第二百九十八話 武奈伎、美味しや 美味しや、武奈伎(前編)
「……ん。アル。取ってきた」
「おおお、エイベル、ありがとう!」
九月某日。
美耳女帝ことエイベル先生が、西の離れへと帰ってきた。
俺の頼みを聞き入れ、沼ドジョウを取ってきてくれたのだ。
このウナギの近縁種をどうするかだって?
云うまでもないことだろう。
調理に挑むのだ。
究極的には俺が食べたいだけなのだが、もちろん、レシピも売れるなら、売るつもりだが。
「むむむー。沼ドジョウさんですねー? 我が家には、おなじみのものですねー?」
仕事を自主中断した駄メイドが、エイベルの生け捕ってきた大量の沼ドジョウを覗き込んでくる。
「ミア、沼ドジョウに思い入れでもあるの?」
「ありませんよー? でも、さっきも云った通り、我が家では、よく見たものなんですねー」
ミアの実家、ヴェーニンク男爵家は、ささやかながら、領地を持つ。
駄メイド様曰く、
「ネコちゃんの額くらいの大きさですよー?」
とのこと。
これといった特産品もなく、人口も少ない。従って税収も微々たるものだ。
一応お屋敷はあるが、それもこぢんまりとしたもので、以前ミアが云っていたように、家事はミアママやミア本人がやり、たまに領民に臨時雇いで大掃除やら何やらを手伝って貰うという環境だったらしい。
小規模の村以外の領地には、建材向きではない木のおい茂る無用な森と、限りなく湖に近い、大きな沼があるくらい。
そこには大量の沼ドジョウが住み着いており、領民やヴェーニンク男爵家の人々が、たまに焼いて食べていたと云う。
「沼ドジョウさんは滋養強壮には良いと聞きますが、あまり美味しくなかったですねー。生で食べられないのも困りますねー。食べるものがないときは、皆で焼いて食べましたけどねー」
ミアはあまり、沼ドジョウが好きではないようだ。
まあ、地球世界でも、蒲焼きが出現する前までは、ウナギは不人気食材だったし。
「アルトきゅん、沼ドジョウさんが好物なんですか?」
「セロのお祭りで丸焼きを食べて、ちょっと閃いたんだよ。調理次第でいけるんじゃないかって」
「もしそうなら、ヴェーニンク男爵家としても、助かりますねー。数だけはありますからねー」
それよりも、とミアは目を光らせる。
変態の眼光だった。
一瞬で背筋が寒くなり、鳥肌が立ったぞ。
「セロと云えば、声楽隊所属の、もの凄い美幼年がいるとプロの間では評判ですねー」
何のプロだ、何の。
と云うか、フレイよ。
お前、変なのに目を付けられているぞ? 大変だな?
「美幼年は良いですねー。心が洗われますよー。愛でて良し、食べて良し。美幼年同士の絡みを眺めるも良しですよー。ああ、叶うなら、その子とアルトきゅんが絡み付いているところを見てみたいですねえぇ!」
おぞましいことを!
不埒な想像をしながら、俺を見つめるんじゃない!
(こいつがいると、話が進まん……)
目線でエイベルに助けを求めると、お師匠様は無言でミアに眠りの粉を放り投げた。
王宮に侵入した時に使った、あの粉だ。
「ふにゃぁ……!?」
駄メイドはへなへなと座り込み、寝てしまう。
そのまま、部屋の隅に立てかけておく。
フィーや母さんのように弛みきった顔で眠るのかと思ったら、眠り姫みたいに綺麗な寝顔なのが、何か腹が立つ。
こいつ、見てくれだけは良いからな。
「……それでアル。沼ドジョウをどうするつもり?」
エイベルも切り替え早いな。
眠りこけるミアに、目もくれない。
「うん。単純に焼くのではなく、少し工夫を凝らして仕上げてみようかと」
尤もらしいことを云っているが、調理方法なんぞ、とうに決まっている。
「……具体的には?」
「セロで食べたときに思ったんだけど、表面ではなく内面をメインに食べたら美味しいんじゃないかと。あとは、味付けも必要だね。醤油ベースのタレを付けると、合いそうだと思ったよ」
「……よくそんなことを思い付く」
「たまたまだよ。今回だけの」
と云う体裁を整えておかないと、後で自分が困りそうだ。
笑って誤魔化し、調理を開始。
うろ覚えの知識で作業するので我ながら動きがぎこちないが、そのおかげで却って試行錯誤しているように見えてくれるかもしれない。
目打ち用の杭やら千枚通しはないので、生のままの魔力で沼ドジョウの頭を固定。
身体に刃を通し、身を開く。内臓と中骨を除去、と。
「……見た目が随分と変わる。漁港で見かける干物みたい」
「そうだねぇ」
アジの開きとか、この世界にあるのかな?
好きなんだよね、アジ。
まあ、魚介類は大体好きだけど。
魚が苦手な人は人生を損していると思う。割と本気で。
次は、ぬめり取り。
あらかじめ用意しておいた熱湯をかけて、それから白く固まった粘液を削ぎ落とす。
「……何か、妙に手際が良い気がする」
「こ、この日のために何度も考えていたから、そのせいだよ」
「……それも?」
「う、うん」
エイベルが指し示したのは、沼ドジョウを捌く前に用意した、アルト印の秘伝のタレ。
みりんが手に入らなかったので、醤油と酒と砂糖を煮詰めてとろみを出したタレを自作した。
こっちは改善の余地が大きいけど、試作品として使う分には問題ないだろう。
「……新しい食べ方を試すなら、ソースも複数用意するはずでは?」
「ざ、材料も限られているからね。今回は、これのみで」
くそう。
話していると、ボロが出そうだ。
さっさと焼き上げてしまおう。
調理器具が少ないので、今回はフライパンで焼く。
酒をふりかけ、フタをする。
「……お酒を飲めない子供のアルが、ごく自然にお酒を料理に?」
「りょ、料理にお酒を使うって云う知識を仕入れたから、試してみたんだよ」
エイベル先生、料理じゃなくて俺の顔色を見ている気がするぞ。
いや、気のせいだな、うん。
タレを塗ると、香ばしい匂いがただよい始めた。
「……ん。良い匂い」
良かった。
エイベルの意識が、再び沼ドジョウに向いてくれたぞ。
丼の代わりの深皿に、炊いたばかりのご飯を盛りつけ、タレをザッと振りかける。
その上に沼ドジョウ――もうウナギでいいや。ウナギを乗せ、再びタレを塗る。
あとはエイベルに用意して貰った山椒を振りかける。
「……二本の木の棒で、器用に持ち上げる」
「こ、こっちの方が、便利だと思ってね」
菜箸が無いんだよなァ。不便すぎるわ。
だから習得した木工技術を使って自作した。
「ほら、出来たよエイベル。これで一応、完成だ」
「……ん。アルの行動は不審だけど、美味しそう」
不審とか云われてるわ。
しらんしらん。
とぼけ切ってやる。
俺も、自分用にうな丼を盛りつける。
箸で食べるならウナギをちぎりながら口に運べるが、エイベルはフォークで食べるっぽいので、彼女の分のウナギは少し小さめに切り分けた。
俺?
開き直って箸で食うから、そのままよ。
「それじゃあ、試食してみようか。エイベル、付き合わせてごめんね?」
「……匂いからして美味しいのが分かる。気にしなくて良い」
「あはは。それじゃ不味かったらアウトみたいじゃん」
「……ん。不味かったら、容赦はしない」
「えっ!?」
「……冗談。でも、アルにはまだ、セロで無茶したことに対する罰を与えていない」
「ば、罰、やっぱり下されるの?」
「……当然。アルの先生として、私にはそうする義務がある」
そりゃ確かに、罰を下すことも教師の仕事のうちだろうけれども……。
マイティーチャーを見ると、無表情のままで、何故だか耳が赤い。
ちょっと触らせて欲しいぞ。
「……だから、そのうち」
「うん」
「……アルをお仕置きの為に、連れて行く」
どこにさ?
ともあれ、俺はいずれ、この人に連れ去られる定めらしい。
「……返事」
「い、いえっさー」
「……ん。約束」
何でそんな、嬉しそうに微笑みますかね?
まあ、罰はそのうち与えられるとして、今は試食だ。
「それじゃあ、改めて、いただきま~す!」
「……ます」
エイベルはフォークにウナギとタレの掛かったご飯をのせ、両方同時に口へと運ぶ。
初体験なのに、ちゃんと『同時に食べるものだ』と心得ているらしい。
「……!」
そして、目を見開く。
さて、お味の方は、どないでしょ?




