第三百二十話 マリモちゃん七変化
神聖歴1205年の十一月。
俺にとって、一年で一番大事な月。
間もなく、我が最愛の家族、フィーリア・クレーンプット嬢は、四歳を迎える。
人生の大半を、俺のだっこで過ごしてきたという筋金入りの妹だ。今後もそうだったりするんだろうか?
甘えられるのはイヤじゃないが、ずっとこのままなのも問題だろうな。
家族と云えば、我が家に、暫定的に居候している者がいる。
噂をすれば、なんとやら。
ふよふよ~……っと、マリモちゃんが俺の肩に乗ってきた。
スリスリ、スリスリ。
柔かボディを擦り付け、餌をねだってくる。
この子、どうにも俺の魔力の味を気に入ってしまったようで、こうしてしょっちゅう、おねだりにやって来る。
それ以外の時間は大体、うちの母さんとじゃれているんだが。
長期休眠状態だった為、マリモちゃんは、まだまだ幼い。
けれども、我らクレーンプット一家との関係は、ある程度確立されたものとなっている。
まず、俺の事は『良質な餌をくれる人』と云う認識。
マイマザーは、『甘えさせてくれる人』。
そして妹様は、『おっかない子』と云う感想のようだ。
マイシスター、マリモちゃんが俺にスリスリするのが許せないらしく、追っ払ってしまうのだ。
俺としては仲良くして貰いたいのだが、仲裁は中々難しい。
そしてクレーンプット家最後のひとり、エイベルとは、互いにあまり気にしていない関係のようだ。
うちの先生、静かだからね。
追っ払うようなことはしないが、率先して遊んでもくれないし。
けれどもエイベルは、合間合間に、マリモちゃんのための住処を探してくれているのだ。
真っ黒い子は気付いていないかもしれないけど、とっても優しいのよ、うちの先生。
マリモちゃん一番の問題点は、よく食べること。
俺が即死するくらいの量の餌を、毎回食べる。
この子の食事に相応しいレベルの闇の魔石はとても高価なので、フィーかエイベル経由で、俺が魔力を与えている。
本当はフィーが直接あげてくれると助かるんだけどね。
妹様曰く、
「めーっ! この子危険! 危険なの! ふぃーの『にーたガード』に、引っかかる気配がするのー!」
と、女のカンによって敵と認定して、あまり近寄らない。
(とか云われても、マリモだしなァ……?)
マイエンジェルがそこまでの危機感を抱く理由が、俺には分からない。
指で黒い球体をつついてみると、嬉しそうに身を捩った。
この子も基本、甘えん坊さんみたいだからな。
そしてマリモちゃんの名前は、ノワールに決まった。
特にひねりがないが、まあ良いだろう。
西の離れでマリモちゃんの存在を知っているのは、クレーンプット一家の四人と、ガドとヤンティーネ。そして、ミアである。
あの駄メイドはしょっちゅう二階に突撃してくるので、隠しおおせるはずがないと判断したのだ。
あとたぶん、黙っていてくれるとも。
その駄メイドの足音が聞こえてくる。
こちらへ走ってきているようだ。
「アルトきゅ~ん! アルトきゅうぅぅぅん!」
「これが侯爵家に仕えるメイドさんの態度ですよ。きっと雇い主はアレなんだろうな。いや、アレでしたな」
「よく分からないことを云っていますねー? 取り敢えず、開けて欲しいんですねー。ミアお姉ちゃん、手が塞がっているんですねー」
「……ったく、なんなんだよ?」
要求通りに扉を開ける。
すると。
「にゃーん……」
両手で抱えられている、サバトラのネコがいた。
「くふふっ。可愛いですねー。ネコちゃんなんですねー。お庭に紛れ込んできたんですねー。毛並みが良いので、どこかの家の、飼いネコちゃんですかねー?」
わざわざそれを見せに来たのかよ……。
蝶々やバッタを捕まえて、笑顔で駆けてくる妹様と同じメンタリティだな……。
(あー……。でも、ネコが入ってくるなら、うちの砂場、トイレにされている可能性があるのか?)
そこは考えておかないと、マイシスターに何かあったら大変だ。
まあ、砂場遊びの後は、大体すぐに風呂に入るんだけれども。
そんな風に考えていると、俺の肩に乗っかっているマリモちゃんが、ふよふよ~……っと、ミアに近寄った。
母さんと並んで、この子の中では『甘えさせてくれる人』認定であるらしい。
「あ、ノワールちゃんですねー。今日も元気そうで、なによりですねー」
遊んで、遊んでとノワールはミアの傍を漂う。
しかし、ネコ好きメイドは申し訳なさそうに首を振った。
「ごめんなさいですねー。私、まだ仕事の最中なんですねー。このネコちゃんを見つけたので、居ても立ってもいられずに、ここへ来てしまっただけなんですねー」
いや、休憩中じゃないなら、仕事しろよ。
俺にネコを見せて、どうしようというんだよ?
(マリモちゃんがションボリしているな……)
力無い浮遊状態で、黒い子は俺の肩に戻って来た。
「あ、ミアお姉ちゃん、そろそろ戻らないとですねー。アルトきゅん、ノワールちゃん、また今度、遊びましょうねー?」
「にゃーん……」
それだけ云うと、また駆けだして行った。
本当に、何しに来たんだ、あいつ?
俺の肩では、マリモちゃんがちいさく震えている。
悔しがっているのか悲しがっているのか。
そう云えば、ヘンリエッテさんとの文通でやってくるイーちゃんが母さんに懐いているが、あれを見ている時も、この子はこんな感じだ。
案外、依存心の強い性格なのかもしれない。
肩の上でポンポンと飛び跳ねているが、これは地団駄を踏んでいるんだろうか?
やがてノワールは、顔(?)をあげる。
肩から浮き上がり、ゆっくりと俺の胸の前へ。
これはあれかな? 受け止めろと云うことか?
そっと手を出すと、マリモちゃんの身体が黒い光に包まれた。
「な、何だ……!?」
眩む視界がクリアになる。
同時に腕の中には、しっかりとした質量が。
「えっ、こ、仔猫……!?」
いや、もっと幼い。
ネコの赤ちゃんと云うべきだろうか?
真っ黒なネコが、俺の手の中にいた。
まず目を惹くのは、毛並みの見事さ。
磨き上げた黒曜石どころではない。
銀河の煌めく夜空のように、『黒さ』と『輝き』を両立させている。
そして、間違いなく美ネコだ。
まだちいさいのに、もの凄く綺麗な姿だった。
「の、ノワールなのか……?」
「にゃん」
そうだとでも云いたげに、俺の手に頭を擦り付けてくる。
驚いた……。
まさか変身能力を有するとは……。
(でも、何でネコ?)
いや、ミアがサバトラを構っていたからか?
「ノワール。変身できるのは、ネコの姿だけかな?」
俺が問うと、再びの黒い光。
そして今度は、カラスの雛に姿を変えていた。
鳥なのは、イーちゃんに対抗しているんだろうか?
なんにせよ、こちらの毛並みも凄い。
わざわざ見栄えの良い姿を選択しているのか、それとも天然で、このマリモちゃんが美形なのか。
(変身後も必ず黒い種類なのは、闇の精霊だからか?)
首を傾げていると、三度目の光が。
その姿には、俺も一番驚いた。
「赤、ちゃん……? 人間の赤ちゃん?」
「だー」
そこにいたのは、ちんまい黒髪の赤ちゃんだった。
これまでの毛並みと同様、女性なら誰でも羨むのではないかという毛づやの良さ。
そうか。
この子、人型にも変化できるのか……。
現在のマリモちゃんは全裸なので、初めて性別が判明した。 femaleである。
考えてみれば、今まで出会った精霊たちには、ちゃんと性別があった。
氷雪の園の総族長のスェフや雪の騎士シェレグは男だったし、エニネーヴェやレァーダ園長は女性だ。
精霊は魔力溜まりから生まれるパターンだけでなく、夫婦になって子を儲けるパターンがあるんだから、そりゃ性別もあるわなァ……。
それにしても、黒髪の手触りがハンパない。癖になるレベルだ。
「きゃっきゃっ!」
撫でられるの好きね、この子も。
「あら? アルちゃん、その子、もしかしてノワールちゃん?」
フィーとハンモックでお昼寝していたはずの母さんがやって来た。
マイシスターは、マイマザーの腕の中で爆睡中だ。
「だーう!」
マリモちゃんは、嬉しそうに母さんに手を伸ばす。
「アルちゃん、交替」
フィーを受け取り、マリモちゃんを渡す。
すぐにノワールは、カラスの雛へと姿を変えた。
やっぱり、イーちゃんに対抗しているんだろうな。
「あら! あらあら! 凄いわ、ノワールちゃん! とっても綺麗な黒色ねー」
「クァァ……!」
褒められて、嬉しそうに鳴く。
カラスの雛って、幼いうちから低めの声なのね。
俺がフィーのよだれでベタベタになっている間、母さんはずっとマリモちゃんを大切そうに撫でていた。
カラスの雛は気持ちよさそうに眼を細めていたが、気持ちよすぎたのか、やがて眠り始めてしまった。
変身が解け、マリモ姿へと回帰する。
どうやら意識を手放すと、あの姿へ戻るようだ。
「精霊って凄いのねー? 姿まで変えられるんだもの」
「他の精霊は特に姿を変えてないから、ノワールのオリジナルか、闇精霊の特性かのどちらかだろうね。あとでエイベルに聞いてみよう」
「ふふふー。新しい家族が出来たみたいで、私も嬉しいわー」
母さんはそんなことを云っている。
たぶん、本気なんだろうな。
でもあまり入れ込むと、マリモちゃんの住処が決まったとき、別れがツラくなるんじゃないのかな?




