第三百十一話 ぽわぽわ、しゅーてぃんぐすたー
ミルティア・アホカイネン。
五歳。
彼女は、ムーンレイン王国において、毀誉褒貶定まらない人物であった。
月神の奇跡を起こし、セロを大災厄から救った『奇跡の御子』と目される一方、『会話不能のただのアホの子』だと見る向きも多く、彼女の存在を知るごく一部の間では、ミルティアが凄いのか、そうでないのかが度々、論争となっている。
幾度か行われた聞き取り調査も、一向に成果が出ていない。
曰く――。
「むん……? お肉よりも、お魚が好き? でも、お肉も好き……?」
「犬が飼いたい。でも、今は無理って云われる……?」
「お友だち、百人つくるのが目標……?」
等と、質問とはあまり関係のない返答ばかりが返ってくる始末。
聞き取りでは埒があかない。
それならばと魔力測定してみるが、確かに同年代の子供よりも大きな魔力を保持しているが、あれ程の奇跡を起こせる量かと云えば、皆が首を傾げるだろう。
「月神の奇跡は、矢張り第四王女殿下が為し得たものなのでは?」
「しかし、それではセロの件をどう説明するのだ? あの場には、王女殿下はいなかったのだ。矢張り、ミルティア・アホカイネンが係わっていると考えるべきではないのか?」
「その場にいたと云うだけでは、それこそ判断のしようがないだろう。ただの偶然なのかもしれないではないか」
肯定するにも否定するにも材料が欠け、決着は付かなかった。
結局、保留と云うことになる。
定着したのは、『なんだか得体の知れない子』と云う評価のみ。
それは、ミルティアにとっては、案外ツラいものだった。
セロに託児所があったように、この世界では育児施設が発達している。
それは戦争があり、モンスターが存在し、従って片親となる家が多いからだった。
独立した託児所もあるし、教会や神殿が副業として営んでいる場合もある。
そして王城のような所だと、そこへ勤務している者達のために、城内託児施設なんかもあったりする。
そこにはちいさい子供たちがおり、集団行動を学べるだけでなく、簡単な読み書き算術も教えてくれる場合もあるので、両親が健在でも預けることを希望する家庭も多い。
何せ、託児所の質はピンキリだ。
ただ預かるだけのところもあれば、遊ぶだけで終わりのところもある。
最低限の勉強を教えるには、保育士にも教養が必要だ。だから、余程の所でないと、勉強までは教えない。
そこへ行くと、王城内の託児施設は最上の質を誇っていた。
これは子供が大事と云う立派な動機からではなく、六代前の『簒奪劇』の後に、人気取りのために始めたことであるらしい。
しかし不純な理由が出発点であるとしても、預ける方にはありがたい話だ。
王城勤務の人々は、託児施設を大いに活用した。
その中のひとりに、タルビッキ・アホカイネンと云う女性がいる。
彼女は自分の娘が将来の救世主になると確信していたから、託児所も当然、それに見合った場所であるべきだと考えていた。
その点、王城内託児施設は合格と云えた。何せ、設備だけでなく保育士の質も良い。
そう。
保育士の質が良いと云うことは、ミルティアにとっては幸福なことだったのだ。
王城内託児施設は預けられる子供が多いので、複数に分かれている。
まず、貴族か平民か。
そしてそれらの中で、親の地位や身分が高いか低いかだ。
このクラス分けは、ある意味で当然だった。
差別が当たり前にある世界なので、分けておかないとトラブルの元となってしまう。
アホカイネン家は移民の末裔であり貴族でもないので、当然、平民用の託児施設に入る。
平民の子たちはあまり身分を気にしないので、仲良くなりやすい。
従って平民用の託児施設も、基本的には笑顔で溢れている。
基本的には――つまり、例外があった。
「あいつ何考えてんのか、わかんねーよ」
「お父さんが、あの子は特別だから、話しかけちゃダメだって……」
ミルティア・アホカイネンは、ひとりぼっちだった。
話しかけてくれる子供はなく、話しかけても避けられてしまう。
例外は保育士さんたちで、彼女等は、ミルティアに普通に接してくれた。
けれどそれは、『友だち』ではない。
ごく普通に友人が欲しいと云う願いは、だからずっと叶わなかったのだ。
ある少年たちと、出会うまで。
「あら? ミルティアちゃん、また紙の鳥さんを見ているの?」
「むん……。私の宝物」
保育士さんの質問に、強く頷く。
それはどこかの、くたびれた雰囲気を持つ男の子が折ってくれたオオウミガラス。
言葉通り、ミルティアの宝物だった。
ひとりの時も、これを見ていれば、元気が出てくる。
「ホント、よく出来てるわねぇ……? 一枚の紙がこんなふうになるなんて、不思議ねぇ?」
保育士さんは感心したように首を傾げている。
「むふん……。アルは凄い……!」
アル、ノエル、アルママ、フィール。
初めて友だちが出来た時の喜びは、今も忘れてはいない。
セロの託児所では、一時的とは云え、折り紙を通して仲良くなれた子たちもいる。
アルト・クレーンプットの親族だという兄妹も。
巡り合わせというものがあるのならば、ミルティアにとっては、『彼』との出会いこそが。
「お星様の巡り合わせ……。いつも、お母さんが云ってた……?」
ぽわんぽわんな女の子は、自分が救世主になると云う先祖の云い伝えではなく、その『運命』を信じたのだった。
「ミルティアちゃん、今夜も、そのお友だちに会うんでしょう?」
「むむん……。会えたら、良い……?」
ぽわっとした瞳で、オオウミガラスをジッと見つめる。
彼女の待ち人は、来られるか分からないと、すまなそうに云ったのだ。
空を見上げるのに適した、ある丘の上。
それでもそこで、待ち合わせをした。
「今夜のお星様は、とっても綺麗……? アルに、見て貰いたい……」
ささやかなお願いを、ミルティアは口にしたのだった。
※※※
そして夜。
幼い少女は、緑の丘の上で、友人を待つ。
天空に広がる漆黒のキャンバスに、間もなく流星群が白の絵筆を走らせるはずである。
「ミルー。お母さん、小腹が空いたわー。本格的な星降りが始まる前に、何か食べに行きましょうよー」
こちらへ来る前に、しっかりと夕食を食べたはずのぽわ子マザーが、お腹をさすりながら云った。
どうやら、道中の屋台の匂いに屈服したようである。
「むん……? でも私、ここでアルたちを待つと約束した……?」
「来ない来ない。来ないわよん」
苦笑しながら、ブンブンと手を振るタルビッキ。
「『行けたら行く』とか、『行くのは難しいかも』とか、そういうこと云う人って、絶対に来ないもん。私も子供の頃から、何度も聞かされたセリフよ? 期待するだけ無駄。来ない待ち人を待ってる暇があるなら、串焼きの一本でもお腹に入れている方が、ずっと有意義よ。ほらミル、お母さんが、色々買ってあげるわよ?」
お子様のように、お子様の袖を引っ張るタルタル。
「むむん……。でも私、アルを待ちたい」
「『約束してる』でもなく、『待たなきゃいけない』でもなく、『待ちたい』なの? ううん……。食べるの大好きな私のミルに、そこまで云わせるなんて」
「私、食べるのは~……好き? でも、優先順位もある……?」
「えぇ~……? 腹ぺこに勝る欲求なんてないわよ。うちのコゥバス亭長だって、『男の夢より、財布の金だ!』とか『忠誠心とは金銭が優先しない場合のみ、考慮すべきものである』とか、よく云ってるし……」
割と酷い職場だった。
「しょうがないわねぇ……」
タルビッキは、食べに行くことを諦めた。
しかし、食べることは諦めなかったようである。
ちょっと離れたところにいる、裕福でなさそうな子供たちの集団に声を掛けた。
「ちょっと良いかな、ボクたち?」
「あー? 何だよ?」
「人さらいか? どこにも付いていかねーぞ?」
「し、失礼ね……っ! 救世主の母に向かって……!」
タルタルは咳払いをひとつ。
「ボクたち、お腹空いてない? あっちに見える屋台で串焼きを買ってきてくれたら、一本ずつ奢ってあげるわよ?」
「ホント!? やるやるー!」
「やらせてください!」
態度を豹変させ、次々と手を挙げる子供たち。
王様気分で気をよくしたのか、ふふんと笑いながら、タルタルは銅銭を取り出した。
「じゃあ、これで串焼きを五本買ってきてちょうだい? さっきも云った通り、貴方たちも一本ずつ買っても良いわ」
「はーい!」
子供たちは、お金を受け取ると駆けだして行く。
……屋台とは、別方向に。
「やっりい! 丸々貰っちまおーぜ!」
「あっははははー! もーけ、もーけぇ!」
「草でも食ってろ、ばーか!」
「なっ……!?」
呆気にとられるタルタル。
子供たちの姿は、みるみるちいさくなって行く。
「んんんんー、許るさーん! 私の食事を邪魔しおって!」
怒りに燃えるタルビッキは、娘を放り出して走って行ってしまった。
いくら待っても、戻ってくる気配が無い。
※※※
そうしてミルティアはひとりぼっち。
来るかどうかも分からない、友人たちを待つ。
「お星様、綺麗……」
天空には既に、流れ落ちる星の群れ。
この景色を、見せてあげたかった。
あの人と、一緒に見たかった。
母もおらず、友もおらず。
輝きの雨を、ミルティアは、ただひとりで見上げていた。
ひとり?
「むん……。違う……?」
気配を察知し、振り返る。
そこには、息を切らせて、懸命に走ってくる少年の姿。
空には流星雨。
地上には彼女が願った、『運命の星』がひとつ。




