者を持ち込んだ場合は、送り出した村全体に責任を取らせると厳重に通達したらしい。
「領主様の云い分は一応理屈ではありますが、どうにも保身の結果なのではないかと皆が噂しておりますな」
「ふぅん。狡賢いことを考えるのね。じゃあ、院長も実際に患者は診ていないのね?」
「左様でございます。ですので私がお伝えできるのは、あくまで伝聞であると云うことをご理解下さい」
「いいわ。話してみなさい?」
「は。それでは――」
説明によると、この奇病の最初の患者らしき者が現れたのは、神聖歴1201年頃であると云う。
しかしこれも、『後から考えればそうであろう』と云う推測の域を出ない話ではあるそうだが。
「症状としましては、まず、全身の痛み。腹痛、発熱、倦怠感を覚えるようです。症状が進むと、臓器に異常をきたすようです」
「それだけでは、何も分からないわね。当てはまる病気や毒も多いし」
「はい、仰る通りです、ここまでは。更に症状が進むと、全身が内部から破裂し、血が噴き出すのです。そして、死に至ります」
「内部から――破裂する?」
「はい。破裂と共に飛び出した臓器は、いずれも変色し、ただれていたと。ものによっては、スライム状になっていたものもあったとか」
「破裂すると云うのがよく分からないわね? ガスのようなものも一緒に噴出されたり、異臭はしなかったの?」
「臓器そのものが壊死しているので、異臭に関しては判断が付かないそうです。ですが、ガスの類は無かったと」
そこまでの説明は、エイベルがリュティエルから聞いたものと同じだった。
エルフと人間。
同じ症状の病に罹っていると云うことになるが……。
「実際に患者を診た医師たちは、なんて云っているの?」
「これまでに見たことがないものなので、毒にせよ病気にせよ、新種なのではないかと」
「或いは、呪詛の類の可能性もあるわね」
「アレッタ様は、呪術にはお詳しいので?」
「さっぱりね。私は医者であって、呪い師ではないもの」
バッサリと斬り捨てて、アレッタは問う。
「これ、大事なところだから訊いておくわね? 医師で感染した者はいる?」
「今のところ、おりません。噴出した血液や、変形した臓器に触れてしまった者もおりますが、感染ることはなかったようです」
「ふぅん? なら、毒物の可能性は低くなるのかしら? 患者たちの家族はどう? 感染状況は?」
「はい。感染者が出た家の人間は、高確率で同じ病を患うそうです」
「血や内臓に触れても感染らないのに、家族は罹る……? では、住環境に問題があると云うこと?」
「そこがよく分かりません。たとえば家族全員が死亡したある豪農の状況ですが、その家の農奴や従業員には、罹患しなかった者も多かったようなのです。また別のパターンですと、左右の家が発症したのに、真ん中の家だけは無事だったというケースもあったようで……」
「それじゃあ、環境依存かどうかも判断出来ないわね? 矢張り呪詛と考える方が――でも、種族も性別も関係なく複数の者が罹っているのよね……? 無差別? それとも、単純な暴走か、呪術実験の失敗という可能性も……?」
アレッタは手を拱いて考え込んでいる。
横で聞いているエイベルとしても、今の話だけでは判断が付かない。
このちいさな始まりのエルフには、毒物感知の魔術と魔力感知の能力があるが、それらは現場で発動させねば意味がないものだ。当たり前だが伝聞には効果を発揮しない。
この院長自体からして、実際に患者を診ていないのだから、細かな話は出来ないのだろう。
(……矢張り、私自身が実際に流行地へ行くべき)
エイベルは、そう決めた。
流行地は複数ある。
その位置はもちろん、関連性や共通点だけでも押さえておくべきだろうと考えた。
エイベルがそれらを質問しようとした矢先、診療所のスタッフが来客を告げた。
「来客だと? はて? 今日は約束は何もなかったはずだが?」
首を傾げる院長に、スタッフはこう告げた。
「至聖神教会の、司祭様がお見えです」と。




