第三百三十四話 ナトゥーナの来訪
私の名はナトゥーナ。
誇り高きハイエルフです。
本日は極めて重要かつ、迅速な任務を帯び、高祖様のいらっしゃる、ベイレフェルト侯爵家の西の離れへと向かっています。
あちらには現在、警備部のヤンティーネ先輩がいるはずです。
ヤンティーネ先輩は高祖様の大切にされている人間の一家族に、とても重用されています。
物資の運搬や外出時の警護。
そして、そこの子供に武技の指導までしているそうです。
羨ましい。
実に羨ましいです。
そこまであの家族の生活に食い込んでいられるなら、それは四六時中高祖様といられることと同じです。
ですが私は武を持って仕えるのではなく、植物生育の技術や学識で、お側において頂たいと思っております。
ああ、私もいつか、高祖様直属のガーデナーになりたいものです。
(そうそう。あの家には、『名誉エルフ族』の少年がいるのでしたね……)
思わず、顔がにニヤけてしまいます。
あの子からは、無限の可能性を感じました。
困惑した顔ですらあんなにソソるのですから、目の前で怯えた顔をされたら、どうにかなってしまうかもしれません。
むふふふふ……。
なんとかして、彼との接点を持ちたいものですねぇ……。
そんな風に考えているうちに、離れが近づいてきましたよ。
向こう側からは、楽しそうな笑い声が聞こえます。
庭に出ていると云うことでしょうか?
(おや……?)
離れと本館を隔てるように配置された生け垣の傍に、金髪の幼女がおりますね?
彼女は懸命に離れの方を見ているようですが、どうしたのでしょう?
かくれんぼか何かでしょうか?
(と、思ったら、生け垣の下部を掻き分けてトンネルを造っておりますね……? この家の子じゃなかったら、怒られると思うんですが……)
あ。
ちゃんと枝などを配置して、パッと見では分からないようにカモフラージュしているんですね。
まだ幼いでしょうに、なかなかの機転です。
まあ、いつまでも彼女を見ていても仕方ないですね。
クレーンプット家の者でないなら、スルーするとしましょうか。
私は建物を迂回し、庭の方へと向かいました。
「にーた! これ楽しい! ふぃー、気に入った!」
「うふふふふー! このキックスケーターとか云うの、とっても面白いわー!」
そこではよく似た母娘が、見たことのない乗り物に乗って大はしゃぎしていました。
母娘ふたりは右へ行ったり、真っ直ぐ来たり。文字通りに、はしゃぎ回っています。
(な、何ですか、これは……!?)
移動のための乗り物ではなく、遊具の一種と云うことなのでしょうか?
誰が考えたものなのかは知りませんが、凄い発想です。
商会でも王都でも見たことがないので、個人の開発なのでしょうが。
(いや、いますね。こんなものを考え出せる者が)
シャール・エッセン。
少しずつ名が知れてきている、あの発明家です。
私はつい先頃、その『正体』を知ったのでした。
彼は縦横無尽に駆け回る母と妹を見て困惑しています。
きっと心配なのでしょう。良い表情だと思います。
エッセン少年に話しかけたくもあり、奇妙な乗り物も気にはなりますが、今は別の用事を済ませねばなりません。
「高祖様、お久しぶりでございます」
「…………ん」
私が跪いて声を掛けると、高祖様はすぐに立ち上がるように指示を出されました。
相変わらず、可愛らしいお声ですね。
すぐ傍に立つヤンティーネ先輩は、私がここに現れたことが不思議なようです。
だって高祖様への伝言や荷物の受け渡しがあるのならば、それは先輩が請け負えばいいわけですからね。
けれども、高祖様を差し置いて私に話しかけるわけにもいかないのでしょう。
こちらを凝視しながらも、一言も口を開きません。
私は尊き御方に向き直ります。
「実は先程、畏き御方より、商会本部に文が届けられました。早急にこちらへ届けるよう、私が仰せつかった次第です」
「……ん」
手紙を手渡しました。
高祖様は躊躇無くその場で開きましたが、人目とか大丈夫なのでしょうか?
(と、云いつつ、ついつい中を見てしまいますね……)
って、あれれ?
真っ白です。
手紙は不思議なことに、何も書いてありませんでした。
私は慌てて自身の荷物の確認をします。
何かを間違えたとか、誰かにすり替えられたとか、事故か事件が発生したのではないかと焦ったのです。
「……慌てなくて良い。これで合っている。確かにこれは、リュティエルの文字」
文字?
文字など、どこに!?
私は思わず、ヤンティーネ先輩の方を見ました。
彼女には慌てた様子がありません。
たぶん、『白紙の謎』を知っているのでしょう。
先輩は今でこそ商会警備部におりますが、本来は代々が高祖様に仕える騎士だった家系の出身と聞いております。
ならば、秘伝の一つや二つ、知っていても不思議はありません。
しかし彼女は、私の視線を意図的にスルーしました。
同族であっても、秘密を漏らすつもりが無いのでしょう。
「…………」
高祖様は無表情ながら、考え事をしているようでした。
そしてすぐに、少年を呼び寄せます。
「……アル」
「どうしたの、エイベル?」
彼はそこで、私に気付いたようでした。
ちいさく会釈し、高祖様の元へと向かいます。
「……私は少し出てくる。リュシカたちのことをお願い」
「深刻な話?」
アルト少年は、高祖様の表情から何かを読み取ったようでした。
私には変化のない無表情にしか見えませんが、彼には何かが分かる様です。
「……たぶん」
「エイベルは大丈夫なの?」
なんと彼は、高祖様の身を案じているようです。
尊き御方の熱烈な信奉者がいらば、このちいさな男の子の言を、不敬と受け取ったかもしれません。
しかし不思議なことですが、高祖様は彼の頬を、そっと撫でました。
「……平気」
これは『心配は要らない』と云うジェスチャーなのでしょうか。
それとも、気を遣われて嬉しかったのでしょうか?
いずれにせよ、高祖様が気分を害した様子はありませんでした。
どうもこのおふたりからは、余人の割り込めない絆のようなものを感じます。
「めーーーーっ!」
そこに、ちいさな乗り物に乗った幼女が滑り込んできました。
ザザザーッと砂煙を上げ、高祖様と名誉エルフ族の少年との間を遮ったのです。
割り込めないと云った傍からこれですよ。
「にーたの柔らかいほっぺに触れる! それ、ふぃーだけなの!」
銀髪の幼女はカンカンになって高祖様に突っかかっています。
ここで私は閃きましたね。
このリトルタイフーンを宥めることが出来れば、高祖様の覚えもめでたくなり、この少年とも接点が持てるかもしれないと。
ふふ。
「ちょっと待って貰えますか?」
「みゅっ!? だぁれ?」
干し肉とコーンフレークの試食会で顔を合わせているはずですが、彼女は私を覚えていないようです。
これは幼さ故なのでしょうか。
それとも、単に眼中にないだけなのか。
「私はショルシーナ商会農業部所属のハイエルフで、ナトゥーナと申します。以後、お見知りおきを」
「人見知り関係ない! ふぃー、今にーたを守るので忙しい!」
別に人見知りではないのですが……。まあ良いでしょう。
しかし、中々に悋気旺盛な子ですね……。
幼さを考えると、末恐ろしいと云うべきでしょうか。
「実は高祖様は、少しこの場から離れるのです。彼とは、その挨拶をしていただけなのですよ」
「みゅ? エイベル、どこか行く?」
お?
ちょっと気を引けたでしょうか?
このまま少し距離を取って、おふたりには語らいの時間をプレゼントするとしましょうか。
「そうなのです。出かけられるのです。ですので、挨拶は大事でしょう?」
「挨拶大事、それ、いつもにーたが云ってる!」
「ああ、挨拶の大切さを理解しているとは、立派なお兄様ですね」
「ふへへ……! そう! ふぃーのにーた、とっても素敵! にーた褒める、よく分かってる!」
お兄さんが褒められて、本当に嬉しそうです。
私は、怯えた顔の方が好きですけどね?
雑談をしながら、ちょっとずつ銀髪幼女を誘導します。
お兄さんの方が、私の意図に気付いたらしく、ちいさく頭を下げました。
「それで、高祖様がいらっしゃらない間のことですが……。万が一何かがあった場合は、迷わず当商会を頼って下さい」
「にーたのことは、ふぃーが守る!」
一点の曇り無く胸を張りましたね。
「守って貰う……ではなく、貴女が守る、のですか……?」
私が問うと、幼女は笑顔を消しました。
「ふぃーのにーた、魔力ほとんど無い……」
それはまるで弱った小鳥でも見るかのような、悲壮な表情をしていました。
「魔力を――お持ちにならないのですか?」
「んゅ、少しはある……。でも、とってもか細い。ふぃーのにーた、いつもそれで苦しんでる。だから、ふぃーが守ってあげるの!」
あの少年、魔導士になるだけの魔力すら保有しないと云うことでしょうか?
対して、この娘の口ぶりだと、銀髪幼女ご本人には魔力があるようですね。
「ふぃー、にーたに、いっぱい幸せもらった! いっぱい、『楽しい』をくれた! だから、ふぃー、その恩返しをするの! ふぃーがにーたを、支えてあげるの!」
成程。
この娘はこの娘なりに、使命感みたいなものがあるのですね。
(ふふふ……。しかし、そうですか。魔力が殆ど無いのですか……!)
良いことを聞けました。
これは彼のピンチを救ってあげて、私に依存させるチャンスがあるかもしれませんね。
(ハイエルフの中でも最弱候補と名高い私ですが、魔力を持たない子供ひとり、掌の上でころがしてあげると致しましょう……)
こちらの視線に気付いた男の子は、私の笑みを見て、ビクッと震えていました。
素敵な表情ですねぇ。
おっと、いけない。
ささやかな楽しみを知られるのは、私に依存させて、離れられなくなってからにしませんと。
もちろん、高祖様が恩寵を与えている存在ですので、まず、その身を守ってあげることが第一ではありますが。
高祖様の出立を前に、私はひとり、ほくそ笑むのでした。




