第三百十八話 トゥルー・ダーク
「…………」
エイベルと合流するために商会にもどると、そこでは無表情なのに機嫌悪そうな高祖様の姿があった。
その傍では、エイベルが不機嫌な理由が分からないショルシーナ商会長が、オロオロとしている。
「……アル、リュシカ、フィー。おかえりなさい」
そう云うエイベルの視線は、俺の抱える布袋に固定されている。
だから恩師の機嫌を損ねている理由がこの箱にあるのだと、俺は気付いた。
「うん。ただいま、エイベル」
「…………ん」
うーん……。
これは不機嫌と云うよりも、怒りに近い感情なのかな?
「お茶を淹れてきますね?」
一方、ヘンリエッテさんは柔らかい笑顔のまま、スタスタと歩いていってしまった。
別に高祖様が不機嫌でも動じないようだ。
「にーた、にーた! 早くその箱置いて、ふぃーのこと、だっこして?」
待ちかねているかのように、俺の袖を引っ張ってくる妹様。
この娘もブレないね……。
応接室のテーブルの上に箱を置き、フィーをだっこし、ヘンリエッテさんがお茶を運んでくると、やっとエイベルが口を開いた。
「……その『檻』も、出品されていたもの?」
「檻? 檻って、この箱のことか? これは確かに、オークションに出てたものだけど……」
「……これだから人間は」
怒りだけでなく、嫌悪かな、これは。
何にせよ、エイベルがここまで気分を害しているのは、珍しい。
「んもう、エイベル」
横から母さんが親友を抱きしめる。
ショルシーナ商会長が、「な、なんてことを……ッ!?」と叫んでいるが、全員がスルー。
「貴方が怒るなら、相応の理由があるんでしょうけど、ちゃんと説明はしなきゃダメよ? じゃないと、アルちゃんに嫌われても知らないわよ?」
「……むぅ」
エイベルは初めて、こちらを見た。
いや、別にこんなことで嫌いになったりしないからね?
そしてマイティーチャーは、この箱について説明してくれる。
「……それは、『精霊の檻』。名前の通りに、精霊を捕獲し、閉じ込めるためのもの」
そんな技術が、と一瞬、驚きかけたが、競売人は『魔導歴に世に出たもの』と云っていたから、現代の技術ではないね。魔導歴か幻精歴か、いずれかの物なのだろう。
「閉じ込めてどうするの? と云うか、精霊相手に閉じ込めるだけの優位性が、当時の人類にはあったの?」
「……狙うのは、幼体。成体となった精霊は強いから、子供を狙った」
「卑劣な!」
傍に控えているヤンティーネが、怒りに声を震わせた。
「……捕獲した精霊の使い途は様々。研究素材になったり、その魔力を軍事利用したり。魔導歴の人間は、『古式魔術』の使用条件を、精霊独自の魔力波形にあると考え、その分析をしていた。何体もの精霊の命を犠牲にして」
「古式魔術ですか」
ショルシーナ商会長が、眼鏡を光らせた。
「あれは魔力パターンうんぬんではなく、ロストワードを理解するところから始めねばなりませんから、見当違いの話ですね」
「ですが現実に、古式の使い手が精霊や妖精にしかいないのであれば、独自の波形にこそ答えがあると思い込むのも、ありそうな話ではありますね」
と、続けたのはヘンリエッテさん。
ヤンティーネが、俺に耳打ちした。
「内密の話ですが、このおふたりは古式魔術を修めております。古式は我らハイエルフの中でも奥義中の奥義。長老クラスでも使い手は、まず居ないと云われているのです」
と云うことは、このふたり、三大の遺失言語のうち、少なくとも古代精霊語は分かると云うことか。
精霊語が現在も日常会話に使われているキシュクード島は例外だが、長命を誇るエルフたちでも、殆ど言語理解者がいないみたいだ。
(と云うか、古式がそこまで凄いなら、あのコロボックル――クピクピがふんぞり返っていたのも、よく分かるな……)
そしてこの話は、魔導歴でも古式の使い手が人類側には、ほぼ居なかったことを意味している。
「まあ、眉唾物の伝承では、ニパなる女魔術師が、古式を使ったと噂されたことはありますね。他にも、似たような話はいくつかですが存在します。しかしその殆どが、訝しい内容です。信じるに値しません」
ニパって、水色ちゃんのママンの名前じゃん。
たしか昔、人間のフリして冒険者をやっていたことがあると云っていたから、本人なんじゃないの? 今度、訊いてみようかな?
それは置いておいて、今は、この箱だ。
「エイベル。開けられた箱が空だったと云うのは、どういう理由なの? こっちの箱には魂があるとフィーが云っているけども」
「……ん。その檻の中に、精霊がいる。檻特有の魔力もある。アルたちが商会に近づいて来て、すぐに分かった」
ああ、箱の存在にすぐに気付いたと。
だから不機嫌だったのね。
エイベルは続ける。
「……その檻は、閉じ込めることに特化した物。異次元箱のように、環境を整える力もない。そのかわり、『外に出さないこと』にかけては、相当なものだったはず。当時の術者の間でも、この術式は秘密にされていた」
「へえ……」
その魔力、俺に解析できたりしないかな?
一時的な捕縛術として、堅牢な結界が張れるようになれると、いろいろ便利そうなんだけれども。
「確か、『天秤』の高祖様が、檻の製造元を潰滅させたと聞いておりますが?」
「……ん。それで間違いはない。リュティエルが製造現場を『消滅』させた。以降、世にこの不快な檻は出ていない。当時私が見た檻のデザインと一緒だから、これはその時の残りで、新たに作り出された物ではないと考えて良い」
「これがあの檻だと気づけず、申し訳ありません」
ヘンリエッテさんが頭を下げた。
エイベルが首を振る。
「……それは仕方がない。形状を伝えていなかったのは私たちだし、全てを解放済みだとも思っていた。だから、ヘンリエッテに落ち度はない。けれど、これ以降、もしもこの檻を発見したら、すぐに回収して欲しい」
「御心のままに」
ハイエルフたちが、同時に頭を下げた。
「それでエイベル、空っぽの理由だけど」
俺が改めて尋ねると、エイベルは無表情のまま、わずかに目を伏せた。
これは、悲しみの感情だろうか?
「……空なのは、内部の精霊が死んだから」
「つまり、餓死した?」
確かに何もない箱の中なら、餌もないはずだ。
長期に渡って閉じ込められれば、そこにあるのは『死』のひと文字だけ。
精霊の身体は、基本的には高濃度の魔力で出来ている。
だから死ねば、生のままの魔力となって空中に溶けていく。
フィーやエイベルのような魔力感知の使い手でもいない限り、中は空にしか思えないはずだ。
実際は開けた瞬間に、その残滓が消えて行ったのだろう。
「ちょっと待ってよ、エイベル。じゃあ、この箱の中身にある魂って何だ? どうして今も、生きていられるんだ?」
「……中にいるのは、たぶん闇の精霊。それ以外に、生存の目はない」
闇!?
闇の精霊!
「どうして、闇の精霊だと分かるの?」
「……閉じた檻の中は、暗い」
食べ物もなく、真っ暗闇。
そんなところに閉じ込められた精霊たちは、どれだけツラかったろうか?
エイベルが不快がるのもよく分かる。
そして一方、闇と共に生き、闇と共にあるのが闇の精霊だから、唯一、生存の可能性があったのだと。
凍える吹雪の最中に炎の精霊を閉じ込めれば死んでしまうだろうが、氷精や雪精たちなら、平気なのに近いのだろう。
「……檻そのものにも、かなりの量の魔力を使っている。暗闇と魔力。その両方があったから、この魂は生き残った。たぶん、冬眠に近い状態で、生命維持だけを行っているはず」
ああ、そうか。
精霊の生存には、魔力も必要だったんだな。
そこにショルシーナ商会長が、声をあげた。
「しかしエイベル様。いかな闇の精霊とはいえ、魔導歴から現在まで、生存出来るものなのでしょうか? 精霊の幼体は、とてもか弱い。休眠状態であっても、千年、二千年生きることが可能であるなど、寡聞にして知りません」
「……たぶん、この子は、特殊個体。魔力の質から考えて、純精霊だと思われる」
「純精霊!」
商会長だけでなく、ヘンリエッテさんまで声をあげた。
普段動じない人なのに、珍しいな。
水に不純物を含まない『純水』があるように、魔力にも混ざり物のない、純魔力があるのだと云う。
ただしこれは、もの凄くレアだ。
誕生した魔力は多くの場合、その土地の属性を帯びる。影響も受ける。
しかし極稀に、何も混じらない魔力が出来る場合があるのだとと云う。
でも、普通はそれだけだ。
稀であるせいで、精霊となれるだけの魔力量には届かない。
けれども天文学的確率で、純魔力が精霊に至る場合がある。
それが、純精霊なのだと。
「純精霊の格は、『精霊王以上、聖霊以下』と聞いたことがありますが、確かにそれ程の存在ならば、生存が可能なのかもしれませんね……」
商会長が、大きく息を吐いた。
この箱の中身、思った以上に凄いことだったらしい。
「じゃあ、中にいるのは、闇の純精霊で確定なんだね?」
「……ん。中にいるのは、『トゥルー・ダーク』。そう呼ばれるもので、間違いはないと思う」
ピュア・ダークじゃァ、ないんだねぇ。




