第三百話 武奈伎、美味しや 美味しや、武奈伎(後編)
知り合いばかりとは云え、皆に注目された中で調理をするのは緊張する。
いや、ウナギが美味しいのは俺自身がよく分かっているんだ。
でも、ここに来ているエルフたちは、『あの高祖様が自分たちを呼び出す程のものだ!』と、そう考えている訳で、きっと期待度も、とても高いはずだ。
(大丈夫かなァ……?)
不安に思いつつも、調理を開始する。
「随分と手慣れていますね。アルト様は、以前から料理が出来たのですか?」
赤いフレームの眼鏡を直しつつ、商会長様がそんなことを訊いてくる。
「い、いや……。昨日たくさん作ったからですよ」
我が云い訳は引き続き、苦しい。
でも、これで行くしかない。
ここにいるのは、聡い人ばかりだ。
下手に喋ると、疑念を抱かれるかもしれない。
そう考えた俺は、タレの匂いを必要以上に部屋中に充満させることにした。
地球世界では昔から、「ウナギは匂いを食わせる」と云う言葉があるくらいだし、落語にはウナギの匂いを嗅ぎながら、白米だけを食う話なんかもあったりする。
まあ、何だ。
意識を逸らすには、これ以上のものはないよねと云うお話。
「む! こ、これは……!」
ショルシーナ会長が、ゴクリとツバを飲む込んだ。
たまらんだろう?
たまらんよなァ?
youたちもウナギの魔力にハマり込むが良いわ!
「美味しそうな、いい匂いですね」
ヘンリエッテさんの言葉に、他のエルフたちも頷く。
「…………」
ガドは何故か、無言で部屋を出ていった。
トイレかな?
そして、テーブルに並べられて行く、うな丼。
給仕は前述の通りミアがやっているが、さりげなく自分の分も確保しているのは流石と云えよう。
なお、我が家には家族で使う以外のテーブルがないので、エルフ勢は、折りたたみ式のちゃぶ台ふたつを果下馬に乗せて、わざわざ持ってきているのだ。
うちのテーブルには、クレーンプット一家。
ちゃぶ台Aには会長、副会長と、フェネルさん。
ちゃぶ台Bには、ミィスとヒセラとガドだ。
ドワーフ先生は、まだ帰ってきてないけれども。
「こ、これは、早く食べてみたいです!」
ドジッ娘エルフのヒセラが目を輝かせている。
率直な感想だが、他の皆も同じ気持ちであるらしい。
「おーし、戻ったぜぇ」
ガドが帰ってきた。
手には、樽を抱えている。
ちゃぶ台Bに着いていた横着エルフが、即座に反応を示した。
「お酒ですか! お酒ですね! これですよ、これ! だからドワーフと一緒の食卓は素晴らしいんです!」
「おう。匂い嗅いで、こいつァ絶対に酒に合うと踏んだからよ。工房から持ってきたぜ」
俺の練習用工房には、当然の権利のようにガドの酒が樽で積んであるが、あれは、そのひとつだろうな。
ちゃぶ台Bに座ったガドは、さっそくバカでかい木製のコップに、酒をついでいる。
どこから取り出したのか、ミィスもマイカップに酒をついでいる。
ショルシーナ会長がヒラ従業員を睨んでいるが、清々しいまでにスルーしているな。
「それでは、頂きましょうか」
ヘンリエッテさんが仕切ってくれるので、俺やエイベルも頷く。
「いただきまーす!」
その号令と共に、皆がうな丼に手を付けた。
部屋の隅では、給仕役のメイドさんもね。
「ふほォ――!」
ヒセラとガドが高音と低音の声で、同時に唸る。
「美味ェッ! こいつァ美味ェ……ッ!」
「こ、こここ、これが、あの沼ドジョウですかー!? 信じられません!」
「お、お酒……! お酒に合う! と云うか、このお酒、商会で取り扱ってる高級品ばりの品質なんですがぁ!?」
ひとりだけ反応がおかしいが、それはこの際、気にしない。
「驚きました……! まさか、これ程とは……!」
「高祖様が、我々を呼び出すわけですね」
商会のトップツーにも好評だ。
「ふっくらと焼き上がった沼ドジョウの身に、コクのあるソースが染みこんで、互いの良さを引き立てています。更に良いのは、山椒の存在ですね。別種の風味を加えることで、単調な味わいになることを防いでいます。使い方が素晴らしいです」
フェネルさんは目を閉じながら、妙に具体的な感想を口にしている。
何だろう?
彼女、グルメなのかな?
「ふへへ……! これ美味しい! ふぃー、これ好き!」
フィーは何でも美味しいと云うが、一応、『好き』と『大好き』程度の差はある。
甘味なんかは、確実に後者だね。
笑顔で食べているところを見ると、うな丼も『大好き』入りかな?
「おう、おかわりくれ!」
「私もですー!」
ガドとヒセラが器を差し出すと、おべんと付けたままのミアが、動作だけは完璧な様子で、盛りつけをする。
「私はお酒のおかわりを頂きますよー」
こっちはどうでもいいや。
ちゃぶ台B勢は、何と云うか賑やかだな。
「おかわり、こちらにも頂けますか?」
「私も頂きますね?」
「私にも下さい」
ちゃぶ台A勢は品と節度を保っているが、おかわりはするらしい。
(お米、多めに炊いておいて良かったな……)
瞬く間に空になっていく土鍋。
そして、エイベルが捕まえてきた沼ドジョウ。
調理は俺だけでなく母さんも手伝ってくれるので、だいぶ楽だったが。
その後のおかわりは在庫の関係で取り合いにまで発展してしまったが、皆、案外と容赦ないのね。
「ごちそうさまでしたー!」
土鍋が完全に空になったところで、試食会は終了。
皆が笑顔なので、成功したと思いたい。
ミアが酒飲み以外の前に熱いお茶を置いて、ホッと一息。
フィーは俺の膝の上に座って、『食後のなでなで』でご満悦。
ショルシーナさんはお茶を一口飲み、それから目を見開いた。
「今日の食事会は、一大事となりました。エイベル様のご慧眼、まことに素晴らしい限りです」
一大事とは、また大袈裟な。俺はそう思ったが、知性溢れる、ちゃぶ台A組の表情は真剣だ。
ヘンリエッテさんが、不思議そうな顔をする俺を見て笑った。
人を安心させる力のある、柔らかい笑みだった。
「アルくん。今日、アルくんがもたらしてくれたものは、とても大きな意味があるんですよ?」
そうなのかな?
新たなレシピが開発されたってことだけじゃないの?
すると、フェネルさんが敷衍してくれる。
「沼ドジョウ――ウナギは、確実に、これまでの食事事情を一変させます。たとえば沼ドジョウが大量に取れる地域には、間違いなく多額の金銭が降るでしょう」
ガタッと、ミアが反応した。
商会長が、落ち着いた様子で云う。
「重要なのは、沼ドジョウが優れた食材になることを、誰も知らないと云うことです。レシピだけでなく、湖沼の確保や、漁業権の独占も、当商会で行う事が可能と云うこと」
「これだけの食材なら、当然、他の食べ方も出てくるでしょうから、レシピだけでなく、ウナギそのものを押さえておくことの意義は大きいですね」
「流通路の整備や、漁場環境の保全、それから実際にお店に出す事などを考えると、大きな金額が動くでしょう。まさに、一大プロジェクトです」
さ、流石は商人。
そんなことまで、俺は考えもしなかったわ。
フェネルさんが、ちゃぶ台Bで弛んだ顔でお茶をすすっているガーデナーを見つめる。
「高祖様が、ヒセラさんを呼んだ意味も分かりました」
え?
どういうこと?
知り合いだから呼んだんじゃないの?
「……ヒセラは各種水源と、その生態系に詳しい。リュティエルに顔も利くし、料理も得意。環境の保全と云う話になれば、商会だけの問題には出来ない。リュティエルに報告して貰って、エルフ族全体で動く必要がある」
ああ、ホウレンソウの為に呼び寄せていたのか。
彼女、単なるドジッ娘じゃなかったのね。
と云うか、エイベルがエルフ族の秘法うんぬん云っていたのは、こういう意味なのか。
「まずは早急にレシピの権利を押さえることですね。ウナギ料理だけでなく、このタレもです。山椒も流通量を増やさねばなりませんし、湖沼の確保も重要です」
商会長の言に、フェネルさんが手を挙げる。
「ならば、まずはセロの湖を押さえるべきでしょう。あそこは沼ドジョウの大量生息地。王都に近く、重要な漁場となるはずです。幸いと云ってはなんですが、セロは痛手を負っていますので、援助する資金額を増やせば、今なら楽に押さえられるかと」
結構抜け目ないね、フェネルさん。
流石は副会長様の懐刀。
次いで、ヘンリエッテさんも口を開く。
「レシピを登録する前に、押さえられる湖沼は押さえておくべきでしょう。あとは、漁師への根回しですね。ウナギと沼ドジョウの買い取りを独占契約にしておくことが重要です」
えげつねぇ……。
生き馬の目を抜くとは、よく云ったものだ。
他の商人や料理人がウナギの重要性を理解する前に、勝負を決めておくつもりのようだ。
「あ、あのー……」
そして、遠慮がちに手を挙げるミア。
彼女は生家のヴェーニンク男爵領が、沼ドジョウの大量生息地であることを告げた。
他に特産品と呼べるものが何もないことも。
「なのでですねー。我が家にも利益誘導して下さると、色々と助かるんですねー。これまでは、ベイレフェルト侯爵家の傘下という肩書きだけでやってきたので、寄る辺が欲しいと両親も云っていたんですねー」
その言葉に、商会長は大きく頷く。
「大歓迎です。新商品を売り出すには、大々的な宣伝は欠かせません。貴族領で沼ドジョウを特産品にしてくだされば、下は庶民から上は貴族にまで、売り込みをしやすくなりますから」
あー……。
そうか。
お貴族様のいる世界だと、庶民と貴族で流行る売り物が別れる場合があるのか。
それを貴族領で流行らせることで、上下階級、どちらにも流通させる足掛かりに出来ると。
「ちょっと良いか?」
酒を飲みながら、ガドが太い手を挙げた。
「お偉方に売り込むならよ、食いもんだけでなく、容器にも拘ってみたらどうだ? 庶民へは普通の深皿で提供し、上の連中には、豪華な容器で高級感を出すんだ。剣を売るにも、お高い布でくるんだり、装飾の凝った箱に入れる方が喜ぶ連中だからな。効果はあると思うぜ?」
おお、お重のアイデアにいきなり至るとは。
流石はガドだ。
「ああ、それは良いですね。庶民へは安価な沼ドジョウで提供し、貴族には味で勝るウナギを用いる。更にはお米も我らのエルフ米を使用すれば、彼らの自尊心を満たした上で、値段の差も付けることが出来ますし」
単なるうな丼の試食会から、どんどんと話が広がっていくぞ?
既に彼女等の会話は、どこに誰を派遣するか。予算の振り分けをどうするかと云う踏み込んだ話にまで発展している。
ガドも自分で動くつもりはないようだが、知り合いの容器職人の一門をさりげなく売り込んであげているんだな。出来る男だ。
まあ、俺の心情を一言で云えば、
「え、ここまで大ごとになるの?」
なんだけれども。
「にーた、にーた!」
そんな俺の袖を、マイエンジェルが引っ張った。
「皆、わかんない話してる! だからにーたは、ふぃーと一緒に、積み木で遊んだ方が良い!」
うん。
妹様、お腹いっぱいになったから、自分が遊びたいだけだよね?
「ははは。じゃあ、そうするか」
「ふ、ふへ……! にーた、ふぃーと遊んでくれる! ふぃー嬉しい! ふぃー、にーた好き!」
俺も当事者――と云うか発案者なのだろうが、ウナギの流通よりもマイシスターの笑顔が優先よ。
わいわいと盛り上がる皆さんを背に、フィーを抱えて部屋を出た。
ウナギ美味しかった。
それだけでいいや!




