第三百二十四話 宴への誘い
比較。
多くの評価というものは相対的なものだから、『近くにある』場合、それだけで比較をされるのが世の常だ。
比較対象よりも、己が勝っていれば問題はない。
或いは劣る部分があったとしても、一部において上回れるならば、心の均衡は保てるだろう。
では完全に下回る場合や、劣ると看做される場合ではどうだろうか?
人は、そんな対象に近づきたくないと思うのではないだろうか。
「見よ。第四王女殿下の聡明なこと! あの幼さで、既に古老も舌を巻く博識さだ」
「シーラ王女が月神の奇跡を起こし、王妃様をお救いなされた! 矢張りあの御方は、凡俗の者とは根本からして違うのだ!」
「第四王女様の魔術の才は、既に人の域を超えておる。あのような方を天才と呼ぶのだ」
自分でない誰かが褒め称えられる。
そのくらいは、別に良い。
「聞いたか、第三王女殿下の話を! 月の女神の祝福の証たる、秘蔵の宝剣が輝かなかったと云うではないか! 対して、第四王女殿下は、誰よりも眩く宝剣を輝かせたらしいぞ!?」
「第四王女殿下は、王国最年少で、三級魔術試験を合格なされた! あの御方こそ、魔術の申し子よな。翻って、第三王女殿下はどうだ? 最下級の魔術すら使えぬと云うではないか。これでは無用民と――おおっと、何でもない。何でもない」
「シーラ姫殿下は、あの歳で、既に複数の言語を理解されていると聞く。しかし、クラウディア姫殿下は、まだ自国語の習熟すら、おぼつかないと云うぞ? 同じ姉妹と云っても、随分と差があるものよなぁ?」
何かを持ち上げると、その代わりのように、引き合いに出されて蔑まれる。
なまじ歳が近いから。
なまじ姉妹であるから。
なまじ母の実家が侯爵家同士であるから。
クラウディア・ホーリーメテル・エル・フレースヴェルクは、シーラ・ホーリーフェデル・エル・フレースヴェルクと、比べられ続けた。
「第四王女殿下は――」
「シーラ様ならば――」
「妹君は既にその程度のこと――」
そんな言葉を、陰に日向に聞き続け、クラウディアはやがて、自分に自信の持てない、暗い少女へとなって行った。
暗いと云うことは、それだけで他人を遠ざけ、忌避されてしまう。
心ない比較によって暗く沈んだ結果、「あの娘は暗い」と、更にネガティブな評価を下されるという悪循環に陥っていた。
――ムーンレインに、幼いふたつの月があり。ひとつは満月、ひとつは新月。ふたつありと云われども、目に見えるは、望月ひとつ。
どこかの吟遊詩人が歌ったものだと云われている。
一部の不心得者たちは、おもしろがって、それを広めた。
以来、ふたりは、一方を『満月の王女』、『望月の姫』。そしてもう一方を『新月の王女』、『晦の姫』と呼ぶようになったのだった。
※※※
神聖歴1205年の十二月。
第三王女の部屋に、来客があった。
「おお、久しいの、クラウディア。以前よりも、大きゅうなったか」
現れたのは、ひとりの老人。
『放浪の賢者』と呼ばれる予言者、エフモントである。
凄まじいばかりの魔力と予知能力を持ち、大陸中が争って望むとまで云われる人物だった。
この老魔術師はクラウディアの母、ティネケ王妃の実家である、ヴェンテルスホーヴェン侯爵家とは、懇意の間柄である。
その縁で、第三王女とも度々顔を合わせている。
「エフモント様……! お久しぶりでございます……!」
クラウディアは、笑顔で来客を迎えた。
それが彼女にとって久しぶりの笑顔であることを、何人が知っているだろうか。
「ほほ。子供は元気なのが一番じゃな。ほれ、土産じゃ」
「ありがとうございます。エフモント様は、いつも変わったものを下さいますね?」
受け取って、クラウディアはクスクスと笑う。
知己の老人が持ってきたものは、子供用の裁縫セットだった。
高貴な身分の人間の中には、刺繍や編み物を好む女性は、確かにいる。
しかし一国の王女へのプレゼントとなると、普通は宝石のような高価なものが定番である。
けれども以前のお土産は画用紙だったし、その前は粘土だった。
結果、クラウディアの中ではエフモントは、『変わったものをくれる方』という評価になっている。
しかし放浪の老魔術師は、無意味にそれらを与えている訳ではない。
孫のように思っているこの少女に、何か熱中できるものを探して欲しかったのだ。
与えたものの中には、もしかしたら、この娘の隠された才能を掘り出してくれるものがあるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだった。
「それでエフモント様。本日はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」
「うむ。まあ、アレじゃな。わしが土産物を買ってくるのは、エルフたちの商会なんじゃが、今度そこが、新メニューを出すそうでな? その試食会がある。どうじゃなクラウディア。お主もそれに、出席してみぬか?」
「――試食会、ですか……」
瞬間、幼い王女の瞳が怯えの色を帯びる。
彼女にとって人前に出ることは、同年生まれの妹と比較されることを意味している。
きっとまた比べられ、貶められるに違いない。
そう思い込んでしまう。
そして衆目に晒されれば実際にそうなってしまうことが、問題に拍車を掛けていた。
「……その、せっかくのお誘いなのですが、私は――」
「はいはーい。ちょっと失礼しますよっと」
その時、無遠慮かつ勝手に入ってくる者がいた。
「え!? だ、誰ですか……!?」
それは、クラウディアが初めて見る人物だった。
いや、初めて見る種族だった。
しかし、その存在は知っている。
「え、エルフ……!」
「ハイエルフです。そこは絶対にお間違えないように。――お初にお目に掛かります。私は悪魔の商会で奴隷同然にこき使われている哀れな存在で、名をミィスと申します」
「え? はい、あの……。すみません?」
妙に人を食った態度に、第三王女は目を白黒させながらも頭を下げる。
老魔術師は、呆れたように息を吐いた。
「こりゃ、ミィス。わしゃ、まだお前さんを呼んではおらんぞ」
「いいじゃないですか。どうせすぐに出てくる手筈だったんですから。それにエフ爺はアホなので、私が話を進めた方が早いかと思いましてね。出来る女なので、私は」
「わしよりずっと年上の癖して、爺呼ばわりしおってからに……!」
「いい加減なことを云わないで下さい。私はまだ十七歳なんです。ぴちぴちピーチのてぃいんですよ」
「ほぉう。ティーンのぅ……? では、わしが鼻タレ小僧だったときに出会った酔いどれハイエルフは、一体どこの、何様だったんじゃ?」
「爺の昔話なんて、私が知るわけないじゃないですか。いつも酔っぱらってるエフ爺ですからね。どうせその時も、へべれけだったんでしょうよ。別の美人ハイエルフと見間違えたのでは?」
「童の頃から飲むわけないじゃろ! 全く、こやつは! 堂々と空とぼけおってからに……! 上司の苦労が偲ばれるわい」
突然繰り出される低レベルな遣り取りに、クラウディアは圧倒される。
別に彼女をリラックスさせるためにピエロを演じているわけではないと云う所が、いっそ末期的であったろう。
「まあ、痴呆老人のたわごとは、この際どうでも良いのですが」
憮然とするエフモントを尻目に、ちんまいハイエルフは、咳払いをひとつ。
「ものすごーく美味しい料理が、このたび開発されました。試食会の後は話題沸騰すること請け合いです。見逃す手はありませんね? ありませんよね?」
人々が集う場所へ行く――。
その言葉が、再びクラウディアの表情を暗くした。
――行きたくない。
食べる食べないは関係ない。
自分を知る集団の中へ、どうしても行きたくなかったのだ。
「ふむ」
ちびっこエルフは、偉そうに頷く。
「まあ、人は誰しも、行きたくない場所ってありますからね。かく云う私も、商会長の部屋には行きたくありません。あそこへ行っても、イヤな思いしかしませんからねぇ」
「お前さんの場合は、自業自得じゃろうが」
「だまらっしゃい。ではエフ爺。この幼女が美味しく新メニューを食べられて、かつ注目されないで済む妙案は?」
「お主、王族を幼女呼ばわりか……」
「だって実際に幼女じゃないですか。それに人間の王族よりも、ハイエルフのほうが尊いのですよ。ふふん」
で、妙案を。
ミィスはエフモントにもう一度訊く。
「おう。あるぞ。お前さんじゃよ、ミィス。お主、悪知恵だけは働くからのぅ。わしがここへ連れてきた所以じゃ」
「それを『丸投げ』というのですよ。何です、珍しく飲み会とバクチ以外で私を誘ったと思ったら、出来る女へ任せっきりですか。甲斐性のない」
「なんとでも云え。ほれ、クラウディアの為じゃ。ササッと知恵を出すがええ」
「高いですよ?」
「な、何? お前さん、代価を要求するつもりか!?」
「当然です。卑小な人間風情が、高貴で可愛いハイエルフの知恵の泉を借りるのですよ? お酒を支払うのは当たり前のことです」
お酒を支払う、などと云う謎の単語を、クラウディアは聞いたこともなかった。
たぶん、この先も二度と聞く事はないだろうが。
「お主、昨夜はデボラとふたりがかりで、わしから有り金を巻き上げたではないか!」
「あれは勝負の結果です。得るも失うも自己責任。この件の支払いは別ですよ」
「ぐぬぬ……」
歯ぎしりした後、老人は肩を落とし、渋々と承諾した。
「ふふん。商談成立ですね。ようはその幼女が美味しく新メニューを食べられて、かつ周囲に注目されなければいいのでしょう?」
出席を既定路線にされてしまった第三王女様が、おろおろとしている。
「あ、あの、エフモント様、私は――」
「クラウディアよ」
老人は、優しく頭に掌を乗せた。
「お主の抱えておる闇はわかるつもりじゃ。それがすぐに何とかなるとは、わしも思ってはおらん。だがの、そこから一歩踏み出す勇気は、持っていて欲しいんじゃ。いや、持とうとして欲しいと云うべきかな?」
「わ、私は……」
「大丈夫じゃよ。ミィスは怠惰でクズでどうしようもない女じゃが、悪知恵だけは信じてええ」
「ちょっと」
老爺の言葉にハイエルフは憮然とし、クラウディアは顔を上げた。
彼の言葉ではなく、その表情と雰囲気が、彼女に老人を信じさせた。
自分だって、ずっと闇の中にいたいのではない。
振り払えるなら、振り払いたい。
そう思った。
「わかり、ました。私を、連れて行ってください……」
「おう。よう決断した。それだけでも、お前さんは立派じゃぞ?」
くしゃくしゃと髪を撫でる。その瞳は、どこまでも優しい。
すぐ横で、ちんまいエルフがパチパチと掌を打ち鳴らした。
「いやぁ、立派なセリフですねぇ。予知能力のせいでグレて、拗ねて、世界の全部が自分の敵だとか云ってたチンピラに聞かせてあげたい言葉ですよ」
「黙らんかい!」
老人の言葉に、クラウディアは驚いた。
彼女は彼の、好々爺としての面しか見たことがなかったのだ。
「わしの場合はどっかのちびエルフに拳で矯正されたがの。お前さんは、自分の脚で踏み出せるじゃろうよ」
老いた魔術師は、そう云って片目を閉じた。
クラウディアの気持ちはこの時に定まったのだった。




