第三百十七話 セリに行こう(その六)
箱の中に誰かいる……?
そんなことを聞いてしまうと、流石にアレを無視できなくなる。
フィーがこんなことで嘘をつくとも思えない。
別のことでは嘘をつくが。
それは、この娘の機嫌を損ねたとき。
「ふぃー、にーたに100回なでなでして貰わないと、機嫌なおらない!」
「分かったよ、ほら、撫でるぞ? いーち、にーい……」
そうして100回に到達すると、
「めーっ! まだ10回! もっと! もっとなでなで!」
などという主張をすることはあるが。
ともあれ、あの箱の中に、『何か』がいるというのは間違いないのだろう。
問題はそれが、どちらなのかと云うことだ。
自分の意志で入っているのか、それとも閉じ込められているのか。
そして後者だった場合、中身に非が無く閉じ込められたのか、或いは危険だからと封印したのか。
競売人は語る。
「この『開かずの箱』シリーズについては、知らないお客様も多いことでしょうから、ざっと説明致しましょう。そもそも、この箱が世に出たのは魔導歴であると云われており――」
あの箱は、強力な魔力によってロックされているのだという。
つまり、通常の手段では開けることが出来ない。
過去に見つかったのは、あの箱を除いた五つ。
そのうちのひとつは長い年月を掛けて封印解除に成功し、ふたつは壊してしまったのだと云う。
だが、いずれであっても、中身は空。
何も入っていなかった。
事情があって遺失したという説があり、単なるジョークグッズだったという説があり、当時の魔術師に封印魔術の練習用に使われただけで、最初から何も入っていなかったのだと云う説もあり、箱の経緯については議論が分かれている。
だが、結論は同じだった。
――『中身は何もない』。
やたらと軽いし、振ってみても音がしない。
だから他の未開封品も、空であろうと看做されている。
けれども俺は、フィーによって何某かの魂が入っていることを知ってしまった。
放置は出来ない。
俺は壇上を指さし、副会長様を見た。
「……ヘンリエッテさん」
「承知致しました。持ち帰って、高祖様に相談されるのですね?」
「うん。エイベルなら、もっと詳しい事情が分かると思うんだ。閉じ込められているなら可哀想だし、ヤバい奴なら、始末して貰えるだろうしね」
と、簡単に頼んでみたものの、なんだか周囲の人たちも欲しそうな感じだ。
「研究材料としての価値がありますし、箱だけを単純に見ても、美術品として見事なデザインですからね」
つり上がらんでくれよー……。
頼むよー……。
「では、この『開かずの箱』! 100万円からのスタートとなります!」
えっ!?
100ッ!?
100って云ったの!?
それじゃあ、ヘンリエッテさんに、大損させてしまうんじゃ……!?
俺は青くなって隣を見る。
ハイエルフの美人さんは柔らかく笑いながら、俺の頭を撫でた。
気にしなくて良いんですよ? と云わんばかりに。それを見たフィーが激怒した。
「200!」
「220!」
予想通り、ズンズン値段が上がっていく。
フィーの粘土細工ほどには急激じゃなかったのが救いではあるが。
「600!」
そして、ヘンリエッテさんのそのセリフで決着。
言葉通り、600万円である。
俺のボトルシップよりも100も高い……。
「す、すみません、ヘンリエッテさん……」
「約束ですからね。アルくんが気にすることじゃないですよ?」
あー……。
この『お昼おごってあげたくらいで、そんなに気にしないで下さい』みたいな態度。
俺に気を遣っているんじゃないなら、彼女にとっては大した出費じゃないのかもしれない。
(でも、悪いよなァ……)
むむむと唸ると、ヘンリエッテさんは再び俺をなでなで。
そしてマイエンジェルが、再びの激怒。
「良いですか、アルくん。感謝の気持ちや他者に恐縮することは確かに大切なんですが、それに心を囚われ過ぎてはいけませんよ? 昔、ある国の一兵卒が、自分によくしてくれた将軍に報いるために奮戦し、ついには命を落としてしまったと云う話もあります。責任感に囚われると、命を失うことがありますが、アルくんからは何と云うか、たまにそう云う気配を感じます。お姉さん、そこがとっても心配です」
「いつの間に俺の『お姉さん』に……」
しかし、耳に痛い言葉だ。
実際、前世の俺は、似たような感情で死んでいる。
そこは確かに、気を付けるべきなのかもしれない。
「いずれにせよ、アルくんはもっと、自分の身を大事にすべきです。アルくんの身体は、アルくんだけのものではないのですから」
確かに、この身には自分だけでなく、フィーや母さんの未来も掛かって――。
「だって既に、アルくんは我らエルフ族のものですからね?」
「えぇっ!?」
可愛らしくウィンクされてしまったぞ?
冗談で云っているんだよな?
※※※
と云う訳で、色々とあったがオークションは無事終了。
あの後、最後まで金銭感覚が狂いそうなものばかりが出たぞ。
途中で出てくる『笑えるネタ商品』の、ありがたいことありがたいこと。
「はい、アルくん。箱ですよ」
「ありがとうございます」
目立たないように地味目の布袋に入れられた箱を受け取る。
「みゅぅ……! にーた荷物持ってると、ふぃー、だっこして貰えない!」
ぷくっと頬を膨らます妹様。
そんなマイシスターを、横から母さんがサッと抱き上げる。
「ほらフィーちゃん。ママがだっこしてあげるわー」
そんなことを云いながら、娘に頬ずりしている。
うちの妹様、なんだかんだ云っても、母さんのだっこは拒まないからね。一応、仲のいい親子なんだろうな。
「フィーちゃん、今日は楽しかった?」
「楽しかった! にーたが、ふぃーのこと、いっぱいなでなでしてくれた!」
うん。
オークション関係ないぞ、それ。
こっちは和やかな感じだけど、護衛役のヤンティーネは、開場前よりもピリピリした感じだ。
まあ行きと違って、今は高額商品があるから当然なんだろうけども。
「あ、いたいた! ヘンリエッテちゅわ~~~~ん!」
野太い声が響き渡った。
見れば、太ももと膝頭をくっつけたままの、所謂『女の子走り』で、バケモノが駆けてくる。
本人は軽快に向かってきているつもりなんだろうが、ドスンドスンと地響きが酷い。
両腕で抱えられている『クマたんぬいぐるみ』が、苦しそうに歪んでいる。
「フランソワさん。どうかされたのですか? おひとりのようですが、護衛の任務は終わったのでしょうか?」
「ん~ん。まだ途中よォん? ほら、よく云うでしょぉ? 『おうちに帰るまでが冒険だ』って。でもでもぉ、ちゃぁぁぁんと別れの挨拶はしておきたくて、アタシ、来ちゃったの!」
来ちゃったの! じゃねーよ!
何で俺を見るんだよ!?
ヘンリエッテさんに向けた言葉のはずだろ!?
「んっふふふ……! 見れば見るほどォ……! クシアタのプータイ!」
「~~~~っ!」
俺は戦慄した。
手に持っている箱を落とさなかった自分を、褒めてやりたいくらいだ。
「そっちのォ……! リュシカちゃんのお名前は聞かせて貰ったけどォ……。んふっ! このボクちゃんのお名前は、アタシまだ、聞いてないわよん?」
おい!
まさか、俺目当てで戻って来たんじゃあるまいな!?
「いや……。名乗る程のものじゃないです……」
「つれないこと云わないでよォ? はは~ん! わかったわァ? アタシが美人過ぎて、照れてるんでしょう? んもう、まだちいさいのに、おませさん!」
つつこうとする指を、すんでの所で躱す。
「あら、憎らしい! でも、このアタシからは、逃れられないわよん!」
再び繰り出される指。
いや、『ボッ!』とか昔のカンフー映画の効果音みたいな風切り音が出ている時点で、気色悪さ抜きにしても、喰らうわけにはいかないんですが。
サッと俺の襟首を掴んで後方へ移動させてくれたティーネには、感謝しかない。
「まさか貴殿は、本当にこちらの兄妹に、ちょっかいを掛けに来ただけなのですか?」
「んもう……。相変わらず、冗談の通じない子ねぇ……。でも、その子たちが気になるのは本当。名前を聞きに来たのも、本当よ?」
ありゃ。
気色悪い笑顔をやめて、真顔になったぞ?
「この坊やたち、なんだか将来、凄いことをしでかす気がするのよね。一目で分かったわ。ビンビン来るのよ」
うん。ごめん。真顔でも気色悪いわ。
「分かる、とは? 貴殿に第六感があるとでも?」
「ないわよ! そんな激レアな能力なんて! でも、女なら誰でも備えているものでしょう? 女性特有のカンってヤツを。この予測、たぶんハズレないわよ?」
今度は、射るような視線だった。
俺はこの時初めて、フランソワが『強者』の側にいる存在なのだと気付いた。
(でも、お前、女じゃねーだろ!)
何で誰も突っ込まないんだよ!?
「ま、そんなわけでぇ? この子たちとは、『敵対』しない方が良いと思ったのよん。あ、仲良くしたいってのは、本当よ?」
フランソワは、居住まいを正す。
「アタシは在野の女冒険者、フランソワよ。改めて、貴方たちにお名前を尋ねるわ」
「……アルト・クレーンプットです」
「ふぃーです! にーたが好きです! そのクマさん、ふぃー、触りたい! だっこさせて欲しい!」
「んま! アタシのマデロンちゃんに目を付けるなんて! いいわ。お近づきの印に、特別に触らせてあげる」
「ふへへ……! ありがとー! ふわふわ~!」
母さんに抱えられたままのフィーが、嬉しそうにぬいぐるみをだっこする。
うん。
うちの子が抱きしめている方が、絶対に似合うな。
「アルトちゃんに、フィーちゃんね。憶えたわよォん?」
ぱちっとウィンク。
さっき会場で見たヘンリエッテさんのそれとは、大違いの気持ち悪さだった。
「さっきも云った通り、アタシは冒険者なのよん。アルトちゃんはアタシの条件に合致しているから、何かあったら声を掛けてちょうだいな? 特別に、格安でお仕事を引き受けてあげるから!」
「じょ、条件、とは……?」
「決まっているでしょう? アタシ好みの美形の男かどうかよ! それ以外なんて、お断りね!」
また酷い条件だった。
そりゃこんな性格じゃ、宮仕え出来んわなァ……。
(ん? 待てよ……?)
このバケモノの条件が本当だとすれば、今、護衛をすっぽかされている人物も、美形の男ということになるのだろうか?
「んっふふ……! 今日はマデロンちゃん以外の収穫があって、良かったわ。近いうちに、また会いましょう?」
ちゅっと投げキッス。
俺は全力で軌道上から飛び退いた。
「うふふ。照れちゃって。ホントに可愛いんだから……!」
ちげーよ!
心の底から、イヤだったんだよ!
ともあれこうして、初めてのオークションと、インパクトのある出会いが終わった。
出来れば、二度と会いたくないけどな。
さて、そんなことより、箱の中身だ。
一体、何が入っているのやら。




