第三百九話 バーニング・ヴェーニンク
神聖歴1205年の十月。
まだ子供ながら、今世での俺は、割と濃い人生を歩んでいると思う。
何せ去年の十月は大氷原に出かけていた訳だしね。
それ以降も、イベントが目白押しよ。
危険な目にもいっぱい遭ったが――それでもこうして生き残っているわけで、実際に命を落とした前世の方が、ある意味でツラかったのかもしれない。
まあ、今月はまだまだイベントがある訳ですが。
「ほーん。良い出来じゃぁねぇか」
ガツガツとうな丼を食べながら、ガドが云う。
ウナギはすっかり、この鍛冶士の大好物となっている。
で、良い出来と云うのは、俺が作ったもののことだね。
と云っても、剣ではない。
既に鍛冶の修行を始めて一年半くらい経つが、未だに『なまくらソード』しか作れない。
いや、上達はしているのだ。
我が事ながら、目に見えて良くなってきているとは思うが、ガドに合格は全然貰えない。
何せ『最低合格ライン』の黒鋼鉄すら、まだ切り裂けないのだから。
「ま。気長にやるこったな。結局、物作りなんざぁ時間をかけて上達するしかねぇんだからよ」
「その理屈だと、長命種族の方が色々と有利だねぇ」
「こればかりは、どうにもな。かくいう俺も、あと百年くらい寿命が欲しかったぜ。もっと時間がありゃァ、より上達できたと確信してるんだがなァ?」
葛飾北斎だったか。
九十歳で死ぬときに、
「あと十年。いや、五年あれば、本当の絵描きになれたのにな」
とか云ったとかなんとか。
物作りやら芸術やらって、単純な技術だけじゃなく、こう云った『執念』みたいなものがないと大成できないのかもしれない。
そこへ行くと、俺は中途半端だね。
仮にガドと同等の技量と経験があったとしても、劣った剣しか作れない気がするよ。
話を戻す。
俺が何を作っていたのか?
そして、何でガドがうな丼を食べているのか?
これらは密接に関係している。いや、してないかも。
それは、これからベイレフェルト侯爵家の敷地にやってくる、ある人物に関連している。
「お貴族様が直々に坊主を訪ねてくるたァ、偉くなったもんだよなァ?」
からかうように、ガドは笑った。
※※※
「おおお、キミがアルトくんか。もの凄い天才なんだってね? 手紙で散々、知らされているよ?」
俺の手を握って微笑むのは、穏和そうな紳士だった。
同時に、気苦労が多そうな雰囲気を醸し出している。
「アルト・クレーンプットです。男爵様にお会いできて、光栄です」
「ははは。様付けはやめてくれ。うちは本当に弱小なんでね。吹けば飛ぶような存在に、かしこまる必要は無いよ」
彼の名はサンデル。
サンデル・フシル・エル・ヴェーニンク。
ざっくり云うと、ミアパパである。
どうして男爵様が、父無しの平民の所へやってくるのか?
それこそが、ガドが食べていたものとの関連。
つまりは、沼ドジョウを大々的に売り出す側が、うな丼を作ったものに会いに来た、と云う訳なのである。
実務的なことは、全部ショルシーナ商会と打ち合わせているはずなので、ここへ来た目的は前述の通り、俺への挨拶。
そして、僅かなりとも娘と会うためであった。
一通りの挨拶を終えたミアパパは、俺の事をジロジロと見て、それから不安そうに尋ねた。
「あー……。こんなことを聞くのもアレだが、キミの身体は、無事なのかね?」
そんな質問をすると云うことは、娘さんの性癖をご存じなのですね?
まあ、『奴』は誰憚ることなく、自分の好みをオープンにしているんだが。
「今のところは無事ですが、ハッキリ云って恐ろしいです。何とかして頂けたらと思います」
いや、ホントに。
たまに着替えていると、ギラつく視線を感じることがある。
振り返れば奴がいる。
あれはそのうち、本当に捕まると思う。
しかし男爵は頭を下げた。
「……すまないが、私ではどうにも出来ない。アレの暴走を止めるよりも、木の板一枚で火山の噴火を押しとどめる方が、まだ現実味があると思う……」
真顔でなんてことを。
「しかし、キミの考案した新調理法は素晴らしいね。特産品もない我が家は、食料に窮すると大量にいる沼ドジョウで飢えをしのぐこともあったくらいだからね。一部では『沼ドジョウ男爵』なんて呼ばれたこともあったくらいさ。これからは、いい意味でそう呼ばれたいところだね」
その前に、『性犯罪者の父親』の呼び名を得ないと良いですね?
離れの居間へ通し、改めてうちの家族と挨拶。
ミアパパが持参したお土産は、ショルシーナ商会で購入したと思われる焼き菓子の詰め合わせだった。
たぶん、商会へ先に挨拶し、そのまま菓子折を買ってきたのだろう。
「うちに名産品はないからねぇ」
と笑っていたが、これはそのまま本音だろうな。
何にせよ、お菓子なら当家の女性陣が歓迎するのでありがたい。
「うちの娘が、いつもご迷惑をおかけしています」
そう云って頭を下げるミアパパの表情は、真剣そのものだった。
これも本音なんだろうな。
「むうー……。何故だか私、お父さんからの信用がない気がしますねー」
父親が領地からやって来ると聞いていたミアは、給仕役と云う名目で同席している。
お茶を淹れた後は当然の権利のように一緒に座っているのが、彼女らしいと云えばらしいか。
ミアパパは難しそうな顔で娘に云った。
「お前の素行を知っているものならば、当然の話だよ。領内でもお前が来たと知れば、領民たちが子供を隠すのだと噂されたくらいだからね。噂……? 噂だよな?」
「もちろん、根も葉もない噂ですよー。ヴェーニンク男爵家の三女と云えば、領内でも子供たちに大人気の存在でしたからねー」
「…………」
皆の視線が冷たい。
しかしミアには、パッシブスキル・馬耳東風がある。意にも介していないようだ。
「そ・れ・に・ですねー」
アブナイ視線が、俺に降り注ぐ。
「今の私は、ハートを鷲掴みにされているんですねー。本攻略すべき美幼年がいるんですねー。脇目を振っている暇は、無いんですねー」
うぐぐっ。
ゾワゾワっと、鳥肌がたったぞ!?
気のせいか、大量のハートマークが飛んできている感覚がある。魔壁で防げるのか、これ?
「そうか。キミが我がヴェーニンク男爵家の防波堤なのか。ツラいと思うが、これからも頑張ってくれ」
他人事のように云うのは、やめい!
娘を制御する気のない男爵様は、ウナギの販売計画について教えてくれた。
領内をあげて、沼ドジョウを売り出していくのだと云う。
食堂の設置や、他領からの往来、運搬を見越しての街道整備もするが、それらの資材や資金、人員は、ショルシーナ商会が請け負うのだという。
我らが商会長は、ウナギは絶対に売れると考えているので、これらの投資は無駄にならない。寧ろ、絶対に必要と考えているようだ。
「投資の条件が、とても変わっていたのを憶えているよ。兎に角、売れても乱獲は絶対禁止。周囲の環境も含めて、湖沼を荒らさないことと念を押されたね。エルフ族の方々は、自然を愛しているんだねぇ」
そう語る男爵は、領民に仕事を割り振ってあげられると喜んでいた。
口を挟まなかったミアも、心なしか嬉しそうだ。
この真性ショタコンにも、郷土愛はあるっぽい。
「くふふっ。沼ドジョウを食べて、元気いっぱいになった男の子たちは国の宝ですからねー」
どうして少年限定なのかな? なのかな?
「ああ、青白く病弱で、儚げな美幼年も、ミアお姉ちゃんはもちろん行けますよー?」
誰も訊いておらんわ、そんな守備範囲の話。
「あー。それからミア」
ヴェーニンク男爵が、娘の前で咳払いをする。
「お前、今日は十四歳の誕生日だろう?」
「そう云う説もありますねー。でも重要なのは、自分の年齢ではなく、男の子の年齢ですねー」
駄メイドの発言は、この際、無視。
ミアパパの云う通り、今日はこのアブナイメイドさんの誕生日なのだ。
男爵様はたぶん、それに合わせて領から出て来たんだろうな。
プレゼントを用意しているという。
「プレゼントですか。嬉しいですねー。全裸美幼年の、リボン巻きとかでしょうかねー?」
「……お前は自分の父親を犯罪者にしたいのか。……ほら、これだ」
そう云って渡したのは、控え目ながら品のある、宝飾品。
素人目にも、高そうなのが分かる。
たぶんミアパパ、娘のために無理をしたのだろうな。
「貴族の子女なら、そう云ったものも必要だろうからな」
「……嬉しいですけど、無理はしないで欲しいですねー……。こんな私でも、領の経済状況は分かっているんですけどねー」
やっぱりヴェーニンク男爵家領は、あまり裕福な環境ではないらしい。
「でもなぁ。侯爵様から頂いているお給金を、何度もうちに送ってきているだろう?」
「使わないから渡しているだけですねー。ここだと、賄いも出るから、別に困りませんねー」
ミア、自分の給料を親に渡していたのか。
「お前から送られたお金はとってある。結婚資金にでも使いなさい」
そしてこちらは、それに手を付けていないと。
「その必要はありませんねー。ここには、将来有望な美幼年がいるんですねー」
ぞわわっと背筋に寒気が走る。
猛禽に睨まれたネズミのような気分だ。
「くふっ」
何その笑い。
怖いんですけどぉ!?
だが、臆してはいられない。
男爵様の云う通り、今日はミアの誕生日なのだから。
「ミア、これ」
そう。
俺もプレゼントを用意した。
と云うか、作った。
ガドに手を貸して貰って、頑張って仕上げたのだ。
今回作成したものは、銀のブローチ。
前回のバレッタ同様、ネコがモチーフだ。
今回は仔猫が鞠で遊ぶ姿となっている。
動きがあるので、前よりちょっと大変だった。
「わわっ! ネコちゃんですねー。私、ネコちゃん大好きなんですねー。可愛いですねー!」
ミアがネコ好きなのは、周知の事実だからな。
そして、俺の作品を見て驚く男爵様。
「き、キミ……! これ、随分と繊細な細工のようだが、もの凄く値が張るんじゃないのかね!? 輝きも凄い。何をどうやったら、こんな光沢が出るんだ……?」
バレッタを贈ったときも、似たようなことを云われた気がするぞ。
実際、名工ガドの手が入っている時点で、凄まじい値が付くとは思うが、それは云うまい。
「それ、俺が作ったやつなんで、タダみたいなもんですよ」
「え? キミが? これ、凄く良い出来だが、キミは将来、職人にでもなるつもりなのかね?」
売れてくれるなら、それでも良いけどね。
俺にとっての鍛冶・木工は、生活のためだと割り切っているから、そのうち伸び止まる気はするが。
「気のせいか、店売り品よりもずっと良い気が……」
流石にそれはないだろう。
本職以上ってのは、ありえまい。
それにしても、ミアが静かだな?
チラリと見てみる。
「…………アルトきゅんが、ミアお姉ちゃんのために……」
駄メイドは、ちいさく震えていた。
何事かと思っていると、ミアパパが青ざめた。
「いかん! あれは危険だ! キミ、逃げるんだ……!」
「えぇっ……!?」
瞬間。
ミアがバーニング!
禍々しいオーラを纏ったまま、俺を見つめていた。
「アルトきゅん! この嬉しさを表現するために――今から私、アルトきゅんを襲います!」
「は?」
何云ってんだ、こいつ?
云うが早いか、男爵家令嬢が飛びかかってきた。
「う、うおおおおお!? 来るな、来るなぁぁァッ!」
こうしてミアの誕生日は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのであった。




