第三百十四話 セリに行こう(その三)
貨幣。
この国の貨幣は、金・銀・銅の三つの硬貨から成り立っている。
金貨、銀貨、銅銭のみっつ。
金と銀が『貨』と呼ばれるのに対し、銅のそれは『銭』だ。
これだけで、扱いの差が分かろうと云うものだ。
しかし一方、銅銭は小銭なので流通量も多く、従って、ある意味では硬貨の主役だ。
他方、金と銀。
ひとつこの国のみならず、大陸の主要硬貨は、銀である。
先程俺は、銅銭が経済の主役と云ったが、それは散文的な事実であって、人口に膾炙した主役貨幣は、誰に聞いても『銀』と答えることだろう。
では何故、『金』が主役ではないのか?
答えは簡単で、単純に掘り出される量に差があるからだ。
尤も、硬貨として流通しているわけだから、全く目にしないと云う訳ではない。
貴族や大商家でなく、庶民であっても、
「お、金貨だ。珍しいな」
くらいの反応のレアさなのである。
もちろん、貧民には生涯縁のない硬貨ではあろうが。
他、銅銭には、改まった場所で使いにくいと云う傾向にある。
たとえば地球世界の日本で香典を包む場合、わざわざ小銭は使わないはずだし、ジャラジャラと大量の十円玉を持ってきて、
「そっちの奴の香典より、俺の十円玉たちのほうが総額は上だ」
などと口走っても軽蔑しかされないだろうが、この世界でも細々とした買い物は兎も角、進物・大寺院へのまとまった喜捨・そして高級軍人に与える給与までも、銀貨で支払うことが当然となっている。
寧ろ銅銭を使うと、笑われるか不快がられることだろう。
このオークション会場でも、また。
そして我が日本国に多様な小銭があったように、この世界の金銀銅の硬貨にもそれぞれ、いくつもの種類があるが、それらをいちいち挙げていては、キリがない。
で結局、俺が何を云いたいのかというと、『オークションの風景』を見るにあたって、馴染みの薄い硬貨や単位が出て来ても分かりづらいだろうから、『脳内変換するよ』と云うことなのである。
もっとストレートに云うと、このオークションでは、その価値を俺が『日本円換算』で翻訳しますよと云うことだ。
OK?
じゃあ、セリだ。
※※※
王都のオークション会場は、多くの人間がイメージする場面、そのままだった。
壇上に競売人がおり、落札が決まれば、決定を告げるために振り下ろすハンマーもある。
地方都市のオークションなんかだと、皆が突っ立ったままで手を挙げる魚市のセリみたいな景色になるようだが、ここは違う。
ちゃんと席が用意されており、番号が振られており、『飛び込み参加』は許されない。
我らクレーンプット家の座る席は、前の方だ。
貴族制度や身分差別がある世界では、こういった場所での『席順』は、かなりうるさいことになる。
にもかかわらずこの位置なのは、それだけショルシーナ商会の力が大きいことを意味している。
(あっちには、あのフランソワとか云う怪物が見えるぞ。目立つなァ……)
別れ際、あの巨漢は、
「いっくらショルシーナ商会でも、アタシの狙ってるぬいぐるみに手を出したら、絶対に許さないんだから! なんたって、もう名前まで決めているのよォん!?」
とか、のたまった。
当然だが、オークション前の事前交渉や買収、恫喝は禁止されている。
尤も『ガドの剣』の一件にもあるように、陰に籠もった『談合』は、少なからず存在するようだが。
「にーた、にーた、何か、雰囲気がワクワクする! 台風の時みたい! ふぃー、こういうの好き! 撫でて!」
これから何が起こるのかを理解していなくても、空気というものは伝わるらしい。
根っからのお祭り好きの妹様が、俺の膝の上で喜んでいる。
うん。
この娘は、自分の座席に座ってないのよ。
ある意味、予想通りだが。
「セロのオークション会場とも、空気が全然違うわねー。楽しそう」
母さんの表情も、どこか浮ついた感じだ。
俺たちの並び順は、右隣にヘンリエッテさん。
膝の上にフィー。
本来、妹様が座るはずだった左側の席に母さん。
母さんの席は空いていて、その隣りにヤンティーネだ。
クレーンプット家が『エルフサンドイッチ』になっているのは、防衛上の理由からだろうな。
リバーシだったら、俺たちもエルフになっちゃうね。
うん。
『名誉』の方は関係ないぞ?
「それではこれより、オークションを開催致します」
壇上の人物が高らかに開始を告げた。
戦が始まる。
「まず、最初の出品はこちら、『ルボン朝時代の、戦勝記念硬貨』! 鑑定書付きです!」
おぉ~っ! と、会場中に感嘆の声が漏れる。
ルボン朝と云うのは魔導歴中期、人類圏の統一を為し得た『帝国』の前身たる王国のことだ。
統一国家の誕生をもって魔導歴は中期に入ったと看做されるので、あのコインは前期の終わり頃のものと云うことになる。
ちなみに俺がハマグリに彫り込んだ『永遠の家族』と云う文字の出所である、『聖ロッチナリ』を滅ぼしたのも、この国ね。
(魔導歴だけで、約三千六百年あるからな、昔も昔、大昔のものだな)
地球にもいたけど、この世界にもコインコレクターっているのかしら?
いるんだろうなァ……。
「ではこちらは、100万円からのスタートとなります」
競売人が告げる。
「200!」
「300だ!」
「700!」
「1500!」
スゲー……。みるみるうちに、値がつり上がっていくぞ?
あのコインって別に魔力を含んでるとか、特殊効果があるとかじゃないからね。
まあ、あの戦勝記念硬貨は数が少ない上に、彫り込まれているのが当時の英雄らしいので、欲しい人は欲しいんだろうな。
地球世界のローマ時代のコインでも、『初代皇帝アウグストゥスの金貨』よりも『カエサルの銀貨』の方が人気もあり、高値だと云う話だったし。
「ただいまの金額は、2400万円です。他にいますか? おりませんね? ではこちらの戦勝記念硬貨、2400万円での落札となります」
しょっぱなから凄いな。
金銭感覚がおかしくなりそうだ。
しかし続く出品物も、400万だとか1200万だとか、バカみたいな値段で落札されていく。
ヘンリエッテさんが云ったように、『安い良品』や『ネタ商品』を出す必要があると云うのが、よく分かった。
そう云うものは、一服の清涼剤になるのだろうね。
「では、次の商品はこちら。『マドールン裁縫工房のクマたんぬいぐるみ』」
「おぉぉお~~~~ンっ! 来た、来たわああああああああああん! 待ってたのよおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」
「静粛に。静粛にお願い致します」
誰が叫んで注意されたのかの説明は不要だよな?
俺もしたくないし。
「それではこちらの商品。10万円からのスタートです」
「12ま――」
「100万円よォォォォォォォォォォォォォォォォォォ、オラァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
提示額を遮るのはマナー違反ですよ?
皆が呆気に取られているが、同時に『あいつとは関わり合いにならない方が良さそうだ』という空気も流れている。
誰もセリ掛けない。
クマたんぬいぐるみは、あの巨漢の手に。
「ぬっふふふふふゥ~~ン! 正義は勝つッ!」
まあ、どうでもいいや。
「にーた、にーた。あのクマさん、可愛い! ふぃー、触ってみたい!」
気持ちは分かるが、あいつが触った品に、この娘を触れさせたくないなァ……。
(しかし、フィーがぬいぐるみに興味を持つのは良いことだ……)
実は俺は、ぬいぐるみを使った、『ある躾け』を考えている。
つまり十一月の妹様へのプレゼントは、商会でぬいぐるみを購入しようと思っているのだ。
「次の商品はこちらです。ブルス裁縫工房の――」
ブルス裁縫工房と云うのは、王都有数の高級店であり、多くの貴族や豪商が利用している。その品質は、確かであるらしい。
「見習いお針子。ロッテちゃん八歳の作った『ワンちゃんのお財布』です」
会場に、弛緩した空気が流れる。
ホッと一息つく者。
微笑む者。
娘に買ってやるかと呟く者、様々だ。
「にーた、あれ可愛い! ふぃー、欲しい!」
「ん? そうだな」
オークションに参加する気はなかったけど、明らかに安そうだし、あのくらいなら良いか。
「ヘンリエッテさん。お願いできますか?」
「はい、構いませんよ? 予算の上限は?」
「えーと、3000円までで」
「了解致しました」
ニッコリと微笑むハイエルフ様。
競売人が、開始を告げる。
「ワンちゃんお財布は、300円からです」
うむうむ。微笑ましい価格だね。
十倍の値なら、流石に買えるだろう。
「350!」
「400円!」
「500!」
ん?
結構、上がっていくな。
「1000円だ!」
なんか、いかついオッサンが手を挙げている。
すると、近くに座っていた別の暑苦しいオッサンが手を挙げた。
「2000円!」
「くそ、3500円だ!」
おいおい。予算越えちゃったぞ?
「5000!」
「6000だ!」
何やってんの、オッサンたち。たけーよ。
「10000円!」
「ぬぐ……っ!」
結局、300円のお財布は、暑苦しいオッサンが落札した。
最初に1000円を付けた、いかついオッサンが、恨みがましい目で睨んでいる。
一方、落札者は勝ち誇ったようなドヤ顔だ。
あそこはあそこで、何か因縁があるんだろうか?
「みゅみゅ~……。あの可愛いお財布、ふぃー、手に入らない……?」
「ごめんな、フィー」
「んゆ……。仕方ないの。にーた、ふぃーに、キスして?」
ションボリしてるマイエンジェルが不憫だ。
おのれ、オッサンどもめ……!
俺が歯ぎしりしていると、ゆるんでいた空気が引き締まっていく。
何か『大物』が来るらしい。
競売人が、高らかに告げる。
「次は皆様お待ちかね。現在、王都とセロで話題沸騰中の、あの商品の登場です!」
うん?
王都とセロ?
随分、限定的な話だな?
『王国中で話題』とかなら、まだ分かるんだが。
(――って、おい! うっそだろッ!?)
俺は思わず立ち上がるところだった。
膝の上にいる妹様が、不思議そうに首を傾げた。
「にーた、なんであれが、ここにある?」
いや、だって、アレは――。
アレの作者は――。
「皆様もご存じでありましょう! セロを大災厄から救った『新しき神』! 今なお、多くの神学者や考古学者を悩ませる異形の存在! 制作者不明! 渦中の街の託児所で発見された、『メジェド様の粘土細工』! セロより、堂々の到着です!」




