第三百二十五話 ハイエルフ・ミィスの見る試食会
こんにちは。
日々、邪悪なる上司と戦う悲しい社畜、ミィスです。
本日は商会の新商品、うな丼の試食会ですよ。
美味しいですよね、うな丼。
まさかあの下魚が、こんな途方もないご馳走になるとは思いもよりませんでしたよ、ええ。
開発者は謎の新人、バイエルン。
うな丼は商会所属のエルフたちの心も鷲掴みにしました。
なので商会内部でも、その正体を知ろうとする者も少なくありません。
今や料理研究家のバイエルン氏は、発明家、シャール・エッセンと並ぶ商会のトップシークレットですからね。
まあ、探ったところで、六歳児が開発者である、などというバカげた話に辿り着く者はいないでしょう。
尤も、私は出来る女なので、別段、驚きませんよ?
たぶん彼は、ご家族や高祖様にさえ、何かを隠しているのだと睨んでいます。
エフモント――今やすっかりクソ爺になったあの魔術師は、エルフ基準で見ても強力な予言の能力を有します。
ならば、あの子供。
アルト・クレーンプットが、それに類似する力を持っていても、おかしいことではありません。
過去視か千里眼――。
つまり魔導歴や幻精歴に存在した、遺失したレシピ。
或いはここではないどこか。
遙か遠くの品物を断片的にでも知る力を保有するのなら、あの異常な発想力にも説明が付くのですがね。
もちろん、私は配慮も出来る女なので、余計な詮索はしませんよ?
彼の行動は商会の利益になり、それがエルフ族全体への恩恵になっているのなら、それで良いのです。
無理に聞き出そうとして、彼の機嫌を損ねたり追い詰めたりすれば、たぶん高祖様の怒りを買います。
『天秤』の高祖様と違って、こちらの高祖様はのほほんとしていて扱いやすいのですが、それは逆鱗が存在しないと云うこととイコールではないですからね。余計なことは、しない方が良いのです。
つまりはまあ、私は『好奇心』と『保身』を秤に掛ければ、後者を取る女だと云うことなのですよ。
「ちょっとミィス。うな丼は試食会に出すものなんだから、パクパク食べないでよ? と云うか、勤務中! 皆この美味しそうな匂いに耐えて働いてるのに、何で当たり前のようにウナギを食べてるのよ?」
同僚のハイエルフが吼えています。
しかし、愚かなことを云うものです。
お客の満足と私の満足。
どちらが大事かなんて、考えるまでもないことではないですか。
そもそも私は、この会場にウナギを食べに来たのであって、働きに来たつもりは毛頭ありません。
ところで頭髪を気にしている人に「毛頭ありません」と云っても、失礼にはならないんでしょうかね?
ちなみに、この娘は「試食会に出すものなんだから」とか云っていますが、在庫は充分に用意しています。
おかわりも要求されるでしょうし、ここで働いている皆も、後で食べられるようになっているのですから。
なので、底をつくことはありません。
遠慮せずに食べますよ?
「ああ、美味しい。お酒が欲しくなりますねぇ……」
日々の忙しさを忘れ、しばしの休息です。
我が商会は、眼鏡を掛けた鬼に支配されていますからね。たまにはこうして、羽を伸ばすことも大切でしょう。
調理場の隅っこに設えたクレーンプット一家専用のテーブルでは、女性陣が大いにウナギをかき込んでいます。
食欲が旺盛すぎることを除けば、微笑ましい光景ですね。
なお私たちの食事は、試食会を覗き見する都合上、彼らよりも早いです。
会場では今の時間、お偉方の無駄で無意味で無価値なスピーチ中ですから、聞く必要はありません。
食べることに専念できます。
「むぅぅ……。このウナギ、俺が調理するよりも美味い……」
アルト少年が、そんなことを云っています。
しかし、これは当然でしょう。商会の商品開発部にも意地があるようですからね。
彼らは連日の泊まり込みで、『ただの美味しい食べ物』を、『貴族にも売れる商品』に仕上げたのですから。
それに今日は、素材からして違います。
沼ドジョウではなく、上位互換のウナギ。
そしてお米は、我らが『エルフ米』!
負ける要素がありません。
「ふぃー、お腹いっぱい! 美味しいの、たくさん食べた! にーた、だっこ!」
幼いながらに健啖家の幼女が、実兄にダイブしています。
少年の方は、お腹に直撃を受けて顔を歪めましたが、大丈夫でしょうかね?
調理場でリバースとか、シャレになっていませんが。
「アルトくん。どうしますか? お腹が苦しいのなら、別に無理して覗き見しなくても良いのですよ?」
「い、いや……。せっかくここまで来たんで、見ますよ。皆の反応から、何かが掴めるかもしれませんし……」
息も絶え絶えですねぇ。
まあ、彼が良いと云うのなら、別に構いません。
戻したところで掃除するのは、私じゃありませんからね。
と云う訳で、短い食休みを挟んで、ホールへ移動。
吹き抜けの空間は、窓やカーテンの開閉のために、柵付きの二階部分にも足場があります。
我らはそこから、愚民たちの様子を眺めるのです。
文字通り、高みの見物ですね。
「ふへへ……! ふぃーとにーた、こっそりコソコソ! ひみつきちにいるみたい!」
妹さんが頬ずりをしていますね。
彼はそれを受け入れながら、下界を見つめます。
「お。ミチェーモンさんだ。端っこのテーブルにいるんだな」
彼は目ざとくエフモントを発見しました。
早いですね。
視力強化の魔術でしょうか?
あの爺は、本人及び、連れの幼女のたっての希望で、目立ちにくい席に配置しています。
ええ。叶えてあげましたよ? 私は、出来る女ですから。
あのふたりの出席にあたり、私がやったことはふたつ。
ひとつは偽の身分をでっち上げること。
これは付け焼き刃なので、ボロが出るかはエフ爺次第ですね。
もうひとつは、特殊メイクの得意な知り合いを買収して、容貌を変えて貰ったことです。
全くの別人ではなく、「ん? まあ、ちょっと似てるかな?」程度までの変化ではありますが、幼女の方に至っては髪色まで変えていますからね。
へべれけ予言者と第三王女のコンビだとは、誰も思わないことでしょう。
アルト・クレーンプットは第三王女の容貌を綺麗だと思ったようですが、あれでも大幅にデチューンしているんですよね。
まあ、教えてはあげませんけど。
「ミィスさん。今日の集まりって、有力貴族なんかも多いんですか?」
「多少はいますね。でも、多くはないです。何せ呼びかけた大元が、王国屈指の無名貴族、ヴェーニンク男爵家ですからね。人を呼べたのは、男爵の友人である、ゼーマン子爵の尽力あってのことです。なので上位貴族は、そこまでいません。ですが、ゼーマン子爵と親交があるだけあって、下位貴族でも、やり手揃いだとは思いますよ。それに、商人や食堂関係者も招いています。つまり、影響力は無視できません」
「成程。イフォンネちゃんのパパか……」
少年は呟きました。
イフォンネって、誰ですかね?
一方、眼下ではどうでも良い挨拶が終わり、とうとう試食の本題発表となっています。
壇上にあるヴェーニンク男爵が、情報を開示しました。
「本日お集まり頂いた皆様に試食して頂きますのは、ウナギ、或いは沼ドジョウと呼ばれる魚です」
お、ざわめいていますね。
「あんな下魚を出すつもりか、ふざけているのか!」
そう叫ぶ人もいますが、大半は驚きながらも平静を保っています。
出来る貴族を呼んだというのは、どうやら本当のようです。
アホな貴族は、とことんまで頭が硬いですからね。
そして、うな重が運ばれてきます。
うな丼ではありません。
お重です。
これは、あのドワーフレアルの意見を採用したものですね。
身分によって器を換えるとは、良い着眼点でした。
「これがウナギだと!?」
「見た目からして、まるで別物ではないか!」
「何と食欲をそそる香りだ! 実に美味そうではないか!」
「それにこの器の美しいこと! 一目でこの食べ物が、高級品と伝わってくるぞ?」
見た目や匂いは、何よりも雄弁に語りかけますからね。
ブーたれてた人にも効果は大きいでしょう。
壇上ではヴェーニンク男爵によって沼ドジョウに関するスピーチが続いていますが、おあずけを喰らった皆さんは、早く食べたくて仕方がないようです。
トントンと指でテーブルを叩く者。
貧乏揺すりをする者。
恨めしそうに男爵を眺める者。
壇上には目もくれず、うな重を凝視する者。
様々です。
共通するのは、男爵の話に興味を持っている者など、ひとりもいないと云うことでしょうか。
「では皆様方も、じれていらっしゃるようですし、長い話はここまでにして、うな重の方を、お試し下さい」
その言葉と共に、スプーンやらフォークやらが振り下ろされます。
ジックリと観察している人もいますが、大半はすぐに口内へ運んだようです。
そして。
「おおおっ! 何と云う美味さだ! これが、あの下魚だとォッ!?」
「ウナギも凄いが、このソースは何だ!? 素晴らしいコクと深みだ!」
「こ、こんな美味しいものは、今まで……! 信じられん!」
「えぇっ!? ウナギや沼ドジョウとは、ここまでの味が出るものなのか!? 商会に云われるがままに、我が領内の権利を売却してしまったぞ!? か、買い戻せるのか、これは!?」
あの鬼畜眼鏡が、返すわけないじゃないですか。
私だって、取り上げられた酒瓶が戻って来たためしがないんですからねぇ。
「いつだ!? いつなんだ、ヴェーニンク卿! これはいつから売り出されるのだ!?」
「お、おかわりは貰えるのだろうか?」
「卿はウナギを売り出す食堂を建設中との話だが、それは我らも、一枚かめる話なのか!?」
「あああ、くそ! 権利を売るんじゃなかったぜ! 商会職員はどこだ!?」
「ううむ……。妻にも食べさせてやりたいのぅ……」
騒ぎになってしまいました。
「落ち着いて下さい。個別の話は、ショルシーナ商会を交えてでお願い致します。おかわりが欲しい方は、給仕に申し付けて下さい。たっぷり用意しております。他、ウナギを気に入って下さった皆様のために、希望される方には、持ち帰りも用意してございますので、そちらもお気軽にどうぞ。また、ウナギの販売開始は、来春を予定しております」
しっちゃかめっちゃかですね。
「おかわりだ! おかわりをくれ!」
「私は弁当を貰おう。個数制限はあるのか? ないならば、まとまった数を頂きたいのだが?」
「俺はおかわりと弁当を両方! すぐに欲しい!」
「各種商売に関する話は、誰とすれば良いのだ? 責任者は?」
下界は、ちゃんぽんな状況です。
そして私の隣り。
クレーンプット兄妹はと云うと……。
「みゅー……。皆、美味しそうに食べてる! 羨ましい! ふぃーも、沼ドジョウ食べたい!」
先程、お腹いっぱいと云っていた気がするのですがね?
対して、兄の方。
「ん。さっきまで暗い顔だったあの娘も、美味しそうに食べてるな。良かった良かった……」
第三王女の方を気にしていました。
まあ、事情を知らなければ、ただの暗い幼女ですからね。
うな重は美味しいですし、この騒ぎなら自分たちが注目されることもないでしょうし、リラックスして食べられるってもんですよね。
なんにせよ、この反応なら販売も宣伝も問題ないでしょう。
クチコミはあっという間に広がり、大勢の興味を惹くこと間違いありません。
そこで第二、第三の試食会を開けば、もう盤石になるでしょうね。
王国中に知れ渡るはずです。
『先行組』が、勝手に方々で自慢するでしょうから。
(さて、あの爺は、どんな反応でしょうかね? 酒好きなら、たぶん気に入ると思うんですがね?)
エフモントたちはヴェーニンク男爵の知己でもないし、目立ちたくもないので、ひっそりと席を立つはずです。お土産くらいは、貰って帰るかもしれませんがね。
案の定、お弁当をいくつか受け取ると、そっと立ち上がりました。
感想を聞くなら、今ですかね?
さっさと聞かないと、私が忘れてしまいますし。
爺と孫を指さし、私は云いました。
「帰るみたいなんで、ちょっと声を掛けてきますね?」
「あ、それなら、俺も行っても良いですか? 挨拶はしておきたいので」
「みゅっ! にーたが行くなら、ふぃーも行く!」
結局、三人で移動することとなりました。
「エフ――ミチェーモンのご隠居」
私が声を掛けると、爺は振り返り、幼女はその陰に隠れてしまいました。
ちょっとの顔合わせくらいでは、警戒心は解いて貰えないようですね。
「おう、ミィスか。それに、ちっこい兄妹も」
「もう帰るんですか? なら、感想くらいは置いていって下さいよ」
私の言葉に、エフ爺は苦笑します。
「わしは酒は好きだが、食い道楽ではないのでな。『美味い』以外の感想など出んよ。――ああ、ウナギにこんな食い方があったのかと、驚きはしたがの。これを考え出した料理人は、大したものじゃなぁ……」
「くっそ平凡ですね。つまらなさすぎて、何の参考にもなりません」
「他に、どう云えと云うんじゃ……」
彼は、私の相手を早々に切り上げるつもりのようでした。幼い兄妹に向き直っています。
ハイエルフたる私を軽視するとは許せませんねぇ。
「お前さん方も、ウナギを食いに来ていたのか」
「えっと、コネで特別に。別室で頂きました」
「ははは。わしらも似たようなもんじゃ。まあ、クラ、ラには、いい気分転換と経験になったじゃろうから、ありがたくはあったがね」
ポンと、偽の孫娘の肩を叩きます。
クレーンプット兄妹とはこれっきりでしょうし、挨拶くらいはさせたいのでしょうね。
幼女は逡巡し、やがてちいさく頭を下げることだけはしました。
これでも一応は、前進なんですかね?
一方、男の子の方は、笑顔で幼女に声を掛けました。
やけに、なめらかなスマイルですね?
うちの職員たちが接客でやる作り笑いに近いですが、それでも他人を安心させる何かがありました。
「ウナギ、美味しかったかな? 喜んでくれると嬉しいんだけど」
織物問屋の孫娘はビクついていましたが、ちいさく首を傾げ、口を開きます。
「ま、まるで、貴方様が作った、かのような、仰り方、です、ね……?」
あ。
少年の目が泳ぎました。
案外アホですね、この男の子も。
「い、いや。美味しいものってさ。共有したくなるじゃないか。自分だけでなく、他の人も喜んでくれると、いい気分になるし」
「にーた! ふぃー、美味しい云ってる! ふぃーで喜んで? ふぃーのことを、見て欲しいの!」
白い幼女が、兄を引き離しに掛かります。
エフ爺は――幼女王女が少しでも他者に口を開いたので、ちょっと嬉しそうですね。爺バカです。
「ミィスよ」
「何です?」
「これなら、クララもたまには外に出してやれる。この娘には、もっと世界を見せてやりたいでな。これからも頼めるかの?」
これってのは、変装のことでしょうね。
『別人』に逃げ込むのが良いこととは思えませんが、まだちいさいなら、こういう抜け道もありではあるのでしょう。ずっとだと困りますけどね。
「良いですけど、高いですよ? 対価を支払って下さいね?」
「お主らに、かっぱがれなければ捻出くらい、どうとでもなるんじゃがの?」
「それは知りません。稼げるようになって下さい」
そしてすぐ傍では、幼女王女から兄を引き離したく、かつウナギを食べ直したくなった幼女が、ぐいぐいと兄を引っ張っています。
「にーた、あっち戻る! ふぃー、沼ドジョウ食べる!」
「わかった、わかったよ。でも、ちゃんと挨拶だけさせてくれ」
彼は妹を宥め、幼女に声を掛けます。
「えっと、なかなか難しいと思うけど、またどこかで会ったら、よろしくね?」
「…………は、はぃ」
塩対応に見えますが、この娘の場合、声を出せただけマシでしょうね。
「ミチェーモンさんも、機会があったら、織物の話を聞かせて下さい」
「お、おう……。き、機会があったらの」
こっちも目が泳いでいますね。
なんてダメな爺さんでしょう。
エフ爺は誤魔化すように手を差し出しました。シェイクハンドです。
少年はそれに応えます。
むさい爺さんと、くたびれた子供が握手をしました。
特に美しい光景ではないですね。
その時。
「――ッ!?」
エフ爺が、愕然とした表情を見せました。
が、それは一瞬のこと。
すぐにいつもの、しわくちゃフェイスに戻りました。
「にーた! もう行くの! ふぃー、にーたに、だっこして欲しい!」
「わかったよ。ほら、おいで?」
「ふへへ……! にーたにギュッてされるの、ふぃー、大好き!」
「あ、じゃあ、すみません。いつかまた、どこかで!」
ブラコンシスコン兄妹は去って行きます。
幼女王女は緊張したのか、深呼吸をしていました。
私は、老魔術師に小声で語りかけました。
「エフ爺。視ましたね?」
「…………」
重苦しい顔です。
悪い予言を引き当てたとき、いつもこの人は、こんな顔をするのです。
「……私も色々と骨を折りました。訊く権利くらい、あると思うんですが?」
「そうじゃの。が、他言無用じゃぞ?」
エフモントの瞳は鋭くて、とてもふざけられる雰囲気ではありませんでした。
彼は孫娘に聞こえないように限定的な消音魔術を使って、独り言のように呟きました。
「……あの幼子に、分岐点がある」
「まあ、人生とは、決断と選択の連続ですからね」
「あやつの先にあったのは、ふたつの『月』よ。輝く月と、昏い月。分岐点とは、そのことじゃ」
成程。
アルト・クレーンプットは、王国の誇る『満月』と『新月』に、今後も係わることになるのですか。
「アルトとか云ったか……」
エフ爺は、悲壮感に溢れる声で、目を伏せました。
「お前は、どちらに手をさしのべるのだ? ……どちらかが救われ、どちらかが――破滅する」




